Dragon Quest m-i 〜ユカのワンダーランドと愉快な下僕共

〜第七章 Aクラス 優美、漲る

 そうだ。
 幼い頃、飢えと寒さに身を震わせていたあの時。あの夢には続きがあったのだ。

 吹雪の中行き倒れ、目が覚めるとそこは、見たこともない目映い明るい場所だった。
 傍らには何者かがいた。声からして、男であるということの他は何も記憶に残っていない。かなり背が高かった様に思われたが、何分子供の目線であるから、さほど大きくはなかったやも知れぬ。
「……死んだのか?」
 私は男に問うたが、いらえはなかった。己の手を見つめたが、何もわからなかった。
 死ぬとは、こういうことなのだろうか。
 ぼんやりと結論の出ぬ問いを巡らせていると、男は私の肩を抱き寄せた。暖かい、大きな手であった。
 私は男の手の為すがままに己が身を任せていた。不思議と、逆らいたいという気持ちが起こらなかった。
「見るが良い、我が継嗣よ」
 不意に、低いが良く響く荘重な声が己に向けられた。
 肩にかかる力が抜け、ゆるりと地上を指した。私は黙って、指先、足元の遥か下へ視線を落とす。
 足元には、見たこともない世界があった。
 何処までも青く広がる海、鬱蒼と茂る森、大陸に連なる山々。
 ヴィジョンが拡大し、視点が海を、森の中を通り抜けていく。そこに生きる様々な生き物達。今まで見たこともない色彩の変化。太陽が昇り世界を照らし、夜には月と星々とが世界を導く。
 不意に視点は上昇し、無限に広がるかに思われていた世界は、世界樹を基点とした多くの世界の一つに過ぎなかったと私は知った。
「そなたには、この世界を受け継ぐだけの資質がある。もしもそなたが望むなら、この世界の全てをそなたにやろう。どうじゃ?」
 私は黙って、足元に広がる世界を見つめていた。男が返事を待ちかねているのを察して、私はいらえた。
「要らぬ」
「何と」
「世界を貰ったところで飢えは満たせぬ」
 男は鼻で笑った。「愚かな。見よ、世界は満ち足りておる。そなたが世界の王となれば、世界が望みの侭に飢えを、否、あらゆる欲望を満たすであろうに」
「要らぬ」
「……何故に」
「飢えを満たすより他に望みがない」
「おお、我が継嗣よ、それでは獣と同じではないか」
「そうだ。己を追い立てる連中から逃れ、飢えを満たすだけの為に生きている。他に何も要らぬ……死ぬのが苦しいから、生きているだけだ」
 私はここで、男の顔を見た筈だった。
「だが、生きるも、さして変わらぬ」
「変わらぬか」
「変わらぬ」
「ふうむ」男はさぞかし困った顔をしていたに違いなかった。
「だが世界の王となれば、世界がそなたにひれ伏すのだぞ。そなたはまだ世界を知らぬ。そなたに見せたは世界の片鱗に過ぎぬ」
「やもしれぬな。だが、要らぬ」
「何故じゃ? 何故頑なに拒む」
「もし己が王になったとて、王が世界に拒まれぬと何故いえる?」
 世界は、私を拒んでいる。
 だのに、王になったとて変わろうとは、思えなかった。
 男の溜息を私は聞き逃さなかった。男は私の頭を撫ぜ、私は眠った。

 男の顔は、今でも思い出せない。

*   *   *

 Aクラスまで昇格したマスターとなれば、数はそう多くはない筈である。IMCのリストは公開されているので、チェックすれば対戦相手の予想はあらかた付くのでは。そう考えた一同は、IMCタイジュ支店でリストと睨めっこするだけのカンタンなお仕事に従事していた。
 カンタンな、とはいうものの、本日に至るまで連綿と続くモンスターバトルの歴史に対する甘い見積もりを、オルフェあたりは早くも後悔し始めていた。存命中のタイジュ国モンスターマスターAランク、という限定された条件だけでファイル三冊はある。オルフェは鉛筆を鼻に乗せて早くもサボり体勢に入っていた。
「サボらないでくださいよオルフェさん」
 テトがオルフェに釘を刺す。そういうテトもさっきからリストをめくる手が疎かになっていた。淡々と、真面目にリストをチェックしているのはユークァルだけだ。
「作業、進んでます?」
 コーヒーのお代わりとビスケットを職員が運んできた。テトとオルフェは早速ビスケットに飛び付く。ユカはちょっと肩をすくめ、遅れてビスケットをかじった。
 コーヒーをすすって眠気を追い払ったところで、ユークァルの手が止まった。
「ん? どったの、ユカ。……!?」
 そこには確かに、二人には見慣れた名前があった。
「はぁ? んんんんなアホな! ね、ユカこれどうなってんの?」
「そんな事言われても……」
 二人は戸惑っていた。この名前は、本来ここにあるべき名ではなかった。
「ね、ちょっと、何があったんです?」
 テトは二人をつつくが、リアクションはない。テトは諦めた。諦めて、入り口に目をやると、見た事のない三人組が入ってきた。無論、ミヤおうゆうていキムこうではない。
「ワオ!」三人組を注視したテトは思わず声を上げた。「ちょっと、オルフェさんヤバイですよ。ほら、あの真ん中のコすんごい美人」
「んぁ ?!!!!!!」
 オルフェの口から文字にできない変な声が漏れた。
 つられて顔を上げたユカは、思わずあっと声を上げた。
 三人組の胸元には、燦然と輝く翼広げし鳥の紋章が、隠しようもなく刻まれていた。
 立っていたのは、一年以上前に死んだ筈の、ロトの勇者達だった。

