運命の輪
闇の中、風に遅れて初めは規則正しく、やがて急く様に草を分ける音が続く。遅れて、月の刃にかそけき銀が散り、更に遅れて、不協和音めいた幾つもの影が、乱れた草音を散らしながら後を追う。
靡く髪が、草原を貫き森に向かう。追う影達は一見不格好に草原を穿ちながら、銀を包む様に緩やかに広がっていた。が、追われる身には知る由もない。
銀の髪の妖精は木々の間を巧みに駆け抜け、時に繁みに身を潜めては追手をやり過ごしながら、埒もない考えを片隅に巡らせていた。
妖精の生まれた世界とて、この世界に比べれば遥かにましとは言え、平和だった訳ではない。――彼の両親は幼い彼を残し、手を携えて黄泉へと旅立ってしまった――望まなかったにもかかわらず、だ。
両親と離れ離れになった妖精に手を差し伸べたのは、この世界では魔物と呼ばれる生き物であった。妖精とは似ても似つかぬその生き物は、妖精子にとって失われた両親以上の存在となった。魔物は少年を己が子と分け隔てなく可愛がり、生きる術を身に着けさせ、歌う喜びを教えた。少年はやがて、竪琴を手に、人や鳥や草木や、風や魔物達と心通わせるようになっていた。
少年は独り立ちすると、育ての親元を離れ旅に出た。幾つもの国を渡り歩き、七つの世界を越えてやってきたのはしかし、己の知る理の容易には通ぜぬ世界であった。妖精は戸惑い、訝しんだ。
この世界の生き物は皆、二つの陣営、人と魔物に分かれて互いに憎み合っている様に思われた。魔物達は見境無くヒトと見れば襲っていたし、人々は魔物に怯え、魔物と見れば逃げるかさもなくば排除しようと躍起になっていた。ここでは種は記号であり、Aと非Aは永久にイコールにはならない。故に、彼岸を往く者は疑いの眼差しを投げられるか、さもなくば「あちら側」とみなされ石持て追われるかのどちらかしかなかった。
それでも妖精は竪琴を捨てなかった。歌を止めるは妖精にとって、敗北そして死に等しかった。この世界に格別の未練はないけれども、この世界を支配する不文律に膝を屈すれば、己が己で無くなる。妖精は竪琴を爪弾き、歌い続け、手を差し伸べて見えざる神の手と闘った。
が、これを快く思わぬ者が居た。
光と闇に裂かれた――至極便宜的に思われた――二極の一つを統べる、魔王ゾーマと呼ばれる存在を、妖精は直ぐに知らされる事となった。この世界が朝の来ぬ永遠の闇の世界であるのも、かの魔王の仕業と聞く。光を呑み込まんばかりの勢力を誇る闇の王の圧倒的な支配を、己の歌が揺るがすとは妖精には思われなかった。が、それは己独りの理屈。光と闇が相容れぬばかりでなく、闇をして絶対無比の法となさしめんと企むゾーマにとって、妖精の歌声は邪魔どころか恐るべき危険を孕んでいる物とみなされたのであった。
そうして、妖精は草原から森へと追い詰められていた。
妖精にとっても森は地の利を生かせる場所ではある。夜目も効くし、森は妖精の友だ。だからこそ魔物達が己を森へと追い込んだのだと気付いたのは、罠に足を取られて魔物達の濃密な気配を周囲に感じた時だった。急いで罠をナイフで千切り、大樹に背中を預ける。
二、三……六、七…………到底手に負える数ではない。妖精は竪琴に手を伸ばす。
竪琴を爪弾き、歌おうとしたところで暗闇から鞭が伸びた。奪われるのは間一髪で防いだものの竪琴を叩き落とされ、妖精は奈落への予感に息を飲んだ。
大樹の梢が揺れて、目の前に影が落ちて来た。
南無三!
