Dragon Quest m-i 〜ユカのワンダーランドと愉快な下僕共

〜第三章 Eクラス 巣立ちの朝


 日差しだけは相変わらず厳しかったが、風は一足早く秋の気配を運んで来ていた。
 ばくちゃんの墓は魔物牧場の入口近く、曼珠沙華の花が咲き乱れる傍らに作られた。名も知らぬ小さな花が添えられ、石を積み重ねた塚を飾った。
 二人は手を合わせ、ハーゴンが祈祷文の一節を読み上げた。

「汝は真理の馬車に乗り込む様に光に乗り込めり。
 真理は汝を導いて進ましめ
 淵と裂け目とを通り越させ
 絶壁と谷から汝を救えり。
 其れは汝にとって救いの港となり
 汝を不死なる生命の腕の内に抱かせたり。
 汝が為に神々は進み、姿を現わし、死を滅ぼし、闇を殺せり。
 そして汝を悪から解放するであろう。そして、汝の前に全ての天の門を開くであろう……」

 弔いを終え、ハーゴンは娘の手を取って、言った。
 人が死者を弔うのは、葬式が生者の為の儀式だからだ、と。

 城への帰り道を、二人は手を繋いで歩き乍らこれからの事を話し合った。差し当たってはユカの新しい仲間をどうするか。ハーゴンは大きく育った人食い草を連れて行く様勧めた。まずは試合が出来る体制を整えなければならない。
「尤も、あれを星降りの夜に連れて行くには役不足ですが」と父は前置きした。星降りの夜で他国のマスターに引けを取らない魔物を、ユカは短期間で育成しなければならない。だから、沢山のマスターとお見合いをして、魔物をどんどん強くしていく必要がある。ユークァルに与えられた時間はほんの極僅かしか無く、同じ魔物をずっと連れて行く事は出来ない。
「ここだけの話ですが」義父は戯けた仕草で人差し指を唇に当てた。「ユカは今回、無理に優勝を目指さなくとも良いと思うのです。今回は時間が無いけれど、貴女には充分過ぎる時間があるのだから」
「でも」ユカは僅かに唇を尖らせた。「どうせ出るなら、優勝したいです。ベストを尽くさないで言い訳するのは、嫌です」
 義父は微笑した。「負けず嫌いですね。そこが、ユカの良いところでもあるのですが。……早く帰りましょう。良い匂いがしてきましたよ」

 次の日の朝一番、顔を洗って着替えるや、朝食も待たずにユカは中庭へとハーゴンをを引っ張った。水をたっぷり与えられた鉢植えの人食い草は瑞々しい蕾を一杯に開いて、根を掘り出そうとスコップ片手に土と格闘するハーゴンの頭を迎え入れた。
「他の草も見付けて植えてみたので、大きくなったらあげ…………あ、あだだ……」
「お、お父さん、大丈夫?」
「ゆ、ユカ、外して……」
 ユカは人食い草と格闘してみたものの、人食い草は余程ハーゴンの頭を気に入ったのか、がっちり食い込ませた歯をなかなか放そうとしなかった。後からやって来たリカルドとその妻の手助けでようやっと人食い草の難を逃れたハーゴンは、くれぐれも人食い草の取り扱いに気を付けるようユカに厳命して、頭に包帯を巻いて貰う為に奥へと引っ込んだ。

「魔物……何とかなったわた?」
 ユカを出迎えたわたぼうに、ユカは新しい仲間を紹介した。新進気鋭のこの魔物は、例に違わず世界樹の精霊に彼(彼女かも知れないが、ユカには解らなかった)一流の容赦無い愛撫を浴びせた。
「わだだだだだだだだ!!!!」
「ダメ、噛んじゃダメ!」
 ユカが花弁を丁寧に一枚一枚剥がして、何とかわたぼうを人食い草の接吻攻撃から救った。わたぼうは頭から体液を流し乍ら、星降る腕輪でも身に着けたのではないかと思われる素速さで街路樹に駆け上った。
 わたぼうは木陰から顔を出して「良かったわたね! これで、当面は大丈夫わたよ! また何か困った事が起るまでは、当分呼ばないで欲しいわた!」と大声で叫び、引っ込んで二度と出て来なくなった。
「また、怖がられちゃったみたいですね……」
 ユカの気持ちを知ってか知らずか、人食い草は白い蕾を膨らませてあぎあぎと、次なる挨拶の相手を待ち構えている様に見えた。

