第六章異説〜オルフェウスの大冒険


■Chapter1.人生最悪の一週間

 今日も朝から雨だった。
 窓枠には余り布で作った間に合わせのてるてる坊主(ハーゴンさんが教えてくれたんだけど、東方に伝わるオマジナイなんだって)がゆらゆら、揺れている。その下で、オイラとおいちゃんとハーゴンさんと、ロトの勇者様3人組プラスその他大勢(勿論オイラもその他大勢に入ってるんだけど)が、窓の外を睨みながら辛気くさい顔でため息を付いてるって寸法だ。ハーゴンさん曰く、こういうのを東方のことわざで『ゴエツドウシュウ』っていうらしい。オイラもいい加減、このメンツが睨み合ってぶーたれてる光景は見飽きてんだけどねぇ。
 でも、雨が止まないことにはしょうがないんだけど。
「…人生最悪の一週間だ」トンヌラがぼそっと、呟いた。
「俺…もとい、俺らがあんたらと同じ屋根の下、こうやって睨み合ってなきゃいけないってだけでも悪夢だってのに、ナリーノのアホには雨雲の杖を奪われるわ、バラモスのヤローは裏切りやがるわ、アンタんとこのお嬢さんはナリーノに連れて行かれるわ…ぶちぶち……全部アンタらの所為だって言いたいとこだけどさ」
「言える立場でも無いわな」おいちゃんは窓の外を見ながら、フンと鼻を鳴らす。「最初に、ロンダルキアから天空へと昇ろうなんぞと無謀な企てをしたのもお前ら。魔物を仕掛けてメルキドを攻めさせたのもお前ら。……ロトの印しを持って行かれたのも、お前らの所為だ」
「だけどよ」アインが頭をぼりぼり掻いた。「大神官聖下がナリーノのアホに雨雲の杖をくれてやらなきゃ、こんな事にはならなかったんだけどな」
「そもそもお前らが無茶な企てをせねば、ルビスの奴が雨雲の杖をこっそり拝借して来るような事はせなんだわ」おいちゃんはハーゴンさんの頭を平手でどつく。相当イライラしてるみたいだから、なるべく近付かないようにしとこっと。「こら、そこ、勝手にローになるな」
「…奴ら…妹を間者にしやがって…妹まで人質に取られたら、俺どうすりゃ良いんだよ。ナリーノのお手つきになったら、余計ヨメにやれねーじゃねぇか……くそー。やっぱりハーゴンお前が悪い!」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」ハーゴンさんはトンヌラに胸ぐらを掴まれたじろいだ。妹がアクマシンカンヤオイドウジンシって奴を作ってるからって、八つ当たりされても困るよな。オイラつくづく同情します。かばうのは怖いからしないけど。
「…ここで言い争っていても仕方ないわ。共通の敵が居る限りは、手を組まざるを得ないでしょう。――本意では、ありませんけれど」
 オイラの代わりに争いを止めたのは、マリア女王だった。この人、キレイなんだけど、オイラを邪剣に扱うから怖くてあんまり近寄りたくないな。…っていうか、ロトの勇者様御一行は、どいつもこいつもオイラのことなんかまともに見ちゃくれてないけどさ。
「…そりゃそうだけど…チッ」トンヌラは舌を鳴らすと、ハーゴンさんを突き飛ばした。ヒドイ奴ッ。トンチキの癖に。
 で、オイラはこの状況下で何にもする事が無さそうなので、ぼんやり一同を日和ってた。だって、おいちゃんやハーゴンさんやロトの勇者に何にも出来ないのに、オイラが出来る事なんて何にもないもんね。おばちゃんの手伝いをして御飯作るのも出来ないし、ユカのお守りをしようにも――ユカは、ナリーノの奴に連れて行かれちゃった。くそッ、ナリーノの奴。人の恋路をジャマする奴は、オイラに蹴られて死んじまえ!
 やや、そんな事はどーでも良いか。
 傍観者のオイラの意見としては、八方ふさがりっぽい。
 トンヌラじゃなくても最悪って言いたくなる気持ちは解る。あいつ、すげーやな奴で大嫌いだけど、言ってることは間違ってないんだ。
 世界がホントに滅びるかも知れないって言う危機を迎えてるんだから、おいちゃんやトンヌラじゃなくたって、イライラする気持ちは解る。
 世界の滅びる原因?
 おいちゃんやハーゴンさんのせいじゃないよ。勿論、天変地異でもない。
 世界の滅びる原因は、今もああして降りしきる雨なんだ。

 事の始まりは、ロトの勇者三人組が先代ムーンブルク王の遺志を引き継いで、三人で天界に昇ろうとしたとこ。
 三人はロトの神器を集めてロンダルキアから天空上への道を開き、神様になるつもりだったんだって。色んな理由があったそうだけど、王様だからみんな幸せってわけじゃないみたい。マリア女王は美人だけど結婚したら自分の国が無くなるかもしれないって心配があったり、トンヌラは父親にメチャメチャ嫌われてて、父親殺さないと王位を継げない、とか。
 だけど、ルビス様が雨雲の杖を渡すのを拒否して、ハーゴンさんに杖を託してからは色々面倒になってきた。雨雲の杖は取り返さなきゃけないし、おいちゃんにしろハーゴンさんにしろめちゃんこ強いし。あいつら、目的のためには手段を選ばず、色々酷いことやって来たんだぜ。おいちゃんのひーまごをさらったり、魔物狩りとか、メルキドを魔物達に襲わせて、おいちゃん達のせいにしたりとか。
 でも、更に厄介なことが3人を待っていた。
 デルコンダルの王様が死んじゃった事。
 何でまずいかってと、次の王様がとんでもない奴だったんだよ。さっき話にも出たと思うけどナリーノって奴ね。ナリーノってオイラの基準から見ても相当おかしい奴なんだ。髪の毛をぐりんっぐりんの縦ロールにしてるとか、外見やシュミも確かに相当変なんだけど、妖魔のオイラから見ても人間臭くないんだよね、どっちかって言うと、妖魔とか魔物に近いフンイキ。妖魔特有の背中がぞくぞくするようなカンジはないんだけど。みーんなナリーノの事を嫌ってて、気持ち悪いとかキチガイとか言いたい放題言ってるけど、何となく解るな。
 だけどそいつがすんげー頭切れるんだ。常識がないからとんでもないことを思い付いて、それを何のためらいもなく実行しちゃう。みんなに嫌われてるし変な奴だからってみんな最初はまともに相手にしてなかったんだけど、ナリーノは魔物を操ってローレシア海軍を撃退しちゃったもんで、ナリーノを無視できなくなったわけよ。コイツはヤバイぞっ、てね。おいちゃんはその時ちょっと手助けしたのをかなり後悔してるみたい。…だって、後から裏切られたんだもんな。
 その話は後でするとして、おいちゃん達がムーンペタを留守にしてる間に、ロト一族はムーンペタを再び取り返したって訳。オイラその時ユークァルを連れて逃げ出したんだけど捕まっちゃってさ。戻って来たおいちゃん達とロト勇者様の鉢合わせ。すわ決戦か!? と思いきや、ばっちりのタイミングでなななんと、魔物の大群がムーンペタを来襲! オイラあの時ホント、死ぬかと思ったよ。おいちゃんも、ハーゴンさんも、ユカも、オイラも、ロトの勇者も、町の人も、アクマシンカンの人達も、みんな一緒に力を合わせて戦った。
 …ナリーノを別にして。
 あの魔物を操ってたのは、全部ナリーノだったんだ。勿論、ナリーノがいくら魔物使いだからってあんなに数を操れるわけがないから、実は魔物と手を組んでたんだけどね。え? どんな奴かと組んでたって? 諸君、驚くなかれ。
 憶えてっかな、星降りの夜のメーンエベント。
 あの時、ユカに向かってメラゾーマ撃ちやがって、おいちゃんとハーゴンさんに吹っ飛ばされた七面鳥野郎。
 あいつ、生きてたんだ。悪運強すぎだよ。
 バラモスが何時ナリーノと手を組んだのか、オイラは知らない。おいちゃん達も、詳しくは知らないみたいだった。ナリーノの奴はバラモスとかなり早い段階で手を組んでいたんだと思ったら、どうやら、違ってたみたい。だってさ、勇者様一行がメルキドを攻撃させたのはバラモスだったんだから。そりゃおいちゃんが怒るのも無理ないよな。もっともバラモスのヤローが勇者なんか信用するわけがないんで、ひょっとしたらバラモスの方からナリーノにもコナかけてたのかもしんない、バラモスのことだから、いつか反旗を翻すつもりだったに違いない、ってハーゴンさんは言ってたから、その辺はオイラにはよく解んない。でも、ナリーノって人間嫌いで、友達は魔物だけって奴だから、やっぱりナリーノが唆したのかも。
 ま、お似合いの二人だけどね。バッキャロー、くそくらえってんだ。
 あのヤロー、ハーゴンさんから力尽くで雨雲の杖をぶんどりやがった上、雨雲の杖を取り戻そうと飛びかかったユークァルをどくがのナイフで刺して、ユークァルをまひさせて連れてっちゃったんだ。ナリーノのヤロー、ユークァルに指一本でも触ったら、承知しないからな! ギッタンギッタンにのしてやる!
 更に不味いことに、去っていったナリーノと入れ替わりにサマルトリア城からの使者がやって来て、トンヌラの妹のラーニャがロトの印を手に、書き置きを残して家出しちゃったってんだから大災難だ。その書き置きの内容ってのがまたふるってら。まんま引用するから、まあ、聞いてよ。

「親愛にしてこの上なく憎らしいお兄様。
 恋する私の気持ちを無視して政略結婚のだしにするつもりなら、私は私の恋に殉ずる事に致します。
 私の思いを解って下さる唯一の方、ナリーノ義兄が私を支援して下さると約束して下さいました。
 許されぬ恋かも知れませんが、私は死をも厭わぬつもりです。
 私を止めようとなさっても無駄です。
あなたの恋する妹、ラーニャより」