「……久しぶりだな」
「少し大きくなったわね」
 お座なりな挨拶を交わす中、トンヌラだけがそっぽを向いていた。殺意こそないものの、なければいいというものではなかろう敵意を隠そうともしない。オルフェは警戒丸出しの体制で身構えていたが、ユカはすたすた歩いて行って手を差し出した。誰もその手を取らなかったが。
 ユークァルは勇者達をまじまじと見つめた。
「……確かに、死んでますね」
 土気色の肌。呼気に沿って動く様子のない胸元。確かに、死んでいる。
 腕には見覚えのある鎖と手錠。ただし、例の数字は見える位置には刻まれていない。
「ユカ、こんな奴ら相手にすんなって!」
 オルフェだけが警戒心丸出しでユカの手を引き寄せる。ユークァルは棒っきれのようにひったくられてオルフェの脇に収まった。
「……別に、やり合うつもりはねぇよ」刺を含ませてアインがいらえた。
 そっぽを向いたまま、トンヌラが呟いた。「俺達は今、そういう立場じゃねえし」
「ねえ、ユカさん。この人達、何者です?」テトが怖々のぞき込む。
 ユカを遮ってオルフェが口を出す。「こいつら、ロトの子孫の勇者様なんだ」
 テトははぁ、と所在なさ気にいらえた。
「じゃあそんなに警戒しなくていいんじゃないんですか? 高貴な身分の方みたいですし」
「何言ってんの、こいつらめっちゃくちゃ悪い奴なんだよっ」
 オルフェは吐き捨てた。テトはうろたえ、ユカはなすがままに庇われている。勇者達はユカ達に一定の距離を置きつつ静かに、見下している。彼らの評価など、屁とも思ってはいないようだった。
「何の用だよ。こちとらテメーらに用なんざねーよ」
「用がなければ来ない」
 後ろでぼそっと、相変わらずそっぽを向いたままトンヌラが、遅れてつぶやいた。
「……あの人達、ユカさんの知り合い?」
 ユカはこっくり頷いた。「色々あったんです」
「そうさ、色々あったのさ、俺達はな」愛想もへったくれもなくアインが言葉を継ぐ。顔色の悪ささえなければ生きているようにしか見えない。「とにかく」
「私達がクラスの試験の対戦相手に決まったわ。それを報せたかったの」
 一同は二の句も継げずに、三人の顔を順繰りに、まじまじと見つめた。
「何があったって顔だな」鼻息荒くアインはユカたちを睨め回す。「あんたのボスが、まものつかいとしてお前らに勝てば願いがかなうかもしれないぞ、って言うんで、受けてやったのさ」
「いかにもおいちゃんならいいそうだねぇ」
「言いそうです」
 たとえ身内でも特別扱いはしない、否、それどころか一切甘やかす気はない、という宣言だな、とユークァルは受け止めた。逆に言えば、期待されているのだろう。
 それにしても。
 これしきのことで怯むユークァルではなかったが、やりにくいなぁ、と思う。
「とにかく。魔物の顔も見たくなくなるくらい徹底的にぶっ潰してやるからな、覚悟しとけ」トンヌラは傲然と言い放ち、アインは後ろで同意を示すかにユカたちを一瞥する。マリアだけが、どこか気のない風情で佇んでいた。
 じゃあな、とそっけない一言を残して、三人は去っていった。

「何だか面倒臭いことになっちまったなぁ」
 三人組の後ろ姿を見送りながら(ただ一人、テトだけがマリアのおしりに熱い視線を注いでいた)二人はため息を付いた。
「ん、でも、決まったことですし、何とかするしかないですよ」
「ん。間違いない」オルフェはこくこく頷く。
「んで、どうするんです?」
「つうかさぁ。オレ、ずっと思ってたんだけどさ。あいつらが魔物使いって何か変じゃね?」
「そうなんですか?」
「確かに、変ですね」ユークァルは頷く。テトは口を挟む余地が無いのを見て取って、黙って用済みのファイルを片付け始めた。
「あの人達がいた世界は、ここみたいには魔物と人は共存していなくて、むしろ敵対しているんです。どうやってまものつかいになったんでしょう。うーん、でも、魔物と取引していたみたいですし、出来なくはないかも」
 オルフェも同意する。「今回の星降りの夜に合わせた急ごしらえってカンジがするよ」
「多分そうですね。でも、油断は禁物です」
 何せ相手は、邪神すら屠った勇者様なのだ。
 手強い相手には違いなかった。
 とにかく、まずは対策会議を開くことにした。といってもメンツは先程から特に変わらない。
「対策にはまず情報収集が一番ですよ。索敵は戦略の基本です。スパイしましょうスパイ」
「いやいやダメだろそれは」しかし、テトの提案は即座に否定されてしまった。
「なんでですかーどうしてですかーおかしいっしょー」
「それはだね」オルフェは先生よろしく小枝の切れっ端を振り回す。「相手が悪い」
「悪いですか。勇者だからですか」
「Exactly! あいつらは、テトが思ってるようなそこら辺の連中とはわけが違う」
「違いますか」
「ぜ〜んぜん違うねっ。例えばさ、今からあいつらの偵察に行くとするじゃん?」
「するじゃん?」
「するとさ、まずは、即効見つかる」
「ええ〜っ、マジで!」
「マジで」オルフェはマジ顔のつもりだったらしいが、いちいちオーバーアクションすぎてテトを馬鹿にしているように見えなくもない。「だから、多分こっちの挙動は全部筒抜けだな」
「えー……じゃあ、こっちが情報を漏らさないようにする方が肝要ですね」
「そそ。対策取られないようにしないと。だからタイジュで訓練するのはやめといた方がいいな。それだけじゃない、例えば、こっちがたまたまあいつらのトレーニング風景を見られたとするじゃん?」
「するじゃん?」
「その魔物たちがフェイクで、本番にゼンゼン違う構成の魔物が出てくる。それくらいあいつらは余裕でやる」
「マジで! やっちゃう?」
「それくらいはやりそうですね」ユカも頷いた。「でも、案外あっさり教えてくれたりするかもしれませんよ」
「それはないんじゃないかなぁ……アイツらめっちゃ性格悪いもん」
「マジですか。うーん、困ったなぁ」
 そんなことはないと思いますけど。
 という反論をユカは結局発しなかった。元世界の英雄にして大国の王である三人がユカごときに恐れをなす筈もあるまい、という気持ちもなくはなかったが、今の彼らには守るべき民も国もなく、果たして「高貴さは義務を負う(ノブレス・オブリージュ)」気が今もあるのかについては確証を持てなかった。
 それでも、何もしないよりはマシかもしれない、と、ユカたちは3人組を探してタイジュをうろつくことにしたのだった。