 やたらと誰にでも噛み付かれては叶わないのでプリオの魔物牧場に人食い草を預けて(勿論、人食い草はプリオの尻に彼流の挨拶を施した)広間へ行くと、男の子達がしきりに囃す中、キンキラの衣裳を両親に無理矢理着せられるサンチの困惑した姿が遠くに見えた。ユークァルは挨拶がてら魔物の報告をするつもりで、サンチ達の下に歩いていった。
「いやあ、うちのサンチはカワイイだけじゃなくてマスターとしても一流だよ! サンチ、こっち向いて、はいチーズ!」
「はいチーズ、じゃねえよオヤジ! もうこれ脱いでいいか」
 サンチは袖口に鈴を文字通り鈴鳴りにくっつけたレインボーカラーの袖の、どこぞのサンバパーティのおどり子の様な服を着ていた。頭が隠れるくらいの高い襟、派手な花柄の刺繍をあしらった短めのベスト。明らかに広がり過ぎのパンタロンには、左右にひくいどりとホークブリザードの刺繍が、ヒールの高い靴にはスパンコールとスワロフスキークリスタルを隙間無く縫い込んであって目に痛い。
 ユカはちょっとだけ、悪趣味ファッションで名を馳せたデルコンダル王の姿を思い出した。
「ダメダメ、サンチ。今夜は親戚中を招いて手巻き寿司パーティーするんだから、それを着て出なくちゃ。カレキ国のハッサンおじさんも来てくれるんですってよ!」
「ギャー! 親戚中に俺の恥を曝す気かよっ! やめれ〜!」
 サンチは端から見ても明らかにぱっつんぱっつんのベストを引き剥がそうと釦に指をかけたが、釦は釦穴に深く食い込んでなかなか外れない。
「サンチ、当然次の試合にはこの衣装を着ていっておくれよ! 母さんが夜なべで刺繍したんだから」
「ゲ、この刺繍、オフクロのお手製かよっ!」
「そうじゃ、じいちゃんの股引も履くが良い。あったかいぞい」
「バカじじいッ、誰が履くかっ!」サンチは顔を真っ赤にして叫んだ。
「サンチちゃ〜ん、お似合いだよ〜♪」
「お似合いお似合い〜」
「て、て、てめぇら……ああああっ! ゲッ、ユカじゃんッ!」
「どうしたんですか?」
 ユカと目が合って、無理矢理衣裳をむしり取ろうとするサンチの手が止まった。
 ユカに見られたのが余程恥ずかしかったらしく、サンチははしゃぐ両親を尻目に家の中へと飛び込んでしまった。
「どうしたんでしょう。……変ですね」
 男の子達が、後ろでぷっと噴いた。

 一向にサンチの出てくる様子が無かったので、帰ろうとするユカのワンピースの裾が強く引かれた。ユカが振り向くと、キメラが裾を引っ張っている。
「こいつ、サンチんとこのキメラじゃん」
「そうなの? あ……」
 キメラはワンピースを手放すと、否、口放すとユカの手に素速く何かを握らせる。ユカが其れを握り締めるや、キメラは子供達の頭の上でくるりと輪を書いて飛び去った。子供達がキメラを追い掛ける隙に、ユカは手紙をポケットに押し込んだ。