最低限の護身術しか身に着けてはいない。頭上にも刺客が潜んでいたのに気付かぬ愚かさに己を罵った所で、今更逃れられる訳も無い。唯竪琴だけは手放さぬ侭、妖精は裁きを待って首を垂れた。
竪琴を奪おうと絡み付いていた、力が失われた。
顔を上げる。眼前の影は踊って、闇に斬り掛かる。魔物達は不意を打たれ、為す術もなく次々屠られ、薙ぎ倒され、引き裂かれた。瞬く間すらも許されず、妖精は殺戮劇の一部始終を目の当たりにした。
全てが終わって我に返れば、返り血にまみれ、男が眼前に立っていた。人並み外れた長身、八尺三寸は優にあったろう。色素の抜けた髪、磨き上げられた刃にも似た躰。暗い、澱んだ目。
この男は、死人だ。
声を掛けるも叶わず、さりとて腰が抜けて逃げ出す訳にも行かぬ。唯竪琴を握り締める指先にだけ、無闇に力が籠る。不死者ならともかく、死人に聴かせる歌など知らない。
目の前に、分厚い掌が差し出された。
差し述べられた手を見つめているばかりの妖精に、男は差しだした手の指を小さく曲げた。妖精は怖々手を握り締める。
温かかった。
「あ、あの……」
「大丈夫か」
妖精は頷き、手を取られる侭に腰を上げ、埃を払った。「先程は、助けて、くれて、有難う……私の名は、ガライ。吟遊詩人です」
男は応えず、剣を軽く拭って鞘に収めた。「怪我は」
「有りません」微かに首を振ると、長い髪が肩口で揺れた。もう、怖れは押しやられていた。
伝説の勇者と吟遊詩人との、生涯に亘る友誼の始まりである。
恐らく。
ガライは思う。二人は似た者同士だったからだ。
人々の反応から、其れは容易に知って取れた。二人ともこの世界ではヨソモノ、異邦人なのだ。
全く似ても似つかぬ二人の異邦人を、人間達はほぼ全く同じ対応にて遇した。魔物と心通わせる吟遊詩人と暗い目の戦士を、人々は腫れ物を触る様に、御輿に担ぐ様祭り上げ、癩を怖れる様に遠巻きに、しかし執拗に淫らな眼差しを絡み付かせて来た。
ガライは別段この世界に骨を埋めようとは思っていない。何の愛着も無い。滅びも又運命ならば、光が呑み込まれるも又必然。ガライを引き留めたのは、現われるや否や人々に勇者と祭り上げられた孤独な友を思うが故、である。
妖精であるが故に余計、人々を醒めた目で見ていたガライとは異なって、ロトは人々に与えられた役割をさしたる抵抗もなく受け容れていた。
人身御供ではないか。これまでにも、魔王を倒す為の軍隊を集め、戦士を募っては送り込んでいた癖に。口吻を偽るは容易くとも、街の外れに並ぶ墓碑銘は隠せまい。呈の良い厄介払い、数打てば当たるかも知れない無駄弾の一つに過ぎないのに、何が勇者だ。
ならば、死なせてなるものか。
友の存在が、ガライをして自身でも気付かなかった反骨精神を発見させた。青人草を焚き付け、時には宥め、時には叱咤し、希望を繋がせたのも、世界の命運を背負わされた友あっての事。無責任に担いだ御輿を、隙あらば放り出し兼ねない連中から守る為、ガライは一人、竪琴を片手に闘ったのだった。
ロトが遠い旅路からアレフガルドに戻った日、人々は歓喜を以て未来の希望を迎え入れた。今まで、誰もこの偉業を為し得なかったのだ。民草は勇者の帰還に沸き返り、あたかも、既に世界が光を取り戻したかの様な活気を取り戻した。――唯一人、勇者その人を除いては。
人々の波に取り囲まれて城への道を向かう最中、ロトは手を振るガライに向かって、小さく頷くのが精一杯だった。ガライは小さくなって行く友の姿を目で追いながら、次第に遠くなっていく互いの距離に一抹の寂しさと安堵を同時に覚えていた。
ロトがアレフガルドに戻ってからも、忙殺されていた所為で二人は暫く顔を合わせずにいた。ロトが明日、伝説の神器を従えて魔の島に渡るという話しも、人伝に聞いたものだ。
曲刃の月も西に傾く夜更け、町外れで一人竪琴を爪弾く詩人の傍らに、長い影が伸びる。顔を上げると、ロトがいた。
「ロト……」
こんな夜更けに何を、明日は早いのに。
問いを漏らすのは容易い。しかし、友の眼差しは己には向けられていない。視線の先を追うと、海を挟んで向かいにそびえ立つ魔王の城へと通じる。
昂奮して、眠れないのですか。
しかし、問いは放たれなかった。問わずとも、友の顔には深い影が落ちていた。
「……俺には、俺が、勇者だなんて信じられない……。……怖いんだ……」
