ドラゴンクエストのなぞ。

 ドラクエの考察系エッセイ。ドラクエ世界の謎を自分なりに考察したり。基本的に発想が黒いです。
 あと今更ですが、既にドラクエの最新作を遊ばなくなっているので最近のどらくえは全く考慮に入れてません。追い付こうとも思ってません。小説などの別メディアも無視しています。ファミコン版1〜4+5・6とモンスターズ1だけだと思えばほぼ正解。

その1〜勇者達の冒険

 DQ2の勇者達。実に不思議な存在です。お供も付けずに旅に出される勇者達。王位継承者たる(少なくともローレシア王子に関しては、兄弟姉妹がいない事からも間違いないと思われます)王子を、ろくな装備も出さず、お供も付けず馬も渡さず旅に出すローレシア国王は如何なる意図を以て息子を旅に出したのか、通常の常識から考えると実に不思議です。ローレシア王子を王位継承者であると仮定すると、彼等を旅に出したのには、明らかな何か裏の意図を感じざるを得ません。王位を継がせたくない、とか。
 そんな事あるわけないだろうと反論される向きも当然あるでしょう。が、では、何故?
 邪教(便宜上そう呼びます)の強大な勢力に対抗するのに、唯一人の王子を送り込む事が、本来何の意味を持つでしょう?
 少なくとも邪教はムーンブルク王国に侵攻しムーンブルク城を攻め落とす前から大っぴらに布教活動を行っていた事は想像に難くありません。それらは人々のセリフから容易に想像できます。唐突に現われて唐突にムーンブルク王国を落したのであれば、彼等邪教徒に対する人々のイメージはさほど強いものではないでしょうし、直ぐにそれらを世界の破滅と結び付けることもないでしょう。(戦争に即結び付ける方がよりリアルな想像でしょう)それに何より、証拠としてローレシア城の地下には地獄の遣いが牢獄に閉じ込められています。
 少なくとも民は、王子を見殺しにするつもりかと思うでしょう。
 尤もドラクエ世界には勇者が世界を救うという伝説が浸透していますから、勇者救世主願望が強くあるのは間違いありませんが、それにしても若干の唐突さは否めません。寧ろ、ローレシア王家が
  1. 国民向けのアピールとして
  2. 王子を厄介払いするため
 旅に出したのではないかと愚考するのです。

 さて、小生執筆のドラクエ小説「DQi」では後者の立場を取った設定から作品の執筆が為されたわけですが、ここは前者の立場について考察してみましょう。此処で注目すべきは、ローレシア王が己の子を旅に出すという決断を下す直前の出来事――即ち、ムーンブルク城落城――に注目してみる必要があると思われます。この事件が起こらなければ、ローレシア王子に旅に出るよう命令を下すきっかけがなかったでしょうから。
 さて、ムーンブルク城の落城には以下の特徴があると思われます。

  1. 大変唐突なものであった
  2. 圧倒的な戦力差による大敗→殲滅線であった
  3. 以上のことより、邪教側の完全な不意打ちであった
 唐突であった事はDQ2のオープニングから明らかなのですが、それ以前から邪教がこの世界に蔓延していた事は先に述べたとおりです。即ち、ロト三国(以下、ローレシア・サマルトリア・ムーンブルク王国の三国をこの様に呼称します)側は邪教徒の勢力を舐めており、完全に不意を打たれた上で大敗したという政策上の決定的な汚点を残してしまったことになります。戦争は今更いう間でもなく外交を含む政治の延長上にあり、敗北は王家の権威の失墜と、勇者の血筋及び正統な宗教の擁護者であるという立場を揺らがせることになります。神の加護を失った=勇者としての力を失った、世界は滅びるという邪教の主張が正しいから敗北した、と考える訳です。(DQ2で「正しき神」の概念が頻りに強調されることを思い起こしていただきたい)
 これらの政治的失態より自らの権威を回復するためのウルトラCが「嘗ての栄光を辿る」行為を子孫である息子にさせるというパフォーマンスに結び付いたものと思われます。無論パフォーマンスは所詮パフォーマンスであり、実に無計画に、突発的に行われたものであろうと思われます。本気で息子達に世界の行く末を託すつもりであれば、あれほどまでにローレシアとサマルトリアの連携が取れていなかった事実はナンセンスとしか言いようがなく、逆に各王家の無能振りをさらけ出す結果でしかなかった事になるのではないでしょうか。
 対外的にはローレシア王達の、戦争への時間稼ぎでしょう。耳目を王子達に集めている間に、ローレシア・サマルトリア王は着々と、邪教勢力に対抗する準備を進めていたのでしょう。結果として戦争は回避されたのか、それともゲームに描かれない部分で戦闘行為があったのかはわかりませんが、現実的にはこんな所が本当の所かと思われます。

