Dragon Quest m-i 〜ユカのワンダーランドと愉快な下僕共
〜第九章 大会前夜
朱く染まる白亜の城に、影二つ。
主が変わってより程なく、この天空にも昼と夜が訪れるようになっていた。昼間での賑々しさは見る影もない。
影の主はそそくさと、あり得ぬ人目を忍ぶかに城内を進む。一歩遅れて、駆け足に、二回りほど小さな影が追う。
影の先には、巨大な階段と玉座が、主を失ったまま佇んでいた。
「ここが、この城で――否、この世界で最も高い場所だ」
影の主――現・世界の支配者は玉座の前で身を翻した。
もう一つの小さな影――曲線的なシルエットから直ぐに、女と知れる――は、彼の厭う響きを看過したか気にも留めなかったのか、玉座への段を小走りに駆け上がった。息を弾ませ、男の腕に自らの細い腕を絡め、身を寄せる。男は女の肩を抱き寄せた。
夕陽に晒され、二人の姿が朱く、鮮やかに浮き立つ。足下の影は一つに溶け合い、長く長く伸びていった。
女にとっては凡てが物珍しく、何もかもが輝いて見えた。ここには生まれて初めてのものしかなかった。少女の様に目を輝かせ、天空城を歩き回る。ありふれた階段や、どこまでも続く退屈な雲の海や、うんざりするほど果てしなく、永遠に続くかと思われる青空さえも感動の対象だった。玉座に駆け上がると、女はためつすがめつ熱心に、輝石の嵌めこまれた肘掛けの彫り物やら、背もたれに貼られた
天鵞絨
に縫い付けられた刺繍やらを眺めては弄くっていた。
「そんなに面白いか」
半ば呆れ、半ば理解不能とばかりに発せられた一言も、女の耳を素通りしていた。男の目には映らなかったが、女は熱心に、彫刻の一つ一つを指でなぞっていた。
背もたれの隙間に、女は極目立たない継ぎ目を見つけた。女が継ぎ目を押し込むと、その下から正方形の小さな穴が開いて、中に小さな袋が入っているのを見つけた。女は素早くそれをつまみ上げ、最初は胸元に押し込み、一旦考えて、帯に紐を通してから帯裏にねじ込み直した。
「なあ、もう行こう。……ここにいるとうんざりする。早く出よう。全く、何故こんなところを見たがるのやら」
女は男の不機嫌を察して素早く駆け寄り、無言で袖を引いた。
天空城の片隅の噴水で、世界の支配者はかつての妻に伝えた。
「これから、タイジュに戻らねばならぬ故、そなたとともにはおれぬ。今宵は誰も戻らぬ故、暫くゆるりとしていくがいい」
女は、後から行きます、と伝え、夫の頬に触れた。
触れた手の甲を優しく撫ぜる。ではな、と身を翻し、男は飛び立った。
女は赤い空の点となりつつある姿を暫く追っていたが、やがて点が見えなくなると、素早くあたりを見回し、誰もいないのを確かめてイソイソと城から出ていった。
「ユークァル・ムォノー殿
そなたを、星降りの夜の大会におけるタイジュ国の代表として、認定す
タイジュ王」
タイジュ王が仰々しく勅書を読み上げると、広間は拍手で溢れ返った。
「ユカ、おめでとう!」
「お前ならやれると思ったよ!」
「よしよし、そうとなれば、お祝いじゃ。ささ、ユカ殿、そなたが今宵の主役故」
タイジュ王にグラスを渡され、ユカは乾杯の音頭を取った。初めてのワインの味は、ちょっぴり渋くて、ほんのりフルーティだった。ただでさえタイジュの木の中は暖かいのに、酒精を入れてユカはますます頭も体もぽっかぽかになっていた。
晩餐、と言うには立食形式の、至ってカジュアルな壮行会である。皆好き好きに飲み物食べ物を取り分け、ユカを囲んで歓談する。とはいえ、話の内容は主に、お見舞いの申し出含む星降りの夜の対策会議と情報交換が8割9割。残りの一割がお祝いの言葉、という塩梅である。
「ユカ、俺のひくいどりとユカのホークブリザードとお見合いさせてみない?」
「えー、アンタのひくいどりとくぎしょっぼいじゃん。あたいのコとお見合いしようよ」
「それより、うちのダークホーンちゃんとお見合いしない?」
「そんなことよりうちのべべとランデブーしようよ。きっと、ベリーストロングでキュートなベイビーがボーンするよ」
「フンガー、フンガー(お見合いとランデブー意味違うだろ! いい加減にしろ! ベイビーより、お前の頭がボーンだよ!)」
「どうしよう、どの子も選べない……えへへ、困ったなぁ」
ユカにはお見合いの申し出が殺到していた。相手もモンスターも選び放題、さしものユカも、酒精の魔力も相まって、すっかり舞い上がり、嬉しい悲鳴をあげていた。ユカにワインを飲ませた王様は、部屋の隅っこで王妃に往復ビンタをかまされていた。
そんなユカの横から、テトがオレンジジュースを差し出す。
「ユカさんてお酒に弱いんですね。これ、お酒に効くらしいですよ。どーぞ」
ユカはオレンジジュースを一息に飲み干した。ヒャドの氷が入った冷たいジュースは、酔いを覚ます役に立つかはともかくとして、冷静さを取り戻させるには十分だった。
「あの、お見合いの申し出は嬉しいです! けど、まずは魔物同士の相性が第一だと思うので、だから、今すぐじゃなく引きあわせてから決めてもいいですか?」
「そーだよなーさすがユカだよなー。自分都合より魔物の相性、わかるよー」
「じゃあ、トレーニングの相手にボクを使ってよ。お見合いできる魔物はいないけど、それくらいなら手伝えると思うから」
「ね、ちょっと、ユカ」サンチがユカのスカートの裾を引っ張った。サンチは床に素早く耳打ちした。
「あっ、はい! その辺の話は、明日以降に決めましょ。ちょっと、お手洗い行ってきますね」
一方、部屋の隅っこではオルフェが大して呑めもしないのに自棄酒を煽ってくだを巻いていた。IMCから王様経由で、星降りの夜への参戦は難しい、と宣告を受けていたのである。賑やかなユカの周りに羨望の眼差しを投げながら、どうせ、とか、何で、とかナリーノのバカ、とか、生産性のない愚痴を垂れ流している。