 で、この恋する相手って誰だと思う? みんなでしつこく問いつめて、漸くトンヌラが口を割ったのを聞いた時にはみんな凍ってたからね。笑ったら殺されると思ったからかもしれないけど。
 少なくとも、ナリーノがラーニャ王女の恋心って奴を知ってて利用したのは間違いないけどね。王女様も、ラブラブダーリンに会えると思ってデルコンダルに行ったら肩すかしを食らった訳で、怒ってるかも知れないけど後の祭りだね。
 もち、トンヌラは今すぐに全軍をデルコンダルに差し向けてナリーノ殺すって飛んでいきそうだったんで、みんなで必死に止めたんだけど。恋する気持ちがどうかは解んないけど、トンヌラはトンヌラなりに妹のこと考えてるんだな、とその時、オイラは思ったよ。
 話は逸れたけど、とにかくそんなこんなでロトの印とラーニャ王女と、雨雲の杖とユカを人質に取られて、オイラ達は奴らに手出しできない状況な訳。しかも、ナリーノの奴、ロトの印が三王家の手を離れたのを暴露しちまった上でこうぶち上げたのさ。
「ロトの印が三王家より失われたのは、彼等がロトの勇者としての資格を失ったからだ。何故、大地母神ルビスの力がこの世界に及ばなくなったか、考えても見るが宜しい! 即ち、勇者の名を地に貶めたが故に彼等は大地の加護を失い、故に神器は自ずから彼等の下を去ったのである!」ってね。
 真偽はともかくとして、ナリーノの宣言は世界中に衝撃を与えた。殊にロト三国の人達をカナヅチのように打ち据えたのは間違いないね。何てったって、ロトの王家は絶対王政。人々だって勇者様に不満は多少あるかも知んないけど、自分達の王様が救世主だって思ってる。だからこそ強い王権で求心力を維持できたってのに、そうじゃなくなったらどうなるか。誰も王様の言うことを聞かなくなる。やけのすてばちになる。誇りを失った人間って、ミジメなもんだよなぁ。
 おまけのトドメに、ナリーノの奴、こう言ってのけたのさ。ちょいと舌噛みそうだけど、引用してみるね。
「世界の滅びの時は、再び来たれり。否、これより訪れる種々の災厄こそが、世界を呑み込む真の滅びなり。邪教の蔓延はその予兆に過ぎぬ」ってね。
 昔この世界ではそんなウワサが人々の口に上った事があって、みんなは滅びの時を怖れてビクビクしてたんだって。色んな理由が沢山重なってそうなっていったらしいんだけど、一端は勇者様3人組の活躍でそんな空気も一掃された、筈だった。おいちゃんやハーゴンさんが戻って来た上に、三王家が力を失った、というのは人々にとってはトリプルパンチだったってわけさ。
 それだって、ウワサだけで済めば、もうすこしマシだったかも知れない。だけど、ナリーノはそこで満足する奴じゃなかった。
 それがこの雨。
 雨雲の杖の力を悪用したナリーノが造り出した、魔法の雨雲。
 触れたヒトみんなを石にしてしまう、悪夢の雨雫。
 今は丁度初冬、収穫の終わった季節だからまだマシだけど、ずっとこのまま降り続いたら、みんな飢え死にしてしまうっておいちゃんは言ってた。その前に皆凍死してしまうかもしれないってハーゴンさんは言ってたけど。
 この降りしきる雨が終わらない限り、地上は死の世界になってしまうんだ。
 雨が止まない限り、まともにバラモスやナリーノからユカやラーニャ王女を助け出すことも出来ないんだ。
 そりゃおいちゃん達もふてくされるわけだよな。やれやれ。

「あ……ハ、ハーゴンさん」
 オイラがぼんやり窓枠に肘を乗せて窓の外を覗き込んでると、ハーゴンさんがやって来た。ハーゴンさんは窓の外から空を見上げる。
「止みそうに、ありませんね…」
「うん」
 オイラ達はしばらくそうやって、窓の外を見上げてるのが日課になっていた。止まないだろうな、と思いながら窓の外を見上げるのはあんまり楽しいモンじゃない。
「ねぇ」
「ん? 何ですか?」
「雨ってさ、人間が触ったら石になっちゃうんだろ。けものや鳥や草は平気なの? オイラも濡れたら石になっちゃうのかな」
 蹄の先で床を軽く叩いてリズムを取る。単調な雨音が退屈だったから。オイラだって質問の答えを期待してた訳じゃない。おいちゃんでさえ、雨に打たれて黒い血を吐いた。雨粒の中に籠められた闇の力のせいだってハーゴンさんは以前言ってたけど、きっとバラモスが弱点を知ってて、ナリーノと取り引きしたんだと思う。
「動物は、ダメでしょうね」ハーゴンさんは眉根を寄せ、腕組みして考え込んだ。「牛や犬猫は石になってしまいました。人間以外の生き物も、多くの者が石になってしまったようです。貴方が無事でいられる保証もまた、ありません。…試してみますか?」
「は、ハーゴンさん、マジ? 本気?」
「冗談ですよ」ハーゴンさんが笑ったので、胸を撫で下ろす。たまにさらっと、真顔で凄いこと言うんだよなあ、この人。「ただ…例え雨の影響を受けなかったとしても、今は冬。長時間雨に濡れれば体力を大幅に奪われてしまいます」
「ふふん、オレはおいちゃんと違って、寒いのには割と強いよ。…流石にこの空の下で飛んでいこうとは思わないけどさ」オレはハーゴンさんに向かって胸をどんと叩く。…薄っぺらい胸板が寒々しいけど、それは言いっこ無し。「…早く、止むといいんだけどなあ」
「そうですね」ハーゴンさんはそう言ったけど、止むとは思ってないみたいだった。窓際に身を乗り出して玄関を見下ろす。
 玄関の前では、ハーゴンさんの弟といとこが、互いをかばい合ったままの格好で風雨に晒されていた。
 ハーゴンさんが落ち込むのもムリはない。だって、自分の親戚が、自分のせいで迫害され、自分のために傷付き、石にされたんだから。
 オイラは、その横顔を見守ってるしかできないんだけど。

 それは夕飯時の、ちょっとしたいざこざから始まった。
 材料を節約してるせいで、食事はジャガイモや粉物中心肉ちょろり、無論塩漬け。魚は漁に出られなくなってから、一度も食卓に上らない。量も少ない。おいちゃんはニブルヘイムの食事に比べればごちそうだって言ってたけど、普段からいい物食べ慣れてる勇者御一行にはばあちゃんの料理でも結構きつかったみたいで、特にマリアはここ数日、殆ど食事に箸を付けてない。おいちゃんには強気のばあちゃんも、王様御一行にはぺこぺこして、端から見てて何だか気の毒になるくらいだった。夕飯のデザートもなしで、代わりにハーブティ一杯。
 そんな状態で、マリアが食事に殆ど手を付けずに席を立とうとした。
「何だ? メンスか」
 アインが突然席を立って、おいちゃんを睨み付ける。「黙れ」
「五月蝿い、お前になんざ話しちゃおらぬ。ひっこんでおれ」
「マリアに謝れッ!」トンヌラもフォークを突き付ける。
「やめて下さい、こんな所で……貴男も不用意です。ここは詫びるべきでは……」
「フン、不用意だか何だか知らんがな、いつもいつもまともに口も付けずにメシを残しおって。金持ちのボンボンには食うに困った庶民の気持ちなぞ解るまい。嗚呼、勿体ない勿体ない」おいちゃんはハーゴンさんが咎めるのも聞かないで、さっきまで使っていた爪楊枝を指でへし折る。「……婆さんが泣いてるぞ、一口でいいから食ってやれ」
 おいちゃんのセクハラが原因なのは間違いない、と思う。だけど、きっとみんなずっと溜まってたんだ。食事だけじゃなくて、生活だけじゃなくて、自分達の無力さがイライラをつのらせてるんだろうな。しかも、今までずっと敵同士だったのに、今更一時的に争うのをやめたってったってやっぱり敵意はあるに違いないんだもの。おいちゃんだって、ばあちゃんがいつもぺこぺこしてるのを見てたから、いつも貴重な食べ物を残すマリアに腹を立てたんだし。
「マリアだって辛いんだ。それに環境がこんなに変わったんだ、仕方ないじゃないか!」
「それは我々も同じだ! 女一人だからといって特別扱いは出来ん。我慢しろ」
「何だと?!」
 わぁっと、マリアが泣き伏せる。おいちゃんと勇者ヤロー組が睨み合う。
 あーあ、またこれだぁ。もういい加減やめてくんないかな。
 だっておいちゃんと勇者って、親戚同士なんだろ? 何で親戚同士でいがみ合うのかな。もっと仲良くすればいいのにさ。おいちゃんだって女の子一人なんだから、もうちょっと気を使ってあげればいいのにね。マリアだって、ここはぐっと堪えてハーゴンさんに辛く当たったりしないで欲しいし、ああ、もうっ!
「好い加減にしなさい! お互い、こんな所で喧嘩して何になるというのです」ハーゴンさん、怒っちゃった。テーブルを叩き、珍しく口調に怒気を含ませる。
「貴様、どちらの味方なんだ!」
「五月蝿い、引っ込めッ!」
 だけど、三人はもっと怒ってた。三人の間に割って入ったハーゴンさんは、トンヌラに突き飛ばされて床に尻餅を付く。
「今日という今日は勘弁ならん! 貴様、稲妻の剣の錆にしてくれる!」稲妻の剣を抜き放つアイン。大振りの刃が、蜜柑色の光にぼうっと光る。
 その態度が、おいちゃんの怒りに油を注いだみたいだった。椅子を蹴り飛ばし、立ち上がるおいちゃん。
「それはこっちのセリフだ! 貴様等全員皆殺しに…」
 って、そんな事したら、この屋敷がメチャメチャになっちゃうよ! みんな頭に血が上りすぎだってば!
 オレは意を決して立ち上がった。
「ねえっ、もうやめなってば! そんなことしてどーすんだよっ! 仲間割れなんかしてる場合じゃないだろッ! こんな所ナリーノに見られたら……」
「引っ込めザコ!」
「お前にゃ関係ない、部屋に戻ってろ!」
 だけどオイラの言うことなんか、おいちゃん達には本当にどうでもいい、みたいだった。冷静に考えれば解りきった結果ではあるけど、何だか悔しくて、オイラはとうとう、叫んだ。
「いい加減にしなよ! みんな親戚みたいなもんじゃないか。なんでもっと仲良くしないのさ?!」
「誰が親戚だよ誰がっ!」
「オルフェ、ダメッ!」ハーゴンさんが止めようとしたけど、アインが無理矢理肩をひっ掴んで止めた。
「どういう意味だよそれ。言ってみな」
「…おい、オルフェ…」おいちゃんの顔、明らかに凍ってる。ええい、かまうもんか!
「おいちゃんとあんたたち」勇者達と、おいちゃんの顔を人差し指で等分に結ぶ。「ロトって、おいちゃんの子供なんだろ。だったら、勇者ロトの子孫ってことは、おいちゃんの子孫って事と同じじゃん!」
 さあっとみんなの顔色が変わって、しまったと気付いたときには後の祭り。後にして思えば、やっぱりオイラもイライラしてたんだと思う。だけど、それでも、やっぱり言っちゃいけないことだった。
「……オルフェ、それ、ジョークだろ?」アインの言葉尻は変に震えてる。
「ホントだよ。オイラ、ルビス様が言ってたの聞いたもの」
「嘘だッ!」トンヌラが叫ぶ。
「生憎と、あれの言った事は事実だ」おいちゃんは、否定しなかった。
 マリアの、啜り泣く声が止まる。
 アインの手から、稲妻の剣が滑り落ちる。
 最初に反応したのはトンヌラだった。トンヌラは凄まじい怒りの形相を露わにするや、おいちゃんに殴りかかった。おいちゃんも呆気に取られて、避けられずにパンチを食らう。
「ごはっ」
 おいちゃんは盛大に尻餅を付いた。が、トンヌラは容赦もへったくれもなかった。おいちゃんの上に馬乗りになり、半泣きで顔面パンチをで叩き込む。おいちゃんも、16コンボくらいは無防備で喰らってたんじゃなかろうか。
「バカ野郎ッ! てめぇのせいだ! お前のせいだ! 全部お前のせいなんだっ! お前のせいで、お前のせいで、ううっ、お前のせいでオレの人生全部狂ったんだ! ばっきゃろ、死ね、死ね、死ね死んじまえ!」
「やめろ、トンヌラやめろって!」アインがトンヌラを止めようと羽交い締めにする。いつもならトンヌラよりずっと力のあるアインが、打ち所悪くトンヌラの肘を顎に受けてぶっ倒れた。マリアが濡れ手拭いをアインの顎に押し当て、オイラ達やアクマシンカンの人達がトンヌラを押さえ付ける係に回る。トンヌラは散々抵抗したけど、みんなに押さえ付けられてようやく拳を振うのをやめた。
「人生を狂わせた……? っつ……どういうことだ? さっぱり要領を得ん」おいちゃんが腫れ上がったほっぺたを押さえながら上半身を起こす。
「コイツだよっ!」トンヌラはヘッドギアに手を掛ける。トンヌラは少し躊躇ってたけど、思い切ってヘッドギアを外し、床に叩き付ける。「これのせいで、お前の血のせいで、俺は……俺はオヤジに疎まれ、化け物呼ばわりされたんだ!」
 トンヌラの短く跳ねてぱさついた蜂蜜色の髪から覗いていたのは、小さな、極小さな両の角だった。

