Dragon Quest m-i 〜ユカのワンダーランドと愉快な下僕共

Prologue

これがおれの秘密なんだ。
とても簡単なんだよ。
心で見なくっちゃ、よく見えない。
いちばん大切なものは目に見えないんだ
―――――――――――― Antoine de Saint-Exupe'ry,

 あれから一年後。
 支配者が変わってから、表面上世界は特段の変化を見せなかった。世界の支配者が変わる以前から世界は激変していたのだから、今更の話しではあるやもしれぬ。少なくとも、世界の支配者がその座を己が子に譲った事実が世界の有り様にもたらした変化への実感は、未だ無い。裏を返せば、支配者などなくても世界は弛まぬ運行を続けていけるのだ。
 古き支配者・創造主たるマスタードラゴンを世界の支配者の座から追い落とした一行は、今ではちゃっかり人並――というには余りにも大層な地位であったが――の幸福に預かっていた。竜王は新たな世界の支配者の座に就く事になり、旅仲間を神々の一座にこっそりと据えた。結局は後からバレて偉い騒ぎになったのだが、懇願の末、当の本人がしぶしぶ己の権能を引き受ける形で事は取り敢えず収まった。妻となった大地母神ルビスは二人の間に子供を設け、端から見れば幸せそのものの様に思われた。
 名実共に光と闇の王となったのは良かったが、しかし前には難問が立ち塞がっていた。世界の支配者の交代という希代のクー・デ・タに対し、天空人達の3/4は城を後にし二度と戻って来そうにはない。残り1/4は老人と子供と、子供から手が離せない女。しかも約半数が未だに新たな世界の支配者を受け入れようとする気配がない。新王が嘗ては魔王とまで称され、地上にて残虐の限りを尽くしていたのだから致し方無い事ではあるけれども、誰も挨拶に顔を出そうとはせず、外で見かけたら見かけたで、目を背け足早に立ち去ってしまう。無論即位式など行っても誰も来はしないから、好物のブルーベリータルトとクリームシチューを作らせて、内輪で祝った。
 故に手助けを期待出来ぬ侭、新王はあらゆる事を自らこなさねばならなかった。猫の手も借りたい程なのに宛てはない。負い目を感じる程のデリカシーはなかったが、さりとて悪評余りに喧しいが為か、戦力を期待できぬ老人や子供を無理にこき使う事も致しかねた。
 ちょっとした裏技で――とはいえ、死んでから間もない身で、輪廻の輪から逃れ得たが故に可能であったのだが――リカルド一家を生き返らせ、又、ムーンペタからお手伝いの婆さんを呼び付けて働かせてはいるけれども、彼らには城の雑務を任せるが関の山。城は先代の趣味で無駄にだだっ広く、掃除だけで何日かかるか知れたものではない。新たな世界の王は徹底的な実利主義者で、あの忌々しくも演出過剰気味の高圧的な玉座を好まなかったので、謁見の間への長々しくうねる道程は封鎖され今は使われていない。
 勿論手が足りぬのは日々の雑務だけではない。肝腎の世界の運営、これが完全に滞っている。
 最も優秀で使える筈、それなりに気心通じ腹蔵無く語らえる貴重な部下である処の天空人・キューリは根の国(ニヴルヘイム)の管理に全面的に手を取られているので、自然その他の実務は世界の支配者その人がやらねばならぬ。しかし、嘗ては魔王とまで称された身は、そもそもが責任という物を追わされる立場を一切味わった事がない、それどころか全てを他人に委ねざるを得なかった生まれ育ちである。書類山積みの机の前に座らされ、ハイ仕事と言われた処で何にも出来はしない。否、やれぬではないのだが、耐えられぬ。
 斯くて世界の支配者は脱走を繰り返し、全ての尻拭いは元・悪魔神官へと下賜される案配となった。
 これではいかん、と竜王自身も自覚はあった。例え神座の末席を与えたとて、あれでは到底釣り合うまい。いずれ過労死か、その前にどうにかなっちまいそうだ。
 彼奴が責任感がありすぎるからいかんのだ。もっと適当にやれば良いのに。
 ―――そうも行かぬであろうな。
 悪い事をしている、とは思いつつ、武人上がりの王にとって、書類とにらめっこを強いられるはあまりにも酷な仕打ちではあった。
 今日も今日とて、切れまくったハーゴンにニヴルヘイムから連れ戻され、執務室に押し込められ、書類の山と積まれた机と睨めっこしつつふんぞり返っている。
 少しは、手伝って遣らねばならぬな。
 竜王は書類の束の一番上にある封筒に手を伸ばした。ペーパーナイフ代わりの爪で封を切る。
 前なら、毒が仕込まれているやも知れぬと決して手でなど開けなかったのを思い出し、竜王は苦笑いを零した。封を開ける。
 開けてから改めて封筒を見ると、手紙は、タイジュ王からの親書であった。
「一筆啓上
 タイジュの夏は暑くもからりと渇いていて誠に過ごし易く、日差しも良く照って、今年は千年ぶりの豊作の予感である。天空城は天朝の方々におかれましては如何過ごされておろうか。御令息もすくすくと元気にお育ちの様で何より目出度い。
 タイジュ国は余の代になってより、絶えて優勝者を自国から出せぬ事久しくあったが、昨年は御令嬢のユークァル殿の活躍によって我が国は勝利の美酒の旨みを久方に味わう事が適って、感謝の限り無き事御代の如しである」
 竜王はぷっと吹きだした。御代を受け継いでより未だ半年にもならぬというのに、限り無いとはどう見ても嫌味にしか取れぬ。
「夏は正に始まったばかりであるが、他国は一年がかりで大会の準備をするのが当たり前。我が国はユカ殿の参加を強く願うものなれど、御身の即位より半年も経たぬ中、日々忙しゅうしておられると聞く。先日も折角タイジュを来訪された際にも、晩餐に手も付けずにハーゴン殿に連れ帰られた故、余も表立っての招待を憚られる。又是非、星降りの夜には皆を招待したいのだが、ユカ殿が我が国のモンスターマスターに成ってくれれば、余としても招待するに遠慮せずに済む。御高慮願いたし。
  敬具
タイジュ王」
 慇懃無礼なのだか単に文章が下手なのか今一つ判然とせぬ手紙をひっくり返したりもう一度読み返したりしながら、竜王は嘗ての星降りの夜の記憶を呼び覚そうとした。
 確かに、あの夜は一つの大いなる奇跡であった。
 ユークァル=ムォノーという一つの個が、生まれた瞬間。
 皆の内に在る何かが解き放たれ、新しく生まれ変わった夜。
 ただ懐かしんで、美化しているのやもしれなかった。さりとて昔を懐かしむ気持ちだけならば別段害はもたらさぬであろう。
 恐らくユークァルは快諾するだろう。昼の修練後に話をしてやろう。
 竜王は手紙を折り畳み、封に仕舞い直して、再び難儀な執務に取りかかった。