 なお、本稿ではローレシア・サマルトリア王子が王位継承者である事、他に兄弟がいない事をを前提に考察を行いましたが、例えばローレシア・サマルトリア王に兄弟やら妾腹の子がいたなどとなれば、やはり前者と考える方が正しいのかも知れません。

その2〜宗教戦争と民族紛争

 今日は。一番好きなのはドラクエ1ですが、考察のネタになるのはドラクエ2です。
 DQ2の主要テーマの一つは(勿論女神転生シリーズのように、前面に打ち出されてはいませんが)宗教闘争です。邪悪な神を崇める宗教勢力と、正しき神を崇め勇者をその使者とするロト王家の全面戦争、この点については異論を待たないのではないでしょうか。
 この際ロト王家の『正しさ』を検証するつもりは全くありません。現実ではRPGの世界のような『絶対善』など有り得ませんし、あるとしても証明のしようがありません。では、『邪教』と呼称される、破壊神を崇める宗教、彼等の正当性、妥当性、再評価は不可能でしょうか?
 私はこの点に異を唱え。再評価していこうと思っています。

 生憎この宗教には、具体的な名前が与えられておりません。歴史の闇に埋もれたのか、王家に依る言論統制の末にその名さえも語るを禁じられたのか、元々名前がなかったのか。
 此処で仮説を出してみることにしましょう。『邪教』と一括りにされた彼等の宗教は、宗教の仮面を被った大規模なムーヴメントであったと。邪教の名前で一括りにされてはいますが、例えばグノーシス主義やフラワームーヴメントの様な様々な思想・民族・宗教の流れであった、と。つまり、特定の宗教の名前を付けるには、あまりにも混沌とし過ぎていて、あまりにも多様であった、と。
 あくまでも仮説に過ぎませんが、様々な民族や宗教や思想がごたまぜになった共同体というアイディアは、ドラクエ世界の背景を考えてみれば実に魅力的で、有りうべき形ではないかと思うのです。
 勇者とローラ姫が二人でローレシア大陸に渡ってローレシアを建国した、という伝説は、多くの現実を隠蔽していると思われます。即ち、

  1. 二人だけでの建国という幻想
  2. ローレシアは無人の大陸であったという幻想
 現実には唯二人ではなく、当然多くの供を従えての新大陸移動であったに違いありません。新大陸で一山当てようという山師のような連中や、小規模ながらの軍隊も当然引き連れていったでありましょう。まさかローレシア全ての民が勇者とローラ姫の子孫と言うこともありますまい。
 第2の点については今更言うまでもありませんが、完全に無人の大陸を想定する事のリアリティの無さについては解っていただけるのではないでしょうか。仮にもアレフガルド――ドラクエ世界の歴史は古く、少なくとも勇者ロトの活躍した時代が創世時代であったとは考えられません。その頃には既に航海技術もあったようですし、アレフガルドが他の大陸から切り離されていたという事情はあるにせよ、或る程度の航海技術があった以上は、他大陸から切り離される前には外海との交流があったと考えるのが自然です。
 以上のことから、ローレシア王国建国、及び建国後、ローレシア大陸全土を含むあれほどの広大な領土を我が物とする際に先住民との何らかのトラブルがあったと想像するにしくはないでしょう。ロト王家が敢えて『建国』という言葉を使った背景には、例えばアメリカ大陸の様に、ローレシア大陸には『国家』が存在しなかった可能性は十分にあります。小規模な共同体が点在し、先住民はそれで事足りていたのでしょう。
 移民達の勢力に追いやられていった先住民達はやがて辺境の地に追いやられていきます。

