DQi外伝 an initiation


 ローレシアの王子アインは、自室で長旅の支度に追われていた。
 ムーンブルク城が急襲されて壊滅状態、王は死亡、王女も生死不明との報せを受け、ローレシア王は急遽、一粒種の息子にして王位継承権第一位の王子に邪教討伐の命を出した。兵も、従者も、馬さえも付けずに、である。
 アインは決定に大いに不満を抱いていた。兵も従者も馬も無しの一人旅で、強大な勢力を誇る邪教徒を殲滅するなど凡そ現実的ではない。王子の一人旅など子供向けの御伽噺の話である。ローレシアは強大な軍事大国だ。中隊の一つや二つ王子に任せられぬ程兵力に余裕が無い筈も無い。
 人気取りなのか、それとも――――。
 やはり、己を王位に付けたくないのだろうか。
 下らない妄想だ、と思いつつも、アインは当の妄想を振り切れずにいた。
 確かにアインは王妃との間に産まれた唯一人の実子である。王には側室も無い。順当に行けば、ゆくゆくは王位を継ぐ筈である。
 とはいえ、他に王位継承者がいない訳では無かった。例えば、二つ違いの従兄のガルシア。デルコンダルかぶれな上に武術はてんで駄目だが学はある。例えば、姪のミランダ。ローレシアは女の王位継承権を認めていないが、将来的にミランダが婿を取れば、ミランダの夫が王位に就く、という可能性は当然有り得る。
 一心不乱に使い慣れた皮鎧を磨く。銅剣を腰に帯びる。王位継承権第一位の王子が帯びるにはあまりに貧相な武具だ。与えられた軍資金も雀の涙。心細さに、母の胸に縋って泣きたくなったが、王子たるもの弱音は吐けぬ。武術の腕には自信があった。武術大会では何度も優勝している。が、今にして思えば王子だからと手心を加えられていたかもしれない。もしかして、国内の支持を失いつつある王家が、人気取りの為のパフォーマンスとして自分を旅立たせる事にしたのかもしれない。あれこれと迷いが、拭っても拭っても沸いて出た。
 アインが皮鎧の紐を通していると、扉を叩く音があった。
「殿下……もう、眠っておられますか?」
「ジューナ! 入れよ、未だ寝てないから」
 アインは嬉々として従者を部屋に迎え入れた。ジューナはアイン付きの従者の一人で幼少のみぎりよりアインに遣えてきた文官である。武勇に優れたアインの補佐として、呪術と学問、文芸を修めたジューナは又、アインの最も親しい友人でもある。ジューナは王子の傍らに座を占め、武具を磨くアインを暫し見守っていた。
「……行かれるのですね」
「うん。父上が決めた事だからな。ジューナとは暫く会えないけど、まあその間、暫く羽根でも伸ばしててくれよ」
「本気ですか? 供も付けずに、兵も馬も無しでなんて、正気の沙汰とは思えません」
「父上が決めたんだから、しょうがないだろ」アインは欠伸を零した。「明日朝一番にでも出発しようかと思ってる。出立も突然決まったから、見送りもナシ。凱旋祝い位は派手にやってくれよ」
「本当に、お一人で行かれるのですか」ジューナはアインを覗き込んだ。大きく、ひたむきな蒼い目。
「おい、おい。ジューナまるで子犬だなあ。そんなに心配しなくても……」
「アイン様。…………それは、本心ですか?」
 本心では無かった。アインは認めざるを得なかった。
「アイン様を一人で旅立たせると聞いて、僕はアイン様のお供をさせて戴ける様幾度も申し出ました。けれど、陛下はどうしても、僕の嘆願をお聞き入れ下さいませんでした。……理由は解りません」
 ジューナはアインの手を取って、握り締めた。あまりの力の籠もり様に、アインはたじろいだ。
「でも、どうやったって無茶苦茶です! 陛下はアイン様を殺そうとしているとしか思えません」
「それは大袈裟だろ」とは言ってみたものの、ジューナの言葉には頷かされる物があった。先程まで同じ事を考えていたのだから当然だが、ジューナの証言が自分の思考結果との合致を示しているのは疑いようのない事実だった。「……どっちにしろ、父上の命令は絶対だよ」
「そうでしょうか?」
 ジューナはぐっと乗り出した。「黙ってれば解らないと思いませんか? でしょ?」
 ジューナが悪戯っぽく笑ったので、アインも親指を立てて返した。「ナイス、ジューナ!」