「こんな事実、俺だって知りたくなかったよ…」アインが覇気のない声で、ぽつりと漏らした。「あんた、サイテーの御先祖だな」
「貴様等の先祖になぞ、なりたくてなった訳ではない」
「……隠さなくては」ようやく重い口を開いたマリアは言った。「もしこの事が公になれば、ロト三王家の権威は地に落ちる。もしそうなったら、怖ろしい事よ」
「だろうな」おいちゃんはトンヌラ達が応えるのを遮って、感情を込めずにいらえる。「人間共が有難がる勇者の血筋とやらが糞みたいなもんだと――否、それ以下の物だとバレたら、お前ら三人が二度と生きて日の目を拝むことは無かろうからな」
「何だと?! キッサマーッ!」今度はアインがキレて殴りかかる。
 こんなつもりじゃなかったのに。
 ただ、みんなに仲良くして欲しかっただけなのに。
「もうっ! やめてって言ってるじゃんよ!」
「お前はもう黙ってろ」
「るっせぇ! 邪魔なんだよ!」
「あっちいってろ!」
 ジャマ。オイラの心臓をぐっと突き刺す。
 どうせオイラなんか要らないんだ。
 ジャマなんだ。
 役立たず。のけもの。
 いてもいなくてもどっちだっていいんだ。
「いいよいいよ! オイラなんか要らないんだろ! いてもいなくてもどうでもいいんだッ! どうせジャマなら、呪いの雨に打たれて石ころになってやるんだっ! オイラがいなくなってから、みんなで勝手に殺し合いでも何でもしてくれりゃいいよッ!」
 オイラはわめきながら、扉を蹴り破って駆け下りる。玄関を目指し、玄関の扉も蹴り開けて、暗黒の雨振りしきる夜闇の中へと躍り込んだ。調子っぱずれの歌を歌いながら、やけのやんぱちになって屋敷の庭をギャロップで飛び回る。いてもいなくてもどっちでもいいなら、石になればちょっとは、窓際からオイラを見下ろしてくれるかも知れない。その方がジャマにならないし、それに、それに……頬を伝う雨は生温く、ちょっぴりしょっぱかった。
 おいちゃん達が遅れて、どたどた階段を下りてくる音が聞こえてくる。石になったオイラを見て、みんながっくりするんだ。ばかな、とか、そんな事を言いながら。
 みんなが玄関の前で、オイラを見てる。髪の毛が飛び跳ね、雫が顎から滴り落ちる。
 あれ? 何でだろ。……何で、なんだろ。
 石に、なら……ない?
 どうして?
 何で?
 いつの間にか、オイラは飛び跳ねるのを止めていた。みんなが玄関で、オイラをじっと見ている。
 食い入るように。
 不意に、おいちゃんが、みんなを押し退けて雨の中飛び出してきた。手首をひっつかまれ、オイラは物凄い勢いで玄関へと引きずり込まれた!
「阿呆が! …とっとと風呂に入れ! 今すぐにだ!」
 おいちゃんのゲンコが頭に落ちて、オイラの眼から火花が飛び散った。頭をさすっているオイラの後ろから、みんなが室内に戻ってくる。
「……ふん、石にもなれないできそこない」  トンヌラの呟きが、オイラの冷え切った心臓にぐっさり突き刺さった。おいちゃんにタオルで頭を拭かれ、風呂場へ連れて行かれながら、オイラは背後でトンヌラがマリアに平手打ちを喰らった音を聞いた。

■Chapter2.天気のいい日はサムライを探しに出掛けよう。

 うって変わって、ピーカンな青空の下のデルコンダル。
「ウヘヘハハハ、アイン、トンヌラ、そしてマッリアちゃーん☆ 恨め苦しめ足掻いて果てろ! 世界はボクの思うが侭なのさー☆」
 折角の快晴にもかかわらず、地下室の鏡の前一人、縦ロールにフカフカマント、肩にはキラータイガーの剥製をぶら下げた如何にも怪しげな男が不気味な哄笑を響かせていた。その背後ではブロイラーのむしった七面鳥チックな化け物がやや戸惑い気味に、哄笑する縦ロールの男に目を瞬く。
 七面鳥――即ち、魔王バラモスは内心、選択を誤ったのではないかと悩んでいた。
 バラモスも二流とは言え魔族の王、人間の常識だの良心だの倫理だの道徳だの知ったことでは無い。一日一悪、弱い者をいたぶるのと人の幸せを引き裂く事こそが何よりの楽しみという歪んだ趣味の持ち主であった。
 が。
 そのバラモスをして、選択を誤ったのではないかと悩ませる程、この人間――デルコンダル王・ナリーノは奇妙奇天烈摩訶不思議にして不気味な存在だったのだ。
 まず、外見。
 縦ロール金髪、地毛。いや、ヅラだったとしても相当怪しい。
 冬が近いので風のマントにはキラーパンサーの極上のファーと絶滅種・スターキメラのフェザーをたっぷりとあしらい、紫にオレンジのラインを入れたシルクのスーツを着込む。見ている側が目がちかちかしそうな補色使いもさることながら、ブーツは白の蛇革、左耳のピアスはベホマスライムを象っているのだが、このベホマスライムが何と優に10カラットはありそうなコンクパールをあしらっているのである。コンクパールと言えば真珠の養殖で知られるベラヌールでも未だ養殖に成功していない天然の真珠であるから、一体一粒幾らするのか想像するだに気の遠くなりそうなシロモノであった。そのコンクパールの真芯にプラチナの軸を通し、そこに白蝶貝の細長いビーズで作った触手をぶら下げている。コンクパールの価値を知る者なら誰しも、気が狂いそうになるであろう。ベホマスライムに目と口を付ける為とはいえ、表面に細工まで施しているのだから。
 王太子時代にこんな物を作らせていたというだけでもかなりの変わり者で洒落者――とはいえ、そのセンスは疑うべくもなく世間には理解され得ないシロモノではあるが――である事は疑いないのだが、とにかくこの男、己の趣味には金に糸目を付けぬタチである。外面を飾る事にはまるで関心の薄いバラモスをも驚かせる程に。
 王の下には毎日、決まって15時にベラヌールやペルポイから商人が仕立屋を連れてやって来ては、新しい衣装やアクセサリやその他細々とした身の回りの品を売り込みに来る。そこで王は贅の限りを尽くした珍奇な品々を買い求める。その買い方たるや、正しく金に糸目を一切付けぬ。バラモスにはナリーノが日々買いあさっている商品の価値は全く解らなかったが、そのバラモスをしてイカレてる、と思わしめるのであるからして、その程度たるや皆様御想像の通り、否、想像を遥かに超えているに違いない。
 次に、その趣味。
 他人の嫌がる事をする、恥辱には恥辱を以て返す、という小学生並のチープな価値観は理解できても、バラモスにはナリーノの変態剥製趣味は全く理解の範疇外であった。死体を加工して、金銀細工で飾り立て部屋奥に並べる、蝋燭だけの心許ない照明を足し、剥製人間が並ぶ室内で晩餐を愉しむ。死体が見ているようで食事が喉を通らない、等というデリカシーは流石に持ち合わせては居なかったけれども、それでもバラモスは、同じ死体なら、綺麗に着飾るよりは足下に踏み付けてメシを食う方が未だ遥かに健全な趣味だと固く信じていた。無論死体なんざない方がずっと、健全なのだが。
 しかし。
 確かにバラモスは、ナリーノの狡猾さを認めざるを得なかった。そのアクロバティックで非常識・無常識な思考と閃きを、買ってさえいた。
 だからこそ、選択を誤った、と感じて居たのだが。
 何れは消さねばなるまい、だが、何時消すか。
 実に厄介な問題を抱え込んだ、バラモスであった。