 手紙には、裏山で待ってろ、と一言だけ書き残されていた。

 逢魔が時。
 裏山で待っていると、鈴をじゃらじゃら鳴らしながらサンチがやって来た。
 それ脱がなかったの? と聞くユカに、サンチは恥ずかしそうに、脱げなかったんだと答えた。
「俺、ほんっとこれヤなんだけどさ、親が着ろ着ろってウルサいの何の。で、着にくい上に脱ぎにくい作りだから脱いで来る訳にもいかねーし、脱いだところでどうせまた着せられるし……。ゴメン、ウルサくて」
「ううん、気にならないよ?」
 サンチは鈴の音を鳴らし乍ら隣に腰掛けた。涼やかな金属音は、ユカに嘗ての星降りの夜で初めて買って貰ったサンダルの其れを想起させた。サンチが足音を殺して誰かの背後に忍び寄る様な生き方をせずに済んだ事を、ユカは心から感謝した。
 ユカの想いを余所に、サンチは邪魔そうに文字通り鈴鳴りの袖を振った。
「大体さぁ、たかがEクラス試験に合格した位で親戚一同呼ぶなっちゅうの! マスター推薦を受けてから半年ちょっとってのはマスター全体からしたらそりゃ早いけどさ、俺推薦組じゃん?」
「そうなの?」
「オイオイ、俺幾つに見えんだよ、今年11才だぜ。マスター規約に書いてあんだろが、12才未満でマスター試験を受けるには、Cクラス以上マスターの推薦がいるって」
 ユカは頷いた。
「推薦組は才能あるって認められるから推薦受けられるんだよ。だから、昇格早いの当たり前だし、マスター推薦受けてから半年でEクラスって推薦組としてはそんなに早くないんだよ。なのにサンチは天才だ、サンチはスゴいって近所中に触れ回っちゃってさぁ、恥ずかしいの何の。嬉しいのはそりゃ解るけどよ、俺の立場も考えてくれよ……」
 サンチは溜息を付いた。ユカはどう言って良いか解らずにサンチを見守っていた。
 ふと、サンチが顔を上げた。
「俺試験受けるための準備で見に行けなかったけど、ユカの爆弾岩、死んだんだってな」
「うん……」
「オメーの腕がわりーからだぞ? 解ってんのかよ」
「そう、だね……」
 サンチはユカの背中を叩いた。サンチの袖に沢山付けられた鈴が、じゃらじゃら鳴った。
「今度は死なせないようにしろよ。カワイソーだからさ」
 そうする、とユカは答えた。
 目先の勝利の為だけに望まない犠牲を強いる傲慢さを、ユカは痛い程身に沁みて知ってしまっていた。同じ過ちは、もう繰り返したくなかった。
「あっ、いたいた〜! ユッカさーん!」
「ゲッ、テトのヤロー!」遠くからの声に、サンチは顔を引きつらせた。余程この晴れ着を人様に見せたくないらしく、サンチはユカの後ろに隠れようとしたが、頭よりも高い襟に鈴鳴りの袖では隠そうにも隠し様も無く、サンチの衣裳は早速テトのツッコミの洗礼を受ける事と相成った。
「うわ、サンチそれ何てサンバ?」
 己の致命的に恥ずかしい姿を見られてフギャーと草を毟るサンチを余所に、テトはサンチとユカを挟む位置に座り込んだ。テトは早速懐からマスター手帳を取り出して、Eクラスマスター認定証を見せびらかした。
「ボクもEクラス合格しましたよ! 今までのボク、一体何やってたんでしょうね。バカみたいです。合格できなかったのが不思議な位ですよ! この勢いで年内までにBクラスは行きたいですね! ボク、またEクラスの挑戦権にチャレンジしようかと思ってるんですよ。今度はボクが勝っちゃったりしてね! なんちて」
 ユカのリアクションが鈍いのを見て、テトはマスター認定証を引っ込めた。
「そうそう、そういえばユカさん、新しい魔物は見付かりましたか?」
「う、うん……」
「そりゃあ良かった」テトは尊大さを押し隠そうともしなかった。「最初だから仕方ないとはいえ、これからの事を考えたら丁度良かったんじゃないですか。大体、爆弾岩なんて、ぶっ細工だしメガンテしか能が無いしょーもない魔物だし。……ま、毎回新しいばくだんいわを使い捨てるなら使い勝手もありそうなもんですけどねっ」
 可愛らしい音色がテトの軽口を中断させた。
 ユカの後ろで草を毟っていたサンチが立ち上がって、いつの間にかテトの脇に回り込んでいた。サンチはテトの脇腹に踵蹴りを叩き込んだ!
「あででっ、何すんですかっ」
「ばぁっけろーッ! ちょっとEクラス勝ち上がったくらいで何様のつもりだテメェ! エラそーにぶっこいてんじゃねぇ! 魔物を使い捨てにするような奴にモンスターマスターの資格はねぇッ!」
 サンチは叢に転がるテトを睨め付けた。
「いいかテト、てめぇEクラス選抜受けるつもりらしいが、そうはイカのコンコンチキだぜ! 当日会場でこてんぱんにのしてやるから覚悟しやがれ! それから、ユカ」サンチはテトを足蹴にすると、ユカに向き直った。
「ユカのEクラス昇格試験の試験官は、俺がやるからなっ! 首を洗って待ってやがれ!」
 サンチの姿と共に鈴の音が聞こえなくなり、テトがサンチに悪態を突きながら姿を消して、日が沈み世界が朱色から紅蓮、そして藍色に塗り替えられる迄尚、ユークァルは一人その場で、事の余韻を、解らないなりに噛み締めていた。


