射命丸文の幻想郷探訪 その3 〜 (ユゴルム) の書

「雄牛」は「思考」である。人間よ、自分の「思考」には責任が持てるようにしなさい。さもなくば、どうして「聖霊」を従わせ、「王冠」の中央の入口にいる「高位の女司祭」に答えることが出来ようか。
(中略)この様に自分を拘束しなさい。そうすれば永劫に自由の身でいられよう。
―――――――――第三の書、もしくは (ユゴルム) の書/ アレイスター・クロウリー

「動物虐待反対!」
 二人の間に沈黙が漂っていたのは大体3分くらいだっただろうか。実質5秒も経っては居ないのだろうが、体感時間としてはそんなものだったか。ともあれ、紫は胡散臭い笑みを強張らせつつ、文の肩を指す。
「それなあに」
「鴉です」
「……言い直すわ。貴女にとってその鴉は、何者?」
「わかってて言ってますね」
「橙に聞いたもの」
 すっ惚けやがって。と喉まで出かかった本音を呑み込む。「鴉の様な生き物なら兎も角、藍さんは」
「同じ動物でしょ? 何が違うのかしら」
 文はすかさず抗弁する。「高度な自我と知性を持った知的生命体です。自由意志があってしかるべきです。人権、もとい妖権侵害反対」
「鴉って相当頭がいい生き物だと思ってたけど」
 やっぱり馬鹿よね、と迄は言わずに、笑みに滲ませる。「貴女鯨食べた事ある」
「ありませんよ。幻想郷に海はありませんから。噂には聞いたことありますけど、勿論見た事もないです」
「世の中には鯨は知的生物で可哀想だから殺して食べるのは残酷だっていう人間がいるのよ。同じ生き物なのにねぇ」
「アンタは人食いじゃないですか」
「言うわね」
「勿論ですとも」
 睨めっこを打破すべく、紫は態と大きく溜め息を付いた。「じゃあ、当の本人に聞いてみればいいじゃないの。今呼んであげるわ。らーん、ちょっと〜!」
「え?! ちょっ、ちょっと……いいですけど……何つう非常識な」
 目の前の隙間がぱっくり開いて、藍がひょいと顔を出した。「紫様、何の御用で」
「そこの鳥頭がね、私にあんな折檻を受けて、藍は式神辞めたくないのか? って」
「ちょっと、本人がいる目の前で本音が言えるわけが……」
 藍は文のセリフを片手で遮った。何言ってんのよ、と面倒臭そうに鴉を一瞥する。「前も言ったでしょう、紫様の式神となることで、私は無敵の力を発揮できるのだと。天狗だか何だか知らないが、所詮鳥頭ですね。しかも鳥目だ」
「鳥目関係ないです」
 藍は文の目を指差す。尖った爪が目を抉る所作をシミュレートする。「じゃあその目は何処に付いてるのさ。私が自我を持たない操り人形に見えるかい?」
「あ、いやそうは見えません。でも……」
 おかしいでしょう。文は問うた。
 貴女に意志はないのですか?
 欲望は?
 貴女は白面金毛九尾の狐。式神にならずとも国を平らげ思いの侭にする力を持っている。
 なのに何故、道具なんかに?
 途端、文の背中が悪寒に震えた。
「誰が道具『なんか』だって?」白面金毛九尾の面が冷たく強張った。文は後じさっる。
「あやややや、地雷踏んじゃったかな? かな? ……ったー!」
 踵にさり気なく割り込んだ日傘のお陰で文は尻餅を付いた。起き上がろうと顔を上げると、紫のどアップが覗き込んでいた。文は唾を呑む。
「呆れた。藍を貴女の鴉なんかと一緒にしないでちょうだい、貴女の使い魔と藍じゃ菜切り包丁と正宗位違うわよ」
 流石というか何というか、文はそんな状況でも相槌がてら手をぽんと打つのを忘れない。
「成る程、正しく月とすっぽん」
「そうよ。滅多に手に入らない至高の一品」紫は藍に悩ましげな一瞥をくれた。「並の存在なら逆に使われかねない、危険で、魅惑的な」
「私は紫様の式であることを誇りに思う。私ほどの妖を式と為す力を持つ妖怪がこの世に存在する事自体が驚嘆すべきではないか? ……貴女も貴女の道具にそう思われていると良いのですがね」
「あら、スッポンだって悪くないわよ。いざとなったら食べられるし」
「ちょ、置いてきぼり……」
「どうせ鍋ならスッポンより鳥が良いわね♪ そう思わない?」
「のわっ」文は飛び退いた。「ちょっと、西行寺さん脅かさないで下さいよ! タチ悪いです! 何時来たんですか何時」
「あら幽々子、ちょうど良いわ! ここに鴉が……あ、いっちゃった……」
 幻想郷一のスピードでその場を後にした鴉天狗を見送る友人に、亡霊嬢は手土産を渡した。
「良いじゃない、ちょうど追い払いたかったんでしょう」
「まあねえ。じゃあ、一杯飲みましょ♪」
「鍋の支度は私が致します」藍が手土産を受け取って奥へと退いた。「今更欲望なんてあるわけないじゃないですか、ねえ紫様」
「そうね」紫はいらえる。「欲望なんて軽々しく言うもんじゃないわ。あの鴉、炮烙の刑にでもして欲しいのかしら」
「おお怖い」幽々子は戯けてみせた。「そんな事になりでもしたら、閻魔様の悲鳴が聞こえて来るに違いないわ」
「そうなったら地獄行き処では済まなくてよ。説教で済む内が花というもの」
「解っておりますとも」藍は野菜を切る手を止めた。「拘束こそが真の自由をもたらすのですね」


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