 さて、華麗なるデルコンダル国王はそんな魔王の思惑を余所に、豪華絢爛奇々怪々なる意匠を凝らした衣裳を纏い、豪奢なマントを引きずってしゃなりしゃなりと似非モデル風に身をくねらせつつ城内を練り歩く。己の権勢を城内より世に知らしめんが為なのか、己の趣味を誇示するだけか、それとも別の意図を籠めての行為なのかは知らない。
 ナリーノは常に、供を付けない。誰も供を務めたがらないので丁度良いのだが。故に、ナリーノ王が城内奥へと姿を消しても、あれほど煌びやかな、そして悪趣味な衣服を纏っていても、誰も気にも止めないしその存在に気付きさえもしない。城内の者は皆、王の存在が遠くに在ればある程良い、いっそいなくなってくれやしないかと誰かしら、何処かで思っているのだ。
 ナリーノは靴音を軽快に響かせながら、石畳の階段を足早に下りていく。扉の横に置かれた、磨き抜かれた黒曜石の小さなテーブルに手を置くとあら不思議、扉は音もなく横に滑る。ナリーノが扉の隙間に滑り込むと、再び音もなく扉は横にスライドして固く閉じられた。ウワサによるとこの仕組みを設計した設計士、今頃ナリーノの魔物のエサになっているという。
「やは、御機嫌麗しゅう☆」
 声を掛けられた主は、しかし生憎とどうあっても機嫌麗しい様には見えなかった。ナリーノという人物を知る者であれば当然の反応と言えよう。御機嫌麗しき部屋の主はナリーノに声を掛けられても振り返りさえしない。
「国王陛下、何かご用で」
 素っ気ない、やや疲労の色を滲ませた声音に、ナリーノは薄ら笑いを浮かべる。
 なるほど、研究が息詰まっているのだな、と。
「何か足りないものでもあるのかね。それとも、気分転換を御所望かな?」
「気分の転換序でに方針も転換して、馬鹿げた試みは早々に放棄することだな」人ならざる蒼白い手が、テーブルの上の試験管を弄くり回す。薬を混合し、光に透かして暫く覗き込んでいた金の眼が、視界の端にナリーノの縦ロールを一瞥した。「この際はっきり殿下には御忠告申し上げておきますが、私には無理だ」
 『殿下』の称号に皮肉をたっぷり籠めてやり返した人物がゆるりと身を翻せば、簡素な法衣が遅れて広がる。
 男は、人間ではなかった。
 長身痩躯、蒼白い肌に白目までもが金の瞳。竜のそれに似た、横に広がる被膜を伴った大きな耳が小さく揺れる。竜人、と呼ばれる太古の、滅び行く種族である。
「これはこれはヴァーノン猊下とも在ろうお方が、簡単に『ムリ』なーんて行って貰っては」
「猊下などと呼ぶな、糞虫が」ヴァーノンと呼ばれた竜人は、臆する様子もなく言い放つ。この城でナリーノの顔色を伺う事無しに口を利ける人物なぞ、この竜人をおいて他にいまい。「貴様の為に我が時を、例え3秒でも費やさねばならんと思うだけで腸が煮えくり返るようだ……」
「3秒で済まないのは解ってるよね、何せキミは八賢者の一人だったのだものネェ?」ナリーノは馴れ馴れしくヴァーノンの肩に肘を乗せるが、あっさり払い除けられる。「チッ、相変わらず冷たいなー。弟弟子さんとは偉い違いじゃーないの?」
 ヴァーノンの面が険しさを増した。「……あれのことは軽々しく口にしてくれるな」
「いーじゃん。あんた兄弟子なんでしょ奴の」ナリーノは人の心の扉の戸口にずかずかと入り込む。遠慮、配慮というものを知らぬらしい。
「五月蝿い、出て行け」
「ンな事言っていいのかなー。ヘイズの世話……」
 ヴァーノンの投げ付けた試験管が、ナリーノの足下で粉々に砕け散る。ナリーノは屈み込み、中身に目を凝らした。「あーあ。勿体ない」
「失敗作だ」ヴァーノンは事も無げに言ってのけた。
「兎に角、早いとこ完成させてくれないかな。楽しみにしてるからネ☆ 努々、わざと遅らせようなんて考えない方がいいよん☆ それから、ボクはもう『殿下』じゃなくて『陛下』って呼んでくんないかな」ナリーノはおお怖、と態とらしく肩を竦めると、キラータイガーの尻尾を揺らしながら身を翻して部屋を出ていった。ヴァーノンはゆらゆら揺れるキラータイガーのショッキングピンクが持ち主毎視界から消えると、 片眼鏡 モノクル をかけ直して再び机に向かった。

*  *  *

「ねえいいんですかラーニャ様。やっぱり帰りましょう」
「今更何言ってんのよエリス。もう引き返せないのよ! 愛に殉ずる女は振り返るということをしないものだわ」
 ああそうですか、とエリスは嘆息する。テキトーに縫っただいまどうの衣裳がだらんと、膝を覆っていた。
 デルコンダル城尖塔の一角で、王女は原稿用紙を広げてがりがりと小説を描き、侍女のエリスは横でちまちまと苦手な針仕事に勤しむ。王女がどうしてもコスプレをしたいというのだが、流石に王族に針仕事をさせる訳にはいかないので、エリスにお鉢が回ってくる。この衣装を縫い始めてから、縫い針で何度指を刺したか知れない。
 此処がサマルトリア城だったら、他の侍女にこんな仕事任せられるのに。
 二人はデルコンダル城の尖塔に、客人として歓待するという名目で幽閉されているのだった。気付かぬは王女ばかりなり、王女殿下はやおい小説の執筆に忙しくてそもそも部屋から出る必要がないこの環境をいたくお喜びの様であり、要するに全く現状を把握しようとはしていない。自分の城で大神官ハーゴン聖下の総受けやおい小説を書いてるのがばれたら、兄トンヌラが全部原稿を燃やしてしまうのが解っているから、此処で政治的にややこしい立場に置かれているという事実に目を瞑りさえすれば好き勝手出来るのも王女が帰りたがらぬ一因であろうとエリスは踏んでいる。
 全く、バカ王女。ちっとは民の事も考えろっつうの。
 エリスは内心で王女への悪態を処理した。確かにエリスは王女お気に入りの侍女で、二人は仲良しであった。だからといって、王女の愚かさに目を瞑って良しとするほど、エリスは王女に心酔してはいない。
 エリスはそこらの貴族の少女ではない。
 エリスは、北方異民族出身の邪教徒、つまり間者であった。
 ロトの勇者がローラ姫を伴って移住し、ローレシアと名付けた国は、決して無人の荒野などではなかった。異なる文化と異なる宗教、異なる神話を持つ人々が、国家を持たずに暮らす国であった。ロト王家が吹聴する伝説では、まるで勇者と姫が手を携え、たった二人でこの国を作り上げたかに書かれているが、勿論そんなものは作り話だ。現実には二人は、多くの移民達を伴った大規模な航海を経てローレシアに辿り着いた。彼等は荒れ地を耕し、野を切り開いて自分達の土地を文字通りその手で手に入れた。
 初めのうちは友好的だった移民達も、やがて豊かになるにつれ更なる欲望を抱くようになった。ローレシア大陸の土は肥沃とは言い難いが、その山奥に良質の鉄鉱山という宝を蔵していた。欲望は膨れ上がり、交易のみに満足出来ず、鉱石の独占を企てた移民達は、武装し先住民達としばし争い、また彼等を騙して領土を拡張していく。
 多くの氏族が滅ぼされ、各地に散っていった。生きるには厳しい土地の更に辺境へと追いやられ、銀の髪と青い目の先住民達は、次第に追い詰められていた。一部の争いを好まない先住民は移民達と同化し、改宗してやがて己の民族的自覚を薄れさせていったが、ロト王家に屈従を強いられるを良しとしない多くの先住民は、堕落した世界に滅亡の時をもたらす破壊の神を信仰する、新興宗教に鞍替えした。ロト王家は彼等の信仰していた神々の殆どを、自らの万神殿 パンテオンから外していた。
 先住民達に他の選択肢はなかった。失われた古き神々を、そして彼等の万神殿 パンテオンから弾き出された、異形の神々を崇める彼等に、他に行き場所などなかった。
 エリスの両親も、一族もそんな氏族の一つであった。
 故郷は邪教狩りのローレシア兵に蹂躙された。一族郎党中生き残ったのは、偶さか村の外に遊びに出ていたエリス唯独りであった。
 無言でエリスを迎える屍を前に、その場に涙を流し立ちつくすエリス。そんな彼女を引き取って育てたのが、今の師、教団を支える八人の悪魔神官の一人である。彼女は神も仏も解らぬ年頃の少女であったが、迷わず己の心を決めた。
 王女に取り入る事で城に出入りし、内情を探るのが彼女に課せられた任務である。が、此処にいる限りはその任務を果たすことも出来ず、おまけにひたすら原稿を書かされ、原稿が終われば、どうせ一回しか着ないコスプレ衣装の縫い物をさせられる。人権侵害もいいところだ。いや、寧ろそんな事はどうでもいい、エリスは考える。
 一番困るのは、敵方たる王女を守らねばならない、という厄介な義務が生じてしまった事だ。
 ロト一族を殲滅すれば全ては万々歳、そんな短絡思考はテロやってるバカ共に任せておけばいい。エリスには立場があり、もしエリスが王女を見捨てでもしたらそこで間者としての役割は終わり。今までの積み重ねはふいになる。ふいになって済めばともかく、臣下が王族を身を挺して守るのが当然な世の中で、王女を見捨ててそれが見咎められでもすれば、己だけでなく、ローレシアの大虐殺によって孤児となった己を拾ってくれた義父にまで危害が及びかねない。エリスを侍女にと城の奉公に出し、情報収集の任務を与えたのは義父なのだ。だから例え王女がハー様ラブ! とか何とか叫んで、進んでデルコンダルの虜囚となろうが魔物の巣に飛び込もうが、勝手に殉じてろ、とは言えない。
 敵方とはいえ、どうしようもないおばかさんだとはいえ、しかしエリスはラーニャが好きだった。天真爛漫で夢見がち、というと可愛らしいが要するに妄想家で、愛想が良くて、でもちょっと抜けてて、ムーンブルク女王には負けるが結構可愛くて、そして、省みられない彼女が。
 ラーニャがやおい小説に走るのも解るなぁ。好きでもなく会った事もない年下婚約者との政略結婚を押し付けられ、世間には省みられず行き遅れ呼ばわり。おまけに政治もできやしないお嬢様だから、文字の中の世界の他は何一つ自分の思い通りにならないんだもの。そりゃ現実逃避もしたくなるわなあ。
 エリスは針を縫う手を止めて、窓の外を見た。
 早く帰りたいなぁ。
 エリスはサマルトリアで何が起こっているか知らない。