ガライは蒼い目を瞠った。眼前で眉一つ動かさず魔物を次々と屠る様ばかりがあまりに強く焼き付いていて、よもや明日の戦いを怖れているなどと思ってもみなかった。しかし相手は闇を統べる魔王、怖れるなと言うが無理というもの。人々の想いを担った立場に立たされた身には、畏れを吐露する場所も時も与えられはしなかったのだ。とはいえ、人々の勝手さを詰るも酷であろう。誰しも、負の可能性からは目を背けていたいのだ。
「もっと、自分を信じなさい」ガライはロトの肩を軽く叩いた。触れて、伝わる微かな震えに思わず手を引く。
「俺は唯の、剣奴だ。勇者なんかじゃない、今でこそ自由の身だが、焼き印までは消せない。見ろよ、ほら」
ロトは顔を背け、額を被うバンダナに手を掛けた。
嗚呼。
確かに額に刻まれた焼き印の痕は、紛う方無き奴隷の証。
「死ぬのが怖い訳じゃない。剣奴としての生は常に死と隣り合わせだった。剣奴の命などその程度のシロモノだ。唯生き残る為に慰み物として剣を振るい、時には化け物とも戦わされた。そうするより他、なかったからだ。生き残るか死ぬかなんて問題じゃなかった。そういう風に生まれながらに定められていると、当たり前にそう思っていた」
闇の中、結び目が解けたバンダナが風に攫われた。
「ある日仲間に、運命は変えられる、自分の為に生きろと言われ、俺は誘われるが侭に逃げだした。変われるだなんて思い付きもしなかった。逃げようだなんて思いもしなかった。死ぬのだって別に怖くなかった。なのに……どいつもこいつも、王様も、町の人達も、兵士達も、竜の女王も、皆俺を勇者呼ばわりだ。俺に、世界の為に死ねという。だが、一介の剣奴に過ぎない俺に何が出来る? もし、成し遂げられなかったら人々はどうなる? まだ、剣奴の方が良かった。自由なんて無い。世界の重荷など背負いたくなかった」
「…………」
「結局元の鞘に収まっちまった。余計なおまけ付きでな……所詮、運命は変えられない」
幹に拳を叩き付け、縋り付きロトはふと面を上げた。幽かな嗤いを乗せた貌は至る所虚無に縁取られている。ガライは改めて友の肩に触れ、子供をあやす様に優しく揺すぶってやりながら、子供の頃育ての親に聞かされた懐かしい子守歌を口ずさんでやるのだった。
世界が朝を取り戻した日、ガライは陽光の下凱歌を口ずさみながら、友が人々に囲まれ、祝福され城へと消えていく姿を一人、離れて見守っていた。
世界に朝が晴れやかに、夜が密やかに訪れる様になって一月余り。ロトは時々姿を眩ましては、思い立ったようにふらりと町に戻って来た。
世界が光を取り戻した悦びと熱狂から醒めてみれば、世界を救った勇者も魔物を宥める歌い手ももはや無用の長物、否、危険な存在でさえであった。倒すべき敵も無く、行き場を無くした力の行方に人々は畏れを抱いた。向けられる眼差しの熱の変化を感じて、ガライは殆どの時間を街の外で過ごす様になっていた。
この世界から去る潮時、だろうか。
ガライにはロトの去就が気掛かりだった。己は根無し草、以前の様、風の吹く侭気の向く侭に現世を渡り歩く日々に戻るだけの話で済む。しかし、ロトは――。
旅に誘おうとも何度も考えた。しかし、ロトの過去を想えば根無し草の旅暮しは酷やも知れぬ。あれは気軽な旅暮しより、一所に根を下ろして静かに暮らすのが性に合っている様に思える。兎に角、今後の行く末を話してみよう。
ガライは友を探しに町を出た。
ロトの行き先には心当たりがあった。以前町外れに打ち捨てられていた神殿の近くで、ロトの物と思しき足跡を見付けたのである。
神殿の中は空っぽだったが、奥の扉を押し開けると中は迷宮になっていた。扉を閉め、闇の中へと踏み入れる。夜目が効く故、明かりは灯さない。跫を殺し、闇に身を浸しながら、歩く。
階段を下りて更に進むと、鼻先を微かな、微かな鉄錆の臭いが掠めた。レミーラで辺りを照らし、臭いを頼りに辿ったその先に、ロトはいた。
血溜まりに沈んで。
臓物を引きずり出されて。
四肢をへし折られて。
頭をかち割られ、頸をもがれて。
凄惨を絵に描いたが如き、屍を晒していた。
「ロト? ロト?」
友の遺骸は、もはや蘇生も叶わぬ程に縷々と裂かれていた。もがれた頸が、尋常ならざる力を予期させる。