 Eクラス昇格試験の挑戦者決定戦は丁度五日後であった。ユークァルは魔物達と、敵情視察を兼ねて挑戦者の闘いぶりを見に行く事にした。勿論、口癖の悪い人食い草を用心して、人食い草にはプリオお手製のマスクがかけられた。
「名前どうしようね。すぐ噛むからパクちゃんかな」ユカはまだこの口癖の悪い仲間に素敵な名前を付けかねていた。
「ぺって吐くからペちゃんにしたら」
 子供達からさし出されたポップコーンを摘んで、ユカは笑った。「ペちゃんは言いにくいです。一文字だし。それなら、ペーちゃんの方がいいと思います」
 じゃあペーターにしようよ、と言われて、ユカはその案を採用する事にした。
「なあユカ、テトとサンチどっちが勝つと思う?」
「さあ……」
「テトの奴、ちょっと勝てるようになったら途端に偉そうぶりやがってさ、やな奴だよ。ユカ姉ちゃん、そう思わね?」
 その問いに、ユカは答えない事にした。
「赤コーナーからサンチ選手の入場です! 皆様、盛大な拍手を!」
 サンチ一家が鳴り物を鳴らし、大壇幕を張って娘を迎える。周り半径3mから人の気配が無くなる。モンスターマスターの試合では、人間と魔物の音の聞こえる範囲が違う事を理由に鳴り物は禁止されており、鳴り物での応援など顰蹙物である。両親は暫く笛を吹いたり太鼓を鳴らしていたが、直ぐ係員に叱られて鳴り物をしまい込む羽目になった。サンチは家族から目を逸らした
 テトは先に青コーナーでサンチを待ち構えていた。態度は相変わらず尊大そのもの、家族に無理矢理着せられた恥ずかしい衣裳を鼻で笑われ、恥ずかしさと相まってサンチは相当頭に来た様に見えた。
 ユカは子供達にポップコーンを預けて立ち上がった。
「サンチィー! カッとしたら負けですよぉー! 冷静に、なって!」
 ユカはこの闘いに中立を保つと思われていたので、子供達は驚いていた。一番驚いていたのはユカ自身だったが、それには、こんなに大きな声を出したが為に周囲の耳目を集めてしまった事への羞恥も含まれていた。ユカはペーターの頭を軽く叩いて首を竦めた。
  サンチは目を瞠ったが、サンチはユカに「俺は冷静だぜ!」といらえるのを忘れないでいる程には余裕があった。
「試合、開始!」

 テトの魔物は成る程ユカに大見得切るだけあって、このクラスにしてはかなりの魔物を揃えていた。
 やたがらす、ホイミスライム、ゴートドン。ホイミスライムは以前闘った頃に比べても、明らかに一回り以上大きくなっていた。
 対するサンチの魔物は、この間のキメラにピクシー、せみもぐら。素速さ重視の組み合わせは悪くはないが、不死の魔物やたがらすに対抗できる技を持っているかどうかがネックになっていた。とはいえ、半年でEクラスまで勝ち上がって来たサンチの事、隠し球の一つや二つを仕込んでいてもおかしくはない。どちらにどう転んでも、おかしくない闘いではあった。
 果たして、蓋を開けてみれば納得の試合運びとなった。
 ピクシーがピオリムで素速さを強化し、キメラが氷の息を吹き付ける。先手を打たれたテトのゴートドンが、ボミオスで反撃すると、何故かゴートドンの動きが途端に鈍重に。見ればせみもぐらを守る魔法障壁 マホターン が、宙に溶けて消えていく。
「うげげっ」
 これでゴートドンは、サンチの魔物をボミオスで弱体化させる作戦を採る事が出来無くなった。
 やたがらすもこれに対抗して魔法障壁マホターンを纏ったが、何を思ったかピクシーのバイキルトで強化されたせみもぐらとキメラが、突然やたがらすを集中攻撃し始める。テトは慌ててホイミスライムにベホイミをかけさせるが、呪文はやたがらすのマホターンにあっさり跳ね返されてしまった。ゴートドンが甘い息を吐き出してキメラを眠らせてしまったので、やたがらすは何とか持ち堪えた。
 が、そのゴートドンの口から甘い息がいつの間にか途切れた。
 ゴートドンの体が、傾ぐ。ゴートドンは目を半開きにした侭倒れてしまった。
 せみもぐらの、ザキが効いていた。
「やったぜ!」
 狂喜するサンチ。テトは舌打ちしながらもやたがらすを回復させようとホイミスライムに命令した。まだキメラが寝ているなら、テトにも立て直すチャンスはある。
 ホイミスライムの身体が、変形した。バイキルトで強化したピクシーの拳を受けて、体が歪んだのだった。ホイミスライムは体を振動させ乍ら弧を描いて、べちゃりと地面に落ちた。が、まだ生きている。
「べ、べホイミべホイミ!」
 やたがらすはせみもぐらの頭を、甲羅を返す様に小突いた。せみもぐらはきゅうっと唸って地面から抉り出され、くるくる回りながら地面に叩き付けられて息絶えた。せみもぐらが床を強く打った衝撃は、甘い息で眠っていたキメラを叩き起こすには十二分だった。首だけを起こしたキメラの氷の息が、宙を薙ぐ。
 ホイミスライムのベホイミは後一歩のところで届かず、ホイミスライムは体を歪めた侭凍り付いてしまった。何とか耐えたやたがらすも、ピクシーがあっさり打ち砕く。サンチの両親が鳴り物を派手に鳴らして飛び上がり、審判員に睨まれていた。
 テトは文字通り、こてんぱんにのされたのだった。

