DQi外伝 Deja vu


 鋼と鋼がぶつかり合い、戦いの旋律を奏でる。
 デュランは打ち合いながら、その旋律に何故か酔えないでいた。端から見れば全くの五分と五分、しかし刃を交える者だけが知る事実に、デュランは苛立ちを隠せなかった。
 手加減されている。それでいながら、全くこちらの容赦を許さない太刀筋。なるほどバラモス達が警戒し、テリーがいの一番に潰す様命令を下すわけだ。かほどの好敵手に出会えたのは、何年ぶりの事だろう?
 だが、デュランは満足などしなかった。当然だろう。戦士たるもの、これ以上の侮辱が有り得るだろうか?
 内に燻る苛立ちと、圧倒される快感、とでも言うべきこの不可思議な感情に、確かに憶えがあったのをデュランは思い出していた。


 最早どれ程のいにしえやも知れぬ昔の事。外の世界を知らず、唯ひたすらに武者修行に励んでいた頃の話。
 魔界は赤い血の魔物のウワサで持ちきりだった。
 魔界――魔物達の世界と一口に言っても、地上の第七世界と魔界も大して差は無い。各階層に多くの魔界が連なり、それぞれの界を実力者が治める。その上にも強大な力を持つ魔王がいると言うが、デュランの関心の埒外にある。上位の魔族を除いては――デュランもその範疇にはいるのだが――魔王達を統括し支配する魔王の名を知る者は多くない。その程度の、狭い世界での出来事である。
 赤い血の魔物とは不可思議な。
 その身に赤き血流るるは、光の民と相場が決まっていようものを。
 赤き血の魔物。その名は存在自体が矛盾を孕んでいる。魔物は闇に生きる物なれば、光の生き物が持つ赤い血を体に廻らせる事などありはしない。魔物の体液の色と言えば青緑と相場が決まっている。
 赤い血の魔物の正体は臆測の靄に包まれていた。或る者は恐ろしく強大な魔物だと言い、或る者は餓鬼だと言う。しかし話を聞く限りでは、伝聞の伝聞か、さもなくば見たは見たがほんの一瞬であっただの遠目で見ただの、見た内にも入らぬ様な有様であった。
 が、異相は千あれど結論は唯一つ。
 赤い血の魔物は、魔族全ての敵であり、魔物を憎んでいる。
 情け容赦なく牙を剥き、次々と魔物を屠る恐るべき敵。
 魔物殺しの魔物、か。
 デュランは戦いの予感に胸の高鳴りを感じていた。

 "赤き血の魔物"の討伐隊が結成されるという話を聞き、デュランは早速参加を決めた。
 本来ならば群れるを良しとしないデュランであったが、大勢で本格的な燻り出し作戦を敢行するとなれば好機も得られよう。何より、好敵手に成り得る存在が、他の魔物に戦いの機会を奪われ、大勢で嬲り殺しにされるのは耐え難かった。
 そしてその機会は、すぐにやって来た。
 デュランは或る小隊に配属された。小隊は赤い血の魔物を燻り出し、追い立てる役割を与えられ、赤い血の魔物が潜んでいるとされる森へと勇んで出かけた。仲間の魔物共は歴戦の勇士と言った風情が揃いに揃っていたが、何奴も此奴も一癖ありそうで、不意を打たれでもすれば混乱するか、功を焦って同士討ちでも始めそうな案配であった。
 一同は鼻歌を歌う者あり、武器を振り回して存在を誇示する者あり、遠足にも似たまことにのんびりとした調子で森の奥へと進んでいった。
 ふと、大気の流れが変わった。
 目の前に、闇が舞降りた。
 目の前、というのは、先頭を取る魔物の肩である。思ったより輪郭は小さいが、頭部に双角を聳やかす姿、その居住まい佇まいは"魔物"と呼ばれるに誠に相応しい。黄金の双眸が薄暗がりの中、こちらを見透かすように覗き込む。デュランは"赤い血の魔物"と目が合ってしまったのだ。
「あ、ぁー……」
 デュランは直ぐに飛び退き武器を構えたが、"赤い血の魔物"は情け容赦無く、足場を借りた魔物の首を掴んで捻った。首をもぎ取る所作の余りの鮮やかさに、他の魔物達は唯茫然と目の前の出来事を見つめ乍、自らも首級をもぎ取られる以外の術は無かった。
 成程、恐るべき子供では、あるな。
 だが、子供だ。
 首をへし折られるに甘んじてはいなかった他の魔物共は、直ぐに赤い血の魔物を取り囲んだ。青緑の返り血にまみれた少年の姿を注視する。
 蒼い肌、見た者を引き込む深淵の如き、しかし眩い黄金の双眸。痩せて、飢えた獣の如き、険しい面差し。
 怯えている。
 デュランは急に少年への闘志を失った。
 何の事は無い、手負いの獣では無いか。確かに強い。だが、手負いの獣を嬲る趣味は、デュランには無い。
 少年は魔物共に囲まれ、万事休すかと思われた。だが少年は足下の砂を掴んでばらまくと、目潰しを喰らわせた隙に目の前の魔物の金的を蹴ってその頭に飛び乗り、背なより出した一対の翼を広げ飛び去って行ってしまった。
 デュランの中で、闘志とは別の感情が少年を捉えて離さなかった。