 この際だから言っておきますが、勇者が作った国だから、善政と正義の内に国を拡張したなどという仮定はこの際すっかりきっぱり忘れていただきたい。善政と正義があれば民は民族への帰属意識を忘れ、善政に従いアイデンティティを捨てるであろうなどというのは単なる妄想です。ローマ帝国をローマ帝国たらしめたのは、アレキサンダーを大王たらしめたのは、モンゴル帝国を歴史に残さしめたのは、どう足掻いたって戦争だったのです。
 ローレシア王家は新興王国で、その支持基盤は極めて脆弱です。土地は広いのですが民の殆どは移民と、宗教思想民族を異にする先住民族です。どんな国でも必ずやることですが、自らを正当化する為に宗教を利用するというお決まりの手段に出たことは想像に難くありません。それに、彼等には『救世主』であるという最大限に利用できるカードがありましたから、これを利用しない手はありません。
 彼等が利用したに違いないのが、恐らく、勇者=救世主=王権神授説でありましょう。勇者は神より認められた存在であり、勇者が王になる=神に認められ祝福された王権である、という些かこじつけっぽい主張で、王権と神権の統括者になろうとしたのではないかと思われます。あくまで印象ですが、ドラクエ3〜1の世界ではあまり宗教的統制が厳しくなく、強い権力を持っているようにも見えません。それが2に至るまでに強まったのには、敵対勢力の登場もさることながら、宗教的統制が何らかの形で強まったと考えてもさほどおかしくはないでしょう。(※1)少なくとも、異端審問的な事が行われていたと思われる証拠が、ローレシア城の地下にあります。
 これらの宗教的偽装は、移民達にとっても大いに役立ちました。全ての移民がそうというわけではありませんが、やはり多くの移民達は、本国にいられなかった政治的経済的社会的事情があった者が多かった事は多いに予想されます。そんな彼等が、開拓という大作業に勇者という救世主の大義名分を得たからにはさぞかし心強かったでしょう。大義名分があれば人は多少の、否、大いに非道な事でも平然と成し遂げられるものです。

 無論追い詰められていった先住民達が黙っていた筈がありません。懐柔や戦争によって生来の土地を追われ、信仰を踏み躙られた彼等を纏め上げたのが、『邪教』でした。
 『邪教』がどの様に流布していったのかは定かではありません。ロト三国サイドでは『邪教』の宗主であった大神官ハーゴンの天才とカリスマによって強靭な地下組織が出来上がっていったかのように喧伝している節がありますが――少なくとも、ゲーム上で出された情報では、そんな印象を受けます。あくまでも印象に過ぎませんが――だとすれば、敵側の親玉を偉く過大評価していることにもなります。実際どうだったのかはわかりませんが、此処では、ゲームでの主張は多分に誇張されすぎているという仮定の下に話を進めたいと思います。何せ、ハーゴンと来たらゲーム中じゃ化け物扱いですから。え、化け物じゃないんですかって? では、敢えて「実は人間でした」と申し上げたらどうでしょう?
 実はこの手の『誇張』、現実には――特に、歴史では、嫌というほどありふれています。具体的には、神話や民話伝承などに。
 ドラクエの世界にはテレビもラジオもありませんし、王権が強いのですから言論統制だって簡単です。王家に都合の良い情報を流すのも朝飯前です。しかし、敵を矮小化するにも限りがあります。何せ敵は強大なのですし、ムーンブルクを滅ぼす程の力を持っていたのですから。こう言った歴史上の事実を隠蔽する事は、如何にロト王家が力を持っていたとしても、困難です。
 そこで行われることは何でしょう? 自らを正当化する為に、民を団結させる為に必要な要素は?
 敵が、魔物である事。
 如何でしょう。突飛な思考の飛躍でしょうか?
 恐らく民の多くはハーゴンその人を見たことがありますまい。ムーンブルク城の戦闘はほぼ殲滅戦であり、生き残りは皆無であった訳ですから、事実がどうであれそこから情報が漏れる事はなかったでしょう。敵が魔物であれば、ムーンブルクが『邪教』勢力に油断して大敗した不名誉な事実を或る程度は覆い隠せます。何せ、人外の力、しかも大軍を駆使して襲って来たのですからひとたまりもありません。こうしてロト三国側は自らの失態を覆い隠すことにも成功し、敵は人間でないのだから、邪教にくみすることは人類への裏切りであると宣言する事も出来るわけです。ドラクエ1〜3の世界においては魔物達と人間は共存していませんから、魔物の宗教に帰依する事が即人類への敵対に繋がるとみなされる事は言うまでもありません。ついでに申し上げれば、先住民族の崇拝する神が魔物と認識され(貶められ)たり、何らかのトーテムを掲げる集団がそのトーテム自身と同一視される事も有ります。