*   *   *

 秋風が二人の間を心地好く慰撫していったが、百年の空白を埋め解きほぐすには如何にも力不足だった。
 タイジュの外れも外れ、周りを崖とまばらな草木に囲まれ、人の足で辿り着くには足場の悪い薄暗く狭い、ススキとヌスビトハギとセンダングサが手ぐすね引いて生け贄を待つ隘路のみ、そこを通り抜けてやっと辿り着ける、という密会にはこれ以上ないお誂え向きのスポットで、竜王と元妻は泉の傍らに腰を据え、ぼんやりと時を過ごしていた。
 数週間ぶりの逢瀬である。
 にも関わらず、二人の顔色は冴えなかった。人目を畏れている様には見えなかったが、二人の指は水中で触れ合っているのに、一枚の薄紙に隔てられている感が見え隠れしていた。
 顔色さえ見なければ、二人はいちゃついているように見えなくもなかった。が、表に浮かぶ色には、あからさまなまでの疑心と困惑の兆しがある。
 お互いに、何かを隠している。
 そのやましさ後ろめたさが、事態を一向に進展させない枷となって二人の間に絡みついていた。
 細い女の指が、青い人差し指をくすぐる。
《どうして、連れて行ってはくれないのですか》
 感情の波が、微細な振動となって水を伝う。女は口を聞けなかった。水の精霊である彼女は、言葉を持たない代わりにこうして自分の感情や情景を相手に伝える。
 しかし、返事はなかった。女は訝しみ、竜王は目を伏せる。
 竜王は瞑目し、心を殺しつつ如何にすべきか思考を巡らせていた。慣れっこになっている筈だったが、改めてのしかかってくる重みがその身に染みいる。
 昔の己はどうしてこんな苦悩に耐えられたのだろうな。
 麻痺していただけだ、と自嘲が漏れ出し、その感情に気付いて、竜王は慌てて手を振り払った。
 非礼を詫び、改めて、己の元妻に目を向ける。
 如何にも儚げな風貌とアンバランスな肉感的な輪郭。情緒的な、潤んだ眼差し。
 この美しい女の姿を取った己の過去と、どう向き合えばいいのか。自問する。
 世界の敵であった頃から、全てを受け入れてくれ、今なお己を慕うてくれるを拒むなどどうして出来よう?
 が、今、嘗ての彼女の居場所は、別のもの達が占めている。
 既に別に妻が居ると言えば、去ってしまうだろうか。
 いくら逡巡しても、今結論を出すのは難しそうに思えた。
 いずれ連れて行くから、と曖昧に問いを濁しておくことにして、竜王は水面から手を引き、服についたひっつき虫を剥がしては捨て始めた。
 ぱっと、くすんだ藍色の双眼が弾けた。縋るような眼差しに不満の色が見て取れる。遅れて、腕が絡み付く。
「こらっ、ひっつき虫がくっつくではないか」
 竜王は狼狽えたが、相手に伝わっている筈もなかった。女の細腕だ、大した力は無い。だが、その細腕が、嘗ては己を慰めたその腕が、今は無限の鎖、否、死者の牢獄に己を封じ込めていたあの忌々しい手枷となって、己を絡め取り、苛んでいる。
 込み上げてくる苦いものをぐっと飲み込み、許せよ、とつぶやいて、竜王は身を任せるがままにした。

「その人、だれですか?」

 ふわっ、とか、ふがっ、とか何とか言ったかもしれないが、その声は生憎ユカには届かなかった。後ろにひっくり返って泉へとダイヴし、派手な水音にかき消されていたのである。泉から二本の足が突き出ている様はさながら犬神家、ユカは慌てて駆け寄ろうとするが、一足先に女が泉に飛び込んだ。
 あの人、殆ど水しぶき立てなかったなぁ、などとぼんやり眺めていると、女に抱き起こされた竜王が、口からマーライオンよろしく水を吹き出しつつイソイソと起き上がって来た。
「げほっ、ごほっ……で、何でお前ここにおる」
「ロトの勇者三人組を探しにきました」
「さ、左様か」竜王は大袈裟に咳払いし、視線を素早く走らせる。「……他に誰もおらぬな?」
 ▼はい・いいえ
「はい」
「ならば、良かった。いま取り込み中ゆえ、手短に頼むぞ」
 視線の泳ぎっぷりを見るに、どうやらユカはかなりまずいところに出くわしてしまったらしい。ユークァルはかいつまんで事情を説明した。
「お、おう、そうか……ユカ、よいか。今日、ここで見たことは、誰にも口外してはならぬぞ?」
 ▼はい・いいえ
「はい」