*  *  *

 雨の所為でぱりっとは乾き切らないタオルで濡れた髪を拭いながら、オイラは風呂から上がった。いたたまれなくて、居間によってお休みのあいさつもなしに、部屋に戻る。みんなの顔を見るのが、辛かったから。
 胸が、痛い。
「石にもなれないできそこない」
 ずきんと、胸をえぐる。やるせなさが激情する。ぽろぽろと、塩っ辛い液体が零れ落ちる。
 死ぬことさえも出来ない、根性無し。
 役立たず。
 おいちゃんはあの後すぐ、胸を押さえながらすぐベッドに倒れ込み、黒っぽい物の混じった夕飯を全部吐いた。おいちゃんはベッドの中で身を丸め、額に脂汗をにじませて、ぜぇぜぇと苦しそうな呼吸を繰り返していた。
 おいちゃん、ごめん。オイラのせいだね。
 タオルで顔をぬぐって、ついでに鼻も噛んでたせいで、誰かが扉をノックして開けたのに少し気付くのが遅れた。
「御邪魔するよ」
「え、あ……アイン、トンヌラ!?」
「おら、謝れトンヌラ」アインはトンヌラの頭を押さえ付けて、無理矢理頭を下げさせた。トンヌラはむっつりしながらも、深く頭を下げる。
「先程の侮辱、非礼をどうか、許してくれ。一国の王たる者が口にすべき事ではなかった。君に侮辱を受けるいわれはない」
「い、いや、いいんだよオイラ、ホントに役立たずだしできそこないだから! ほら、それにオイラ……」
「そんなに自分を卑下することはない」アインが大真面目に返したので、オイラは言葉に詰まってしまった。
「ええと、そのぅ……」
「そのまんまの意味だよ。入っていいかい?」
 オイラは頷き、椅子を二つ引張ってきて二人の前に並べた。アインは腰掛けると、オイラの目をじっと見つめてきた。じっと見られるのは苦手だな。
「実は、大切な話があるんだが、いいかい?」アインは一呼吸置いてから、神妙な顔付きで話し出した。
「…………我々に、協力してくれないか?」
「ほぇ?」思わず声が裏返る。なんでオイラの助力が必要なんだろ?
「俺らは本気だ」アインはゆっくり、言葉をつなぐ。「俺らがムーンペタに着いてから、誰も城に戻っていない。雨のせいでここからは出られないから、誰も俺らの無事を知らない。一国の王の無事が杳として知れない、それが何を意味するか、解るか?」
 良くは解らなかったけど、とにかく困った事には間違いない。オイラは小さく頷いた。
「ナリーノが、我々ロト三国と称されるローレシア・サマルトリア・ムーンブルク王家は大地の精霊ルビス様の寵を失ったと吹聴している件は知っているな?」妙に丁寧なトンヌラの口調に気圧されて、オイラはやや引き気味にうなづく。こんな風にしゃべるトンヌラ、見た事ない。悪いものでも食べたのかしらん。
「そして、王は行方を眩ませている。この事実が何を意味するか。俺…いや、僕等は臣下を信頼している。しているが、そろそろ、臣民は薄々気が付いているのではないか、否、ひょっとすると、我々が手を打ちあぐねているのを悟られてしまうという危惧もある。ナリーノの間者が街に入り込んでいるかもしれないから、ある事ない事を吹いて回っていてもおかしくない。呪いの雨は恐らく、ローレシアやサマルトリアにも降っているだろう。治安の低下も心配だ。何より……」
「何より?」
「別の反対勢力って奴だ」トンヌラが続けた。「敵はデルコンダルにのみ非ずって奴さ。端的に言うと、オルフェ、君の旅仲間の元部下達だよ」
 よくわかんねぇ、と首をひねってると、二人は顔を見合わせて、言った。
「そっか。オルフェはこの世界の住人じゃないからな。知らないかも知んないな。オルフェはさ、どれくらい知ってんだ? ハーゴンの事」
「うーん……そうだなあ。何かすごく悪いことをして、その事を悔やんでるって事くらいかな」
「じゃあ、何も知らないのと同じだな」
 アインは立ち上がり、窓のカーテンを端に追いやった。
「教団は指導者を失って、二派に……いや、三派かな?……分裂した」アインは曇った窓ガラスに図を書いて見せた。「理由は単純、指導者を失ったからだ。君は知らないかもしれないけど、ハーゴンは教団に於いては絶対的な指導者、教祖だったんだぜ。破壊神シドーの為じゃなく、あいつの為なら死ぬって奴だって沢山いたのさ。信じらんないだろ。俺も奴と再会した時、すわ、別人か? って思ったからね。ま、その話はいいや。そんなカリスマが、絶対的な存在がいなくなったら、みんなどうしたらいいか解らなくなる。みーんな、ハーゴンが言う『世界は余りにも腐敗し切っていて、滅びるしかない』って言葉を信じ切ってたからな。で、奴が居なくなってどうなったか」
「殆どの者は信仰を捨てた」トンヌラが、アインの描いた円の中に、×を描き込んだ。「教団の敗北は即ち、信仰と信念の過ちを意味すると考えた連中だ。しかし、そうでない連中もいた。信仰を、と言うよりは 超越的主導者カリスマを捨て切れず、しかし破壊神の御心とやらを実戦するには至らなかった者達だ。此奴等の殆どは、ハーゴンの側近だったと言われてる。身近で仕えていたから、裏切れないって言う気分も強いんだろうな。連中は破壊神なんかどうでも良くて、大神官聖下に心酔してたってのが本当の所なんだろう。―――そして、破壊神の降臨をやり損ねた 愚かな偶像の崇拝 idolatry にも心酔できず、さりとて信仰にも見切りを付けられない連中。奴らは、やはり世界は滅びるべきだという滅亡信仰をこう解釈した。世界は確かに滅びねばならぬ。ならぬが、滅びるには、この世界はまだ十二分に腐敗しきってはいない、と。故に、滅びるべき世界を滅亡に導く為、世界を腐敗させるのが己が使命と、そう決め込んだ連中だ」
「なんか変だねえ、それ。逆しまだよ」
「だろ? 世界が腐敗しているから滅ぼさなきゃいけない、だったのが、いつの間にか世界を滅亡させることが目的になってる。そうしないと、自己否定になっちまうからな。哀れな奴らなんだが、同情禁物。何せ世界を滅ぼそうなんてしてるんだからな。そして奴らは我々ロト王家に復讐心を抱く多くの下っ端信徒達を取り込んだ」アインは残った丸を乱暴に指で塗り潰す。「連中は御し易かったから、俺達は時には奴らを間接的に支援しつつ、政敵を潰したり政治的に有利な局面に運ばせるように使っていた。だが、俺達の見えないところで、奴らはじわじわと力を蓄えている」
「最悪の場合、ナリーノと手を結んでいる事も考えられなくはない」トンヌラも頷く。「奴らは殆どが反・ハーゴン派なんだ。教祖様が蘇ったと聞いて、奴らは顔を顰めたに違いないさ」
「え〜とぉ……」オイラは頭をかいた。「難しい事は解んないけど、ナリーノの他にも敵がいる、って事?」
「そゆこと」アインがカーテンを閉める。「しかも敵同士が手を結ぶとなりゃ、ねえ? ナリーノにしろ、邪教徒共にしろ、其れ位は考えてない訳がない。ひょっとすると早い段階で折衝があったとも考えられなくはない。邪教徒達は決して多くはない。けど、魔物達を召喚し、使役する術を心得ている者が多い。となれば」
「魔物は雨にやられない」
「そ」アインは指を立てた。「雨の影響を受ける我々は不利だ。外に出られないから横の繋がりがない。情報がない故に手だてを打つ事も叶わない。不利な上に心理的影響を受け、治安の悪化も懸念される。だから君に、ローレシア・サマルトリアへと旅立って貰いたい。君が旅の最中不利益を被らないよう、僕等三人の署名を入れた親書を書こう。ローレシアへは少々遠いが、サマルトリアなら隣国だ。狭い海峡を越えてすぐだし、地下通路があるから、ムーンブルクともほぼ地続きだ。サマルトリアに我々の無事を伝えることが出来れば、状況によってはローレシアまで行かなくても良いだろう。……どうだろう。あんな酷い事を言ってしまった手前頼みにくいんだが……行って、くれないだろうか?」
「えーと」オイラは指と指を突っつきながら二人を見る。「それって、アインとトンヌラだけで決めたの? マリアは?」
「マリアなら扉の向こうにいるよ」アインは肩を竦める。
「御免なさい、全部聞いていたわオルフェウス」扉の隙間から漏れ出る燭台の淡い光が部屋を照らした。マリアの淡いブルーの瞳が、金色に光ってこちらをうかがう。「私は当事者ではないし、貴男に嫌われてるみたいだからいない方が良いかと思って」
「誤解だよ!」妙に甲高い声が出ちゃって、慌てて口を閉じる。「……ごほん、違うよ、オイラは、むしろマリアにはバカにされてると思ってただけだもん」
「そう」マリアだけは相変わらず素っ気なかった。「良かった」
「君への今回のお願いは、三人の総意だ。どうだ? 受けてくれるか?」
 オイラは半ば二人の勢いに押されてた。ノーって、言えない状況だよな、これって。
 喉までイエスが出かかったところで、オイラはビックリして飛び上がった。部屋の扉が、再び開け放たれたからだった。
「我々を……ゴホッ……通さずに、勝手に、話を進めて貰っては……困る、な……」
「おいちゃん!」
「しー」ハーゴンさんが、おいちゃんに肩を貸しながら人差し指を唇に軽くあてがった。「騒がない。先程から下に丸聞こえですよ。皆が起きます」
「あわわ、ごめんなさい……」
「そんな事は……どうでも良い。ごほっ……畜生、厄介な雨だ。良いか、お前ら。オルフェにお使いをさせるかどうかは、我々が決める事だ。……邪魔だ、のけ」おいちゃんはマリアとトンヌラを押し退けると、ハーゴンさんに支えられながらベッドに腰掛ける。「で、オルフェ。お前はどうなんだ」
「……おいちゃんが、いいって言うなら」オイラはぼそっと返す。おいちゃんがまず最初にオイラに同意を求めてくれたのが、本当はちょっと嬉しかったんだけど。
「なるほど。では、王家の諸君。私より条件を出そう。譲れぬ条件では無い筈だ。――――解るな? トンヌラ」
 トンヌラは押し黙った。アインが囁く。「どうするよ」
「今更、あの子に人質としての価値は無いわ」マリアはちょっと考えた風に目を伏せた。
「……良かろう。アンタのひ孫は返す。丁重に扱ってるつもりだ、心配ない」
「ところで、一つ聞いておきたい」おいちゃんは二人の顔をざっと見比べた。「何故、チビを攫った?」
 アインは自嘲的な笑みを浮かべた。「アンタは知らんと思うけど、アンタの孫がラルス19世のお気に入りでさ。そりゃあ信が厚かったわけよ。王は様々な宝を下賜し、それはラダトーム城の記録にも残ってる」
「ふむ」おいちゃんは、それくらいは知っている、と言いたげに目を細める。以前、リカルドさんちに泊まった時にリカルドさんが嬉しそうに話してたのを思い出してるんだろうか。確か騎士として叙任して、ラダトーム王家に仕えてたんだよな。
「そのラルス19世がアンタの孫に、国の行く末と共に託したとされているのがロトの剣ってワケ。勇者ロトがアレフガルドに残していったとされているロトの剣の在処は、今もって実は解ってない」
「あいつが僕等に預けたロトの剣はレプリカだった」トンヌラが忌々しげに吐き捨てた。「何が友達だ。あいつは僕等を騙したんだ」
 不意に、哄笑が辺りを満たした。アインとトンヌラははっとしたようだった。
「そんなものはなあ。元から無かったんだ、馬鹿めらが」おいちゃんは酷く咳き込んだけど、それでも、凍り付くような眼差しで二人を見つめるのをやめなかった。「ロトの剣はロトと共に失われたのだ。貴様等は、在りもしない物の為に、リカルドを殺したのか」
 トンヌラが椅子をけって立ち上がる。
「何がリカルドだ。何百何千の無辜の民を殺しておきながら、てめぇは老いぼれリカントの心配かよ。ふざけんな! 僕等のやった事をアンタが論難できる立場か? ええ?!」
「虫螻共の命など、知った事か」おいちゃんは肩で息をしながら、憎々しげに顔を歪めた。「ただ、お前等は許せん、それだけだ」
「勝手なことほざきやがって」アインも眉間にしわを寄せる。「……とにかく、チビを返せば文句無いんだろ」
「本来ならば」おいちゃんのしゃべりは淡々として、いつもより力無い。「トンヌラ貴様への憎しみは八度八つ裂きにして尚余りある程だがな、背に腹は代えられぬ。行って来い、オルフェ」
 オイラはその言葉を聞いて、頷く前にふと考えてしまった。
 皮膚の上をピリピリと駆け抜け、部屋に満ちる殺気。
 もし、呪いの雨が降り止んだら、みんなはどうなるんだろう。
 おいちゃんにはリカルドさん一家を殺された恨みがある。トンヌラは妹や、自分のコンプレックスは全部おいちゃんのせいだと思ってるし、アインやマリアだっておいちゃんやハーゴンさんをを快く思ってない。
 やっぱり、殺し合うんだろうか。
 嫌だな、とオイラは思った。
「待って。オイラにも条件があるよ」
 一同は顔を見合わせ、それからオイラの顔を見た。「なンだ?」
「もう、つまらない事でケンカはしないで、仲良くして。お願い」
「此奴等が譲ればな」おいちゃんは素っ気なく応えた。
「俺達は最大限努力してる。コイツが悪い」アインのセリフは敵意を含んでる。
「もう、それじゃダメだよ! お話しになんないね。……せっかく親戚同士なんだし、もっと、仲良くして欲しいんだよ……オイラは親もいないし親戚もいない。だから、血の繋がりってのがあるのは、いい事だと思うんだ。ホントは、ちょっとうらやましい」オイラは軽く頬を掻く。「おいちゃんがおとーさんやコドモと仲良くできないのは色々のっぴきならない事情があるって知ってるからしょーがないけど、せめて……自分の子孫くらいは大切にして。全部を水に流すなんてとうてい出来っこないのはわかるけど、このままじゃ……オイラ、嫌だ、絶対。ハーゴンさんだって言ったじゃないか。ユークァルは良くなくて、おいちゃん達がいいなんて理屈はないよね?」
「……何の、事?」
「以前ね、そんな話をした事があるのです。あの子が何者かは、貴女は御存じですねマリア」ハーゴンさんは燭台の灯を見つめ目を細めた。「あの子は一族がムーンペタから追放されてより後、筆舌に尽くしがたい非道の扱いを受け、殺し屋として仕込まれて我々の元に送り込まれました。しかし私達と旅を共にする様になって、ユークァルは少しずつ、人としての心を取り戻していったのです。あの子に、もう人殺しはさせたくない。……オルフェも、私達が刃を交えるのを、望まないんでしょう」
「そう……到底受け容れられそうにはないわね、以前なら」マリアは小首を傾げた。か細い蝋燭の明かりを受けて、銀髪がさらさらと額を零れ落ちて行く。「良いでしょう、呑むしかなさそうね。二人とも、構わないわよね?」
 二人はしぶしぶ頷いた。