 天空城では修練と称し、午餐前の時間を運動に当てるのが日課となっている。日々のメニューはその都度異なるが、皆が好むのは無手の組み合いや棒術の類である。打ち合いをせぬ日はひたすら野を駆け、夏は泳ぐ事が多い。書類と睨めっこもお断りではあるが、自堕落な生き方も又、新王の性には合わぬらしかった。
 尤も、世界の王の腹積もりは違っていた。光と闇の夜を統べるには、余りに己の力不足を痛感していた。不意を打てたからこそ先代を王の座から蹴落とせたのであって、普通にやり合っていたら到底皆生きてはおられぬ事は百も承知。焦る程に差し当たっての要因はなかったが、竜王は常々、王座を守る為には、無いとは言えぬ何時の日かに備えておく必要があると考えていた。己の身は誰も代りに守ってくれる者などおらぬし、それどころか、今では皆を守らねばならぬ立場となっては、安穏と玉座に身を埋めて微睡んでいる訳には行かぬ。
 魔術の教師にはこれ以上望めぬ程優れたのが一人いるので任せおくとして、体術は専ら皆を鍛え上げ、己も又鍛えられる教師の役目を負う事が多かった。物足りなさを感じつつも己に匹敵する存在を許す訳にも行かぬのが、世界の主にとってはちょっとした悩みの種であった。
「じゃ、いきますね」
 ユークァルが構えたのを見届け、竜王も又棒を取った。
 体躯の差は歴然、膂力など比するも愚か。その二人が対等に渡り合う為に、二人の間にはルールが取り交わされていた。ルールはその都度違っていて、組み合いの場合、竜王は四肢に巻かれたハンカチを奪わねばならなかったが、ユカは頭に結び付けたハンカチ一つを奪えば良い。また、互いに急所にシールのような物を貼っておき、ユカが取るのは一個で良かったが、竜王は全てのシールを取らねば勝ちにはならぬ。棒術ならば当たれば負けだが、棒の長さはハーゴン相手で一尺、ユカ相手なら二尺ほど短い物を持たねばならぬという決まりになっている。
 其れでも大体八割九割は竜王が勝った。竜王は、彼等が二割勝てる様になっただけでも上出来と考えていた。
 打ち合っていて解った事がある。ユークァルは以外と負けず嫌いで、勝つまでやろうとする。ユカには勝ち逃げるのを許さない処があって、勝ったら勝ったで嬉しそうに再戦を挑む。面倒になって手加減すると、手加減をしたと怒り出す。逆にハーゴンは勝ち負けに拘泥しない代りに努力家且つ勘が良く、打ち合った後でさり気なく弱点を指摘されて驚かされる事がしばしばあった。今日はハーゴンが仕事漬けで出られそうにないので、修練は二人だけで行われた。たまにずるをしてユカに怒られたりもしたが、勝率はほぼ9割5分。竜王の圧勝である。
 今日も今日とて一汗流した後、リカルドの孫が盆の上に冷たいレモネードを乗せてやってきた。涼やかなグラスは汗を一杯掻いていて、透き通った淡い黄色の中身が唾腺を刺激する。盆の上からレモネードを取り上げ、竜王はユークァルにレモネードを渡しながら尋ねた。
「今、幸せか?」
「はい。……突然、どうしてですか?
 ユークァルは微笑んだ。昏睡から目覚めてより初めての笑みからすれば、ユカは驚く程自然に微笑む様になっていた。小首を傾げる仕草も年相応に愛らしい。
「そうか……ユークァル、お前に、夢はあるか?」
「夢?」