「ほんとうだな?」

はい・▼いいえ

「言いません」
「宜しい」竜王はユカの手を握り、無理やり薬指を絡めてブンブン振り回した。「嘘ついたら千本針呑ますからな。よおく覚えておれよ。では、解散!」

 ユークァルは ひろまから おいだされてしまった。

 皆に合流しようかそれとも勇者三人組を探そうか。ユークァルはまだぼんやりと先ほどの光景を反芻しながら、気のない様子で辺りをぶらついてた。多分先ほど説明した話、竜王は半分も覚えていないだろう。
 一体どうしたものやら。
 とは言えユークァルに出来ることなどないも同然だった。秘密をバラす気はないし、例の女性が何者かもわからない。そも、肝心の用事が済んでいないのに、他人事に首を突っ込む余裕があるのか?
 考えても仕方ない、今は忘れることにしよう。ユークァルは当初の目的に立ち返る。
 とはいえ特にあてもなく、タイジュの街中をふらふらしていると、遠くから喧しい声が風に乗って来た。男二人に女一人、聞き覚えのある声。間違いない。
 ユークァルは掛け出した。果たして、三人はそこにいた。

 勇者達は人気のまばらな公園の一角を専有していた。きっと、人々は彼らに気圧されて皆逃げてしまったのだろう。生憎、傍らにそれらしい魔物の影はない。話している内容はわからないが、とにかく言い争っているのだけは間違いない。
 ユークァルが遠巻きに見守っていると、マリアが金切り声で捨て台詞を叫ぶや、大股で公園を横切って出て行ってしまった。引き留めようとするアインを、トンヌラが制する。
 声までは聞き取れなかったが、ユカにはわかった。わかってしまった。
 あいつは裏切り者なんだからな。
 唇の形は確かに、そう動いていた。
 あいつは裏切り者なんだからな。
 ユークァルは確信した。三人の心は、あの時のままなんだ。
 あたしたちが悪いのかな。
 自分の姿を見られたら何を言われるか知れたものではない。ユークァルは静かにその場を離れた。

 その後すぐ、ユークァルはオルフェ達を帰して、ひとりマリアを探しに行った。
 オルフェ達には三人を見つけた事は言わなかった。教えたら、ユカを独りにはしてくれないだろう。
 ユークァルが胸の内でじわりと己を苛むものの正体に気付いたのは、いつもの土手で一人ぼっちで佇むマリアと目があった時だった。
 あの時と同じ顔してる。
 しかし、マリアはユカにさしたる関心もない風に振る舞っていた。一応気付いていますよ、というアピールの一瞥をくれた後は、草むらに腰掛けてぼんやりと虚空に視線を泳がせている。その佇まいに、ユークァルは何とはなしに近付き難い感じを覚えていた。
 あの頃と何一つ、変わらない。
 己を守る為に全てを拒絶し、誰も信じなかったマリア。
 だけど。
 その殻を破らなければ、変えられない。
「ここ、いい場所でしょ。おきにの場所なんです」
「まだ、いたの」
「そこ、いいです?」
 マリアは無言で、辺りの枯れ葉を払った。ユカは小さく頷いて、マリアの隣に腰掛けた。ユカはポケットからあめ玉を差し出す。しかし、マリアはあめ玉を受け取らなかった。
「……仲、悪いんですね」
「そぉよ」マリアは素っ気なくいらえた「貴女達のお陰で」
 めちゃくちゃになっちゃったの。何もかもよ。
 その口ぶりには、しかし恨みがましさはなかった。しばしの沈黙。
「ねえ、貴女、私達のこと、嫌い?」
「そうでもないです」ユカは即答した。「あなたは、あたしが嫌いですか?」
「さぁね、どうでもいいわ」一呼吸置いて、マリアが応える。
 二人は秋風に体を預け、沈み行く夕焼けを眺めていた。頭上を、烏の鳴き声が近づいて、遠ざかっていった。
「そんなことより、私達の魔物のことが知りたいんでしょう?」
「えっ、はい」
「馬鹿正直なのね、教えると思って?」
「どうでしょう。でも、嘘はつかないと思います」
 ユカはマリアが初めて、笑ったのを見た。自嘲めいたそれだったが、棘は無かった。きっと、彼女は彼女がそう思い込みたい程には、冷徹でも無関心でもないのだろうとユカは思った。
「そう。ずいぶん信頼されてるのね。——でも、わたくし、嘘をつくかも知れなくてよ?」
「騙す気がある人は、そういう事は言わないと思います」
「どうかしらね」
「嘘を教えられたとして、その嘘に頼った戦略を組んで負けるようなら、その程度ってことじゃないでしょうか。そんな実力では、星降りの夜の大会には勝てないと思います」
 マリアは目を瞬いた。「ふぅん、貴女達がこの大会の去年の優勝者と聞いてはいたけど、なるほど、納得だわ。——私達、勝てないかもね」
「それもブラフですよね」
「そうよ」
 なるほど歴戦の勇者とは、かの如き胆力の持ち主であるか。ユークァルは改めて、マリアに深い感心と敬意を抱いた。例え魔物使いとしての鍛錬が浅くとも、恐らくは相当手強い相手になるだろう。今の彼らなら付け入る隙は大いにある。が、それを差し引いても強敵には違いない。
「皆さんと戦えるの、楽しみです」
「楽しみ、ね。本当に、屈託ないのね。うらやましいわ」
「いやなんです?」
 マリアはふと、口をつぐんだ。そして、ユークァルの目を真っ直ぐに見つめた。
「私達、見ての通り。あくまでも、優勝者の願いを叶えられる、と言う儚い望みの下に、一時的に共闘しているに過ぎないの。昔みたいにはなれないのよ。だから、楽しくなんて戦えそうにないわ。あくまでも、私達の望みは願いを叶え、蘇り、再び覇権を取り戻す事、それだけなのよ」
「そうですか……」
「さっきのやりとり、見てたんでしょ。私、裏切り者だと思われてるの。だから」マリアは視線を外し、もう殆ど地平線の彼方へと消えゆく太陽を追った。澄んだアイスブルーの瞳も、今は赤く燃えている。
「今から言うのは独り言。…………ロンダルキアの風は万物に厳しいものよ」
 マリアはさっと立ち上がり、スカートに付いた枯れ葉を軽く振り払った。
「本当は、生き返りたくないんですか」
 返事はなかったが、マリアはユカの手からあめ玉一つをつまんで行った。