魔物の、復讐? しかしこの光充ちる世界に、もはや魔物は存在を許されぬ筈。否、そんな事は良い。
妖精特有の、骨張った割には細い指が血にまみれた友の頬をなぞる。掌(たなごころ)も生成の長い袖も血の色に染まった。
「何故……何故、貴男程の人がむざむざと……?」
友の頭蓋は檀上の上無造作に転がされている。持ち上げる。血塗れてへばりつく髪を払い除けると、首級の下に石版が置かれていた。つい先日だったか、ロトに文字を教えてくれと請われたのを思い出す。
ロトが、掘ったのだろうか。石版の凹みをなぞる。拙いが、力強い。
「私の名は ロト。
私の血を引きし者よ。
ラダトームから見える 魔の島に渡るには 三つの物が必要だった。
私は それらを 集め 魔の島に 渡り 魔王を 倒した。
そして 今 その三つの神秘なる物を 三人の賢者に 託す。
彼等の 子孫が それらを守ってゆくだろう。
再び 魔の島に 悪が 甦った時、
それらを 集め 戦うが良い」
最低限の語彙で訥々と綴られる、愚直な友の、想い。
結局ロトは、運命に殉ずるを選んだ。己の意志が望む望まざるにかかわらず、受け容れた。
否、彼は言ったではないか。
「所詮、運命は変えられない」と。
たまらなくなって、目頭を押さえた。それでも伝う泪を、止められなかった。
ロトはガライの他その死を誰にも知られる事無く、魔の島を正面に望む海岸沿いの崖上に葬られた。勇者の悲惨な最期を報せたところで何の益もなく、徒に民を動揺させるだけなのは目に見えている。何より、死ぬ時位は"勇者"としてではなく一人の男として、静かに葬ってやりたかった。
大樹の根本に穴を埋め終え、木の幹に手を添えて、ガライは友に話しかけた。
もう、何も背負わなくて良い。
自由になれたんだ。
そんな言葉は言い訳に過ぎない。悔やまれてならない。堪えても堪えても熱い滴りが頬を伝う。
どうして。
何故。
誰が。
友を孤独の侭に打ち捨てたのは、結局己ではないか? 己は遠巻きに眺めていただけで、友の苦悩を受け止めようとはしていなかったのではないか?
竪琴を手に取ったものの爪弾くでもなく、ただ刻々と、黄昏の中に伸びて行く影を見つめて涙する。
歌など何だ。
友の苦悩を酌み取ってやれなかったではないか
友の死を止められなかったではないか。
竪琴を叩き付けようとして、止めた。
泪が溢れて、頤(おとがい)を伝って、竪琴に落ちた。弦を伝う、滴一つ。
何時しか、指が弦を弾いていた。
誰も聞いた事の無い、懐かしい旋律。
胸を締め付けられ、安らぐ様な。
懐かしくも、痛みを思い起こさせる。
竪琴を爪弾く指が、不意に止まった。
「ロト……!!」
陽炎の様に揺らぐ、透き通った友の姿が、そこにあった。手を伸ばす。ロトの唇が、動く。
「誰にこんな目に。どうして……」
「……しかた、な、か……った………」
「仕方ないことなんてあるものですか! 貴男をこんな風にしたのは……?」
ロトはかぶりを振った。あの、やるせない、自嘲混じりの笑みが幽かに混じる。
「ど………れ……だか、ら………に……くまれ、ても……しか、た、な…………たかの……ぞ……しすぎ………ゆ……しゃのな……さえ、おこ、が……まし、い……に…」
「生まれなど関わりないでしょう。貴男はそれだけの事を成したんだ。ようやく、貴男は貴男らしく生きていけるのに。そうでしょう?」
「き、まっ………て………ぃた……事……う…んめいのわは、やくめ、おえ……ものを、ふ……おと……す」
ロトは悲しそうに、小さく呟いた。
歯車なんだ、と。
ガライは決意を固めた。
己はもうこの世界に必要とされていない。魔物は居なくなったのだから。
誰ももう彼を殺しには来ないだろう。そして、必要ともされないだろう。
ガライはロトの言い残した『闇再び甦りし時』の為、己を、己が力と共に封じる事を決めた。
運命に殉じた友の孤独を、知るから。
否、予感があった。己の力は、いつかこの世界に必要とされる時が来るであろうと。魔物が襲って来るから、ではない。
人と、魔物は解り合える。
そんな、当たり前の事を、忘れさせない為に。
*コメント
タイトル凱歌にしようかと思ったんですが別に勝ってないし。友情物語っちゅうことで一つ。それにしても、未来を予期してもあの展開じゃあ報われませんね二人とも(汁)どちらかというと外伝をどうぞみたいな感じですね。