「本気で行くのか」
 おいちゃんは妙なことを聞いてきた。オイラは既に荷物をしっかり背中にくくりつけ、準備バンタンだってのに、だ。
「当たり前でしょう」ハーゴンさんが目をすがめる。「行かなかったらどうすると思ってるんですか。途中で泣き言を言いながら引き返してくるとでも?」
「そうではない。ただ……」
「まだ引っかかってるんでしょ、おいちゃんは」オイラは小首を傾げた。「言っとくけど、帰ってきて殺し合いなんかしてたらオイラ二度と戻ってこないから、そう思っといて。……戻って来て欲しくないなら構わないけど?」
「俺達は、誓った約束は違えない。とにかく」アインが返した。「気を付けてな」
「ウフフフフ、おいちゃん、現時点でアイン達がワンポイントリード……あたたたっ、暴力反対」
「やかまし」おいちゃんがオイラにげんこを食らわせた後ろで、三人が含み笑いを漏らした。「お前らも、笑うな」
「そんなのムリだって。んじゃ、行って来っから。仲良くやってよ」
「ああ、気を付けて……」
「頼んだぞ、オルフェ」
 オイラは時々屋敷を振り返ってみんなの姿を確かめていたけど、やがて、みんなが屋敷の中に引っ込んでいくのを見て、そのまま空へと駆け出して行った。
 重たい鉛色の空と、頬を塗らす霧雨が、オイラの行く手を暗示しているように思えた。

*  *  *

 夜。
 アインは部屋で独りうとうと微睡んでいた。耳障りな雨音にも慣れた。一週間余り部屋の中でまともに身動きが取れないのが、根っからの戦士気質であるアインには酷く堪える。体が鈍っていくのが耐えられないのだ。なかなか眠れずに布団の中で何度も寝返りを打って、ようやく、眠りへと誘われて行くか行かないか、といったところ。
 だから、部屋の片隅の微かな気配をも、アインは無かった事にした。どうせネズミか何かだろう、と。直ぐに気配は消えてしまったからだ。
 ネズミか何かが、アインの喉笛を捉えたのはその直後であった。アインは慌てて喉笛を捉えた物を掴む。僅かな外の明かりが描く輪郭に、アインは息を飲む。
 ネズミか何かの正体は、昨日まで呉越同舟、漸く昨日の今日に休戦を宣言したばかりの悪徳御先祖、であった。
「……き、様……こ、ろす気、か……舌の根、も、乾かぬ内に……」
「随分と無防備な事だ。王族ともなれば、周りが守ってくれるから夜も枕を高くして眠れるという訳か」喉にかけた指先が、首筋をなぞる。爪の痛みに、アインは顔を顰めた。
「くッ……」
 が、蒼白い腕はやけにあっさりと喉笛を掴む手を緩める。「別に殺しはせんさ。オルフェが戻って来てお前等が死んでいたら、奴に死ぬまで恨まれるだろうからな?」
「畜生、アンタ最低の御先祖だ! ぶっ殺してやる」
 竜王は布団を跳ね飛ばして飛び起きたアインを一瞥し、声を顰めて笑う。「おいおい……その格好でか? 随分と舐められたものだな。ただちょいとからかっただけであろうが」
 王族たるもの冗談と切り返されれば、ムキになって斬り掛かるわけにもいかない。敵わぬと解っている所為もあって手出しはしなかったが、それでもアインはからからと高笑いを残して立ち去る邪悪極まりない始祖の背中をしっかりと睨み付けるのだけは忘れなかった。