 デュランは上位の魔族でありながら、特定の主に仕えるという事をしなかった。
 気楽、面倒だったからでもあるが、主に仕える事が必ずしもデュランの欲望――より強きものと戦う快楽――を満たしてはくれない事を知っているからだ。それに、デュランには己の血に特別の執着も誇りもない。あるのは己の技量への信ばかりである。魔物としての自覚が、薄いのやも知れぬ。
 デュランは別の理由で"赤い血の魔物"を追っていた。殺す為ではない。戦う為ではない。己でもその感情の意味を量りかね、言語化する術も持たず、自らを苦く嗤うしか術がない侭に、しかし欲求には素直に従って、デュランは少年を追った。
 赤い血の魔物の噂はその形を変幻自在に変えながらも、決して途切れはしなかった。時に巨大な化け物に膨れ上がり、また矮小にねじ曲げられ乍。
 だが、少年の噂はある街を境にぴたりと止んだ。
 しばらく前とある街に現われた少年は、十数匹ものトロール軍団と渡り合って縊り殺した挙げ句、トロールの棍棒に打ち据えられて這々の体で逃げ出した。街の外れには廃墟と化した宮殿跡があり、そっちに逃げていったらしいがそれから姿を見ない、と。街の魔物達は、少年が廃墟の中でのたれ死んでいるか、何処か他の街に行ったのだろうと付け加え、それ以上の関心を示そうとはしなかった。確かに大事件ではあるが、脅威は去ったのだし、相手が"赤い血の魔物"でなければ魔物同士の殺し合いなどはさしたる出来事でもないのだろう。
 デュランはあらかた住民達の話を聞くと、廃墟へと向かった。

 成程廃墟は魔物も住まぬ佇まいであった。
 デュランは最大限に気配を殺し、建物の中を歩き回った。何時先だっての魔物狩りの様に、首をもぎ取られては敵わぬ。中に住み着くのは街にも住めぬ弱き魔物か、影の中にしか住めぬ連中位で、らしい気配すらまともに感じ取れはしない。廃墟をくまなく歩き回った末、中庭の奥、折れた大理石の柱が積み重なる舞台の上に、少年はいた。少年は舞台の上に蹲っていたが、デュランが中庭に踏み入るや、物憂げに、しかし素早く身を起こした。
「痩せたな」
 しかし少年は返事をしない。立ち膝を付き、何時でも飛びかからんばかりの様子でデュランを見据えている。
「何もせん。……喰え」
 デュランはずた袋から少年に向けて食べ物を放った。が、少年は中身を一瞥しただけで、手に取ろうともしなかった。
「飢えているのだろう」
「……お前が、先に、喰え」
 低いが、未だ少年らしさを残した声が微かに、風に乗って来た。
「毒でも盛ると思うたか。生憎、そんな気はない」
 少年はしかし、投げられたりんごを放り返した。デュランはりんごを拾い上げ、マントで拭ってから皮ごと囓った。
「これで良いだろ。全部喰ったら、お前の喰うところが無くなる」が、やはり少年はそっぽを向いた侭だった。デュランがもう一度りんごを放り投げると、りんごは宙で止められた。少年は林檎をすぐには食べなかったが、匂いを嗅ぎ、慎重に舐めた後、ゆっくりりんごを囓り始めた。
「パンもあるぞ。喰うか?」
「……お前が、先に、喰え」
 こういう処は子供なのだな、とデュランは苦笑を禁じ得なかった。本気で毒殺するつもりなら、デュランが毒味したところで安心できる訳もあるまいに。「お前は貰う物全てを毒味してから寄越せと?」
「それでは、だめなのか」
「駄目とは言わんが」デュランはパンを投げた。「お前が満足するまで毒味をするとなると、お前にやるまでにお前の分が無くなる。それに、もう俺は町でしこたま喰って来たのでな」
 少年は観念したようだった。受け取ったパンを慎重に、千切りながら噛み締めていた。
「……坊主」
「何だ」
「いつもそうやって、独りで生きてきたのか」
「それがどうした」
「……そうか」
「おい、お前」
「ん、何だ?」
「何故、餌を寄越した」
 デュランは微笑した。「それはな、お前と、戦いたいからだ」
 少年の身体が跳ね上がった。手から、食べかけのパンが跳ね落ちた。
「今ではない」デュランはあわてて訂正すると、少年に近付きながら干し肉の塊をずた袋から取り出した。「お前は宝石の原石だ。お前が成長すればきっと好敵手になるだろう。だが、今のお前と戦う気はしない。今のお前は生きる為に戦っているのだろ」
「うむ」少年は、手渡された乾し肉を引ったくると、塊を食い千切った。デュランは少し距離を取って、少年の隣に陣取り、少年が飢えを満たす様を見守った。
「生きる為だけに戦う奴と戦うのは、性に合わん。我が戦うは、己の力を試す為。戦いの悦びを知る者と、刃を交わすが我が悦び。それを知らぬ者とは戦えぬ。……坊主、我と戦うに相応しい男になれ。それまでは、生き延びろ」
 デュランはやつれた少年の肩に手を伸ばした。
「触るな」
 デュランの手は強く弾かれた。少年は舞台の高台に飛び退き、舞台を冷たく睥睨する。
 戦いの際に幾度と無く味わってきた甘美な戦慄にも似て、しかし何処か異なる皮膚感覚が、デュランの総身を撫ぜ上げた。
 違う。
 こ奴は、そこらの魔物と同じ存在ではない。
 魔王、否、違う、魔王にも比せられる存在。では、何だ?
 答えを導き出すまで少年は待ってくれないだろう。デュランはずた袋を置いた侭、一礼すると黙って中庭を退出した。少年はデュランが立ち去った後も暫くその場に佇んでいたが、やがて舞台に飛び降りると、ずた袋をひっくり返して中身を貪り始めた。