 天空城に戻っても、ユカのもやもやは晴れなかった。皆、ユカにかまってやれる余裕のある者はいなかったのだ。
 ユカはまず、ヴァーノンに話を聞いて貰おうと思い立った。が、彼ら元・悪魔神官達は、主の為に再び働ける悦びに目を輝かせ、それこそ大車輪の如き奮迅ぶりを見せつけていた。これではユークァルを挟む余地などありそうにない。疲れを知らぬかの如き充溢を漲らせ、幸福の只中にある彼らに、己のちっぽけな(ユークァルにとってはそう思われたのだ!)悩みになどかかずらわせては申し訳ない。その肝心の義父は義父で、怠けたら死ぬとばかりに、ヴァーノン達が馳せ参じてからも、やはりろくろく休みも取らず視察だ何だと走り回っているらしい。今夜は戻らないと知らされ、ユカは落胆した。
「我々としてももっとお休み戴きたいのですが、あの方と来たら、『上に立つ者が範を示さずしてどうする』と率先して働いておられるので、我々としても態と手を抜かざるを得ないというか……」
 ヴァーノンは苦笑いする。ユカの立場が固定されてからというもの、ヴァーノンは露骨に恭しい対応を取るようになっていて、それもまたユカにはもどかしい。今までの通りでいいと伝えても、そうはいかぬとヴァーノンは頑なにユカをお嬢様呼ばわりするのであった。
「陛下も」何故かヴァーノンは陛下、の口調に意味ありげな含みを持たせて強調する癖があった。「お嬢様の大会を観に行くと出かけてしまわれますので……」
 ユークァルは喉まで出掛けた言葉を飲み込んだ。
 成る程、竜王はあの女性に会いに行ってるんだ。
 挨拶もそこそこに、ユークァルはその場をそそくさと離れた。
 こういう感じは苦手だ、とユークァルは思う。
 もっと世の中がシンプルだったらよかったのに。
 秘密とか、意味ありげな目配せとか、腹の探り合いだとか、当てこすりだとか。そういうのは必要なのかも知れないけど、ユークァルにとっては遠い世界のことのように思えた。
 でも。
 そんな簡単に割り切れないのが世の中だということも、今の彼女にはわかりすぎる程わかる。
 みんなの願いが叶うように、なんて願うのは、すごく傲慢なんじゃないだろうか?
 ユカの試みは結局、新たな悩みを増やしただけになってしまった。

 小難しい面倒なことを考えてしまうのはお腹が空いているからである、と新たな世界の支配者は嘗ての旅路でかのように語ったと聞く。
 それを思い出してかどうかはわからないか、大好きなおばあちゃんのタルトを食べたら多少は元気が出るかもしれない、と台所に現れたユークァルを待っていたのは、山盛りの芋をひたすらに剥く作業であった。リカルド一家や婆ちゃんが台所のど真ん中にそびえ立つ芋の山々を前に、わいわい言いながら楽しそうに芋を剥いているのを横目に、ユカは一心不乱に芋を剥いた。ユークァルには効率至上主義なところがあって、おしゃべりしながら作業を楽しむよりは、如何に効率よく作業を進めるかに関心があったし、そういうことに達成感を感じるタイプだった。それに何より、皆が屈託なく笑い合う雰囲気から一刻も早く逃れたかったのだ。
 そうして芋を剥き終わる頃には、ユカはクタクタになっていた。ようやくおやつに与れると思いきや、これから料理を作るというので、ユカはご飯を食べるのを諦めて、残り物の硬いぶどうパンを貰って軽い飢えをしのいだ

 天空城では忙しそうにしている人か、さもなくば顔を合わせたくない人だらけだと気付いて、ユークァルは途方に暮れていた。芋を向いている間はまだよかったのに、今はルビス様やロトの顔もまともに見られない。
 そうだ、イクラたちと遊ぼう!
 ユカはしばらく牧場に顔を出していなかったのを思い出した。イクラ以外にも多くの魔物たちが彼女を待っている。煩わしい俗世のよしなしごとなど彼らにはかかわりないので、難しい気遣いも必要ない。魔物たちと思いっきり遊べば、少しは気持ちが晴れるだろう。ユカは早速牧場へ向かった。
 天空の牧場でユカを待ち受けていたのは、魔物たちと訓練に汗を流すオルフェの姿だった。
 かけっこ筋トレスクワットは勿論の事、銘々に、武器に見立てた棒きれを振り回し、実践さながらのトレーニングを繰り広げる。イクラまでがにわか戦士の装いで鍋をかぶせられて訓練に加わっていた。
「やぁ、ユカ!」
 オルフェは訓練の手を休め、大きく手を降ってユカを迎えた。
「オイラユカの魔物として出るからには、絶対にユカを優勝させてあげないといけないからね! スラおうはともかく、イグっちは実戦経験薄いしさ……あいてっ! こら、ずるいぞイグっち」
 オルフェはおおイグアナに尻を噛まれて飛び上がった。スラおうとイグっちも後から、ユカの下に馳せ参じる。
「うん……ありがと」
「来てくれてちょうど良かったよ! 一緒にトレーニングしようぜ」
 オルフェは無理やりユカの手を引っ張って、手に武器代わりの樹の枝を持たせた。