「まだ凹んでるの?」
テーブルクロスの下からユカが顔を出したので、オルフェはおったまげて空のワイン瓶をひっくり返した。落ちそうになった一本を、ユカが素早く拾う。
「わ、わ、わ、ユカ。じゃあ、あそこにいるの誰だよ!」
「しっ」ユカは人差し指を唇の前に立てた。「あれ、サンチのマネマネです」
「あー、道理で」オルフェは腕組みして、マネマネのそっくりさに感心した。遠目で見ても、全く違いがわからない。「あれ、もしかして、こっちのユカがマネマネだったりしないよね?」
「えへへ、実は……って違います。それより、やっぱりダメだったんですね」
オルフェは力なく頷いた。
「また去年の星降りの夜みたいに、出たかったんだけどなぁ。ナリーノのインチキのせいなんだからジョージョーシャクリョーの余地ありじゃないの? てアーロンもかばってくれたけど、おいちゃんはダメだってさ。おいちゃん、意外と厳しいんだよなぁ」
「そう決まったのだったら、仕方ないです」
「でもさ、やっぱ、一緒に戦いたかったよ。前はさ、ほぼオイラおいちゃんとハーゴンさんのおんぶにだっこだったじゃん? オイラだって、ちゃんと成長したんだぞってところを見せたかったんだよね」
「それは、みんなわかってると思いますよ」
そうかなぁ、とオルフェは首をひねる。飲み過ぎて、土気色の顔が真っ青だ。ユカはオルフェからそっとワイングラスを取り除けた。
「みんなはそう言うかもしれないけどさぁ、オイラはまだその辺、実感できてないんだよね……もし、今回の星降りの夜の試合でいいとこ見せられたら、その、自信がつくんじゃないかなぁ、って思ったのさ」
オルフェはしばらく、オレンジジュース入りのグラスを弄んでいたが、半ば酒精の力を借りる勢いで、思い切って言った。
「星降りの夜の後、言いたいことがあるんだ」
何でも聞きますよ。とユカ。
そっか、ありがと。
オルフェはにっこりほほえんで、オレンジジュースを飲み干した。
タイジュの代表になる前と後ではまるで時の流れが違っていた。今まではウォーミングアップ、本番はこれからというくらい目の回るような忙しさ、濃密な時間であった。短期間で更なるパワーアップを目指さなければならないのだから、一日一日を圧縮するような時間の過ごし方になるのは必然ではある。
ユカはサンチやテトを始め、タイジュ中のモンスターマスターを相手に模擬試合を行ったりお見合いやトレーニングに精を出した。特に、サンチお気に入りのマネマネはトレーニングで八面六臂の大活躍を見せた。色々なタイプの魔物と戦う場合のシミュレーションを、マネマネのモシャス一つで行えるのだ。
ホークブリザードのホークは選り取り見取りの美人達の中から、これはというひくいどりのお嫁さんを見つけ、二人からは可愛いにじくじゃくの卵が生まれた。七色に輝く宝石のような卵は孵すのが惜しまれるほどだったが、魔物使いにとって中の雛には宝石以上の価値があるのだ。
宝石ほどには魅了されないが、魔物使いにとって負けぬほどの価値を持つのが、ティアトの可愛い娘、コアトルのこぁ(ユカ命名)である。あれだけの暴れっぷりを見せたティアトが、とある魔物使いのダークホーンに一目惚れ、求愛行動を繰り返し、受け入れられてからはべったり引っ付いてデレデレの様子に、ユカやテトはもちろんのこと、当のお見合い推進者であるモンスターじいさんまでもが驚き呆れてこのカップルを見守っていた。
綺羅星の如きユカの魔物達にゴールデンスライムのきんたろ(ユカ命名)をあわせて、ユカの魔物達はおおよそ、星降りの夜に相応しい煌めきを備えるに至ったのであった。
「これくらいの『格』があれば、星降りの夜で優勝候補の一角に加われるでしょうな」
「うむ。間違いない。流石に昨年の頭数に比べれば数段劣るが」
「そうそう横並びになられては困りますので」
竜王の軽口を、ヴァーノンはぴしゃりとやっつけた。
Sクラス試験の合格報告の場は、執務室の山盛りの書類を挟んで行われた。もっとも、以前がロンダルキアなら今の山はガライ南の岩山、くらいのささやかさではある。ヴァーノンを始めとする元・悪魔神官達が、これしきの仕事でへこたれられてはかなわん、とばかりに冷厳なる監視役として、ロンダルキアもかくやの勢いで竜王の前にそびえまた立ちはだかって、むんずと肩を抑えて執務室に縛り付けているのに違いなかった。ユークァルは書類の山をかき分けて伸びてきた蒼い手に招き寄せられ、しみじみと、なでくり回されながら悦びを噛み締めていた。
「ところで」黄金色の目が悪戯っぽく眩きながら、ユカの目を覗き込んだ。
「何でしょう」
「大会の前夜祭にユカも出てみぬか? 軽い肩慣らしのつもりで。他国のマスターも偵察に来るであろうが、手の内を見せる見せないより、実績を積ませて多人数の中で揉まれる中で得られる物の方が大きかろう」
「もちろん! もっと経験積みたいし、それに……見に来てくれるんでしょ?」
ユカの快諾に竜王はいたく喜んでみせた。「さもあらん、でなくばユカではないぞ。何、勝敗は関係ないのだから、思いっ切り暴れたらいい」
「別に、暴れませんよ?」ユカはにっこりほほえんだ。「そういえば、お父さんは? 最近会えてなくて」
ユカの頭を撫ぜる大きな手が、動きを止めた。
「ふむ、ふむ。確かに寂しいやもしれんな、が、案ずるな。彼奴には休暇を取らせておる故。なあ? 星降りの夜には戻ると申しておったわ」
「ええ、その頃には戻ると仰っておられましたな」
ユークァルの見せた安堵の面持ちに、竜王は問うた。「早く、会いたいか?」
ユークァルはこっくり頷いた。
「そうか」竜王は莞爾たる笑みを漏らした。「もはや、まことの親も同然だな」
竜王がユカを撫でくり回していると、扉を打つ音が二度、軽快に響き渡った。
「皆様方ー、夕餉の支度ができましただよ」
