秋神様と公孫樹(いちょう)のお社

 人里の外れ、秋には 黄金(きん) 色に包まれる一角。子供達は金の絨毯の上で戯れ、女達は火箸で銀杏を拾っては籠に集めています。独特の臭気が鼻を突きますが、気にする者は誰もおりません。
 黄金色の中心にはひっそりと佇む小さな神社、神職もおらず、中も朱い鳥居と 手水舎(ちょうずや) の他には何もなく――というのは正しくなく、中央に、ぐるり周囲をしめ縄で取り囲まれた、一際大きな公孫樹の木のみがそびえ立っております。
 秋神社、それがこの神社の名前です。

 昔々の話。
 今でこそ姉妹で信仰され、互いに信仰の優劣を競うお二人の秋神様も、妖怪の賢者によって幻想郷に 勧請(かんじょう) された当初は妹神の穣子様のみが圧倒的な神徳を以て人々に崇拝され、姉の静葉様は半ばお飾り、顧みられる事無く殆ど忘れ去られておりました。
 穣子様のお社には例年の収穫物がたんと盛られ、御神酒も並々と注がれているのに、静葉様のお社には花さえ添えられず、通り一遍の掃き掃除が精々。それすらも時と共に忘れ去られ、どことなく薄ら寒い、神が座すには相応しくない気さえ醸し出しておりました。

 それほどまでに、幻想郷の民草は貧しかったのです。

 妖怪の賢者が幻想の終焉を予感して東の地に据えた幻想の地は、その名からは想像し難い現実に苦しんでおりました。外との往来を断ったが故に不作には滅法弱く、飢餓や流行病に加えて度々起こる妖怪達との争いは、人々の心を荒ませるには十二分に過ぎる程でした。妖怪と人とが助け合って仲良く暮らす今の姿は、当時の人々には想像もつかなかったに違いありません。
 人々は信仰に縋りました。現世的な利益を望むが故に、もっと解りやすい、もっと目に見える神をと。結果、人々は豊穣の神である穣子様にお縋りし、八ヶ岳もかくやと思われる供物を山と捧げたのでした。
 秋神様は初めのうちこそ大喜びでしたが、やがて穣子様が信仰を一手に引き受け、己が神徳を振り (かざ) しひけらかすに従って、静葉様の顔は段々沈みがちとなり、紅葉のかんばせと謳われた晴れやかなお顔も、枯れ葉の如く色褪せていくのでした。

 やがて、静葉様は人々の前に姿を現さなくなりました。

 緑が梅雨にしとど潤う水月の頃。
 人一人ない神社の鳥居から、唐傘が姿を覗かせておりました。唐傘はくるり、一巡して雫を跳ね飛ばし、鳥居を潜ります。唐傘の下から覗く髪は腰まで届く深緑、格子柄の着物や髪に飾られた鬼百合の朱と目にも鮮やかな対照をなしておりました。片手には水を張った小型の桶に、溢れんばかりの花を生けております。
 鳥居を潜った先には対称的な二つの社が向かい合って並んでおりました。人気こそあらずとも、どちらが妹神様の社かは一目瞭然でありました。
「いくら貧しいとはいえ、話しに聞いた以上の有様ねぇ。余裕がないとここまで人はさもしくなるものなのかしらねぇ」
 為政者を見れば民がわかる、民を見れば為政者がわかるとはいうが、正しくその通り。
 為政者の顔を思い浮かべていたのでしょうか、唐傘の中から覗く双眸が伏せられました。
 唐傘の主は、美しい女でした。
 静葉様の社は薄汚れ、生けられた花はとうに萎れておりました。女は水差しから萎れた花を抜き取り、腐った水を捨てました。
 女は神妙な面持ちで、枯れた花を眺めておりました。
 話には聞いていたが、ここまでとは。
 これでは木花咲耶比売の神徳も宝の持ち腐れ。御利益をもたらそうにも、人々が望まなければ無意味ではないか。礼節を知らねば衣食足りる事も無かろうに、人という生き物は何処まで度し難いのか。一体、礼節とは衣食足りねば知り得ぬものだろうか?
 女は天を仰ぎました。粛々と、天の恵みが地を濡らします。
 神社を囲む木々は金柑に山桃と、どれも実のなる常緑樹ばかり。さぞや静葉様の居心地も悪かろうに、人心の荒廃を実のなる木に見て取って、女は柳眉を顰めるのでした。
 小さく漏れたため息を打ち消す様に、女は頭を振りました。女は手にしていた桶から花を取り出し、水差しを綺麗に洗ってから花を生けます。空になった桶を足下に置き、女は柏手を打って静葉様に礼拝しました。
 雨音が静寂の唄を奏でます。女は身じろぎもせず、何かを待っている様に思われました。
 清浄な、乾いた空気が女の頬を、緑髪を舐めて行きました。
 女が顔を上げると、静葉様が戸惑い気味に姿を現したところでありました。