 ユークァルは考え込んだ。特に何も思い付かなかったらしく、緩くかぶりを振る。
 竜王はそうか、とユークァルの頭を撫ぜた。栗色の柔らかい髪の中には、暗器はもう無い。
「憶えているか? 昨年の秋頃、タイジュで一緒に星降りの夜の祭りに出たろう」
 ユークァルは頷いた。
「実はな」竜王は懐から、タイジュ王からの手紙を取り出した。汗でインクが滲んでいるのに気付いて、慌てて袖で汗を拭うが後の祭り。胸にべったり残った青いインクを手で拭い、竜王はユカに手紙を渡した。「タイジュ国の王が、又お前に、モンスターマスターとして出て欲しいというのだ。……ま、兎に角、読んでみろ」
 ユークァルは手紙を読んだ。滲んでいたが、封筒に収まっていたお陰で中は無事だった。新しい樹の、良い香りがした。
「どうする?」竜王はユークァルが手紙を読み終わらない内に返事をせっついた。黄金の双眸が忙しなく、子供めいた所作で瞬き、眩く。「出てみるか?」
「はい。楽しそうですし」
 竜王は破顔した。欲しかった玩具を買って貰った子供の様だ。「そうか。良かった。タイジュ王もさぞ喜ぶであろう。で、どうだ。優勝する自信はあるか」
 ユークァルは少し考える素振りをしてから、はい、と元気良く答えた。途端、ユカは軽く小突かれた。
「おいおい、自惚れるなよ? 言っておくが今回は立場上、我々は手を貸せぬからな。其れこそ、一から修行をやり直さねばならんのだぞ。大会まで3ヶ月余り、魔物もおらぬのにどうする」
「んー……何とか、なるんじゃないでしょうか。何とかならなかったら、又来年がんばればいいですし」
「ふん、相変わらずのユカ節だな。宜しい、我々は今回、力を貸さぬ故、大会の魔物も、自ら育てねばならぬ。幸いタイジュは魔物使いの多い地、王も色々世話を焼いてくれるだろうから、暫くはタイジュにて励め。いわば魔物使い留学と言ったところかな。故、やたら我々を頼ってはならぬぞ。たまに遊びに来る位は良いが、タイジュの人々とも仲良くなって、早く立派な魔物使いになるよう、励みなさい。後からタイジュ王に手紙を書いておくから、持って行くと良い」眩しさ故に僅かに目を細め、竜王はユークァルに笑んで見せた。向けられる眼差しは実の子に向けるかの慈愛に満ちていて、ユークァルは竜王がこんな目をする事は星降りの夜以前には一度も無かったのを知っていた。
「まあ、まるで実の娘の様ではありませんか。いえいえ、ユークァルは実の娘以上でしたわね」
「ルビス!」
 ルビスは右腕に竜王そっくりの息子を抱き、両の角の上によく冷えた濡れタオルを引っ掛けた。角からタオルを取り、顔を拭う。ユカも少しだけ躯を伸ばしてタオルを取った。
「でも実の息子も忘れないで下さいませね?」
「忘れるものか」竜王は自分そっくりの己が子を抱き上げた。世界の支配者のレプリカは、この世の苦悩も怖れも知らず、己を愛する人々の手の中で微睡んでいる。そんなものは、今は知るべきではない。今は存分に皆の愛情に抱かれて、安らいの中にたゆとうているべきであった。
「上二人の兄の分も、良い父親にならねばな。ロト……大きくなれよ」
 赤子はばあ、と呟いて、口からおしゃぶりを落としてしまった。涎の付いたおしゃぶりは、初夏の日を受け父譲りの大きな瞳の様に煌めいた。