「うむ、すぐ向かう故待つが良い。ヴァーノン、ユカ、先に行っておれ。後から行く」
御意、と頷いたヴァーノンの手をすり抜け、ユカは岩山の洞窟に手をかけた。
「あっ、あの」
「ん?」
あの、まで言いかけて、ユカは口をつぐんだ。「ううん、何でもない」
星降りの夜前夜祭、当日。
あんなに楽しみにしていたのに、いざ出かける時間になるとちっともユカが来ない。
業を煮やしてユカを呼びに行くと、ユカは部屋の真ん中で、ルビス様の手でよそ行きを取っ替え引っ替え、着せ替え人形状態で弄くり倒されている真っ最中であった。ピンクやライトグリーンやオレンジの、チェックに水玉花柄にレースフリフリストライプのドレスやチュニックワンピースを代わる代わるに着せては脱ぎ脱いでは着て。靴やタイツを履いては上と合わない下と合わない、ではこちらはどうですか、と脇に控える行商人が別のトランクを開けてみせる。
「えっちょ、ルビス様、こんなにお買上げになるので?」
「いえいえ、そんな。似合うのがあれば、ですわよ」ルビス様は至ってのんきにレースフリフリのタイツをつまみ上げる。
「ユカはこれが似合うと思うな〜」横からオルフェがパステルグリーンのワンピースを差し出す。白い糸でちっちゃい花がらが刺繍されている。
「ユカちゃんにはオレンジが似合うと思うのよ」ルビス様も箱の奥をほじくって、中からブラウスを取り出してみせる。「でも華やかな舞台だし、可愛くなくちゃいけないけど、動きにくいのはダメだから難しいわぁ」
「あれ、嬢ちゃんのおべべ新調なさるのでございますか」
「そうよ、せっかくのお祭りですからね」ルビスは楽しそうに襟ぐりの大きく開いた黒いワンピースをつまみ上げる。が、サイズ感以外のすべてが子供向きからは程遠い。
「いくら何でもそれはダメじゃないかなー」リカルドの孫が横から茶々を入れ、早速フリーダに口出しするんじゃないよと怒られている。そんな様子をよそに、老婆は手元の包みをよそ行きのカバンに押し込んだ。
が、ユカは素早く老婆の手からそれを取り上げる。
「あれ、嬢ちゃん!」
「わ〜、かわいい。あたしこれがいいです!」
老婆が隠してユカが広げたのは、黒のサテンでそこかしこにビーズを縫い込み黄色い花と桃色の花を刺繍したチョッキ。サンチのそれのような派手さはないが、角度を変えるとビーズの反射光が辺りに散る。
「これ、お庭の木蓮とレンギョウの花だよね」縁取りの刺繍をユカは撫ぜる。ムーンペタの家での楽しい日々の思い出、朧気な記憶を、指で辿る。「おばあちゃんが縫ってくれたんだね!」
「覚えておいでなすったんで。嬉しいねぇ」老婆は相好を崩した。ルビスもまた、せっかくだからこれに合うのにしましょうと、セクシーワンピをイソイソと箱に押し込んだ。
肝心の主役が揃ったので、天空城の御一行は一足先にタイジュへと向かった。
星降りの夜を明日に控え、辺りはすっかりお祭りムードでいっぱい、どこもかしこも華やかに飾り立てられないところはどこにもない。あちこちに急ごしらえの屋台が立ち並び、普通の家でも玄関前でゆで卵や冷やしきゅうりやらを売っている。ユカは色付きの練りあめをお小遣いで買った。中には冷したみかんが入っている。
「あ〜、なくなっちゃったんだねぇ」
昨年までの早食い大会会場は、そこだけぽっかり空き地になっていた。
「赤字だって言ってたもんねぇ。早食いはともかく、一切れくらいは食べたかったなぁ……」彼の地での空腹を思い出し、オルフェはしんみりと、失われた一切れへの郷愁を呼び起こしていた。が、横でアーロンが速攻茶々を入れる。
「そういうのはそんなに美味いもんじゃないだろ」
「そうなんです?」
「当然だろ、売り物にする訳でもなし。そんなにミートパイが食べたいなら買って食えばいいじゃないか」
「チッチッチッ」オルフェは人差し指を左右に振った。「わかってないなあ、場の雰囲気が大事なんだから、美味しいとか美味しくないじゃないんだよ」
「うむうむ、その通り。祭りの食べ物は、お祭りのテンションで食べるから楽しいのじゃ」珍しくルアクが同調する。
「めっちゃうまいもんが食べたかったら、ばあちゃんのメシで十分だもんよ。なー。ひーちゃん!」
「まぁた坊はそんなお世辞を。なぁんにも出やしないよ」
「くどい、しつこい」
ルアクはオルフェの足を蹴ったが、オルフェのお世辞、ばあちゃんは存外悪い気はしていないようだった。
「ああ、黄色のスライムだ! かわいいなぁ。おじいちゃん、あれ買ってよ」
一方、食い気もそこそこにリカルドの孫たちは屋台に仕掛けられている魅惑的なトラップに引っかかっていた。
「およしよ。ああいうのはタンポポで色を付けてるんだよ、一週間もしたらすぐ落ちちまうよ」リカルドががま口を開くより早く、フリーダが口を挟む。地べたにむしろを敷いただけの屋台に箱詰めで売られている子供スライムが子どもたちのターゲットであるらしい。屋台主にとってはむしろ子どもたちがターゲットである。
「じゃあさ、あの紫のは?」フリーダに論破されるや、孫ズは素早く隣の紫スライムに購買意欲を移す。「あたしピンクの子がいいなぁ。ばぁば、ねえ買って!」
「むむっ、敵もさるもの引っ掻くものじゃの。のうフリーダ?」フリーダの手を突くルアクの顔は、珍しくニヤついている。先程からリカルドの尻尾をつついているところを見るに、まだまだ甘えたい年頃なのだろう。リカルドの孫どもからは見えない位置に陣取っているのが、らしい。
「ああやって購買意欲を掻き立てる作戦なんだよな〜わかるよ〜うんうん」
そんなルアクの思惑などつゆ知らず、一年前に自分も散々欲しがったのを棚に上げるオルフェ。
「いやいやぼっちゃま方、こんな作戦には屈しませんですよ。まったく、スライムなんてお城にもいっぱいいるじゃないか。まずはその子らの世話ができるようになってからにおし」