*  *  *

 アイン達がぬくぬくと、一つ屋根の下殺意の火花を散らす中(後から全部聞いたんだけどね)、オイラは雨に降られてずぶ濡れになりつつ、ようやく海底通路の入口に辿り着いた。『ローラの門』と書かれた青銅の板が煉瓦造りの建物にはめこまれていて、要するに、この海底通路はそんな名前なのだった。ムーンブルク最北端より眺める海は大荒れに荒れていて、時々巨大イカの尖った頭がちらっと掠めては、また波頭の中に消えていく。
 ……絶対、海底通路を通ろう。
 あんなイカに叩き落とされたら、イカのエサにされちゃう。ぶるぶると首を振ると、辺りに雫が飛んだ。
 海底通路は検問所になっていたけど、誰もいなかった。正確には、石像になっていた。割れてるのもある。石像を踏み越えて、階段を下りる。
 潮の匂いがぷんと漂う中、レミーラの呪文で明かりを灯そうとしたオイラの背筋に、ぞわりと悪寒が走る。妖魔に産まれた者特有の、同族を感知する感覚。オイラはつばをのんだ。
「も〜しも〜し。誰かいますか〜?」
 へんじはない。ただのきのせいのようだ。
 いいや、気のせいじゃない。あの感覚が気のせいなわけがない。あまり強い感覚じゃなかったけど、間違いない。オイラは来た道を引き返そうと、後じさる。
 うにっと、妙な物を踏み付けた感覚。足の下で、ぐねぐねとうねる何か。足元を見る。
「うわっ! でかっ!」
 オイラが踏んづけたのは、巨大なシマシマヘビだった。背中をぐわっと大きく広げ、シャーって怖い声を出してオイラを威嚇する。オイラは腰を抜かす間もなく洞窟の奥へと駆け出した!
「ひぇーっ! たたた助けてぇ!」
 ひづめと叫び声が、洞窟内でうるさいくらいに反響する。オイラは耳を押さえ、全速力で洞窟を駆け抜ける! 真っ暗闇の洞窟も、先にほんの僅か、外の光が射し込んでる場所が見えた。物凄い勢いで走ったからあっという間に思えたけど、全てが終わってずいぶん後になってここに来たら、びっくりするくらい長い通路だった。どんだけのスピードで走り抜けたんだろう、オイラ?
 オイラが息も絶え絶え階段の手すりに手を掛けると、首筋に冷たい物が触れた。背筋がゾクゾクする。手すりを握り締めた手に、汗がにじむ。
「少年」
 頭上から響いた声の主を見定めようと、ゆっくり頭上を仰ぐ。
「ヒッ!」
 そこには、よろいのきしとどろにんぎょうを引き連れた、アクマシンカンの服を着た人達が待ち構えていた。

「ぎゃふん!」
 オイラは洞窟に連れ込まれ、とある一室に放り込まれた。灯りはほんのわずか、湿り気に混じって微かな、血の匂いが漂ってくる。
「うう、陰気くさいなぁ……」
「生憎と、丁重なおもてなしをするにもそんな施設がなくてね」室内をキョロキョロ見回してると、鉄の扉が軋む音を立てて開いた。男はランタンを壁に掲げ、椅子に腰掛ける。よろいのきしが二人、オイラの脇にぴったり付いて離れない。オイラは暗闇の中目を凝らして男を観察する。
 ぱっと見た印象は針金みたい。細くて柔軟で尖ってて、鋭い。そして、冷ややかだ。ゾクゾクしないから、人間だなきっと。
 針金の口から、驚くくらい柔和で穏やかな声が、漏れた。冷ややかな印象からはおよそ似つかわしく、ない。第一印象は『キモチワルイ』で確定。
「乱暴な真似をして済まなかった……君がムーンペタの街より一人旅立った頃から、ずっと付けさせて貰っていた。名前は?」
「オルフェウス。みんなにはオルフェって呼ばれてる。アンタこそ名前は何よ」
「これは失礼。名乗らずして名を聞くは礼に反するな」男はよろいのきしを制すると、片眼鏡 モノクル の奥で糸のように細い目を更に細めた。それにしても、ムーンペタからずっと付けられてたなんて全然気付かなかったよ。トホホ……。「コルテス。これで、お気に召したかなオルフェウス? さて、では本題に入ろう。君はこんな物を手に、何処へ何をしに行くつもりだったのかな?」
「あーっ! 何すんだよ、返せ、かえせっ!」オイラは目の前に差し出されたものを引ったくろうと手を伸ばした。絶対に、誰にも渡すなと言われた三人直筆の勅命状。
「返す訳にはいかんね」コルテスは勅命状をひょいと引っ込める。「これは有難く、戴いておこう」
「いただいておこうじゃねえよっ! トンヌラやアインと約束したんだ。これは誰にも渡しちゃダメだって」オイラはムキになって暴れたが、すぐによろいのきし二人に肩を掴まれて押さえ込まれた。コルテスの薄い唇が吊り上がる。やっぱりキモチワルイ。
「なるほど、国王直々の使者なのだな、君は」コルテスは手紙を丁寧に懐へと押し込む。「何故君は、王にここまでの待遇を受けてサマルトリアへ?」
「別に? おいちゃんのひーまごが、サマルトリアにいるから、迎えに行くんだ。そんだけさ」
「おいちゃん?」コルテスは片眼鏡 モノクル を持ち上げる。モノクルの表面が灯りを照り返して、そこだけ全部が目に見えた。「何のことだ? ……解らんな。そんな用事の為だけとは到底思えないが。……おおかた、何か隠しているのだろう」
「じ、事実だも……痛い、痛い、アイタタタタタ! 痛いよぉ! やめろってば!」オイラはよろいのきしに物凄い力で両腕を締め上げられてわめいたけど、ちっとも力を緩めてくれる様子はない。それどころか、汚い机に顔を押し付けられてオイラはなすがまま、キャベツがパパってアリサマだ。チクショウ、イヤな奴ら!
「まぁ、どうせ王よりの伝言を国に伝えろ、だとか、そんな類のことだろう。どんな伝言を頼まれた?」
「伝言なんて頼まれてないやい! ただオイラは、王の無事を伝えてくれって頼まれただけだい! 放せ、アゴつかむなってば!」
 コルテスは長い爪を、押し上げたオイラのあごに食い込ませる。「……成程、嘘はなさそうだな」
「あるわけないじゃんよ! 手紙返してくれよ!」
「何、心配せずともこの手紙は、すぐに君には必要なくなる」コルテスはあごから手を離すと、小さく首を傾げて見せた。「心配するな、この手紙は存分に活用させて貰う。オルフェウス、君は用済みなのだ。さ、こ奴をとっとと牢に連れて行け!」