「タイジュの代表マスターとしてモンスターマスターの修行をさせる事にした。物覚えの良い娘ではあるが、決して甘やかしてはならぬ。たまに常識はずれをやらかすので、常識と思われるような事もおさおさ怠りなく、一から良く教えるように。教育方針はスパルタ位で調度宜しい。万全の手段を尽くし、一流のマスターに育て上げてやってくれ。育てる魔物の手配も願いたい。
 立場上贔屓は許されぬ故直接の援助は致しかねるが、その他の点については全面的に協力する。方針その他等については時間を作って、度々伺う予定」
 羊皮紙に綴られるは簡潔の極みに達した実用一点張り。時流の挨拶も無い。字は力強いが、活字の様に正確で、硬い。独特の跳ねる癖さえなければ、習字の手本の様な字だ。
 世界の支配者からの手紙を手に、短い髭を弄り倒しつつタイジュ王は唸った。「成る程、わしの責任はタイジュの樹丸々一本分より重いわけじゃな。こりゃ大変じゃ」
「王様、其れ言い過ぎ」脇に控える道化が飛び上がる。王と来たらタイジュ丸々一本どころか、羽毛の先程にも責任など感じていそうになかった。
「ま、良かろう、ユカ殿、そなたにはわしの魔物牧場から何体か魔物を与えよう。魔物牧場ではプリオという者が、牧場の魔物を管理しておる。プリオは魔物に宇宙一詳しい故、困ったら何でもプリオに相談すると良いぞ。誰ぞ、プリオを呼んで参れ!」
「へい、ここにおりますだ」
 言い過ぎ、と周りが飛び上がる前に、プリオが呼ばれて現われた。プリオが聞いていたら、道化と一緒に飛び上がっていたに違いない。
 プリオはぱっと見如何にも冴えない田舎者、年は三十路半ばといった風情の男であった。絶えずおどおどビクビクしており、見ている側にもついビクビクおどおどを伝染させて仕舞いかねない、半ば強迫的な感じを見る側に与えた。「あ、あのぅ、この方が、我が国のモンスターマスターですだか。初めましてですだ」
「コラ、プリオ、手を拭かぬか手を。どうせ今まであばれうしどりの糞を掃除しておったのであろう」
「ひゃっ、す、すまねえだ」プリオはユカに指し出した手をさっと引っ込めた。成る程爪先には糞らしき茶色い汚れが見える。プリオは急いで手水鉢で念入りに手を洗う。
「処で、牧場の魔物達は今何がおるかの」
 プリオの肩が僅かに、跳ねた。「は、はあ。あの。スライムが一匹」
「他は。あばれうしどりが何体かおったはずじゃ」
「後は、スライムと、スライムと、スライムですだ」
 ………………………………。