未練タラタラの孫達のブーイングを物ともせず、手を引っぱって行くフリーダに、慌ててついていく一行であった。
さて、足を別に向ければこちらはステージ。シロウト歌自慢大会に大道芸にとこちらもどこを見ても飽きさせない。あちこちのステージを見て歩き、拍手喝采が沸き起こる中、場違いなブーイングが2つ向こうの小屋から聞こえてきた。ちょっくら見てくると言って出かけたオルフェが戻ってこないので、ユカとルアク、遅れてアーロンの3人でオルフェを連れ戻しに行くことにした。
「あっ」
とつぶやいたきり、ルアクが動かなくなった。件のステージが目に入った途端、である。気のせいか、ちょっと寒い。
「さあさあ、細工は粒々、仕上げを御覧じろ。これは曰く付きのしろもの、別名あくまのツボで、中には恐ろしいものが……あっ、くまのツボ!」
男がツボの中からうやうやしく取り出したのは、クマのぬいぐるみであった。
「あー。クマったなぁ」
パノン。
忘れもしない、その名前。
生憎本業のジョークについては何の感慨もなかったが、ユカにとっては魔物を連れ去り、Cクラス昇級の対戦相手としてユカの前に立ちふさがっていたかもしれないパノン。見間違えようはずもない。
が、ステージ上で見たパノンは、そのお笑いセンスはあいにくタイジュの民の琴線にはとんと触れることはなかったようで、お寒いダジャレを飛ばしては観客にゴミを投げつけられる残念な存在と化していた。オルフェだけは相変わらず目をキラキラさせてパノンを応援していたが、周りの客に睨まれ、気圧されてじわじわと後退っていった。ファン心もアンチの敵意にはかなわなかったか、一張羅を腐ったトマトやゴミで汚したくなかったからなのかはわからなかった。一方、アーロンはしばらく口をぽかんと開けていたが、やがて我に返るや、周りに続いて手元のスライムやらゴミやらを投げつけ始めた。遅れてルアクもとうもろこしの芯を投げつける。とうもろこしのカスを存外器用に、そして正確に次々パノンの頭にぶち当てるところを見るに、ルアクには大道芸人の素質があるのかもしれない。
パノンはプロの芸人魂でブーイングに抗するべく矢も盾もとダジャレを繰り出すが、これ以上舞台に殺人お笑い兵器を置いてはたまらんと判断されたのか、スタッフの手で無理矢理に舞台から引きずり降ろされていったのであった。
「おっ、ユカじゃん」
パノンに未練を残すオルフェを無理やり引きずって戻る途中、ユカたちはサンチやテトとばったり出会った。テトはいつもどおりだったが、サンチのよそ行きは例によって親の恩には抗えなかったらしく、以前よりボリュームこそ大人しくなったもののやっぱりフリフリのフリルまみれだった。テトに笑われ、サンチはテトの向こう脛を蹴っ飛ばす。
テトがうずくまっている間、サンチはユカのベストをしきりにつまんだりめくったりした。
「あ〜いいな〜。俺もユカくらいのが良かったぜ。あっ! その、地味ってことじゃないぜ! かわいいから! いいな〜動きやすいし」
「子離れって難しいんだね、あ、いてて、いてて、ごめん、わかった、すみません!」
追撃を受けたテト以外の皆がひとしきり笑った後、改めてユカは皆にテトとサンチを紹介した。皆とざっくり挨拶を交わした後、サンチはぽろっとつぶやいた。
「そういえばおっさんズいないよな。こんな大所帯なのに」
「うん。たまにはみんなで休むべきだって竜王が言ってたの。だから、後から来るって」
「ふぅん」サンチは首をひねる。「お祭り騒ぎになったらいの一番に自分が楽しんでそうなのになー」
「い、いつもそうだから、こんな日くらいは気を使ってくれた……のかも」
あの髪の長い女性の姿が、うろ覚えながらちらついて、ユカは慌ててフォローする。
「旦那様のありがてぇお慈悲です。なあフリーダ?」リカルド達は孫たちにわちゃわちゃ絡まれながら屋台に突撃するチビどもの首根っこをひっ捕まえていたが、それすらもお祭りの延長で楽しんでいるようにみえる。娘夫婦の方は双子を載せた手押し車のやりくりに精一杯で、それを横から兄弟姉妹が邪魔したり、助けたり。
「親玉に追い出されましてね。今日に限って面倒事は下々の代わりに片付けて下さるそうですよ。珍しい事もあるもので」
「わあ博士! お元気そうで何よりです。見違えましたねぇ」
「そうかね、嬉しい事を言ってくれるね」ヴァーノンはテトと軽くハイタッチを交わす。その口ぶりには先程までの皮肉めいた調子はない。「新しい魔物はどうだね、婆さんは? 達者か、そうか。また会いに行くと婆さんに伝えておくれ」
屋台でおやつを買ったり冷やかしたりとお祭り気分を目一杯楽しんだ後、前夜祭の会場へと向かう。今日のハイライトはユカのエキシビジョンマッチなので、主演の一人であるユカとその一行が会場入りするや、割れんばかりの拍手と歓声が一行を包んだ。道化たちがイソイソと一行をVIP席に案内する。ユカは握手を求められ、今やすっかり国の英雄と言った趣だ。
「す、すごいことになっておるのじゃな……」ユカのついでとは言え握手を求められ、明らかにルアクは狼狽していた。
「そりゃそうだよ、星降りの夜は国の威信をかけたコクイケイヨーのお祭りなんだからさ」ドヤ顔のオルフェ。多分国威発揚の意味はわかっていない。
「そうみたいなんですけど、なんか、落ち着かないですね……??」
「どしたのさ、ユカ……ゲ、ゲェーッ! ぞうの超人! じゃない、ナリーノ!」
オルフェの指差した先には、金髪縦ロールの小脇にキラータイガーのぬいぐるみと本物のキラータイガーの子供を抱えたナリーノが手をひらひら振って待ち構えていた。しかも、端っことは言えVIP席。
「何であいつがあそこにいるんだよ!」
「帰れクズ!」
「ユッカち〜ん! やはやは、ご機嫌麗しゅう」