 試合後、テトはサンチに連れられて、ユカの前で頭を下げた。
「ユカさん、ごめんなさい。ユカさんのお陰で此処まで来れたのに、調子付いて酷い事を言ってしまいました」
 サンチはテトの頭を押さえ付けた。「おめえ、全然気付いてなかったろうけど、ユカすんげえ傷付いてんだぞ」
「はい……使い捨てにしていい魔物なんて、何処にもいません」
「あの、いいんです。もうやめましょ」ユークァルはテトの頭を押し付けるサンチを宥めた。「あたしは、平気です。……それより、今度天空城に招待します。一緒に、ばくちゃんのお墓、お詣りしましょう。ばくちゃんも喜んでくれると思います」
「なー? ユカ、メチャメチャデキてるだろ。テトお前も見習えよ! テトの方が年上だろ!」
「ハイ……」テトは申し分けなさそうに頭を下げた。「どんなに感謝してもしたり無い位なのに。反省して、もっと謙虚になります」
「ならいーよ、ユカもいいって言ってるし、許してやるよっ」
 サンチが去っていったのを見届けて、テトはユカに囁いた。
「Fクラスの頃のサンチとは見違える試合運びでしたよ。いや、実際参りました。……今のままでは、ユカさんでも勝つのは厳しいですよ。いい人を紹介しましょう。きっとユカさんのプラスになると思いますから」

 テトに連れられて、ユークァルは町外れの涸れ井戸にやって来ていた。
「博士はこの涸れ井戸の中を改造して住んでるんですよ。ささ、どうぞお先に」
 井戸にははしごが掛けられていた。ユークァルは先に降りるように言ったが、テトはユークァルがワンピースを着ているのを見てこれを固辞した。
「ホントはすごい錬金術師なんですよ」テトはちらとユカの顔色を伺ったが、ユカの表情が相変わらずなのを見て、信じていないと判断したようだった。「博士は魔術の研究をしていて、お金もたーくさん持っているんです。なのに、みーんなそのお金を下らない事に使ってしまうんですよ。みんな博士がお金持ちだって知ってるから、悪い商人がやってきては、博士に高級羽毛布団だとか怪しい壺だとかどしどし売りつけて、博士もホイホイ買っちゃうんです。みんな博士に、貴男は頭が良いんだから、使いもしない羽毛布団を10組も買うもんじゃないとお説教されるのに、博士と来たら何時もヘラヘラ、ヘラヘラ。どうなっちゃってるんですかね。はーかせーっ!」
 呼び鈴を鳴らすと、博士本人がひょっこり顔を出した。
「ん、良く来たね。テト君か。入り給え」
 ユークァルは博士、と呼ばれた人物をざっと一瞥した。蒼い肌。六尺余りの長身痩躯は薬物の染みだらけになった法衣に包まれており、薄汚れた 片眼鏡 モノクル の鎖を忙しなく弄ぶ骨張った手からは、痩せては見えるが骨太の印象。
 父と同じ種族だな、とユカは思った。耳の形だけが、少し違う。義父の其れは蒼い皮膜が四本の骨で支えられているが、博士の耳は、一本の骨が紫がかった青黒い皮膜を支えていて、ちょうど風を孕む形にひらひらと揺れるのだった。
 博士はひっきりなしに瞬き乍ら、突然の来訪者を迎え入れた。言動に生気が、目に力が無いのがユークァルには気になった。
「博士、紹介します。彼女がユカさんです」
「今、婆さんに珈琲を入れさせよう。婆さん、珈琲を頼む」
 博士は扉の奥へ向けて怒鳴ると、ユカの頭に手を伸ばして無造作に撫ぜた。
「君がユカ君か。噂には聞いておるよ。ささ、入り給え」
 井戸の中の研究室は、さながら秘宝館の如き有様であった。薄汚れてはいるが存外清潔に保たれており、換気に非常に気を使われている。それでも何とも言えぬ胡散臭さを醸し出しているのは、嫌でも目に付く壺を収めた桐箱や布団の袋、悪趣味な金ぴかの神像が山積みになって埃を被っている所為であろう。此が噂に、悪徳商人に買わされたという代物であるらしかった。博士は壺を収めた箱を山から引っ張り降ろしてきて、二人へと椅子代りに勧めた。
