DQi外伝 〜Discontinuity from the world


 今から30年程昔の話。
 ラルス19世の治世下、ある男が騎士として叙任された。男は身分も低く、富裕でもなかったが、誰よりも忠篤く知勇に優れ、誰からも一目置かれ王の信頼を勝ち得ていた。
 彼の名はテオドア。
 彼は、その身に呪われし、魔竜の血を引く者であった。

「テオドア様、そちらは罠で御座いますですよ。こちらが隠し扉になっております…本当に、お戻りになるのでございますですか?」鎧兜を身に着けた男を先導して、妙な敬語を使うリカントがひょこひょこと廃墟をすり抜けていった。幾分毛に艶がない所から察するに、このリカント結構な年を取っているのだろう。人間で言えば50代後半と言ったところか。
「勿論だ。ここは元より我が一族の城、俺が住んで何が悪い。…リカルド、もう年なんだから、もう少し威厳を持って歩いてくれよ」
「ほっといてくださいまし」リカルドと呼ばれたリカントは、ぷりぷりしながら闇の中へと姿を消した。
 松明の滲むような光だけが辺りを照らす、真の闇。固い物同士がぶつかり合う、冷たい響きだけが後に残る。
 世界との断絶。ここを訪れる者は、嫌でもそれを味わわされる。
 地の底で繰り広げられし死闘、そして、敗残者の屍が横たわる様。世界を怖れさせた闇の王も、闇の王より世界を救った勇者も、今はない。何れは死に、朽ちて土となる。それが、早いか遅いか、冷たい地の底か、ベッドの上かの違いに過ぎない、テオドアはそう思っていた。
 リカルドが、重い鉄の扉を押し開けた。耳障りな軋みが耳を突く。
 闇の重みに負け閉ざされていた唇から、感嘆の声が漏れ出た。
「ヒュー! こいつが爺様の骨か。凄いな…俺の頭蓋骨より断然でかいじゃないか。こんな顎でかみ砕かれたら、俺だって生きちゃ居られん。流石は魔王と称されただけはあるな。…リカルドは見たことあるんだろう? 爺様の姿」
「テオドア様! またそんな無頼者のような口を!」
 青年はリカントの言う事など無視して、屈み込み巨竜の骨を検分する。「それにしても案外綺麗に残って居るものだな。見ろよ。このぶっとい骨がすっぱり切り落とされてる。恐らく、ロトの剣で叩き折られたんだろう。……凄まじい切れ味、流石は伝説の剣だな……怖気が走るぜ」テオドアは色褪せた血のこびり付く、青銅色の鱗を拾い上げた。そこらの店で「りゅうのうろこ」と称して売られているドラゴンの鱗よりゆうに二周りは大きい。テオドアは何枚かを丹念に拾い集め、「皮肉な出逢いだな、死んでからとは…どうせ一度の出逢いなら、生きている内に会いたかったよ」と巨大な頭蓋骨をさすった。
「! テオドア様、ダンナ様の骨をどうなさるんですか!」
「おいおい、リカルド。まさか骨を人間共の好奇の目に曝させるつもりではあるまいな。骨に縋り付いたとて、爺様は生き返りはしないぞ。……なあ、土に返してやろう。闇の中、半世紀もの間世界より断絶されて、さぞや無念であったろうな……俺は祖父の事は解らん。生きている内に会った事はないからな。無論やった事は間違っていた、そうには間違いない。だが、世界から断絶され、光から闇へ、生から死へと投げ込まれ、独り冷たく朽ちて行った爺様を、これ以上貶めたくない」
 リカルドはようやく嘗ての主人の亡骸を手放した。「そうでございますね。お眠りになる時位は、安らかにして差し上げるのが筋で御座いましょうね……テオドア様、それでもテオドア様は……」言いさすリカルドを、テオドアはぴしゃりとはねつけた。
「くどい。いいか、リカルド。私は父を尊敬するし、敬愛してもいるが、父とは違う。父と同じ道は歩まない。私は、己の血を誇りとする。世界から断絶され、負い目を背負いこそこそ生きるのは真っ平だ。俺は我慢できるかもしれん。だが、俺の子、孫にそんな思いをさせたくはない。直ぐには、無理だろう。だが、何時かは……何時かは、日の当たる場所を歩かせてやりたい。だが……我が血に流れる罪の色は、そんなささやかな願いを許すだろうか?」