激昂するオルフェが宥められている脇をすり抜け、ナリーノは相変わらず馴れ馴れしい態度でユカの脇に陣取る。ただ、手首足首は鉛色の枷で縛められ、視界の端では仏頂面のキューリがキラータイガーの赤ちゃんを抱えてしっかり見張っている。
「後から知ったんだけど、ここじゃ星降りの夜の代表は国の代表、英雄扱いなんだってネェ。ボクもモノホンの勇者になってみたかったネェ」ナリーノは相変わらず粘度の高い口調と動きでユカの正面にかがんだ。ユカがミニスカならパンツ丸見えのローアングラーポジションだが、本日のユカのコーディネートはサルエルパンツなので杞憂オブ杞憂である。「もっと早くこんな祭りがあるって知ってたら、デルコンダルの代表として出てみたかったけどネ」
「代表になったとて認められたとは思えませんがね」ヴァーノンが鼻で笑い飛ばす。「しかし、アレがよく認めましたね」
「決めるまでには随分と、紆余曲折があったのじゃ」キラータイガー(生きている方)を無表情で撫でくり回しながらキューリが返した。「ナリーノが星降りの夜の存在を知って、是非とも出させてほしい、せめてこの目で見たいと申す故、協議にかけたのじゃ」
「『糞親父殿』に教えてもらったのさ」ナリーノはキラータイガー(剥製)をユカに向けながらニヤついている。「息子さんはいたくご立腹だったけどネ」
「全く、余計なことをしてくれたものじゃ。……ともあれ、祭りを口実に逃げ出されるやもしれぬ故、ナリーノに星降りの夜の大会を見せるのにはみな気乗り薄であった。じゃが、こ奴の熱意は並々ならぬものでな、妾には無下にできなんだ」キューリの腕の中でキラータイガーの赤ちゃんが大欠伸をした。「その内、折れたのか面倒になったのか、竜王の奴が『ユカのライバルは強い方が良いのは間違いない、別に死者が出てはならぬ法もないと聞く』などとぬかしおってな。それに」
「それだけ、ユカ、貴女への信頼が厚いということですよ」
ヴァーノンの大きな手がユカの頭に、無造作に乗った。
「負けて戻ってからの態度が、目に見えて変わった故に」キューリも付け加える。「ユカのおかげじゃな。今回も、幾度も協議を重ねた末、監視を付けた上で問題を起こさなければ見学させても良い、試合もして良いと決めたのじゃ」
「魔物使いとして認められるなんてボカァ嬉しいねぇ。まあ流石にフタバ国のマスター代表は辞退したけどネ」
相変わらずナリーノを牽制するオルフェを尻目に、ナリーノはジョンの剥製の手足を摘んで、ユカの眼前でジタバタさせた。
「ゆかチャン、コレカラ試合ナノ?」
「うん」
「じょんモ、タノシミニシテルヨ! ガンバッテネ!」
エキシビジョンマッチ最初の2、3試合終わったところで、ユカは早々に控室へと移動しなければならなかった。
前夜祭の試合に備え、ユカは予めプリオに魔物たちを別に連れてきてもらっていた。体重測定や魔物の健康チェックはプリオにおまかせコースである。プリオは相変わらず魔物たちに薄い頭髪をいじられつつ、おやつのほねつきにくをあげたりブラッシングしたりしながらユカを待っていた。
「みんなのご機嫌はどう?」
「こぁがちょっとピリピリしているようですだ。今日は人が多いで」
言われてみれば、こぁの尻尾がピンと立って、小さく震えている。ユカがこぁの尻尾をくすぐると、こぁはシャアッと威嚇の声を上げた。
「きんたろ出さないんですね」
「うん。サンチが、うちのマネマネ使ってみてよって。他国のモンスターマスターが見に来てるかもしれないし、他の二匹はきんたろより本番慣れしてないから、慣れとかないとね。マニモアちゃん、よろしくね」
「マニモアはかなり優秀なマネマネですからね〜」テトはこわごわ、マネマネを撫でる。テトの手は実態のないマネマネの体をすり抜けるが、なんとなく気持ちは伝わっているのか、マネマネはちょっとだけ機嫌良さそうに見えた。「今は休んでるけど星降りの夜が終わったらまた試験受けるみたいですから、すぐボクも越されちゃいますね」
「負けちゃう前提なのはどうかと思います」
「あっ、すいません」
テトが謝ったのを受けて、ユカはぺろっと舌を出した。二人は笑った。
「そういえば、今日の私の対戦相手って誰なんですか?」
「さ、さあ、誰だかねぇ。い、今のうちに便所に言ってくるだ」
イソイソと控室を出て行くプリオを見送り、テトはつぶやいた。「怪しいですね」
「知ってますね、あれは」ユカも頷いた。
またひみつかぁ。
どうせすぐわかるからいいけど、みんな本当に秘密が好きなんだなぁ、とユカは思った。
「おお、遅かったのう」
タイジュ王の手招きに応じ、遅くなったな、と軽くいらえて、竜王は王の隣にどっかり腰掛ける。
ルビスから息子を受け渡され、膝の上に乗せる。この”お約束”も明日までと思うと、一抹の名残惜しさもないではない、などと、膝の忙しない重みを愛おしく思う。
「しかしまぁ。皆も喜んでおるとはいえ、明日が本番だというのに今日も試合とは。しかも相手は」
「皆まで言うな」竜王はタイジュ王の口を素早くふさいだ。「楽しみがなくなるであろう」
「むぐぐぐっ、ぷ、ふー。わ、わかったわかった言わぬ、言わぬから。…しかし、余興にまで本気を求めるとは、そなた、さすがは宇宙一のドSじゃな!」
「ドSではない、我が子を千尋の谷に突き落とす獅子と言ってほしいものだっわあぁぁ」竜王はふんぞりかえったが、その勢いで椅子が傾き、大慌てで道化たちが椅子を支える。周りの様子を知ってか知らずか、ロトは膝の上でキャッキャとはしゃいでいた。
「実際の獅子は谷に落ちた我が子を突き落としたりはしないそうですよ」ヴァーノンが澄まし顔で、いつもはハーゴンが占める定位置に陣取っている。「遅かったですね」
「それは本当か」竜王は我が子を抱え直した。「そうか、親を恨む子はおらぬのだな」