 疲労の極致の中、柔らかく暖かい布団に包まれているにもかかわらず、あの心地よい気だるさはなかなかユークァルの下を訪れてはくれなかった。
 誰かがそっと抱きしめてくれたらいいのになぁ。
 少しだけ、昔を懐かしく思う。
 あの頃に戻りたいとはちっとも思わないけれど、何もわからなかった頃の自分だったら、こんなことに悩んだりはしなかっただろう、と。
 窓の外がぼんやりと、明るい。今は天の城にも昼と夜とがある。
 無理矢理にでもちゃんと寝ようと、ユカは布団の中に潜った。

 Aクラス検定試験の朝。
 タイジュの夜は雨だったらしく、辺りにはあちこちに小さな水たまりが出来ていたが、それも日が昇るにつれやがて小さくなっていき、やがてうっすらと水跡を残すだけとなった。草原が秋の光を受けてきらきらと輝いていて、如何にも秋らしい爽やかな一日である。前日の雨のせいか会場の観客席はやや疎ら、椅子席が濡れているのもあって、めいめいが椅子か代わりのものを持ち込んで腰掛ける。いつもなら見かける行商人の姿もほぼない。雨を見越して仕込みを控えたのかもしれない。
 そんな世の中の関心をよそに、VIP席では熱意あるやり取りが交わされていた。
「ところで、あのAクラスの選手はそなたの肝いりと聞くが、一体何者じゃ? 佇まいといい只者ではないオーラが出まくっておる。流石は世界の支配者サマサマじゃな、モンスターマスターを知り尽くしておるのう!」
「それ、言い過ぎ」竜王もいい加減、タイジュ王の大言壮語を適度にスルーする術を心得たようであった。「あ奴らは、世界を滅ぼそうとする邪教集団から世界を救い、邪神を滅ぼした伝説の勇者にして、それぞれが3つの大国の王であったのだ」
 タイジュ王は椅子から飛び上がった。「なななな何と! そんな大物が我が国の代表として大会に参戦するやも知れぬとは、とんでもないことじゃな! じゃが、そんなお偉いさんがタイジュ国の代表として出てくれるもんじゃろうかのう……?」
「おいおい、タイジュ王よ。それではまるでユークァルが代表から降ろされるかのような物言いではないか」
「あっ、ヒャア! そそそそそんなつもりではなかったぞよ! もももももしも、あくまで、あくまでという話じゃ。わしはもちろんユカを応援しておるぞよ!」
 はいはい、と竜王は軽くいなす。「まあ、案ぜずとも、あ奴らは今死者の国の住人、元々の国とは関わりを持たぬ故、その点については特に支障はなかろう」
「ほっ」タイジュ王はわざとらしく胸をなでおろした。「ところで、伝説の勇者というからには本人もメッチャクチャ強いのじゃろ?」
「モチのロンだ。腕も立つが、オツムも切れるぞ。だからこそぽっと出の身で、Aクラスのマスターにまでなれたのだ。あの三人のこと、情報も秘匿しておるであろうから、ユカの苦戦は必至であろうな」
「何と! 恐るべき戦略家じゃな」
 タイジュ王を受けて竜王は頻りに頷く。小憎らしい筈の三人ではあるが、己が子孫を褒められれば悪い気はしないのかもしれない。
「三人のコンビネーションががっつりハマれば、と言う条件付きだが、魔物使いとしての経験は浅くとも、あ奴らは十二分にタイジュの代表が務まるであろうな」
「な、何と、本当か?」
 今のあ奴らでは、不可能であろうが。
 完全に仲違いしておるからな。
 心を再度、一つに出来れば勝ち目はあろう。だが、それが叶うかな?
 竜王は王の問には答えなかった。タイジュ王はその含むところを知ってか知らずか、やれ大変だ、ユカ負けるなよ、などとせわしなく唾を飛ばしていた。

 ユークァルは控室でぼんやりしていた。よしなしごとがぼんやりと頭のなかを取り巻いていて、どうしても試合前の緊張を取り戻せないでいる。
「珍しいねユカ。何か考え事でもしてんの?」
「あっ、うん」オルフェに不意を突かれて、ユカは少し驚いた。よほど意識が散漫としていたのに違いない。これでは、勝てる試合も勝てない。
「考え事もいいけどさ、集中しないと!」オルフェはユカの肩を軽く小突いた。やや遠慮がちだったが、オルフェなりの心遣いだった。
 そうですね。気合い入れないと。
 ユカは自分のほっぺたをパシパシ叩いた。どうせモヤモヤの原因を考えたって、出来ることは大会で優勝することくらいなのだ。

