ある女勇者の目覚め


 自分が女であるという事を初めて自覚したのは、12の時に月のものが訪れた時だった。

 父が死んだという報せを受け取ったのは、私が物心付くか付かないかのころだった。母はそのころから、私に人形の代わりに木刀を持たせ、私を男として育てた。私はそれを当たり前の事として受け止め、自分が女である事さえも忘れていた。同世代の少年少女が遊び、恋に心ときめかすのを横目に、武器を振るい護身術を学び、礼儀作法から地理学天文学、薬学政治に魔術に至るまでのあらゆる学問を学ぶ事に、睡眠と食事以外の時間の全てを費やした。私の教師にして師匠たる私の母は、私の父オルテガが偉大な勇者であった事、父亡き今、人類を救うという使命こそが、勇者たる私の存在意義の全てであるのだといつでも語って聞かせたものだ。そして、その他の事は何一つ知らなかった。

 だから、あの時、私はびっくりし、そして戸惑った。
 どうしてこんな赤いものが、私の体から流れ出るのだろう? 私は病気なのか?
 異常なんだ。怖かった。自分が自分でなくなるような、不安。
 私は直ぐに母に相談した。それが当たり前のことだったから。私はおかしくなったのか?
 母は取り乱した私をぶって、それから、ため息を付いた。そして、慌てて、これが病気でも異常な事態でもないこと、このことは内緒にすることをきつく命ぜられた。
 ベッドに着く前にこっそり聞いた、母が漏らしていた一言を、私は忘れない。

 所詮、女は男の現身にはなれないのだ、と。

 そして、今その時が再び、望むべからざる形で訪れた。

 難癖の付け初めは、スケジュールの組み方を間違った事だった。
 私はいつも、移動の日程が月経の時期に絶対に被らないよう組む事にしていた。過酷な旅故に時期がずれるのはしょっちゅうなので、それに合わせて町や村への滞在期間をのばしたり、体臭を誤魔化す為に香をまめに焚いたり、更には姿を隠して月経の時期をずらす薬を買い求めたりせねばならなかった。
 それが今回は、どうよ?
 急がなくてはならないのは解っていたけれど、あいつがせかしたせいで準備がままならなかったのと、何より体調の変化に鈍感になっていたことが、自分には許せなかった。男性諸氏には解らないだろうが、旅先での月経は大変なものだ。処理は出来ないし、血の臭いが否応なしに魔物を引きつける。旅先では体を洗う事も出来ず、ましてや私は自分の性別を偽っているのであった。
 だから、私は旅の途中、常にいらいらしていた。暑くなかっただけましだったが、それでも体臭を消す事は難しく、香を焚いたり敵の血を振りまいて随分誤魔化した。

 夜半。
 目的の街まで後一山越えれば何とか辿り着くだろうか。皆一様に疲労の色が濃く、直ぐに寝入ってしまう。皆が寝入ったのを確かめると、そっと寝床を抜け出した。一人になりたかったのだ。
 新鮮な夜気を思いっ切り肺に染み渡らせる。こびりつく体臭をタオルに含ませた川の水でふき取り、上着を取り替え、身支度を整える。みんなの前で着替えるわけには行かないから、どうしてなかなか大変だ。
 そして、川縁から戻ると…。
 奴が、居た。