何のことやらという顔でヴァーノンは肩をすくめた。
「おお、そろそろ始まるぞよ」
王室付きの楽団がファンファーレを鳴らす。魔物たちに配慮して音量は抑え気味だが、それでも観客席から一斉に歓声が沸き起こる。今日は流石に鳴り物を持ち込む非常識は見当たらない。
「それでは、星降りの夜エキシビジョンマッチ開催です! 青コーナー! タイジュ国代表にして、星降りの夜昨年の覇者、ユカ!」
「沈黙の薔薇はやめたのか」
「しっ」
ますます歓声が高まる中、ユカは一人、対戦相手を待っていた。観客席の動向も今のユカには目に入っていない。
(誰が出てきても驚かない。誰が出てきても勝つだけ)
赤コーナー控え室を凝視するユカの前で、扉が静かに開いた。
見覚えのある、否、見間違えるはずもないシルエット。ローブの裾が翻ると、見慣れた青い足、サンダル。細身のシルエットから続いて、見慣れた、皮膜を伴う大きな耳。
「お待たせしました」
「おとうさん!」
ユカの対戦相手は、義父・ハーゴンその人であった。
「ところで、ハーゴン殿は魔物使いとしての資質はどんなもんなのかのう?」
「さぁな。付け焼き刃だが、ナリーノからレクチャーを受けていたそうだから、それなりにはやれるのではないか? 見ておればわかる」
「わかるよ」
問いを親子で受け流され、タイジュ王はぐぬぬと唸った。
「むむ、わからぬか。ではナリーノ殿、実際、どうなのじゃ?」
「さぁねェ」ナリーノは膝の上のキラータイガーを撫でながら生返事を返した。タイジュ王はまたもぐぬぬと唸るしかなかった。
「ハーゴンさんって魔物使いもできるんですかね」一方、セコンドではテトがプリオに、ヒソヒソ。ユカにとっては、人選も含めて意外と言えば意外だが、順当といえば順当な結果に思われた。こんな秘密なら大歓迎だ。
それよりも、義父の連れているまものの方がユカには気になった。アークデーモン、がいこつけんし。ピカピカに磨き抜かれたキラーマシン。どこから見ても本気しかない。こんなまものたちと対戦できるのだと思うと、胸が躍る。
ハーゴンは観衆に向かってゆるく手を上げた。道化師たちがピョンピョン飛び跳ねているのを見るに、また何か王様がホラを吹いたのだろう。
ああ、なんて幸せなんだろう。
大切な家族や友達に囲まれて。
みんながこんなにあたしを応援してくれて。
どうやったらみんなに、この気持を伝えられるだろう。
「おとうさん」ユカは血の繋がらない父に呼びかけた。
「?」
「ありがとう。大好きだよ最高!」
目を丸くした義父が何かいらえる前に、試合開始の旗が二人の間を遮った。
試合はユカのにじくじゃく…ではなく、キラーマシンのしっぷうづきによって幕を開けた。続くアークデーモンのイオナズンがユカの魔物たちを襲う。土煙が派手に巻き起こり、その中にがいこつけんしの連続攻撃が叩き込まれる。ユカのにじくじゃくはこごえる息で、コアトルのこぁはオーバーモーションのまじんぎりで反撃するも、コアトルの方は残念ながら空振りに終わる。地面が少なからず抉られて石つぶてが飛び散り、客席が沸く。マネマネは土煙の中から姿を現すも、ダメージを受けた様子はない。
「うぉー、攻めるのぉ! 意外じゃなー、もっと慎重に行くのかと思うっておったわい!」
タイジュ王が椅子から飛び上がった。道化は醒めた目で王様を見ている。
アークデーモンはさらに息を吸い、激しい炎を吐き出す。にじくじゃくが羽ばたいて炎を和らげるが、素早い動きでがいこつけんしが割り込み、つばめがえしで翼を引き裂く。あたりに鮮やかな羽毛が飛び散った。キラーマシンのさみだれぎりが追い打ちをかける。こぁはとぐろを巻いて身構えており、見ている感じは防戦一方、に見える。マネマネがベホマで、にじくじゃくの傷を瞬時に治した。
「防戦一方に見えるが、大丈夫かのう……」皆が試合に釘付けの中、タイジュ王一人だけがVIP席でやきもきしていた。
「なんださっきから落ち着きのない奴じゃな。見よ、ユークァルの魔物はさほどダメージを受けてはおらぬ」
「おらぬー」
「そうじゃなーおらぬよな。ほれ、こんな年端もいかない子供でも解るというに。な。ロト、みえるか?」
「うんよくみえるよ!」竜王に高く抱え上げられ、ロトはおおよろこびしている。後ろでマロンが視線を遮られて文句をたれるが、聞いた様子はない。
「まあまあ、もう少しユークァル様を信用して差し上げて下さい」ヴァーノンが横から、空のグラスに飲み物を注ぐ。「それにしても」
「しても?」タイジュ王はものすごい勢いでヴァーノンに食いついた。
「いえ、まだ、気持ちの整理が付いていなかったのだろうな、と」ヴァーノンは下げた空のグラスを指先でもてあそぶ。「この試合は、ユークァル様の為だけのものではない、自身の為でもあるのですよ」
がいこつけんしの長いリーチと手数を生かした攻撃とアークデーモンの強力な魔力、そしてキラーマシンのボウガンを連続して叩き込む隙の無い連撃のコンボは、それでも地上組を圧倒しつつある様に見えた。苛烈とも言える一方的な攻撃は、しかし、全く防御も回復も考慮されない、捨て身の代物であった。
無論ユークァルにもそれは解っていたが、魔物の構成に隙が少なく、どの魔物も『戦い慣れ』しているのが傍目に解るので、どれかを徹底的に潰して崩すのは難しそうに見えた。ユカの魔物も、トリッキーな戦いが得意な構成にはなっていない。敢えて言うならマネマネのマニモアがその位置になるが、自分の魔物ではないマニモアの特性を完全に理解しているとは言い難い。完全にお任せでもよく立ち回ってくれているのは流石だが、ここを積極的に動かさないとじわじわと押し負けてしまうのではないかと思われた。ユカはマニモアに合図を送ろうとして、ふと義父の顔を見た。
目が合った。双眸の奥の瞳が、しかと、己を捕らえている。
(見られてる!)