 さて、話を戻して、何故『邪教』が統一的な巨大組織ではないのか、もう一つ論証の手がかりになりそうな事件について取り上げましょう。
 もうお解りかと思いますが、ムーンブルク城戦です。
 この戦いはもはや戦いとさえ言えない代物であったでしょう。虐殺、それに近いことが行われたのではないかとさえ思われます。何にしても、圧倒的大勝利triumphであった事だけは誰しも疑いの余地のない処です。にもかかわらず、『邪教』勢力はこれ以上侵攻しようとはしませんでした。
 いくつかの可能性について考えてみました。  

  1. ローレシア・サマルトリア側に対する示威行動であった。
  2. 破壊神シドーを呼び出す迄の時間稼ぎであった。
  3. 戦力を何らかの理由で、維持できなかった。
 これらは何れも、両立しうるものではありますが、敢えてここに検証してみます。
 1.ですが、ローレシア・サマルトリア側に対する示威行動は要するに、手を出すと痛い目に遭うぞと脅しているのであって、言外に「戦争はしたくない」という意図が見えなくもありません。恐らく、その後で政治的な決着を狙ったものであろうかと思われます。
 ただこの戦略は諸刃の剣であり、邪教サイドがやりすぎてしまった為に交渉の余地が無くなってしまった可能性があります。この場合、ムーンブルク王女が生き残っていたのは、交渉のコマとして使われる為だったのでしょう。やりすぎてしまった、という点から、『邪教』勢力が余り統制の取れた組織ではなかったのではないかとも推察可能です。
 2.破壊神シドーを召喚するのに、多くの時間(と、その他諸々)が必要であった事はいうまでもありません。ムーンブルク城の攻撃も、時間を稼ぐ為には三国の内のどこかの勢力を削いでおく必要があったと思われます。三国の兵が『邪教』勢力を一掃する為に本格的に動き出したら、敵わない、被害が甚大になると判断したのではないでしょうか。ローレシア・サマルトリアは地続きですから、進撃中に準備を整えられれば、今の勢いが維持できるとは限りません。しかもムーンブルク戦はゲリラ的な不意打ち戦法で成功した訳ですが、これからはそうはいきません。敵も油断などしてくれはしないでしょう。
 3.長期に亘って戦力を維持する為には、勢力を養う財力が必要です。宗教団体だから金がある、とも考えられるでしょうが、たかだか100年も立たない民俗宗教の寄せ集め的勢力に、さほどの財力があるとも思えません。彼等は自らの土地を追われた人々であり、戦争後に至っては経済的交流の道も閉ざされているに違いありませんから。戦術としてはやはり、ゲリラ的にならざるを得なくなるでしょう。元々ムーンブルク急襲はゲリラ的戦術の元に行われたとも考えられますし、ゲリラ的戦術こそが、小規模な軍隊しか持ち得ない勢力にとっては一番有効な手段なのです。本当に強大な魔物を率いて戦う事が可能であれば、空からの先制攻撃→陸軍投入の二段攻撃で一発ではないでしょうか。魔物を味方に出来るならば、制空権を独占できる以上戦力差は逆転します。なお、海軍には言及していませんでしたが、海でも魔物の方が優勢であろうと思われます。

 以上、実際には『邪教』と呼ばれる宗教はなかった、という説の論拠であります。
※1.とはいえ、格別宗教がでかい口を叩く世界観でもないので、結果として王家に権力が集中する形になったものと思われる。

その3〜始まりの国アレフガルド

 ドラクエ3で、別世界からアレフガルドに降りてきた勇者御一行。しかしアレフガルドの外には出られません。一体、アレフガルドは、そして他の大陸はどうなっていたのでしょう。
  1. 当時ローレシア大陸、及びアレフガルド外海の世界は存在していなかった。
  2. 当時ローレシア大陸、及びアレフガルド外海の世界は存在していたが、何らかの理由で遮断されていた
 可能性としては二通り考えられますが、私としては後者を推したいと思います。
 まず、航海技術が或る程度備わっている事。航海技術が備わっているということは、外海に出る必要があったということです。全く外海に出る必要がなければ、アレフガルドの様にほぼ陸続きの世界では航海技術は発達し得なかったからです。勿論、大魔王ゾーマがアレフガルドを支配する以前に内海を行き来していた可能性は有りますが、勇者達の乗っていた船は明らかに外海の航海に耐えうる仕様であると思われます。
 それに、アレフガルドが闇より解放されてから大きな天変地異が起こって大陸が作られたという記録は何処にもありません。大陸が突然誕生すれば辺りの地脈に大きな変動を及ぼす筈です。