 タイジュおうは いかりくるって ぶちきれた!!!!
「プリオ! 貴様、又魔物を逃がしてしまいおったなバカチンが! 成敗じゃ! 今度こそは手討ちにしてくれよう!」
「ひゃああ! すんませんすんませんすんません! 王様、ひらにお許しを〜っ!」
 プリオと王様は玉座の周りで追い掛けっこを始めた。叩かれるのが嫌で逃げ回るプリオと、毎度毎度魔物を逃がされて頭の茹だる王様の鬼ごっこに終止符を打ったのは、プリオの前に差し出したユカの足。プリオはもんどり打って空中一回転の見事な転倒をかまし、王様に足蹴にされていた。
「逃げちゃったものはしょうがないと思います。それより、スライムを」
「う、ううっ、マスター様、結構えげつないですだ……」
「よ、良いのかユカ殿、本当にそれで」
 プリオの頭を押さえ付け乍ら申し訳なさそうにもじもじする国王に、ユカは、平気です、と元気一杯に答えた。「だって、時間がないんですよね? 一匹のスライムは、千匹のはぐれメタルに勝るって言いますし」

 牧場へプリオのスライムを取りに行く途中、ユカはプリオからモンスターマスターとしての心得を改めて聞かされた。
「ユカ様はもうよおく御存じだとは思いますがね、魔物使いは勝ちゃあいいってもんじゃあねえんでさぁ。色々約束事がありましてね」
「モンスターマスターは戦っちゃいけない、というのは聞きましたけど……」
「この紙を見て下せえ」プリオは皺皺に丸められた紙を取り出した。かなり変色していて、端がボロボロになっている。おまけに湿り気を含んだと見えて、紙がくっついて巧く剥がれない。
 ユークァルが代わりに紙を剥がして広げると、インクは殆ど飛んでしまっていた。
「読めません、けど……」
「す、すまねえだ」プリオは慌てて紙を丸めてぽいと捨てた。「じゃ、後でIMCにマスター手帳を貰いに行きますだ。大体の処は説明しますだが、わりいですが自分でも確認しておいてもらえねえだか」
 プリオの覚束ない説明によると、IMCというのが『国際モンスターマスター委員会(International Monstermaster Commission)』という団体の略称であるらしい。IMCはモンスターマスターの試合の公式ルールを決定する、権威ある団体である。本来ならIMCの公式ルール上、S級マスターと認定された魔物使いのみが星降りの夜の大会に出場を許されるのだが、ユークァル達の場合S級マスター試験を行う準備が都合出来なかった為、特例でタイジュ王がIMCにねじ込んだのだと、ユカは今日初めて知らされた。タイジュ王はIMCの理事の一人でもある。
 IMCのルールではG級〜S級までのライセンスが定められており、飛び級は原則認められない。3ヶ月でG級からS級までを取らなければならないので、かなりハードなスケジュールになるだろう、とプリオは言った。
「否、でもユカ様は一度優勝してらっしゃるんでごぜえますから、F級くらいまでは割と早く取れるんじゃごぜえませんかね」
「でも、魔物はスライムしかいないんでしょう」
「それぞれの国のタイジュの精霊は大会に出ちゃあいけない規則になってるんで、わたぼうに出て貰うわけにもいきませんしねぇ。魔物の仕込み方はわたぼうに教えて貰えばいいとしても、肝腎の魔物がいねえってのはいけません」
 プリオはううんと唸ってしまった。せめてあばれうしどり位は何とか捕まえたかったんですがねぇ、とも。
「とにかく、スライムを仕込むところから始めましょう」ユークァルはプリオの手を引いた。「何とかなります。一度、みんなに相談してみますね」

 次の日。
「成る程、魔物がいませんか。其れは困った事ですね……流石にスライム一匹だけでは大会に出られませんから……」
 元神官、今神様は義理の娘を前に、妙案は無いものかと手許の文献に手を伸ばした。3ヶ月では余り時間もなく、さりとて今のユークァルが使いこなせる魔物となると、余りに強い魔物でも、また育つのが遅い魔物でも困る。
 植物系が良いでしょう、と義理の父は娘に言った。娘も又、的確な父の助言に頷いた。
 二人は城の倉庫へ向かった。忙殺される日々にあっては雑務の優先順位の下がるは致し方なく、倉庫は手付かずの侭埃を被っていた。せめて庭の手入れ位はしたい処であったが、これも到底二人の手には余る仕事であった。リカルドの子供がたまに草むしりをしてくれるので庭はさほど荒れた印象を見せないが、肥料もまともにやれないでいる所為で今年の庭は枝振りも花振りも今一つであった。二人は慎重に倉庫を片付けがてらひっくり返し、今度の大会が落ち着いたら一度倉庫を掃除しよう、来年は野菜も植えたいね、等と、叶うかどうかは甚だ怪しい希望を口にした。
 上へ下への大騒動の成果として、奥の箱から植物の種らしき物が幾つか見付かった。ラベリングの殆どは美しい花や美味なる果実をもたらす植物の名が記されていたが、中の一つに厳重に封をされた袋を見付け、ハーゴンは我が意を得たりと喜んだ。
「ひとくいそうと、ビーンファイター、ですね。植えてみますか」
「はい」
 二人は庭に鉢植えを並べ、不用意な者が魔物に噛み付かれたりせぬよう囲いを作ると、早速人食い草とビーンファイターの種を一つずつ植えた。
「水を遣りましたから、これで二体目は、何とかなりそうですね。人食い草は少し大きくなるまで時間がかかりそうですが、ビーンファイターは割と早いそうですから、三日ぐらいで芽が出るでしょう。……世話が大変ですがね……」ハーゴンは泥まみれの手で額を拭った。法衣はすっかり埃にまみれ、所々擦った跡がなだらかな模様を描いていた。
「お父さん、ごめんなさい」
 ハーゴンは娘の肩を撫ぜた。
「謝る事ではないですよ。今回私達は大会に出られませんが、当日の活躍、楽しみにしていますからね。其れに、たまには気晴らしも必要ですし」
 二人は汲み井戸の取っ手を押し合って、汗と泥を拭い落とした。全身水浸しになったが、夏の日差しに直ぐ乾く事を思えば気にはならなかった。夕日が眩しく、疲労が心地好かった。一仕事終えた充実感に満たされ、二人は幸福だった。嘗てこんな平凡な悦びを、二人は一度でも願っただろうか? どんな激越な感動も、贅を尽くした快楽も、この平凡な充溢の前には物の数ではないとハーゴンは感じていた。
 顔を洗い、冷たい水を蛇口から直接飲む。タオルで顔を拭って、ふとハーゴンは顔を上げた。
「そうだ。魔物と言えば、一人専門家がいらっしゃるではありませんか。ユカ、ルビス様の処に行っておいで。きっと力になってくれるでしょうから」