 勇者達が魔物達を連れてステージに現れるや、テトが感嘆とも嘆息ともつかない声を漏らした。何というか、とにかく、見た目のインパクトが大きすぎたのだ。
 でかい。
 そして見るからに強そうである。
「やべぇ…」
 明らかにユカよりビビっているオルフェであった。
「大丈夫ですよ」多分、とユカは小さく付け加えた。その声がオルフェに届いたか否かは定かではないが、セコンドのテトはプッと吹き出した。
 なるほど、ロンダルキアの風は万物に厳しいとは言い得て妙ではある。
 ホークブリザード。ギガンテス、スカルゴン。吹雪を吐く魔物が2体、ロンダルキアの山に生息すると言われる伝説の巨人。かほどの魔物を従え、短期間で鍛え上げているのだから、彼らは魔物使いに転職してもきっとうまくやっていけているのだろう。
「ユカさん」テトに呼ばれて舞台脇に身をかがめると、テトは素早く耳打ちした。
「あの魔物たち、あんまり可愛がられてないんじゃないかなぁって思います」
 よくよく見れば、見た目は清潔綺麗にしてあるが、肌艶毛並みなど、テトやサンチの魔物にも劣る。毎日魔物の毛を梳ったり体を拭いてやったり、という、直接試合には関わらないふれあい、潤いのようなものが欠けているのは明白であった。
「そうでしょうね」
 向かい合い、睨み合う中、トンヌラが、続いてアインも一歩前に進み出た。 敵意丸出しの二人を他所に、マリアは硬い表情で後ろに控えていた。
「魔物使いの大会で優勝していようが、我らロトの一族はお前みたいなお子ちゃまには負けないからな!」
「そうだそうだ! 俺達はこの大会で優勝し、必ずや、ロトの血筋を再興してみせる!」
 彼らに魔物への愛情なんてない。魔物は敵であり、野心の為の道具にすぎない。
 そんな彼らには負けたくなかった。ユカの闘志に火が付いた。

 試合開始の旗が翻るや、オルフェは地を蹴って飛び上がった。遅れてホークブリザードが追いかける。
「おー、いいぞ、いけいけホーク!」アインが拳を振り上げて飛び上がった。
「ちょっと、まずいわよ一対一は」
「ホークがあのヘタレ如きにやられるってのかよ!」アインはマリアを振り払う。「アイツは素早いし攻撃力も高いからな、任せておいて大丈夫だろ」
「それより、ギガンテス! メタルキング狙うんじゃない! あっちだ、おおイグアナ狙えよ!」
 生憎とトンヌラの叫びは通じていないようだった。ギガンテスはメタルキングのスラおうに挑発されて、オーバーアクションで力を貯めつつ振りかぶるが、華麗とは今ひとつ言い難いスラおうのみかわしダンスに翻弄されてなかなか一発を決めることが出来ないでいた。ユカのおおイグアナはギガンテスの視界をうまく避けながら、スカルゴンとギガンテスを分断するポジションに潜り込んだ。
「いけいけ! ユカ殿! さすがは大会の優勝者じゃ!」
「フン、流石はユークァル。実戦経験の差がもろに出ておるな」
「おお、地上もすごいが空中戦もすごいことになっておるぞよ!」
 客席からどよめきが起こった。
 空中で繰り広げられるホークブリザードとオルフェの、激しい打ち合いで風切羽が派手に飛び散ったのだ。
 激しく羽ばたき合いながら足の爪でひっかく。盾で受け流しながらのなぎ払い一回転。派手な立ち回りに客席は熱狂する。
 ホークブリザードのくちばしが大きく開かれる。オルフェは盾を身構えた。
 激しい冷気が吹き出して、鏡の表面が真っ白に曇った。オルフェは構えた盾をホークブリザードの頭に叩きつける。致命傷にはならなかったが、ホークブリザードはダメージを嫌って飛び退った。更なる追撃をかけようとフレイルを身構えたオルフェに、ホークブリザードは滑空して体当たりをかます。今度はオルフェの白い羽が青い血とともに辺りに散る番だった。オルフェは肩を押さえて身をかがめ、ベホイミを唱える。
「よし、いいぞホーク! そのままやっちまえ!」
 アインは歓喜の声を上げたが、頭に血が上って言うことを聞かないギガンテスにトンヌラは渋い顔をしていた。ギガンテスは半ばやけになってメタルキングを追いかけていて、競技場を隅から隅まで走り回らされていた。スカルゴンの吹雪は程々におおイグアナを痛めつけていたが、メタルキングには吹雪の息はほぼノーダメージ。時々メタルキングのベホイミが回復してしまうので、思ったよりダメージを与えていない。
「おい、スカルゴン! おおイグアナに集中しろ」
 ギガンテスを御するのを諦め、トンヌラは命令した。スカルゴンは吹雪を吐き散らすのを止めて、おおイグアナを踏み付けにかかる。おおイグアナは踏み付けを躱し、しっぽで足を引っ掛ける。スカルゴンの体は大きく傾ぎ、膝をつく。襲いかかるおおイグアナを、しかしスカルゴンの尾が捕らえて打ち据えた。おおイグアナは地面にたたきつけられ、砂煙を巻き上げながら転がっていく。
「よし、とどめ刺せ!」
 そんな二人を他所に、マリアは頭上の戦いを見上げていた。この先頭の全てを決する鍵が頭上にあると、確信している様に見えた。