「随分はっきりと仰いますな、テオドア卿」
 会議の散会後、貴族の一人がテオドアに声を掛けた。
「これは、イシルト卿」
 テオドアが城に仕えてより既に20年余りの月日が経っていた。初めの内こそ遠回しに疎んじられ、時にはあからさまに罵られる事もしばしばだったが、テオドアは良く耐え、王家への忠誠を示し続けた。その忠誠は時の王、ラルス19世の心を動かし、やがては王よりの厚い信頼を受けるに至ったのだった。
 その王も今は亡く、今はその弟の子ラルス21世の御代である。ラルス21世は元々王位を継ぐ予定はなく、先代王ラルス20世が子を為さずに死んだ為に起った宮廷中を巻き込むややこしい王位継承権問題の末、妥協の産物として担ぎ出された王であった。陽気で善良、下々の者達にも良く気が付くが、押しが弱く、肝心の事となると直ぐに後込みしてしまう決断力の無さと無責任ぶり故に、臣民からは慕われているとは言い難い。
 その王に昨年、第一子、しかも男の子が誕生した。民は国を挙げて喜んだが、その慶びも今年に入って直ぐに吹っ飛んでしまった。サマルトリア王が、誕生したばかりの王太子と、今年で11になる娘のラーニャ王女との婚約を申し入れてきたのだ。国民は猛反発、城では宮廷中をひっくり返す大騒ぎとなった。本日の会議は王太子の婚約の承認を決めるという、国の行方を左右する大切な物であった。
「誰かが口火を切らねば、あのまま押し切られるではありませんか。憎まれ役を買って出たまでです。私なら」テオドアは僅かに肩を竦めた。「サマルトリア王も後で陰口の叩きようもあるでしょう? あの化け物め、と」
「貴公相手なら陰口を叩く程度で済ませるでしょうからね、サマルトリア王と雖も」化け物、の所は敢えて受け流す。
「多くの者達は、心の底ではサマルトリアを疎ましく思っていてもその事を口にするきっかけをつかみかねておりますからね。サマルトリアの強引なやり方を怖れてのこと故、致し方ありますまい。中には明らかに鼻薬を嗅がされている者も少なくはありません」テオドア卿は周りに視線を走らせ、それから、あの人なつこい笑みをイシルトに向けた。「せっかくですから、続きは庭園ででいかがです? 薔薇の美しい季節故」
 庭園の薔薇を愛でながら、二人はアレフガルドの政治について語り合った。蜜蜂が蜂蜜を集める様子を楽しみつつ、この国の明るいとはお世辞にも言えぬ行く末について語り合うのは二人としても良しとしなかったが、薔薇が主ではないのでそこは潔く諦めよう。
 二人はラダトームの行く末や、強引に自分の娘と産まれたばかりの王太子を婚約させようとするサマルトリア王の策謀、ムーンブルク王家が聖地ロンダルキアにロト廟の建設を計画している真意について話し合った。ロト三国がいかに強大な国とは言え、アレフガルドは歴史ある大国。経済的にも、何となれば軍事的にも個々の国ならば十分匹敵しうる、これ以上サマルトリア政治的干渉を続けるならば、他国との同盟を視野に入れるべきとテオドアは力説した。イシルトは、露骨に反サマルトリアを国策として打ち出すのは賢明でないと説いたが、どう話を向けても、どう反論してもテオドアはそこに論を持っていき、隙のない理論で問いつめる。イシルトはついに値を上げた。
「あいや、待たれよ……もしや……?」イシルトは言いかけて、口を噤んだ。テオドアの赤銅色の瞳は怒りに満ちていた。
「関係ない、と再三申し上げたでしょう。私は、先々代国王ラルス19世より言付かりし、この国の行く末を頼むとの言葉を忠実に守っているだけ。貴君さえも復讐の為、この血の為などと陰口を叩く連中と同類とは、見損ないましたぞイシルト卿!」
 テオドアは席を立ち、引き留めるのも聞かずに去ってしまった。イシルトは、テオドアが次回の定例会議でいつも通りの挨拶を交わしてくれるまでは、テオドアに絶交されたのではないかと本気で気に病んでいた。