「朝だと誰かが見てるかも知れませんから、急いで出ましょう」
 二人は夜の夜中、城からこっそり抜け出した。準備が未だ整わないアインに、ジューナは後からずだ袋一杯の食料品を見せた。準備周到かつ抜け目のなさにアインは驚きつつも、有能な従者を連れていけた自分の幸運を感謝した。御先祖はたった一人で魔王に立ち向かい此を滅ぼしたと聞くけれども、伝説は伝説で、事実はもっと地味な物だとアインは思っていた。
 二人は街道沿いにリリザの町を目指し、リリザからサマルトリアへ向かい序でに出陣の挨拶を兼ねて王への謁見を願い出た。サマルトリア王は二人を歓迎したが、一方で、残念そうに、サマルトリア国も又王子を出立させたばかりなのだと告げた。この大陸では、旅立ち前の戦士は勇者の洞窟の奥の泉で武運を祈って身を清めて貰う習わしであるから、二人とも今からでも行っててみてはどうかとサマルトリア王は言った。
 二人はサマルトリアの王子に会えるかも、という期待も手伝って、早速勇者の洞窟を目指した。

 しかし勇者の洞窟への道程は長く、又、未開の地域である為それらしい街道も無い。国を追いやられた先住民族は王家や移住者達に恨みを抱いており、旅は此までよりぐっと危険を増した。当然宿も無い。王子は自国を離れるのも徒歩での旅も初めてで、ジューナが火を起こして野宿の準備をする頃には既にぐったり座り込んでいた。
「馬くらいは許可して貰うべきだったなあ……」アインは溜め息を付いた。「野宿なんて勘弁して欲しいよホント」
「仕方ありませんよ。……アイン様、汁が煮えました。食べましょう」
 今日の夕食は弓も無いので罠を仕掛けて捕まえた魚の串刺しと固パン、ジューナが野草と茸で作ったスープにドライフルーツ。庶民からすればなかなかの御馳走だが、育ち高りの少年、しかも王族には些か厳しい食卓である。とはいえローレシアは気候厳しい痩せた土地柄故必然的に質素を好む気風が強く、アインはアインで子供の頃からジューナ達と町の外で木の実を取ったり狩りをして過ごしていたからこんな食事が特に苦という訳では無かった。せめて香辛料が欲しいな、とぶつくさ呟きつつ、アインは固パンをスープに付けて貪った。
「ジューナはスープいいの?」
「僕はさっき済ませました。お代わりありますよ、どうぞ召し上がれ」
 アインはジューナの勧める侭に、スープを三杯もお代わりして質素な夕食を終えた。
 夕食もそこそこに、二人はローレシア大陸の地図を広げて明日の移動経路を確認した。此処から勇者の洞窟まで後二日はかかりそうな事が解って、アインは如何にもうんざりと言った顔をした。
「これでトンヌラ王子がいなかったらやりきれないなぁ」
「その時はルーラで帰りましょう」
「へぇ、ジューナもうルーラ覚えたんだ」アインは感嘆を籠めて友を見遣った。「すげえな。俺、全然魔法不得意でさ、せめてホイミやキアリーくらい使えれば良いんだけど未だに駄目なんだ。魔法に向いてないんじゃないかな」
「やる気がないだけでしょ」
「デヘヘ、バレたか」アインは頭を掻いた。「でも、旅に出てみると魔法が使えないのは不安だよ。ジューナ、俺真面目にやるから教えてくんないかな」
 ジューナは目を細めた。
「……必要、ないと思いますけど……」
「あ、ん? 何か言った?」
「いえいえ」ジューナはカバンから毛布を取り出して、アインに投げた。「夜は冷え込みますからね」
 アインは毛布を受け取って、早速くるまった。「うん……さっきからずっと寒気が……何だろ。おかしいな」
「疲れているのでしょう、早くお休みになった方が」
 アインは毛布にくるまって訳もなく震えていた。寒気が止まらない。こんなに疲れているのに眠れそうにない。その内、頭がガンガン痛み出す。目が回る。アインは木の幹に凭れていたが、我慢がならなくなって目を開けた。
 目の前に、ナイフを翳したジューナの姿があった。
 ジューナの蒼い目は、憎しみに燃え滾っていた。
 ずっと一緒に遊んできたのに、あんな目のジューナを見たのは生まれて初めてだった。
 ジューナの切っ先がアインの肩を掠めた。アインは身を転がして刃を避け、銅の剣を掴んで柄から引き抜いた。頭がずきずきして、吐きそうだった。アインは吐気を堪えて、叫んだ。
「どういう、つもりだ!」
 だがジューナは答えの代わりにナイフを翳し、ギラの呪文を唱えた。燃え滾る紅蓮がアインを襲い、夥しい火傷の後をその腕に刻む。
 殺される。
 幼なじみ、心許した従者に殺される。
 頭痛と吐き気をおして、アインは上段から振りかぶった―――。
 夥しい深紅に染まる、花葉色の法衣。肉を引き裂き、骨を砕く感触。白皙から止めどなく溢れ出す血潮。見張られた蒼い、凍り付くほど蒼い瞳。ジューナは身を強張らせ、くぐもった断末魔を残しやがて果てた。アインの足下には嘗ての友、嘗ての従者の変わり果てた姿があった。
 アインは吐いた。吐き気の所為だけでは無い。如何に武術に優れているとはいえ、アインは生まれて初めて人を殺したのだ。肉の裂け、骨の砕ける感触を、命が見る間に失われる様を、間近に突き付けられて、アインは吐いた。涙が零れて止まらなかった。喉が焼けて酷く咽せた。吐瀉物の中に未だ形の残った茸を見付けて、アインは其れを拾い上げた。
 毒茸だ。
 アインは急いで荷物をひっくり返した。自分の荷物に毒消し草を入れ忘れたのに気付き、アインは祈る思いでジューナの荷物を漁った。
 ずだ袋の奥に手を突っ込んでいる内、アインは大きな木の塊を引きずり出していた。黒檀で出来た其れは如何にも禍々しい姿の人ならざる生き物を模していた。背に一翼を湛え、鱗に被われ、角と牙とを剥き出しにした多臂の魔神―――邪教徒達が崇める破壊神シドーの姿だ。
 邪教徒、だったのか。
 邪教が庶民のみならず貴族階級にも浸透しているという話は度々耳にしていたが、まさかこんなごく身近にまで影響が及んでいるとは思いもしなかった。アインは頽れたジューナの帽子を拾う。
 帽子から、黒髪がふわりと落ちた。
 黒髪だと思っていたジューナの 旋毛(つむじ) は銀色に光っていた。
「ジューナ……」アインは帽子を取り落とした。銀の髪と青い瞳は、一目で分かる大陸先住民の徴であった。
 ジューナが己を憎むのも、当然だと思った。ずっと、この機会を狙っていたからこそ、供をすると申し出たのに違いなかった。