「旦那様、珈琲は御座いませぇん」婆さんが奥から怒鳴り声で返した。
「何だ、飲みたかったのに」
「旦那様が全部実験に使ってしまったじゃあござんせんか」
 珈琲豆を使った錬金術の実験を想像出来ず、ユカは首を傾げた。
「婆さん、今すぐ買って来い……あいや、待て待て。此処に良いのがいるじゃないか」
 博士はビーンファイター・えだまめを摘み上げた。
「え、ちょっと待って下さいよ博士! それはユカの魔物ですから!」
「あれ、そうだったかな」博士はえだまめの鞘を摘んでぶらぶらさせる。えだまめは足が地面に着かないので、足をじたばた動かした。「まあ、いいじゃないか。ユカ君、構わんだろう?」
「あの……ビーンファイターでは珈琲にはならないと思います。豆が違いますし」
「そーですよ博士っ! それに、ユカの魔物が珈琲豆になったら、タイジュは星降りの夜に代表を出せなくなっちゃいますよ」
「あー、君が魔物使いの!」博士はぽん、と掌を打った。
「解ってなかったんかい! つーか、誰だと思ってたんですか!」テトは呆れた。
「誰って……誰だっけ?」
 テトは頭を抱えてしまったので、ユークァルは改めて、博士に自己紹介した。
「そうか、君が星降りの大会のマスターか。……それでは駄目だな」博士は鷹揚にいらえた。「じゃあ、うちに腐るほどある壺をあげよう。其れでどうだね」
「要りません……」
「ダメですよ博士。壺じゃあ星降りの夜の大会には出られないじゃないですか」テトが諫めると、博士は何やら思い当たる節があるのか、二人をほっぽらかして山積みの壺を漁り始めた。
 しかし、良くもまあ此だけの壺を買い込んだものであった。どれもこれも、付けられた値段ほどの価値は無い事だけは請け合いの、金ぴか銀ぴかの悪趣味な代物ばかり。正直頼まれても引き取りたいと思える物は一つとて無かった。貧しい家では壺だけが酷く浮くに違いないし、さりとて名家の立派な屋敷に置くには、品位の無さと粗雑な作り故に相応しさを欠いていた。手前にフタ付きの壺があったのでテトが蓋を開けてみると、中には婆さんが漬けたと思しきほかほかの糠漬けが収まっていたので、テトは鼻を摘んで直ぐふたをした。
「どうだ、この壺では」博士がふた抱え程もある金ぴかの壺を持ってよたよたと現われた。
「どんな壺でも壺はいりませんってば……?!」
 あくまのつぼは テトがみがまえるまえに おそいかかってきた!
           ▼
「あぶないっ!」
 ユカは テトをかばった!
           ▼
 あくまのつぼ の こうげき!
「こらっ」
 博士がすんでの所で二人と一体の間に割り込まなければ、ユカは悪魔の壺の餌食になりかねないところだった。博士が怒鳴ると、悪魔の壺は萎縮して地面に落ち、蓋を閉じて大人しくなった。
「狂暴だが、悪くはないと思うんだがね。たまに味方に噛み付こうとするのが玉に瑕、なんちて」
「博士、面白くありませんよ……」テトは先程からずっと呆れ通しだった。
「気に入らなければ、あくまのふとんやあくまのぬかづけもあるが、どうするね」
「そんな魔物は要りません……」
「否、何も取って喰おうというのでは無いのだよ」博士はえだまめの鞘を巧みに撫ぜた。「何となれば、また遊びに来てくれればこの子には会わせてあげるし、ビーンファイターは育つのは早いが限界もまた、早い。悪魔の壺もそう変わりやしないが、魔法には強いから役に立つだろう。それに、君の魔物には、他にも同じ草系の人食い草が……ギャーッ!」
 人食い草は博士の骨張った脛に大打撃を与えていた。プリオお手製のマスクはいつの間にか引き千切られていた。