 夕飯は皆共に同じ食堂で摂る事に決まっていたので、ユークァルは服を着替えて一足早く食堂に向かった。
 今日の夕飯はおばあちゃんのミートパイだわ、とユカは思った。老婆の焼くミートパイは少し甘めで、初夏の熟れたトマトをたっぷり使った御馳走だ。ルビス様はきっと今頃、赤ん坊を寝かしつける前に乳を遣っているに違いない。果たして、ルビスの部屋の扉を開けると、母の愛を一杯に含んだ赤子がそろそろおねむになり始めた頃だった。
「大きくなりましたね」ユークァルは眠りの神にあやされる赤子の頬に指を乗せた。赤子の頬は柔らかく、色はあけび、手触りは桃を思い起こさせた。赤ん坊って何て不思議な生き物なんだろう!
「ええ」ルビスは目を細め、我が子の姿を目に焼き付けようとしている様に思われた。「もう、夕餉の時間?」
「いいえまだ」ユークァルは指を離した。果物とは違って、頬の肉はまあるい形に戻った。勇者ロトは母親似であったが、今度のロトは父親似だ。角の形から顔立ち、肌まで父そっくりだ。竜王に言わせると、体格は母親似だろうとの事だった。勇者ロトは八尺三寸を優に超える長躯であったから、体格は父親に似たのであろう。
 どんな風に育つのだろうか。小さな命にユークァルの心は秘かにときめいた。あんな風に、大きくなるのだろうか。口からは炎を吐き、金襴たる鱗を煌めかせて、悠々と空を羽ばたくのだろうか。ユカにはどうしても、赤子の姿とあの、悠然とアレフガルドの上空を羽ばたく美しい生き物とが結び付かなかった。
「あの、実は父に伺ったんですが」空想がユカを我に返らせた。今来たのは、大人になったロトの姿を想像しに来る為ではない。
「なあに?」
「ルビス様は魔物の事にお詳しいから、教えていただきたいんです。あたし魔物使いとして、星降りの夜の大会に出る事になって」
 ルビスは嫋やかに笑んで、息子にタオルケットを掛けて遣った。嫋やかな印象の裏に秘められた強さは、母であるという事実の他に伺い知る事は出来ない。「まあ、そういう事なのね。解ったわ。夫からは特別贔屓をしてはいけない、と言い聞かされてはいるけれど、それ以前に魔物がいなければお話しになりませんものね。解りました。マロン、ロトの事を宜しくね」
「はぁい、ルビス様行ってらっしゃぁい☆ 夕餉の時刻までにはお戻りなさいませぇ〜」
 さあ、参りましょう、とルビスはユークァルの手を引いて、宮殿の外へと歩いていった。
 二人は日傘を差し、何もかもが赤く染まり地平線に溶けていく光景を見ながら歩いた。
 もう何度も見ている筈なのに、ちっとも見飽きる事の無い光景。血の色に似ているからかしら、とユークァルは思う。あんな色の血が人の中には流れていて、あらゆる命を形作っているのだと思った。空想の中に血への渇きを見出して、ユークァルは慌てて其れを打ち消した。
 今はもう、誰も失いたくないから。
 気付くと、ルビスは遥か遠く、牧場の前で手を振ってユークァルを呼んでいた。
 牧場、という表現は相応しからぬやも知れぬ。ここの魔物達はプリオの牧場の様に、誰かに飼われているのではない。闇の影響を受けずに済んだ、幸福な魔物達の住む穏やかな集落である。世界が未だ悪意に染まっていない頃、大地母神ルビスは父なる神の権能を譲り受けて多くの生き物を創造したのだった。
「さあみんな、新しいお友達ですよ。いらっしゃ〜い!」
 ルビスの呼びかけに、多くの魔物達がやって来た。プリオが逃がしたというあのあばれうしどりもいた。メタルスライムにホイミスライム、スライムつむりにドラキーに、ドロルにももんじゃきりかぶこぞう。キメラにゴーストゴートドン、アルミラージにスーパーテンツクまで揃っている。魔物達は皆、皆ユークァルを興味深げに見守っていた。
「わぁすごい」