 奴と会ったのは、ルイーダの酒場では無かった。酒場に向かう途中声をかけられ、役に立つから連れて行け、と無理矢理一行に加わったのだ。男のふれこみは元武道家の賢者だと言うことだったが、何処で何をやっていたのか、また何を考えているのかも全く得体の知れない人物であった。
 私はこの男を全くもって気に入らなかった。出会いが悪かったのもさる事ながら、こ奴私の事を貴様呼ばわりする超態度LLのナル野郎な上、こっちがレベルの低いのと実戦経験に乏しいのを良い事に、勝手にパーティを仕切って人をこき使おうとする。こんな事なら実戦経験はなくとも身元のしっかりしたベンハとかニコライを仲間にしておけば良かったのでは、と今も悔やむ。だが更に厄介な事に、奴と来たらかしこさは高いわちからは強いわ魔法は使えるわ口は巧いわ勘は鋭いわすばやさは高いわレベルは高いわかっこよさは高いわで、私達一行は既に、奴無しには戦えない程、戦力的にも他の事に関しても奴に依存せざるを得ないようにし向けられていたのだった。それにしてもどうして、こんな奴が私なんかに付いてきたのか、ちっとも解らない。私は、奴が実は裏で何か企んでいるのではないかと疑っていた。ひょっとしたら、奴は魔王バラモスのスパイかもしれない。少しだけ、身を固くした。
「何の、用だよ」
「何だとは何だ。随分な御挨拶だな、勇者様?」探るような言葉。
「後をつけてくるなんていい趣味だな」剣の柄に手をさり気なく、かける。
「いや何、少し気になることがあってな」奴の歪んだ口元に、僅かな媚態が滲み出る。ああ、何ていやらしいんだろう。反吐が出る。
「ボッ、ボクにはないっ!」
「いや、こちらにはある」
「どけよっ! 邪魔するなっ!」
「嫌だ、と言ったらどうする?」
 手を振り上げようとするが、先に組み伏せられてしまう。皆にいち早く回復魔法をかけてもらう為にと与えた筈の星降りの腕輪が、恨めしくも頭上で煌めく。
「体の不調を訴えている癖に、診せようともしない。体臭も、いつもと違う。おかしいと前から思ってはいた。怪我は人に絶対治させんし、骨格も男の物にしては細いから、もしやとは思っていたが…」
「だ、だから何だっていうんだっ! おまえには関係ないだろ…!!」
 ぐっと、肩を押さえる手に力が掛かる。
「そう思ってみれば、可愛いものだ…」
 そういって、奴は無理矢理口付けた。思ったよりずっと柔らかい唇から、滑らかに舌が押し入って来たので、驚いて振り切る。唾液が糸を引いて、ふっつり切れた。不思議な感触だった。
「初めてのようだな」
 とろける様な、笑み。
 何故だろう? 身体の芯が、熱い。
「やあぁっ!」
 奴が肩を抱き寄せたので、無理矢理振り払う。が…さっきのは、何だったんだろう? あの身体の内側から揺さぶられるような、熱い、感触は。
「やあああっっ! って、体は熱くなってるんじゃないのか?」
「不、不潔よっ!」
「不潔って…」奴は、からからと笑った。「お前さんはキャベツの根っこから生まれてきたわけじゃないんだぜ? お前のおやじさんとお袋さんが組んずほぐれつ、お前さんが不潔と罵るあんな事やこんな事の果てに生まれてきたって訳だ…!」
「バカッ!」ようやくやつの顔に平手打ちを食らわす事が出来た。が、これは私の怒りを逸らす為に、わざとぶたれたのだと気付いて、私は己の浅はかさを酷く悔やんだ。
「なーに、心配するな。房中術は一通り、師匠に就いて修めてきたからな、痛くはしないぞ。喜べ、貴様を女にしてやる相手が俺で良かったな」
「バカーッ! フツー心配するわーっ!」私は怒りをぶちまけた!「お前なんかにされなくたってわたしは立派に女だっ!」
「フンッ、何時から女だったんだ? 女になったこともない癖に。そのまま魔物達にでもやられてのたれ死にしたら、それこそ人生の無駄遣いだな。それとも途中で女とばれて散々辱められ、否応にでも…」
「やめろっ! そんな汚らわしい妄想は…っ!」
「そんなのイヤだろうが。だから、俺が貴様を女にしてやる」
 奴は動揺する私を有無も言わさず抱き寄せ、耳たぶを唇で軽く噛んだ。きゃっと思わず少女のような叫びが漏れたのを、奴が聞き逃すはずも無かった。
「ようやく認めたな」
 私は、足掻いた。あらん限りの力を振り絞り、抵抗した。だがあいつは私を、赤子の手をひねるように易々と押さえつけた。
「五月蠅いな、ちょっとは大人しくしろ。他の連中に女だとばれてもいいのか?」
 もー、無茶苦茶な理屈だ! 自分がヤりたいからって、そんな屁理屈があるもんかっ! 奴の手を無理にでも振り解こうと足掻くが、足掻けば足掻くほど絡まっていく蜘蛛の糸のように。
「そんなきかん気な所も、悪くない」
 奴は無造作にマントを引き剥がすと、上着を脱がしにかかった。旅人の服を引き剥がしてその下に手が伸び…。
 奴の手が止まった。
「な、何だこれは?」
「何だって何だよっ!」奴が不意にに力を緩めたので、私は奴を思いっ切り突き飛ばしてやった。奴は意外な程簡単に、よろよろと引き下がる。私は乱れた上着を脱ぎ捨てて、小指の先くらいの太さはあるバネと鉛製のプレートで出来た重りが一杯付けられたチェインメイルを自慢げに見せてやった。
「これは勇者養成ギブスだっ!!!」
 奴の手から、旅人の服が滑り落ちた。二人の間に、沈黙の ( アイオン )が流れた。