「博士の言う事も一理あると思うんですよ。これからお見合いして、配合しても試合に間に合うかどうか」
 博士の傷にヨードチンキを塗りながら、テトはユカと話し合っていた。ペーターの口にはポールギャグ――と言っても、人食い草サイズなのでバレーボール大の巨大な奴を無理矢理被せて大人しくさせておいた。こんな物を博士が何処に何故持っていたのか、テトは博士を問い詰めたい気持ちで一杯だった。
「うーん……」
「博士は変な人ですけど、魔物を虐めたりはしません。その辺は信用していいと思うんですよ」
 テトは『変な人』の部分にやたらと力を込めた。ユークァルは暫く考えていたが、えだまめの鞘を撫ぜて、いいですか? と聞いた。えだまめは迷っていたが、博士がポケットから飴玉を取り出して見せたので、吊られてふらふらと博士の方へ歩き出した。
「決まった、みたいだな」
 糸目で笑う博士の顔に、狡猾さがちらと覗いた。ユカはこちらこそが、博士の本性の様に思われて仕方なかった。


 悪魔の壺と人食い草という、パワフルではあるが危険な魔物が仲間に加わって、ユカは一層の注意深さを要求される事となった。魔物が少年達に食いついて怪我でもさせたら。否、怪我で済めば御の字だが、何かあったら大事だ。早く彼等をユカの統御下に組み入れなければ、試合どころかマスターの資格を剥奪されかねない。
 ユカは訓練を牧場に限る事にした。IMC本部まで魔物を連れて行く間に、周りのマスターや魔物に噛み付いては大変だ。子供達が遊びに来ても牧場に入れないようにプリオに強くお願いして、ユークァルは魔物の訓練に勤しんだ。誰にでも噛み付くのだから、本当に油断がならない。この間もちょっと猿轡を外したら、プリオのお尻に噛み付いて歯形を残した。
 魔物の扱いも、これから先もっと気を付けないと。ユカは気を引き締める。
 幸い、骨付き肉をたっぷり与えたお陰で悪魔の壺(クライン、というなかなか素敵な名前を付けられた)とペーターはユークァルの命令は大抵素直に聞く様になっていた。ただ、クライン、ペーターの何れも攻撃的な性格故に意図しない行動を取りがちで、この特性をどう生かすかがユークァルにとって新たな悩みの種にもなっていた。


 試合前日、訓練を終えて水を飲むユークァルを、プリオが呼びに来た。サンチが訪ねて来たらしかったが、訳を言って丁重に断った、とプリオは言った。


「サンチの素速さ対策、考えてあるんですか?」
 テトの問いに、ユークァルはううんとかぶりを振った。
「じゃ、どうするんですか」
 何とかなると思います、とユカはいらえて、舞台に上がった。
「赤コーナー、『沈黙の薔薇』ユカ選手の入場です!」
 サンチ一家は相変わらずかぶりつきに陣取っていた。今日は鳴り物こそ無いが、相変わらず大段幕、周りに縁取りを施した、前回よりずっと立派な代物だ。娘の晴れ舞台を見守る喜びと晴れがましさに輝くサンチの両親と祖父。小さな旗まで握っている。
 ユークァルは青コーナーのサンチを待った。
 最前列がどよめいた。サンチは普段着で現われた。
「サンチ!」
「サンチ!」
「サンチ!」
 悲鳴にも似たどよめきはすぐ、周りの歓声に掻き消された。サンチは最前列に一瞥をくれると、ユークァルを見返した。
「星降りの夜の大会で優勝すると、願いが叶うって知ってるよな」
「はい」
「俺は、勝つ!」
 強い決意が漲っていた。ユークァルは、サンチの願いが解った気がした。

 旗が振られるや否や、キメラは滑空して氷の息を吐き散らし、ピクシーのピオリムが放たれ、マホターンの魔法障壁がせみもぐらを守ったが、ユークァルは先を争うクラインとペーターに細かい指示を出さず、唯その矛先を示すに留めた。二匹の先陣争いはピクシーの尻にかぶりついたペーターの勝利に終わったが、クラインの頭からのかぶりつきもピクシーにかなりの痛手を与えた様に見えた。スラリンは後ろから眩しい光を浴びせてはみたものの、こちらはせみもぐらを幻惑させるのがせいぜいの様だった。キメラの啄みが宙から襲って、スラリンは一方的に攻撃されるが侭になっていた。
 クラインとペーターに散々にやられて、ピクシーはバイキルトもかけられずに沈んだ。せみもぐらはザキの呪文を唱えて短期決戦に持ち込む構えだったが、これは生憎と人食い草には効果が無い様であった。氷の息があまり効果を見せないのを見て取って、サンチはラリホーを命じて崩しにかかる。人食い草の頭が、くたりと垂れた。
「ペーター、あっち!」
 しかしペーターは熟睡していた。悪魔の壺は空を飛べず、頭上で馬鹿にする様に円を描いて飛び回るキメラに手出しは叶わない。クラインの口が真っ赤に開いて、禍々しい呪詛が溢れ出す。
「ザキ!」
 キメラの翼が強張って、真っ逆様に落っこちた。床に落ちた衝撃で、風切り羽根が四方に散る。
 せみもぐらはザキの呪文を唱えたが、スラリンもペーターも呪詛には強かった。せみもぐらは途中で目覚めたペーターを加えた三匹に囲まれ、タコ殴りにされる。
 青いタオルが宙を舞った。
 負けを認めたサンチが、タオルを投げ込んだのだった。