「テオドア卿、これから私の屋敷でお茶を如何ですか?」
 二人が友の誓いを交わしてより、月に一度の登城の際にはイシルトがテオドアを茶席に招くのがいつもの習慣になっていた。「娘が『次は何時テオドア卿は来て下さるの?』と五月蠅いのですよ」イシルト卿は苦笑した。 「あの娘と来たら、8つにもなったというのに人形やドレスに目もくれず、兵士達相手に棒きれを振るうのに夢中なのですから。妻はせっかく女の子が産まれたのにとため息を付いております」
 テオドア卿は悪戯っぽい笑みを浮かべた。「レイヴンか、ここしばらく稽古を付けておりませんね。しかし、奥方様の事を思えば、伺わないほうがよろしいのでは?」
「そんな事がばれたら、レイヴンがだだをこねて妻を困らせてしまいます」イシルト卿は父親らしい笑みで応じた。目尻には刻んできた年月にに相応しい年輪がほの見える。自分は若いまま生きられるが、何時かはリカルドやイシルト、レイヴンも年を取り土に帰っていくのだろうか、とテオドアは種の宿命がもたらす決まり切った感傷に浸っていた。
 ワカリキッタコトダ。
 ワカッテイテ、選ンダ道ダ。
 人と交わって生きて行く、というのは、そういう事だ。
 イシルトがテオドア卿を自宅に招いて茶を飲んでいると、黒い髪を無造作に束ねた少女が木剣を手にテオドアの方に駆け寄ってきた。
「テオドア様、お久しゅう御座います! 来て下さったんですね! 私にお稽古を付けて下さいませ!」
「こらこら、レイヴン、まだお茶の途中だ。行儀が悪いぞ」イシルトは茶席も終わらぬ内から賓客に木剣を握らせようとする自分の娘に苦笑いする。
「お気遣いなく、もう十分馳走になりました故。それより、剣の練習は毎日していますか?」
「勿論! マトラムにはまだかなわないけど、他の貴族の男の子達相手なら勝てますわ!」
「道理でほっぺたが傷だらけの様ですね、レディ・レイヴン。しかも、とうぞくごっこですか。お尻に木の葉が付いていますよ。剣技も宜しいですが、マナーも学ばなければね」  レイヴンはレディらしく顔を赤らめて、お尻を手で払った。

 レイヴン相手の剣技のレッスンも一段落し、テオドアは帰り支度を始めた。いつもイシルトが夕食を一緒にと勧めるのを、テオドアが日が落ちるまでには帰りたい、と答えるのが二人の間での慣例となっていた。おいとま致します、と常の通り一礼したテオドアの腕に、レイヴンの小さい手がしがみついた。
「おやおや、レイヴン、私と一緒にお城に来る気かい?」
「どうしても一度聞いてみたかったの。テオドア卿は本当にドラゴンなの?」
「レイヴン」窘めようとする父に、レイヴンは食い下がった。「だって、何処から見てもヒトにしか見えないんですもの。手だって、ほら。ちゃんと人の手でしょう? こんなに立派な方なのに、どうして竜王の血を引いているの?」レイヴンが父に突き付けたテオドアの手は、大きくて力強い戦士の手だった。テオドアが冗談交じりに、手を握ったり開いたりしてみせる。
「見た目はね」テオドア卿はレイヴンの手を取って強く握り締めた。「レイヴン、私はこの血を恥じてはいないのだよ。私が人としてではなく、竜として生を享けた事を、ね」テオドアはレイヴンの手を放した。その目には、他の誰にも伺い知る由の無い決意が秘められていた。「…見せてあげよう」
 変容が、テオドアの身体を覆った。
 身体はみるみる盛り上がり、爪が、牙が、そして全身を煌めく鱗が覆い尽くして行く。人の姿を取っていた面差しは、何処にも残っては居なかった。
 二人はそこに、紛う方なき魔竜の血を見いだした。
 赤銅色の鱗を持つ竜はゆっくりと首を傾け、己の影から呆然と見上げるイシルトとレイヴンを見下ろした。
「これが、私の正体なのですよ。例えどんなに同化したとしても、私が人になる事は決して出来無いのです。それに」レイヴンにはその時、テオドア卿だった竜が微笑みかけている様に思えた。「血ではなく、生き方こそが生の真価を決める時間はかかるでしょう。しかし、春になれば氷が溶け出すように、何時かは人々の心も開くと、私は信じています」