 曲芸じみたつばぜり合いの応酬に、観客は喜んでも、当のデュラン自身は好い加減うんざりさせられていた。堪りかねて、渾身の一撃を叩き込みつつ距離を詰める。
「…貴様、よもや、本気を出していないのではあるまいな?」
 竜王は、だったらどうする、と言わんばかりに鋼の剣を振り下ろす。デュランは刃を受け止めると、そのまま鋼の件を押し返し、大きくなぎ払った。
「本気を出せ! それとも、我が相手では本気を出せぬと言うのか!」
「いいのか、本気出して。……一宿、もとい一飯の恩義があるのだがな」
「へ?」デュランのガードが一瞬甘くなったのを、竜王は見逃さなかった。
「死ぬぞ」口振りとは裏腹に、その口元は愉悦に歪められていた。
「食らえ、我が必殺のデェェーモォォーンスラアァーッシュ!」
▼りゅうおうはあくまぎりをはなった!
ベベ「フンガー! フンガー!(悪魔斬りって素直に言えよ!)」
「どわーっ!」
 デュランはものの見事にふっとんだ。圧倒された、嘗ての記憶が鮮やかに甦る。
 闇夜に陰影を描く少年の肢体。
 冷たく輝く高貴なる、対の黄玉。
 飢えてやつれた頃の面影は失われてはいるけれども、間違いない。
「うーむ、やはりはがねのつるぎでは威力がいまいちだな」
 闘技場の壁に叩き付けられ、決定的で屈辱極まりない敗北を喫したにもかかわらず、デュランは幸福に包まれているのを感じていた。敗北が、圧倒的な敗北がこんなにも、己をして幸福たらしめるのだという事実が、不思議と素直に受け容れられる。
 デュランは幸福を噛み締めつつ、しばらくの間埃の中に埋もれていた。が、立ち上がるとすぐにつかつかと己の弟子の下へと歩いていった。己に敗北をもたらした当の本人は、刃の欠けたはがねのつるぎと呑気ににらめっこしている
「ギブ・アップだ。私は降りる」
「し、師匠ッ!」
「まだまだ、お前も私も修業不足の様だ。…一年後、だな」
 すがるテリーを降り払って、デュランは弟子に最後の引導を渡した。

 後日談はコチラ

*コメント
 外伝としましたが、別に偽典でも何でも。パラレル的に捉えても、捉えなくても。作者的には、こうだったら面白いかもねー程度であって、これが裏設定でしたと言うつもりはないです。
 おふとんの中でぬくぬくしながら思い付き、一日で書き上げました。
 又これでデュラン先生のファンが増えそうなそんな予感。てゆーか、アンタかっこいいよ。
 そー言えば、更新時に更新するところを間違えて凄いテキストになっていたので、慌てて修正。恥ずかしすぎます。(-x-;)
DQi目次へバシルーラ!