 牧場の土手でユークァルは一人、空を眺めていた。星がちかちかと瞬き始め、冷ややかな風が頬を撫ぜて行った。
 赤コーナーでサンチを待っている間に抱いていた、今の気温にも似たサンチへの靄とした感情をユークァルは思い出していた。
 第三者ならその感情に様々な名前を付け得たに違いない。曰く、嫉妬。曰く、寂しさ。曰く、失った過去への憧憬。大切な物を自ら破壊した事に対する後悔。だが、ユークァルが其の名を示されたなら、どれもが寸足らずか、大袈裟に過ぎると拒んだだろう。
 羨む気持ちは確かにあった。だが、其れだけで片付けられる程、世界は単純に造られていなかった。
 ユークァルは自らに問うた。
 何も無かったら。もし、10年前、何も無かったら。
 夢想に過ぎないのは解っていた。歴史にifは無く、故に死んだ祖父や父や母や兄が生き返る事は無い。よしんば生きていたとしたとしても、その場合ユークァルはタイジュに来ては居ない筈だから、皆が晴れ姿を見に来るとは考えられなかった。
 あの時、竜王やハーゴンが見に来てくれてたら、サンチを羨んだろうか、とユカは思った。
 二度も試合を見に来てくれていただけ有難い事で、本来ならば、二人ともが未だ旧世界の支配者が慰みの為に滅茶苦茶にしてしまった世界が抱える疵痕を、たった二人きりで支えて押し潰されぬ様足掻いている真っ最中なのだった。その身をおして、目の下に隈まで作って来てくれたのに、毎回来て欲しいと頼む事も又出来かねる。
 仕方が無い、事なのかもしれないね。
 強いられたとはいえ、父と兄の命を奪ったのは自分自身だった。
 罰、なのだろうか。
 ユカには解らない。解りようがないし、誰にも決められる事では無い。
 だけれど。
 瞼の裏に、死に逝く家族の姿が思い起こされる。
 風に混じる気配が、苦い思い出をひとまず押しやった。
「ユーカ」
 見れば、サンチが手にキメラを巻き付けて走ってきたところだった。
「サンチ、こんな遅い時間、いいの?」
 サンチは、いいさ、とユカの隣に腰掛けた。「それより、大事な話があるんだ」
「なあに?」
「あのさ」サンチは首を掻きむしった。「……首を洗って待ってやがれ、って言ったじゃん。あれ、ゴメンな。そういうつもりじゃなかったんだ……だけど、テトの野郎があんな事言いやがるから、かっとなっちゃって……」
「あたしは、平気です。それに……サンチがとても魔物思いなのが解って、嬉しかった」
 えへへ、とサンチは照れ笑いをした。
「ホントはさ、俺、ユカに憧れてマスターになろうと思ったんだ……。だから、ユカの胸を借りるつもりで行くよって、あの時そう伝えたくて待っててもらったんだけど、あんな事になっちまって……」
「え……」
 サンチが、というより、誰かが自分自身に憧れを抱いていた、という事実が、ユークァルを酷く掻き乱した。否定さえも出来ずに狼狽えるユークァルを、サンチは又驚きの目で見た。
「何でそんな驚くんだよ。変なの!」
「え、だって、あたし……」
 ユークァルは口を噤んだ。軽蔑に値する、否、全てを失いかねない過去の事は、サンチ相手であろうとも口が裂けても言える事では無い。ユークァルは深呼吸を繰り返して自らを落ち着かせると、どうして、とサンチに聞き返してみた。
 サンチは暫く腕組みしていたが、ふと、口火を切った。
「ユカってさ」
「何ですか?」
「自立してて、何時でもあたふたしてなくてカッコイイなって思ってたんだ、俺」
「……そう、ですか?」
「うん」サンチは鼻の下を指で擦った。「それにさ、凄い魔物を連れてあっと言う間に優勝を攫ったのに、ちっとも偉そうにしてないじゃん。今でも全然そういうの変わんないだろ。テトみたいにすぐ調子こいちゃうのが普通じゃん」
「そうですか。……あたしは、サンチも偉いと思います。自分をちゃんと持ってて、努力して自立しようとしてます。……それに、御両親やおじいちゃんを、とっても大事にしてる」
「えぇー?!」
「だって、お手製の晴れ着、ちゃんと着てあげたじゃないですか」
 サンチは目を丸くしたが、やがて鼻の下を頻りに擦り始めた。「……バレたか。でも、流石にみんなの前でアレ着るのはちょっとヤだったから」」
「家族は大事にした方がいいです。……いつかきっと、解ってくれると思いますよ」
 ユークァルが籠めた実感を知ってか知らずか、サンチははにかみ笑いを零した。「そうかな」
「うん。サンチは、お父さんやお母さんに愛されてるね。……羨ましい」
「エヘヘ、ホメても何も出ねーぞ」
「あたしも、出せません」
 二人は笑った。
「あのさ、俺、ユカの手伝いできないかなと思って考えたんだ」笑い終わって暫く経ってから、サンチが徐ろに跳ね起きた。
「何でしょう」
「俺、今回試合に出してないけど、スライム持ってんだ。ユカのスラリンとお見合いさせね?」
「勿論です!」ユカは微笑んだ。「行きましょ、直ぐに!」
「え、今からかよ?!」ユカに手を引かれて、サンチは目を白黒させる。
「思い立ったが吉日っていうじゃないですか!」ユカは立ち上がるやサンチの手を取って、土手を駆け出す。「ね!」
「ちょ、待て! 待てってば!」
 サンチは引きずられる様に、ユカの後を追った。風を切って、二人は土手を駆け抜けていった。

 ユカのスラリンとサンチのスラッチからは、キングスライムが誕生した。


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