ユークァルは素早く左足を鳴らす。にじくじゃくが翼を羽ばたかせ、大きく飛び上がった。自然、皆の視線が誘導される。その隙にユカは右足で足下の小石を蹴ってマニモアの気を引く。
「こぁ、攻めて!」
ここでユカは左手で敵のがいこつけんしを指さしながら、右手指をくいっと小さく曲げた。こぁもアイダも激しい魔法攻撃を浴びせかけ、敵の意識を引きつける。若干、がいこつけんしのダメージが大きいように見える。
爆炎が途切れ、がいこつけんしが反撃に動こうと大きく一歩を踏み出した。
と同時に、アークデーモンが素早く回り込む。
読まれちゃったかな、とユカは内心焦りを覚えた。が、マニモアの方が一歩、否一舌素早かった。マニモアの曖昧な口が大きく引き裂かれ、透き通った舌が伸びて、自在なひゃくれつなめを繰り出した! 義父の魔物達は皆面喰らい、足を止める。義父の口元は忌々しげに歪んでいた。本気なんだ、と思ってユカは嬉しくなった。
「いけっ!」
こぁは素早く足下から絡み付き、全体重をかけてがいこつけんしを押し潰した。がいこつけんしの骨は残らず砕け散り、ばらばらになって吹き飛ぶ。こぁは隙だらけだが、足を止められているアークデーモンとキラーマシンは足を踏み出せないでいる。こぁが体勢を取り戻したところで、アークデーモンとキラーマシンはようやく体勢を立て直した。ユカはマニモアと目を合わせ、視線を頭上のアイダに投げた。
アークデーモンはマニモアに襲いかかったが、こぁがかばって全ダメージを受け止める。辛うじて耐えたこぁの体は、キラーマシンの立て続けの連続攻撃で力を失い、頽れた。
マニモアの輪郭が揺らいで、溶けて膨れ上がる。
頭上のアイダが、眩い、熱量と圧力を伴った光を放つ。
「マダンテ!」
頭上を中心に四方八方に、熱と七色の光を伴った波動が留処なく広がっていった。コロシアムにはステージ外への影響を封じる結界が貼られているのだが、空気までは遮断しないらしく観客席から悲鳴が上がり、幾人かの帽子が吹き飛ぶのが見えた。強風が吹き抜け帽子やゴミが吹き上がる様子がいたくお気に召したらしく、ロトは膝の上で狂喜した。ナリーノはこの展開を既に予期していたのかゴーグルを下ろしており、縦ロールがものすごい勢いで逆立っていることを覗けば平然としている。
「おぉ、流石ユカ、やりおるな」
「決しましたかね」
こぁの犠牲によって守られたマニモアは、虹色の光の中から堂々たるにじくじゃくの姿態を現した。ユカのアイダより一回り大きいかも知れない。マニモアはキラーマシンの残骸を踏み越えると、傷だらけのアークデーモンの三叉戟が頭上に振りかぶるより早く、マダンテの呪文を唱えた。
二度目の、絶対的な質量と波動と輝き。
辛うじて耐えたものの、殆どの力を初撃で失っていたアークデーモンに、純粋な力の放射に再び耐える余力は残っていなかった。アークデーモンの三叉戟は真っ二つに折れており、マニモアの体に突き刺さる前に粉々に砕けた。アークデーモンは両膝をつき、そのまま前のめりにダウンした。
本来ならレセプションパーティーの真っ只中、完全に夜闇に沈んだタイジュの空を、義理の親子二人はいつもの土手で迎えていた。外の空気は、パーティの熱気の火照りを和らげてくれるには十二分に過ぎる位には冷たい。
「こうやって話すのも、久しぶりですね」
「だって、長期休暇をもらってるとか言って、まさか魔物使いの訓練してるなんて知らなかったもん」
ずるい、と唇を尖らせるユカの頭を、ハーゴンは優しく撫ぜた。
「親と言っても親らしいことは何もしてこなかったから、何か出来たらと思ったのです。ヴァーノン達が来てくれるまではまともに話をする時間をひねり出すのも一苦労でしたから」
「一緒に、いてくれるだけでいいんだよ」ユカは体を預ける。義父の体は細いけど、頼りなくはない。「でも、今日のは嬉しかった! ああいうサプライズなら、たまにならいいかなぁ。毎回はやだけど」
「そうですか、良かった」
それから二人はしばらくの間星空を眺めていた。澄んだ空気のおかげか、星辰の進行故か、満天の星空が、今にも降り注ぎそうな程に光を湛えている。
「ユカの成長を間近に、直接感じられて、本当に良かった。無理を言った甲斐があったものです。まあ、竜王には、たまにはそういう我が儘を言っても良いのだぞ、なんて言われましたけど」
「……でも、あたしがこうやってここにいるのも、おとうさんの『わがまま』のおかげなんだよ」
ハーゴンは、大したことではないとでも言いたげに頭を振った。
「私はそれ以上に多くの命を弄んできたのだ」
二人は暫くおし黙った。が、ハーゴンが慌てて付け加える。
「い、いや、その……そういうつもりでは……」
「ううん、なんか、その……ごめんなさい」
ヤマアラシのディレンマを地で行っているなぁ、とハーゴンは嘆息した。己がユークァルを支え、癒やし、守らねばならないのに。
大体、今日こういう場を設けたのは、その為ではないか。
「ユカ、今日、貴女と試合の場を設けたのは、私自身の為でもあるのです」
「?」
ハーゴンは立ち上がると、何かを手招く仕草をした。暫くすると、草陰からキラーマシンのぴかぴかしたボディが静かに現れる。綺麗に拭き取られてはいたが、試合の時の傷や汚れがまだ少し残っている。近くで見ると、思ったより大きくはない。
「私は、自身の過去をまだ精算出来ていません。一度に一掃出来る程簡単でも、小さくもないですが、まずは一歩を、踏み出さなければいけない。そしてその時は、今、まさにこの時であるべきだと」
ユークァルは訳もわからず頷いた。
「付き合って、戴けますか?」
「うん」
ハーゴンはキラーマシンのボディに手を乗せ、軽く叩く。キラーマシンの目がちか、ちかと瞬く。それを合図に、ハーゴンはボディの裏側に手を伸ばし、まさぐりながら何事かを囁いた。カチリと固い物がはまるような音と共にキラーマシンの目が一度だけ、緑色に光ると、やがて光は消え、足を折りたたみ、しゃがんで、動かなくなった。
「消えちゃった……」
ユカはそっとキラーマシンに触れてみた。まだ表面は暖かく、中の機械音が微かにうなりを上げていたが、それもやがて、静かに、消えていく。ユカが耳を離すと、ハーゴンがユカの手を取って、引き寄せる。
「下がって」
ユカは強く手を引かれ、後ろに押しやられた。体を盾にして、しがみつく。
蒼い手がすっと差し出された。月の光に照らされて、関節や骨の形が一層強く浮かび上がる。