 さて、では何故アレフガルドは遮断されていたのでしょう?
 無論、島国故遮断しやすかった事情もありましょう。
 その3で少し触れましたが、この世界の人口はアレフガルドに明らかに偏っています。人口密度が明らかに違うのです。ローレシア大陸等、周辺地域では国家単位の共同体が無かったのではないかと述べましたが、もしかすると過去には強大な国家が存在しており、既にゾーマの手で滅ぼされた、という可能性も有ります。
 つまり、既に手を付けた後だったので囲い込む必要が無かった、とも考えられるのです。しかしこの可能性についてはこれ以上論証が不可能ですので、あくまでも可能性の一つとして置いておくのが良かろうかと思われます。
 他の視点から考えてみましょう。アレフガルドにゾーマの居城があった事からしても、ゾーマにとってアレフガルドはとても好都合な場所であったと考えられます。例えば、アレフガルドが非常な霊的ポイントで、結界を張るのに都合が良かった、とか、3の勇者が異世界から訪れた場所がアレフガルドであったように、アレフガルドは他の世界との接点が近い為に魔界からも近かった事が考えられ、総合的にゾーマにとっても都合が良かったのではないでしょうか。
 ですが、これらの条件は、何故『囲い込む』必要があったのかという問いの答えにはなりません。
 では、何故、アレフガルドを囲い込んだのか。
 囲い込むからには

 この二つを防ぐ事が目的であろう事は皆様にもお解り戴けるかと存じます。では、何が?
 外から来ないようにする、には、或る程度皆様にも答えが導き出せるでしょう。勇者です。
 尤も、この場合は、アレフガルドから勇者が生まれないという前提が必要ですし、結局異世界の大穴、しかも自らが空けてしまった穴から勇者がやってきてしまったのですから、目的が外からの侵入を防ぐ事にあるとすれば、ゾーマはとんでもない大誤算をやってしまったことになります。否、寧ろ、わざわざアリアハンくんだりに出かけていって、全ては終わっていないと宣言する辺り、確信的に勇者をアレフガルドに導いたとしか思えないわけで、勇者が外の世界から来られないようにする為に、アレフガルドを囲い込んだと考えるのにはかなり無理があるように思われます。
 中から出られないようにする必然性と、その対象について検討してみましょう。
 中から出られないようにする対象は、当然人間であると考えられます。人間達がアレフガルドから逃げ出さないように結界を張ってアレフガルドに釘付けにする意味は、一体どんなことが考えられるでしょうか。
 ゾーマのセリフには度々、人々の苦しみを自らの悦びとする、と言ったセリフが登場します。単なるサディストだとも勿論考えられるのですが、もし、このセリフにそれ以上の意味が込められているとすれば如何でしょう? 人の心の動きが、直接魔王の糧になるとする、としたら。
 感情を糧とする、この考えは必ずしも私の独創ではありません。似たような発想は昔からありました。例えば、女神転生シリーズにおけるマグネタイトや、米国産TRPG『TORG』のポシビリティという概念はこの考え方に非常に近いです。崇拝などの感情をMPで換算し、それを糧にして神々は力を増し現世に干渉できるというのが女神転生シリーズにおけるマグネタイトの発想でした。今でも、笑いなどの感情を神に捧げると言った儀礼は世界中あちこちに散見されます。恐怖や絶望などの強い感情は、ゾーマにとって素晴らしい糧になったのでしょう。
 つまり、感情から生じる力を糧として、余さず自らの物にする為に、ゾーマはアレフガルド全域に結界を張ったと考えられるのです。