 夜が白み始めていた。解毒を済ませ、眠れず体調も侭ならぬ中、アインは一人、海岸線をとぼとぼと歩いていた。
 ジューナは昔から邪教徒で、ずっと己を暗殺すべく付け狙っていたのだろうか。
 否。有り得ない。邪教徒達が組織だった動きを見せ始めたのはここ数年の事、その頃からジューナが邪教の神官だったとはどうにも考えにくかった。大陸先住民である事が知れれば出世の道は全く閉ざされていたから、ジューナが学問を学ぶには先住民としてのアイデンティティを捨てねばならなかった。ジューナの中にはそんな屈折した思いがあって、そこをつけ込まれて邪教に……。
 そうだろうか? 解らない。アインもジューナの家については何も知らなかった。聞いても語ろうとはしなかったように思うが、聞こうとも思わなかったのかもしれない。家族や故郷を邪教狩りで失った復讐だろうか?
 全て想像に過ぎないとアインは承知していた。それでも想像を巡らす内、アインはひょっとしたら、ジューナが先住民の血筋である事を見抜いた父がアインを陥れる為、ジューナを脅してアインを殺させようとしたのではないだろうかとまで思い詰めていた。
 己に向けられた理不尽な悪意。これからも数限りなくこんな事は続くだろう。死ぬまで。
 何で訳もなく憎まれなければならないんだ。
 何故俺が。
 何故。
 収まった筈の吐き気が又込み上げてきた。世界が滅びたっていいとさえ思った。
 水平線の彼方が、赤く燃え上がった。アインは顔を上げた。
 限り無く壮麗な黎明が、世界を鮮やかに塗り替えていく。
 見るのは初めてでは無かった。けれど、嘗て此程迄に太陽が、アインの上に明るく輝いた事があったろうか?
 煌々と輝く旭日は、アインに生きろ、と言っているように思われた。
 光に惹き付けられる生き物の本能を呼び覚まされ、砂浜を走り出した。砂煙が上がり、水飛沫が散った。
 理由なんてどうでも良い。
 死ぬもんか。死んでたまるか。
 生きてやる。
 生きてやる!!
 どんな悪意を向けられようとも、憎しみを浴びようとも、俺は生き続けてやる!
 其れが父上だろうが邪神だろうが、俺には関係ない!
 俺は、生きて、生き延びてやる!
 アインの顔が黄金に照り映えた。面からは、昨日までの幼さはどこかへと失せていた。

*コメント
 ジューナはエラリー=クイーンの小説に出てくる脇役から。否特に何がどうという訳でもないのですが。
 アインとトンヌラはアインの方が多分お人好しだろうなと。キャラクターがイマイチ書き分け出来てない予感……。根っこにあるモノは一応違うんですけどね。
DQi目次へバシルーラ!