「お待ち申し上げておりました、静葉様」
 女が再び恭しく頭を下げると、静葉様は慌てて頭を上げる様促しました。が、女は頑として譲ろうとは致しませんで、それどころか益々恭しく首を垂れるのでした。静葉様が唐傘を頭上に掲げたので、漸く女は顔を上げ、静葉様の手から傘を取り上げるのでした。
「貴女様がこんな事をなさってはいけません。勿体ない事です。もっと貴女の手は、他に為すべき事がある筈ですわ」緑髪の女は静葉様の手を取り、強く握り締めました。静葉様は女の双眸に宿る強い眼差しに戦き、手を引こうと為さいましたが、女の (りょ) 力がそれを許しませんでした。
「静葉様、人々は気付いておりませんが、今の幻想郷には貴女の神徳こそが必要なのです」
 静葉様の手から力が抜けていきます。緑髪の女はさっと身を寄せ、静葉様に素早く耳打ち致しました。
 女は木桶を拾い上げ、さっと姿を消しました。静葉様は雨に打たれた侭、夜になるまで惚けた顔でその場に佇んでおられたのだそうです。

* * *

 その夏。
 幻想郷中をひっくり返す異変が、人里を襲いました。
 盆が明けても、幻想郷中のどの稲穂も、一様に青々とした侭一向に色付く気配を見せようとしないのです。
 人々は勿論、妖怪も蜂の巣を突く大騒ぎ。このままでは人だけでなく妖も、飢えて凍える冬を迎えねばなりません。飢えに耐え切れぬ人々が妖を襲って喰らうというあべこべの事態をも招いた大飢饉の記憶は未だ脳裏に新しく、人妖は等しく恐怖に駆り立てられておりました。が、博麗の巫女に異変解決を訴えても、巫女は首を捻るばかり。博麗の巫女がお手上げでは人妖にとってもなすすべなどあろう筈がなく、ただ神仏に祈るより他に手立てがありませんでした。人々は穣子様の神徳に縋ろうと競って喜捨を申し出、山と供物を、祝詞を捧げお奉り申し上げました。
 鬼気迫る人々の切なる願い。嗚呼、神徳を遍く彼の地に及ぼせし穣子様の事、どんなに人々の願いを叶えて差し上げたかった事でしょう!
 しかし、穣子様は悲痛な面持ちで喜捨を、捧げ物を退けるより他ありませんでした。
 実りを拒まれた民草の掌の返し様と言ったら驚くべきものでした。よもや、あんなにも御信頼申し上げていた筈の御神徳を疑い、穣子様に怒りをぶつけ始めるとは。怒りに駆られた民草の手で、 (つぶて) が雨あられと妹神様に降り注ぐ様は、忘れようにも忘れられぬ、あまりにも辛い光景でありました。この上なくお優しく愛らしい面が、ふくよかなおみ足が、見る間に痛々しいお姿へと変わって行くのです。
 しかし、穣子様は目を伏せ、ひたすらに耐えておられました。
 礫がふと、途切れました。妹神様が面を上げ、痛む体を堪えて人々の前に降り立ったのです。
 穣子様は仰いました。
 実りをもたらすのは己の仕事、しかし、稲穂を黄金に染めるのは、姉・静葉の神徳あってこそ、私独りでは何も出来ぬと。
 しんと、神域が静まりかえりました。礫を握り締めていた者は皆、武器を放り捨てました。
 妹神様は足を引き摺り引き摺り、社の外へと向かいました。民草もぞろぞろと、後を付いて参ります。妹神様は神社裏の井戸に着くと桶の水を何度も被って禊ぎをし、改めて姉神様の社の前で、数々の非礼をお詫び申し上げました。
 姉神様を侮り、己の神徳をひけらかした事。
 秋神は二人で一人でなければならぬというのに、まるでこの世に唯独り、己だけがあるかの様な驕慢な振る舞いで姉神様を貶めてしまった事。
 そして、実を追う余りに花の、木々の色付きの美しさをなおざりにして来た愚かさを。
 実りの喜びも、秋の楽しみも、静葉様の神徳によってもたらされる物。
 姉神様、静葉様。どうか、荒霊をお鎮め下さい。
 そして彼の地に、貴女の神徳を広く知らしめあそばします様に、と。
 妹神様の真摯なお姿に、人々は己の俄信心を思い知らされたのでした。
 人々は競って己の身を浄め、お二人へ、心からのお詫びを申し上げました。
 私達は愚かでした。お二人は表裏一体、どちらも欠けてはならぬ偉大なる御方であらせられます。
 礫を向けた非礼をお許し下さい。
 なおざりにした非礼をお許し下さい。
 皆が平伏す中、静かに社の扉が開きました。
 何処か自信を取り戻しきれぬ、そんな面持ちの静葉様でした。
「……ごめんね、お姉ちゃん」
「……ごめんね、穣子」
「ううん、平気だよ」
「嘘ばっかり、体中痣だらけじゃないの」
「お姉ちゃんだって、辛かったでしょう」
 穣子様が静葉様の手を取ると、お二人は感極まって泣き出してしまわれました。涙を拭いて、静葉様は漸く、安堵に満ちた慈愛深い笑みで民草を受け容れたのでした。