「イオナズン」
低く抑えてはいるが、澄んだ夜闇の空気にはよく通る呪句。眩い閃光、爆音、頬を舐める、熱気を孕んだ大気。焦げた臭い。星空を遮らんかに高く上る、煙の柱。金属が砕け、弾ける音。ちりちりと、熱に煽られた部品が溶けていく。熱の引いた後には、微かな煙と、赫く熱を持った金属が冷えて、色を失っていく様、金属だけでなく、蛋白質やら薬品やらが混じった様な不快な臭い、形を失って溶けた塊が、抉られた地面にメタルスライムのようにへばりついて一体化している姿だけが残っていた。煙が落ち着いて熱が一通り収まった後、ハーゴンは残骸に近づくと指先で突いて、熱が冷めたのを確かめる。確かめると、掌で塊を掬って、ユカには聞き慣れない言葉で祈りの言葉らしきものを呟きながら、周りの砂をかき集めて、小さな壺に移し替えていた。
ユカがあっけに取られて一部始終を見ていると、一通りの祈りを終え、ハーゴンは壺を片手に手の砂を払ってユカの元に戻ってきた。
「もっと早く、こうするべきだったのです」
丘の上で二人並んで、星空を見上げながら、ハーゴンは淡々と語り始めた。
全ては、全世界を巻き込み、命運を賭した9年前の戦いに遡る。
元々、率いていた教団は、ロト王家の弾圧と迫害によって虐げられてきた先住民族達の寄せ集め集団とでも言うべきものであった。士気は高いものの、蓄えも戦力も、兵力の練度も、甚だ心許ないものであった。主な戦力は教団の平信徒の中から選抜された戦士や僧、古来の文献を漁って得た、禁断の魔術の数々、そして何よりも、破壊の神とその従属神により授けられた古代の秘技と、僕たる魔族達に頼らざるを得なかった。身の毛もよだつ秘術も、請われて捧げた膨大な贄を捧げる為の、おぞましい、正気と良心を削っていく儀式の数々も、勝利の為には、世を救う為にはと、躊躇わず手を染めた。
それでも戦力は徐々に、着実に削られていった。兵站も覚束ない、兵力も潤沢とは言い難い、練度も高くはない。治療や蘇生にも限界は有り、肉体の損傷が大きく、治療を施しても戦線復帰が困難な者達も多かった。比較的肉体の損傷が少なく、生きて教団の負担になるよりは死しても教団に尽くしたいと申し出る者達は、安楽死を施された上で不死の兵士として再び教団の為に尽くした。助からぬのであれば命を神に捧げたいと申し出る者達は、丁重な祈りと共に、彼らの魂を贄と捧げた。
しかし、不具者達への待遇は悩ましいものがあった。死に至る事はないにせよ、戦力としては役立ちそうにない。身を挺して戦った味方に報いない訳にはいかない。戦えずとも裏方の仕事をさせられればよいが、そもそも、前線で戦っていた者達は血の気が盛んで、地味な裏方の作業や事務仕事に耐えられない、字が読めない、等々。また、戦って貢献出来ない己には価値がない、と己を責める者も多かった。彼らの世話にも人員を割く事になり、これもまた、人手の足りぬ教団にとっては徐々に負担となりつつあった。
その悩みをどこから聞きつけたのか察したのか、ベリアルは神よりの恩寵と称して、古代の秘宝を授けるとの神託を携えて来た。ベリアルに導かれて訪れた、古いほこらの奥の幾重にも封じられた扉の奥には、うっすらと埃をかぶったキラーマシンのボディが静かに、眠っていた。
ベリアルに曰く、件の機械は生物の脳を中に納める事で動き出す様になっているとの事だった。これがあれば、燻っている者達も、再び前線に戻る事が叶うだろう、と。無論、機械の体に脳を移し替えれば、再び元の体に戻す事は出来ない。移し替える技術も確立してはおらず、失敗し犬死にの可能性はあった。
あの時のベリアルの口ぶりは今でも忘れられません、と、ハーゴンは吐き出すように呟いた。そこには、あからさまな嘲笑と悪意とがあった、とも。
先人が、この機械が再び使われるのを望まなかったであろう事は想像に難くなかった。神の恩寵は違いなく恩寵たり得る物だったが、恩寵を受ける側に葛藤を強いる神と、その様子を楽しんでいる節を隠そうともしないその僕に抱いた秘かな苦痛を、今でも思い出す事が出来る。
代償を理解させた上で、我々は、新たな肉体を望む者を募った。多くの者が代償を厭わず、神の為、何よりも同胞の為にその身を捧げた。
機械の体を得た彼らの想いは、しかし、結局叶う事はなかった。
「どうあれ、彼らは存在意義を奪われ、忘れられ、耐えていた。彼らの担った苦痛は報いられるべきで、こんな扱いが許されて良い訳がない。……彼らの中で、まだ戦いは終わっていない。終わらせる義務が、私にはあった。私が始めたのだから、私が終わらせるべきだ」
「付き合ってくれて有難う。ユカ」夜闇の帳に覆われて解らなかったが、声には、胸のつかえが一つ、取れた様子が伺えた。「望んで生身の肉体を捨てたにもかかわらず、実戦に投入される前に敗北を喫し、信仰の柱を失った教団は崩壊しました。彼は、そういう一体でした」
「そうか、じゃあ、最後の晴れ舞台だったんだね」
そうですよ、とハーゴンは頷いた。「星降りの夜は魔物の魂が生まれ変わる、転生の儀でもありますからね。だから、無理をおして出させてもらったのです。……魔物使いとしては初心者も初心者だから、甚だ心許なかったろうがね、それでも、皆全力を尽くしてくれた」
「そんな事ないよ、おとうさんとの試合すっごく楽しかった。……結構考え読まれちゃってたし」
「彼らへの餞ですからね、例え去年の覇者が相手とて一方的にやられる訳にはいきかねますので」ハーゴンは済まし顔で応えた。「ナリーノの先生ぶりの手厳しさと言ったら、朝から夜まで猛特訓でしてね。それはもう、ロンダルキアでの意趣返しかと思いましたよ」
「もう、結局休んでないじゃん」
二人はひとしきり笑った。
帰り道、ハーゴンはユカに、星降りの夜が終わったら、一度ムーンペタに帰ろうと提案した。故郷の土に帰すまでが供養だから、二人で一緒に行こう、と。ユカは首肯したが、行くなら春がいいなぁ、沢山の花で送ってあげたいから、と付け加えた。
「本当に、よくぞ独りでここまで辿り着いたものです」ハーゴンはしみじみと呟いた。「ほんの数ヶ月で、魔物使いとしてだけでなく人として、立派に成長しました」
「一人じゃないですよ。みんなが助けてくれたんです」
「ん、そういう意味じゃなくて」
「えへへーわかってて言ってまーす」
「こらっ」
頭上の星は静かに瞬き、二人が去った後も地上を見守っていた。明日は、きっと素晴らしい一日になるだろう。