その4.ドラクエ世界の宗教観

 まず、結論から。
 ルビスは、ドラクエ2世界で語られ、崇拝される「ただしきカミ」とは別の存在である。以外に思われるかもしれないが、結構簡単に論証できるので御覧戴こう。
 第一に、ルビスはその名を出して人々に崇拝されている様子が見られない。どうやらメジャーな存在ではないらしい事が伺える。
 その二に、ルビスが崇拝されているのであれば、何故ルビスの聖地(ドラクエ2の祠)があんな海のど真ん中の、(海のど真ん中である事は譲るとして)寂れた場所にあるのか、と言う点である。ルビスが崇拝の対象として一般化した存在であれば、その聖地は聖地巡礼者で溢れかえっており、彼等の利便性を考えれば周辺部は一大都市なり観光地化していておかしくない。寧ろ其れが当然のことだ。
 ところが、祠は宿屋や船着き場どころか祠を管理する神官一人見あたらない。どう考えても、ルビスがドラクエ世界の人々から崇拝対象とみなされていなかったとしか言いようがないのである。それどころか、世界の危機に際して、人々がかの地に祈りを捧げに来るなり(無論、世界の治安の低下も一因に挙げられるだろうが)する様子が全く見られない。
 その三に、ルビスと「ただしきカミ」の持つ性質が異なりすぎる事である。ルビスは大地の精霊であり、大地母神であると言い換えてもかまわないだろう。地母神の役割とは豊穣(=生産)であり、大地母神が主神として奉られる社会というのは、農耕を主とする母権社会である。
 だが、はっきり言えるのは、ドラクエ世界は母権社会ではないという事である。
 例えば、ドラクエ世界は、ドラクエ5等から見ても一目瞭然であるように、完全な父権社会(=社会の権限を男性が握る)である。DQ5における主人公のヨメ選び。あれは、完全に「勇者=救世主の種は男性側にある」事を端的に示している事例である。ドラクエ3における男装の勇者も然り。ドラクエ世界の勇者達は、大体において父親からその素質を受け継いでいるのである。
 また、ドラクエ世界の神官職、特に高位のそれは殆ど男性が占めている。ドラクエ世界においては、性風俗が非常に商業化されており、女神崇拝者の神官職であった筈の娼婦(娼婦が神職であった事については、古代バビロニアの例、日本神話におけるアメノウズメの例や白拍子等、色々例があるので各自御覧になっていただきたい)への神聖さは、殆ど今日の日本のそれのごとくほぼ完全に破壊されている。(例=踊り子マーニャ。踊り子は神の仲介者であり、神職であった。余談であるが、日本において娼婦が完全に神性を失ったのは、ほぼ戦後の事である。ちなみにその前は明治、そして江戸時代に性観念に対する大幅な変化があった)
 ただ、ドラクエの世界においてそこまで女性の地位が低いかというと、どうもそうは思えない節もある。女性の冒険者が特殊な例ではありながら、戦力として認められる節もある。(その為にはドラクエ社会のヒエラルキーから必然的にはずれることになるのだが、冒険者とは元々そういうものである)冒険者としてなら神職も認められていたし、性風俗に従事する女性が蔑視される様な様子もない。
 故に、ドラクエ世界における宗教観、および性差への認識は「父権的価値観を上に乗っけた母権的社会」で有ると思われる。(要するに日本と同じだ)

 よって、ルビスは、ドラクエ世界の人々が崇拝する「カミ」とはイコールの存在ではないと言える。 寧ろ、新興の「ただしきカミ」にお株を奪われた古き女神かその末裔なのだろう。

 さて、ドラクエ世界(少なくとも、ドラクエ3以降の下の世界)が父権社会へと大幅にシフトするきっかけになったのは、やはり魔族の出現とその永きに亘る支配にあると思われる。
 平和な時代なら、大地に豊穣を願う事が人々の第一の願いであっただろうが、魔物に支配された世界ではその大地を耕す事もままならぬ。しかも、肝心おルビスは魔物の手によって石像にされ、塔に封印されてしまう。このような時には流石に人々も女神を頼る事も出来ず、魔物を倒す勇者=メシアの様な、直接的な力を望むようになる事、若しくは、その様な「勇者を遣わす神」を説いた教団が現れ(若しくはその様な宗教を信ずる民族が、魔族の侵略で国を失って、他国、ひょっとすると他の世界に流出したと考えても良い)、勢力を拡大していったと言う事は十分考えられる。ドラクエ3のエンディングにて、主人公は「ロト」の称号を授かるが、この「ロト」という存在が、「勇者を遣わす神」を信仰する教団がでっち上げた神話であってもかまわない訳である。(同様の事が、新興宗教も含めてありとあらゆる所で行われているのは皆さんも御存じの筈だ。聖書だってそうだ)
 ただ、ドラクエ世界における神官職への道徳的締め付けはあまり高くなかったようであり、元々は多神教であったことが伺える。また、この宗教を受け入れた人々は元々母権社会に馴染んできた人々だったので、それ故に、母系社会のネガティヴな面、つまり「勇者様に全てお任せすれば何とかなる」という風潮が根付いてしまったようだ。
 不思議な事に、ドラクエ社会では勇者は崇拝の対象とならなかった。神の代理人たる勇者への崇拝を教団が固く禁じたせいなのか、それとも、勇者は世界中に何人もいたので(ドラクエ3の勇者オルテガ、サイモンの例を見よ)その中でも、目的を達した物だけを勇者と呼ぶ、何とも実利的な理由による物かは不明である。

モドル