 ユークァルが此処に連れて来られたのは初めてだった。こんな場所が身近にある事も教えられず、魔物にも興味を持たなかった。ルビスは身籠もっていたし、父は忙し過ぎた。ユークァルが喜ぶのを見て、夫にでももっと早く連れていってやるように言えば良かったと、ルビスは思った。
 どの魔物達もユークァルに好意的な眼差しを投げた。ホイミスライムは花を千切ってユークァルの耳に挿したし、ゴートドンは頭を擦り寄せてじゃれている。ユークァルは夢中で魔物達を撫で回した。魔物は見慣れていたが、こんなに沢山、しかも好意を以て接せられた事は嘗て無かった。
「わあ、わあ、すごいすごい。どうしよう……どの子を連れていこうかな」
「どの子でも良いのよ。ねえみんな?」ルビスが魔物達に呼びかけると、魔物達は喝采で答えた。「ユークァルは星降りの夜の大会に出るので、大会に出てくれる魔物を探しているの。未だ新米の魔物使いだから、本大会までは出られないかも知れないけれど、ユークァルが一人前の魔物使いになるまで助けてくれる子は居ないかしら?」
 魔物達はルビスが訊くまでもなく、皆が我も我もとユカに押し寄せた。嬉しいやら困ったやらで、どうやって決めたら良いのかユカには見当も付かなかった。ちょっと待ってね、考えてみるから、と全ての魔物を見回すと、少し離れた木陰に何やら蠢く物を認める。どうやら先程からずっと此方の様子を伺っていたらしかった。ユカは木陰に目を凝らした。
「どうしたの? ユカちゃん」
「あれ」
 ユカが指差すと、謎の物体はひゅっと引っ込んでしまった。ルビスもじっと、木陰を見つめる。直径が膝位の、岩の塊らしい。岩は自分の姿が認められたのを知るや、燃え上がる炭の様に赤く膨らんだ。ルビスの顔がさっと蒼醒める。
「メ、メ、メ……メガン……」
「ばくちゃんダメッ! ユカ、口を押さえて!!!」
 ユークァルの四肢は目の前のゴートドンの頭を軽々と踏み越えた。着地を決めるや否や転がりながら木陰の裏に回り込み、岩の裂け目に腕を押し込んで無理矢理に塞ぐ。岩はユークァルの腕の中で膨れたり縮んだりしながら真っ赤になってもごもごと暴れたが、やがて直ぐに熱毎収まって落ち着きを取り戻した。ユークァルは岩を抱えて皆の下に戻った。
「ああ、良かった……ダメでしょばくちゃん、教えたじゃない。メガンテの呪文を簡単に使っては駄目。メガンテは秘呪、貴方の全ての命を燃やし尽くして敵を倒す魔法なのよ。本当に肝腎な時以外には使ってはいけない、とあれほど言ったでしょう。大切なお友達にメガンテなんて、とんでもない! メッ!」
 ばくちゃんと呼ばれた岩は、ユークァルの腕の中ですっかり萎縮して小さく燻っていた。ルビスの説教を受けて一旦は熱く赤く膨らみかけたが、直ぐにルビスに頭をぶたれて我を取り戻した。
「ごめんなさいね。ばくちゃんは、本当にとっても恥ずかしがり屋さんなの。でも、何時もみんなのことを思う優しい子なのよ」
 だから、禁呪を授けたのよ。
 ルビスが岩肌を愛おしげに撫ぜる手は、母の手そのものであった。
 ユークァルは天空城での闘いを思い出していた。否、闘いと言うにはあまりにも一方的な、子への虐待を。
 己の退屈を潤す為だけに、世界を悪意に造り替えたマスタードラゴン。
 己が子に滅びを告げる父を見て涙するルビスの顔。
 あれは愛する人の死を嘆く涙だけでは無かったのだとユークァルは今更ながらに知った。
 ルビスは世界を愛しているのだ、と。
「あたし、ばくちゃん連れて行きます」
 ユークァルはばくちゃんを強く握り締めた。
「だって、ルビス様がこんなに大切に想っている子なんですもの、きっと、とってもいい子です」ちょっとがっかりした風の魔物達の顔を見て、ユークァルは慌てて付け加えた。「あ、あの、みんなももちろんいい子だけど、今回はごめんね。また来るから、一緒に遊んでね」