 秋日が明かり取りの窓から僅かに差している。
 石造りの部屋は外の喧噪とは縁遠い、澄んだ静けさと厳かさに包まれている。室内に置かれた全身鎧だけが窓から漏れる光を僅かに返して、その存在を主張している。室内は武家の館に相応しく、無骨と言っていい位飾り気のない作りだが、さりとてその手の屋敷に特有の重苦しさを意識させまいと、一枚の大きな絵を正面に飾っていた。
 絵に書かれていたのは、全身を赤銅色の甲冑に身を固め、甲冑に劣らぬ程美しい金褐色の髪と瞳を持つ若い男の姿。男は美しく、その姿は気品に満ちていたが、何処か近寄りがたい、謎めいた部分を持っていた。
 殆ど不可侵と言っていいその静けさの中に、人の気配が滑り込んだ。しかしその気配はむしろ、辺りの厳かさに深みを与えていた。気配の主は長身に漆黒のマントを肩に羽織り、濡れ羽色の腰まで長く伸ばした髪を無造作に束ねている。男物の服を纏ってはいるが、その整った目鼻立ちは、まさしく女性の物だ。女は絵を正面に跪くと、祈りを捧げる敬虔な僧侶の様に絵を見上げ、語りかけるように手を組んだ…。

 あれから既に10年以上が経ちました。こうして、私が貴男の前に立っている事、いや、貴男がこんなにも早く逝ってしまわれるなど、当時の私には想像すら出来ませんでした。
 貴男は人ならざる身ながら、その呪われし血筋を恥じる事もさりとて運命に身を任せる事も無く、己を誇り、王家に対して忠誠を誓い人々に献身を示して来られました。父は貴男を尊敬し、貴男も我が父の度量の広さと見識、人柄に引かれ、家族ぐるみで親しく交わっておりました。今でも瞼の裏に浮かびます。貴男が毎月1回ラダトーム城に登城する際、我が家に寄って下さった折りに剣の稽古を付けて下さるのを。その日が近付くたび、指折り数えて楽しみにしておりました。
 貴男は私に多くのことを教えて下さいました。時には直接、時には、その生き様を見せる事によって。己を信じ、献身を捧げること、迫害に屈しないこと。
 しかし、たった一つ、一つだけ、合点のいかない事が御座います。
 父も貴男も、本当に正しい事を曲げずにいた。
 そして、謎の死を遂げた。
 世界からの断絶。
 どうして、正しい事を言い、正しい事をし、正しい事を思った人が滅び、間違った事を言い、間違ったことをする者達が栄えるのでしょうか?
 私には、解りません…。解りたく、ありません…。

*コメント
 DQPBMをやっていた人には超いまさらなテキスト。殆ど加筆ナシ。PBMのサンプルリアクションとして公開していたテキスト。キャラクターはPBMの元PCさんでした。キャラクターを変えて加筆する事も考えたのですが、これはこれで気に入っていたので。

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