「…こんな物を身につけていたから、このレベルにしてはぼうぎょが高かったのか…」
「そんな物をずっと着けていて、良く体を壊さなかった物だな…」奴は呆れつつも勇者養成ギプスを物珍しげに観察していた。「誰がこんな馬鹿げた物を作ったんだか。これを作った奴はまともな神経しておらんな」
「か、母さんを侮辱すると許さないぞっ!」つっかかるあたしを軽くいなして、奴は手首を引っつかんだ。
「脱げ」やおらとんでもない事を言いだしたので、私は呆れた。
「脱いだら犯されるでしょっ!」
「うむ。当然だな」当然だな、じゃねえっつーのッ! 誰が脱ぐかっ!
「なあ」
「な、何だよっ! 脱がないぞっ!」
「…まさか、この旅の間中ずっと身につけていたのか、それを? 寝てる時も付けてたわけだろう? いつから着けていた?」
「え? これ? 勿論ずっと着てたよ。勿論、寝る時もね」意外な事を聞かれたので、すぐには答えられなかった。今までそんな事を考えたこともなかった。「えっと、ひい、ふう…7歳の時からずっと」
 二秒ほど音声が途切れる。
「…ちょっと待ったらんかい! 貴様の親はどういう教育を施しておったのだ!」
「へ?」
「貴様、一生子供の産めない体になるぞ! とにかく、脱げっ! 体壊したいのかッ!」
「い、いやだっ! 子供なんか産めなくたっていいんだっ! 特にお前の子供なんか、死んでも欲しくないっ!」
「いいか! 7歳から16歳と言えば育ち盛りの年齢だ。まだ体もまともに出来上がっちゃいない、どんどん体型も変わっていく。そんな時に生体工学を無視したバネの化け物みたいなチェインメイルを着ていたらなあ、普通は骨格が歪むか体の発達が阻害されて、戦えないどころか下手すると奇形になっちまうんだぞっ!」
「ぼ、ボクは平気だもんっ! それに、今までもちゃんと戦えてるじゃないか。そんなのギプスを外させる為の口実だろっ!」
「それはそれ、これはこれだっ」奴は本気で怒っていた。「7つの時から訳の分からないギブスをはめさせて、勇者になる為に女を捨てろ等と教育する母親など、侮辱し尽くしても尚余りあるというものだ!」
「ぬあにい!」開いてる方の手でやっぱり殴りかかったが、手のひらで軽く受け流されてしまった。奴も今度は、わざと殴られてやろうとはしなかった。
「うるさい、勇者なんかクソ喰らえだ! ……なあ、まさか、とは思うが、一応、最後に聞いておく」奴の、手首の力が僅かに緩んだ。
「な、なんだよ…」
「その養成ギプスを着けたままゾーマと戦うつもりか?」
 まさにその正論によって、私はころりと籠絡されたのだった。
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