 静葉様と穣子様は手を取り合い、田畑に向かって歩き出しました。人々がお二人を追う様は何処ぞの笛吹きを思い起こさせましたが、二人が行く先は遠い遠い何処とも知れぬ異界ではなく、何度も行き来した見慣れた道です。お二人が畦道を通り過ぎる度、青く続く道はそよ風と共に黄金色に染まって行きました。青く青く、何処までも続く道を楽しそうに、手を取り合って畦道を歩くお二人の微笑ましい様子と言ったら! 人々はお二人の仲を引き裂いた愚かさ浅はかさを心から悔いたのでした。

 神社にお戻りになった秋神様お二人を迎え、人々はお二人の為、一つの社を改めて建て直したいと申し出ました。二度と同じ過ちを繰り返さぬよう、二度と分け隔てせぬ様一つの社にお住まい戴きたい、と。お二人は人々の申し出を快諾しましたが、そこに何やら異を唱える者一人。社の新築に待ったをかけたのは、笠で顔を隠した見知らぬ女。ざわめく人波掻き分けて、女は周りをぐるり、指差します。
 皆さん、周りを御覧なさい。
 社の周りに植えられた木はどれもこれも、夏も冬も色を変えず実を付ける木ばかり。お二人の神徳を称えるに、どうして相応しいと言えましょう?
 これには皆、異を唱えようにも口を (つぐ) むしかありませんでした。貧しさ故とはいえ、実りをもたらす木ばかりを、しかも冬にも葉を付けた侭の木ばかりを選んで植えていたとは。静葉様がどんなに居心地の悪い思いをしていたかを思うて、人々は恥じ入るばかりでした。早速全ての木を植え替える事に致しましたが、さて、後釜に据えるに相応しきは何の木か?
 あの女に聞いてみよう、と誰かが言い出して、人々は周りを見渡しました。が、女の姿は忽然と消え失せておりました。ただ、笠一つを残して。
 笠を取り上げると、下には公孫樹の苗が、一つ。
 誰一人として、公孫樹を植える事に反対する者はおりませんでした。

 今でもお二人は、秋になると互いの優劣を競いつつ、仲睦まじく、遍く神徳を幻想郷にもたらしているのです。

* * *

 かさ、かさ。
 秘やかな囁きを秋風にこき混ぜて、黄金の絨毯を踏み締める人影、一つ。格子柄のスカアトがくるり、遅れて日傘もくるり翻ります。
 秋日を遮る薄紅色の傘に、一枚、また一枚と降り注ぐ天地の恵みも、傘が翻る度ひらり、ひらり舞い落ちて境内を彩る絨毯へと早変わり。日傘の持ち主は花一杯の手桶を携えて、軽快な足取りで朱塗りの鳥居を潜って行きました。
 傘は御神体の正面に位置取ると軽快な回転を加えながら閉じ、中からうねる緑髪を肩まで切り揃えた女の姿が現れます。女――と言っても、寧ろ、少女、と呼ぶ方が相応しい年頃でしょうか。髪には薄紅と白の 秋桜(コスモス) を挿し、手桶には野菊に秋桜、二本だけ覗く季節外れの向日葵。女は手水舎で手を浄め、改めて御神木を仰ぎ見ました。女の面は秋晴れの空の様に晴れやかで、その年代の少女にしては驚く程大人びた――母の子を慈しむが如き色を垣間見せておりまして、その色合い故に、少女と呼ぶのをどことなく躊躇わせる風情を漂わせておりました。
 御神木と女との対面は、澄み渡った空気に響き渡る小気味良い柏手で締めくくられました。女は神妙な面持ちで一礼すると、手桶の花々を神前に添え、来た時と同じ様にゆらゆら、ふわふわ。風に舞う木の葉の様にとらえ所なく、しかし、心浮き立つ楽しげな足取りで神社を、後にしたのでした。

 -了-



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