 苦痛から立ち直れないふりをして、オルフェは地上を見た。
 スカルゴンに跳ね飛ばされて大袈裟に転がるイグっちの演技。ギガンテスを惹き付けて走り回らせ、疲れさせる役割を着実にこなすすばしっこいスラおう。
 みんないい仕事してるぞ。オルフェは悦に入る。
 もう少し走り回らせたいけど、そろそろ厳しいかな。
 オルフェは攻撃を嫌う様にホークブリザードの正面から逃げる、ホークブリザードも逃すまいと回りこむ。
 ユークァルが遥か下方で、スラおうにギガンテスを攻撃するよう命令を出すのが聞こえた。
 クーッ、だからユカは最高だぜ!
 楯でホークブリザードをいなしながら、ギガンテスの頭上を確実に視界に入れる。
 オルフェは不意に、更に高く飛び上がった。ホークブリザードもオルフェを追って飛び上がる。
「チェリャァァアッ!」
 オルフェはホークブリザードなど物ともせず、全体重を掛けてギガンテスの頭上に急降下した。
「う、わっ! 上、上!」
「逃げなさいヘカトン!」
 マリアの命令もアインの絶叫も、ギガンテスには届かなかった。疲れ切り、足元をメタルキングにまとわりつかれたギガンテスが反応するには遅すぎただけかもしれないが。全体重を後頭部に叩き付けられ、ギガンテスは頭を抱えて蹲ってしまった。
「オルフェ、羽ばたいて!」
 ユークァルの命令を受けてオルフェは素早く翼を広げた。二三度翼を動かすと、スカルゴンの口から強烈な冷気が襲いかかる。が、その吹雪はそのまま突風に跳ね返され、仲間を直撃した。皆冷気に強い魔物達故大したダメージは受けなかったが、死角からおおイグアナが、大きく息を吸い込んでぷうっと膨らんでいた。
「ゲッ!」
 おおイグアナは激しい炎を吐き出した。至近距離で炎に炙られてギガンテスは撃沈、スカルゴンもボロボロに焦げ付いている。オルフェが追撃をスカルゴンの焦げ付いた胴に見舞うと、スカルゴンの胴はポッキリ折れて動かなくなった。が、そこはさるものひっかくもの。スカルゴンは最期の体力を振り絞り、崩れかけた牙をおおイグアナに突き立てた! 今度はおおイグアナも、そのあぎとから逃れるすべはなく、やがてスカルゴンの頭蓋骨に囚われたまま、動かなくなった。

 大物二体をやられて呆然としている二人を他所に、マリアはユークァルの動きを追い続けていたが、その視線がふと、合った。
 ユークァルは小さく小首を傾げ、にっこりと微笑んだ。
 マリアは二、三度目を瞬かせ、それから、微笑み返した。
 マリアはすっと手を差し上げ、叫んだ。
「ホーク、オルフェを攻撃しなさい!」
 だがその叫びは届かなかった。スラおうがメラミを放ったのだ。ホークブリザードは急降下しながら燃え上がり、オルフェの投げつけた楯に打ち据えられ、力尽きた。

*   *   *

 日の沈みかかった空を見つめ、マリアは牧場の土手に独り佇んでいた。
 酷く寂しげなのに、それ故にマリアらしい光景だな、とユカは彼女の後ろ姿を思う。弾けるような笑顔や笑い声は彼女にあまり似つかわしくない様に思える。
 思えば、マリアの笑った所を見た事がなかった。記憶の中の彼女は、いつも孤独で、思い詰めてて他人を拒絶していた。そうならざるを得なかったのを、ユカは知っている。
 それって、お義父さんのせいなのかな。
 自らが彼女の縁者によって受けた仕打ちを棚上げて、ユカは我知らず自責の念を抱いていた。
「Aクラス昇格、おめでとう」
 先に声を掛けられ、ユークァルは驚いた。その声はどこか晴れやかだった。
「あ、うん。……アインとトンヌラは?」
「帰ったわ」それでも、マリアはずっと、地平線の向こうに消えていく太陽を向いたままだった。「私が声をかけても慰めにはならないから」
「そうですか」ユカはさっとマリアの脇に座ったが、スカートいっぱいについたひっつき虫に気付いて、慌てて少し距離をおいてから種を取り始めた。そんなユークァルの様子をちらと見て、マリアは自分のスカートに付いたヌスビトハギを剥がしてユークァルのスカートにくっつけた。
「あっ」
 マリアは悪戯っぽく笑んだ。「えい、もう一個」
 ユークァルはちょっと考えてから、不意にマリアの背中にオナモミをくっつけた。
「やってくれたわね!」
「えへへ」
 二人はしばらくそうやって服にくっつき虫をくっつけ合っていたが、戯れに飽いて手が止まると、マリアはふと、手元のオナモミを弄びつつ、呟いた。
「あの人達、そんな本当は悪い人達じゃなかったの。——だから、許さなくてもいいから、憎まないであげて」
「あの二人、嫌いじゃないです」
「そう、有難」
 マリアは地平線に視線を巡らせる。アイスブルーに映る赤は、もう殆ど消えかかっていた。
「トンヌラ、一度も魔物を名前で呼ばなかったでしょ?」
 ユークァルは頷いた。
「あの人ね、頭に小さなツノがあるの。いつも、ゴーグルだとか帽子だとか、何かしら被り物してたでしょ? だから、トンヌラの父王様はトンヌラの事を鬼っ子だってずっと遠ざけてたんですって。だから、トンヌラはとても魔物を憎んでいるのよ。妹のラーニャはそんな父王と兄に反発して、邪教に傾倒してしまったそうだけど、トンヌラはラーニャが何より大切な、守らなければならない家族なの。だから、トンヌラは復活に執着しているのよ。一方、アインはお人好しで流されやすいけど、直情的で、仲間思いな人なのよ。私達の中では一番魔物を可愛がっていたわ」
 ユークァルは相槌を打った。
「でも、もう私たちの時代は終わったのだわ。ムーンブルクの女王・マリアとして王座に返り咲いても、私も、誰も幸福にはできないし、なれない。私は私の望みを、あの時初めて確信したの--私を縛り付けたこの血筋を捨て、生まれ変わりたい、と」
 マリアはユークァルの顔を見た。もう、あの苦悩の陰りはどこにもなかった。
「アインとトンヌラには内緒ね」
 マリアは人差し指をそっと唇に押し当てた。白い指を押し当てる仕草が、夜闇に艶めかしく浮かび上がった。
 私達はもう、魔物を必要としていないからあげるわ。
 ユークァルは、マリアからホークブリザードを譲り受けた。


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