ばくちゃんは ちいさく うなずいた。

ばくだんいわが なかまに くわわった!

 逢魔が時が近付きつつあった。二人は爆弾岩を抱え、魔物達に見送られながら晩餐待ち受ける天空城へと急いだ。



 タイジュ国の会議室で睨み合う、死すべき宿命の(mortal)一国の王と不朽の命をその手に担う(immortal)世界の王。
 二人の仲は、しかしそんな大袈裟なものではなく、砕けて親密な、もっと言えば酒場で連んでくだを巻くオヤジのノリに近い。酒場ではないので酒の代りに紅茶が用意され、二人は椅子を寄せ合って、タイジュ国代表の今後の教育方針について角付き合わせていた。
「ユカ殿は百年に一度あるかないかの素質の持ち主じゃ、本番に戦えるような強い魔物を持たせて、早く鍛えた方が良いのでは」
「いいや、確かにあれは優れた素質を持ってはいる。が、如何せん代表マスターとしては何だかんだで経験が足りぬ。拙速に鍛えようとすれば、必ず壁にぶつかろう。兎に角短期間で、並のマスター以上の経験を積ませねばならぬ」
「やや、しかしですな」タイジュ王はジャムたっぷりのロシアンケーキを貪った。テーブルの上ではドレンチェリーやオレンジピール、チョコレートなどで色とりどりに飾られたロシアンケーキのピラミッド状に積まれた皿が色を添えている。「ユカ殿は一度星降りの夜で優勝しておるのですぞ。何となれば、わしがIMCに掛け合ってユカの無試験飛び級を認めさせますわい」
「それではユカが環境に甘えてしまうではないか。そなたはあれが優勝さえすれば良いのだろうが、モンスターマスターとしての将来には毒にしかならぬ。まずは基礎をしっかり身に着けさせねば」
「左様ですが……何か妙案でもおありか?」
 ううむ、と竜王は唸って、真ん中にドレンチェリーをあしらったロシアンケーキを囓る。頬を栗鼠の様に膨らませながら、二つ目のロシアンケーキに伸ばした手が、ふと止まった。
「もふ、もふ……モンスターマスターの試験は、確かクラス毎に規定のレベルと技能を持った魔物3体と戦うのであったな」
「左様じゃ」
 ロシアンケーキを喉に詰まらせて、竜王は胸を叩いた。タイジュ王が熱々のロシアンティを差し出す。
「なれば、ユカの試験は特別厳しくしよう! 世界中からそれぞれのクラスのマスターを集め……ええとGからSまでであったか……ユカと対戦させるのだ。対戦させて、ユークァルが負けたなら、今度はそのマスターがタイジュ国モンスターマスターの座を権利を獲得する。どうだ、妙案であろう。星降りの夜に優勝したマスターは願いが叶うというから、皆きっと出たがるに違いない。試験当日には、世界中より選り抜かれた優秀なマスターがユークァルのライバルとして登場するという訳だ。どうだ」
「え、ええええーっ!! そ、そんなのありか!」
「勿論、アリだ」仰天するタイジュ国王を尻目に、竜王はコーヒー味のロシアンケーキを口中に放り込み、立ち上がった。「試験が厳しくなる分にはIMCとて問題は無かろ。さあ、早速己が名で我が世界に公布する、初の法令を準備しなくては! 嗚呼、血沸き肉踊るとは正しくこの事だ! 獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすと言うが、我等も獅子には負けておれぬぞ!」



「布告
 星降りの夜の大会に出場する、タイジュ国代表のモンスターマスターを広く公募す。
 条件は以下の通り。
1.身分、出自、種族、経歴、生死不問。
2.IMC基準のG〜Sクラスのモンスターマスター試験に合格した者。

 選出方法は以下の通り。
1.IMC基準のルールに則り、G〜S級各クラスのモンスターマスター内でトーナメント式の大会を行う。日時は以下の通り。
Gクラス〜8月×日
Fクラス〜8月×日
Eクラス〜8月×日
Dクラス〜9月×日
Cクラス〜9月×日
Bクラス〜9月×日
Aクラス〜10月×日
Sクラス〜10月×日
2.大会優勝者は後日、タイジュ国前年度代表のモンスターマスター・ユークァル=ムォノーと下位のクラスから順次対戦し、勝った者がモンスターマスター上位クラスへの挑戦資格を得る。Sクラスマスター戦を制した者が、晴れてタイジュ国今年度モンスターマスターの資格を得る。

 報酬は特に定めない。星降りの夜の大会で優勝すれば、その事実が報酬となろう。
 ただし、星降りの夜の大会は、優勝者の願いを叶えるとの伝説在り。伝説の真偽は与り知らぬ処なれど、世界の支配者にして光と闇の王たる我が、此を保証するもの也。
 優秀なマスターの参戦を求む!」

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