 がしゃん、と鉄格子の音が無情にも響く。
 オイラは結局、すえた臭いのする牢屋に押し込められた。おいちゃんもハーゴンさんもユカもだーれもいない。誰も助けに来ちゃくれない。
 オイラは途方に暮れた。鉄格子の嵌め込まれた扉の向こうから漏れる灯りも頼りなくて、余計に不安を誘う。
 嗚呼、早く帰りたいなぁ。そんで、だんろの前でココアをすすりながらぬくぬくするんだ。
 行くなんて言わなきゃ良かったなぁ。
 オイラは早くも、旅立ったのを後悔してるのだった。
 鉄格子をゆすっても蹴っ飛ばしてもムダなのが解って、オイラは部屋の隅にうずたかく積まれた藁の中にうずくまった。ムダってのもあるけど、今日は一日走り回ってもうくたくただ。とにかく、少し寝よう。
 藁の上に頭を乗せると、なんだかゴロゴロする。
 変だなあ、と思って藁くずに手を突っ込むと、固い物が埋もれていた。引っ張り出す。
「ウギャーッ!」
 オイラは思わず叫んじゃった。
 ゴロゴロする枕の正体はガイコツだったんだ! 思わず、前足で蹴り飛ばす。力の入ってない前足の蹴りは軽くあごに引っかかった程度で、ドクロはその場で不安定にくるくる回転して、その内止まってしまった。きっと、声洞窟中に響いてるんだろうなぁ。やだなぁ。
「うわちゃぁ………ゴメンよ……」
 今でこそドクロとはいえ、元はヒト。蹴っちゃってまずかったかなあ、というよりは、何となく気味悪いから、ついでに、後からむくっと起き上がって来たらいやだなぁと思ったから、一応あやまっといた。ついでに、成仏できますようにとハーゴンさんの見よう見まねでお祈りしておく。
「はぁ……踏んだり蹴ったりだっての……このままじゃ、ローレシアどころか行き着く先は地獄の一丁目ってか……あーああ、やんなっちゃうなあ、あーあああおどろいた〜♪ って、歌ってる場合じゃないって」
 ついうっかり、以前の癖が出る。旅に出てからはあんまり、だけど、オイラはたまーに、一人になると歌を歌うクセがある。ただセリフに節を付けてるだけで何の工夫もない。美しくないから歌うなって上級妖魔に言われて、人前では歌わなくなったけど。
 ああ、 ここ アレフガルド には妖魔はいないんだっけ。でも、さっきでっかい音出しちゃったし、歌なんか歌ってたらまたよろいのきしがやって来てしかられっかもなー。ここはおとなしくしとこっと。再びゴロゴロの無くなった藁の中に頭を埋め、鼻歌を歌う。
「あーああー…やんなっちゃうよ、あ〜ああああおどろいったってか。
 ここじゃオイラの旅友はぁ♪ どこのどいつと知れぬ骨ぇ♪
 出たい出たいたぁ思うけど 出るときゃこいつの仲間入りぃ……はぁ……」
「よっ! シケたツラしてんじゃんにーちゃん」
 背筋を、ぞくっと這い上がるものがあった。オイラは恐る恐る、足元を見た。
 蒼白い燐光。
 蒼白い顔。
 足のない男が、其処に立っていた。いや、立ってないか。浮いていた。
「わ、出たっ!」
「おいおい、魔物のクセに幽霊を怖がるヤツがあるかい」ユウレイ野郎はずずずいっと遠慮なく詰め寄ってくる。やめて、オイラそういうの弱いの。カンベンして。
「なぁんだ、根性無しだなぁ」
「……ヨケイなお世話だい。魔物魔物いったってオイラみたいな奴がいたっていいじゃんかよ」
 ユウレイ男はカラカラ笑った。「へぇ、そいつぁ初耳だ。何せオレもここでこうなるまでは人間だったもんで、魔物世界のジョーシキッてヤツにゃうといんでさ。ま、こうやって出会ったのも何かの縁だ。俺の名前はフィル=オーウェン、よろしくたのんますぜ、相棒!」
 げー! 勝手にアイボウにされてますよオイラ! ココココココはダンコたる決意を持って拒否しなければ! オイラは差し出されたユウレイ手を払い除ける。
「ちょちょちょっちょちょっと待って。誰がアイボウだっちゅうの! オイラにだって選ぶ権利ッつうものがあるだろ、権利が」
「ひゅ〜どろどろ〜」
「ヒィイッ!」ダメだ、オイラに選ぶ権利はなさそうだ。ナムナムナムアミダブツ。助けて百太郎。
「おいおい、そんなにビビリなさんなってば。オレ、そんなに強そーに見えるかい?」
 魔物のクセにユーレイを怖がって頭を抱えてるオイラが、フィルにはおかしくてしょうがないみたいだった。頭にわらクズをかぶったまま、恐る恐る振り返る。「……全然」
「うはははは、あーはははは、ほんとに面白いなー魔物クン!」ユーレイはひとしきり笑ったあと、オイラを真顔で見た。「心配せんでも、オレは悪党じゃない、いいユーレイさ! 何だ、そんな不信の目で見るない。これでもオレぁ、ちゃきちゃきのリリザッ子だぃ」
「リリザってどこさ」
「ええい、だからイナカもんは困るんだよなぁ。まあ、聞きない聞きない」
 フィルの話をかいつまんで話すと、こういうことになる。
 フィルは自称ギゾクってヤツで、悪い事する金持ちのフトコロからがっぽりゼニを盗んではビンボー人にばらまくのが仕事だったんだってさ。通り名は「クリムゾン・フェザー」。リリザの街じゃ知らない人はいないくらいの有名人だった、んだって。ま、オイラはリリザの町ってとこ自体知らないけどね。
 そんである日、このクリムゾン・フェザーが、ローレシアの山奥のとある鉱山で、採掘した鉱物を不正に横流しして私腹を肥やしてるらしいっていう証拠を見付けたんだってサ。セイギの味方クリムゾン・フェザー様としては放っておけないってんで、フィルは単身鉱山に乗り込んだってわけ。
 ンだけど証拠をいくら探し回っても出てこない。鉱山管理の責任者をストーキングして、クリムゾン・フェザー様は何と、この鉱山管理してるヤツがジャキョーのアクマシンカンとミツダンしてるのを見ちゃった、らしい。だけどさ、フィルの奴まぬけにも敵さんに見付かっちゃった。その場は何とか逃げ切ったものの、屋根から飛び移るときに足をひねって大ピンチ。でも、フィルは何とか敵をまいたと思ってた。
 甘かったんだネェ、これが。
 敵は魔法が使える訳よ。クリムゾン・フェザーはあまりにも、身を隠すには有名になり過ぎてた。リリザの町で知らない者はいなかったし、その名前は当然ローレシア城下街やサマルトリアにも知れ渡ってたんだから。しかもフィルってばさ、金を盗んだアクトク商人の悪事をコクハツするためにビラまでまいてたってんだから、どうやって逃げ切るつもりだったのか知りたいモンだね。とにかく、ジャキョーシンカンはクリムゾン・フェザーのびらを手に入れたか何かして、フィルの素性を突き止めた。フィルは足をケガしてたから逃げるに逃げられず、とっ捕まってここに連れてこられ、ボコられてオダブツした、って寸法。
「一度は逃げ出したんだけどよ、如何せん足がやられてっからすぐ見付かっちまって。きつかったねェ、あれは」フィルはしたり顔でふいた。ノーテンキだなぁ、ホントに殺されたのかな?「まあ、最後は頭をがつん、頭蓋骨陥没で死亡だったから、以外と楽だったけどよ」
 そんな死に方はしたくないなぁ。
 オイラが溜息ついてると、フィルが耳元で囁いた。「なあオルフェウ…う、舌かんだ……お前なら逃げられんじゃね? 手伝ってやるよ」
「オルフェでいいよ……って、えー!」
「や、だからオレはね、ここを一度逃げ出したことがあるんだってにーちゃん。さっきそう言ったろ?」フィルは透き通った鼻の頭をこする。「とうぞくをナメちゃいかんよキミぃ。オレは腕がないし、こうして自縛霊やってるから逃げられねぇけど、オルフェがオレを背後霊に加えてくれるならオレも力を貸してやる。ギブアンドテイクだ。どうよ? 悪い条件じゃないだろ。あ、ついでにそのガイコツ葬ってくれや。どうせ無縁仏だけど、墓くらいある方がカッコ付くだろ。リリザを救った義賊様だし」
「うーん」と、唸ってはみたものの、選択の余地は無いように思えた。確かにコイツ変だけど、別にすごく嫌な奴ってわけじゃない。ナリーノみたいに裏がありそうにも見えないし、コルテスみたくキモチワルクもない。それに、もしオイラが袋叩きにあったら、それこそオイラのせいで世界が滅びちゃう。このまま殺されるのを待ってるのは、もっとヤダ。
 オイラは、結局フィルの協力を受けいれた。

「……つまりだな、オルフェウス君」
 フィルは協力体制を敷くと決めてから、妙に尊大になった。気のせいかバックの火の玉が当社比150%程大きく燃え上がってるような気がする。「まずオレが、建物の中を偵察する。敵の配置やお前さんの荷物の場所を確認してくっから、オレがオッケー出したらここから逃げりゃいいわけよ」
「ふーむ。なるほどね。で、カギはどうすんだよ」
「ニヒヒ」フィルはわらくずの中に頭を突っ込んで、何やら探っている。「わり、手伝って。オレ、物理的に干渉できねーんだわ。忘れてた」
「何だ手伝わなきゃ行けないのかよ………何だこりゃ」
「しょーがねえじゃん。ユーレイなんだから、この世に物理的に干渉できないんだっての」フィルはオイラが取り出した手錠を見て、変な顔をした。「アホ、それじゃねえ。もうちょっと探せ」
 オイラが再びわらの山をほじくると、今度はドロに汚れたカギが出てきた。
「何だよ、きっちゃないなー。こんなの使えるの?」
「まぁ、拭いてみなって」
 つばを付けて拭いてみる。思ったよりキレイだ。さびも浮いてないし。
「それで鍵を開けて出なって。ろうごくのカギだ、大抵の鍵は空けられるぜ。お前にやる」フィルの言うとおり、錠前にカギを入れて、ひねってみる。かちゃっと音を立て、カギは簡単に開いた。
「オレが戻ってくるまでに奴らの手下がやってきて、カギ外したのばれたらヤバイだろ? 錠前はかけといた方がいいぜ」再び錠前をかけ直した頃には、フィルはもうどこかに姿を消していた。

 戻って来たフィルは洞窟の床に火の玉を使って、洞窟の大体の見取り図を描いた。洞窟はそんなに複雑な作りじゃないけど、地下二階で結構広いみたいだった。見張りは多くはないけどピンポイントに配置されてるから、出し抜くタイミングが難しい。
 オイラの武器と持ち物を取り返すのはそんなに難しくないだろう、とフィルは言ったけど、手紙に関しては流石に無理だから諦めるしかない、とも言われて、ちょっとフクザツな気分。あれを悪用されたらオイラどうしたらいいのか弱っちゃう。ハァ、トンヌラ達怒るだろうなぁ。
 脱出経路を確認した後、フィルが見回りをしてタイミングを計ってる間に、オイラは歩いても音がしないようひづめにわらをくくりつけて靴を作った。ぶっさいけど、はかなきゃ音がするからしょうがない。
 フィルが三度目の偵察を済ませて戻って来た。フィルはあごをくいと上げる。
 錠前を、わらの中に捨てる。
 扉を恐る恐る開けると、きいきいといやらしくきしみを立てた。
 手紙は惜しかったけど、結局オイラは荷物とフィルのどくろを持って洞窟を飛び出した。見張りに気付かれないよう近付くのが一苦労だったけど、身体を隠す場所が多かったのでそこは以外と楽だった。旅の道具を取り返す時の方が大変で、見張りの頭をぶん殴って気絶させる時は、ホントにどきどきした。気付かれて大声出されそうになったんで、近くのいすを振り上げてボカン。やや、オイラもずいぶん肝が太くなったもんだよ。ホント。
「……おかしいな、追っ手こねえじゃん」フィルが洞窟の方を振り返った。
「雨が降ってるからだよ」
「雨?」
 そういえばオイラはフィルに何にも話してなかった。これまでの事情をかいつまんで話す。オイラがおいちゃん達と一緒にこの世界にやってきたこと、ロトの三人の勇者達のこと、ナリーノのこと、世界を覆う雨雲の事……。
 フィルは神妙な顔付きで腕組みした。「……ネタじゃねーだろうな、それ」
「こんなとこでネタなんて話さないって。オイラ芸人じゃないんだから」
「じゃあ、何だよ。オレをからかってんのかよ。そんなん有り得ねぇだろ」
「ほぇ。……何で有り得ないの? オイラはホントのことしか言ってないよ。ウソついたってしょうがないじゃん」
 フィルはうーんと唸ってしまった。
「解った。確かにお前が今更ホラふいたってしゃーねーし、趣味の悪いおちょくりでオレを怒らせようとする性格でもないとはしよう。それにしたって、何でロトの勇者が魔物を背後で操りつつ、不老不死だか何だかわかんねーけどんな事しなきゃなんねぇ?」
「フィル、ひょっとして……怒ってんの?」
「もちろんだっ。オレは愛国者だぞっ」
 アイコクシャ、ねえ。オイラにはフィルの怒る理由がわかんなかった。「そんなに言うならさぁ、会ってみりゃいいじゃんアイン達にさっ」
 今度は、フィルがきょとんとする番だった。「はぃい?!」
「うゃ、だから、会えばいいんだって。わっかんねえかなぁ」
「わっかんねぇだろうなあ。じゃなくて、わかんねえよ!」フィルは切れてオイラの頭をぽかぽか殴った。イタいっちゅうの。「オメーふざけんのもいい加減にしやがれ。何で魔物が王様と知り合いなんだよ! ありえねぇよ! しかも、勇者様が魔王と手をつないで魔物を操ってた上に、その魔王の子孫だったなんてよ!」
「だからさっき言ったじゃんよ。天界に昇ってかみさまをやっつけて、願い事を叶えてもらうためだって。オイラだって、マリアが言ってたのを聞いたからそう言ってるだけで。言っとくけどオイラだって最初からアイン達とツレだった訳じゃなくてさ、デルコンダルから戻ってご対面、すわ、対決かってとこまで行きかけたんだからさ。そこに魔物達が襲って来て、一時休戦のまま……」
「それからして信じられねーって言ってんだよバカ、物分かりの悪いウマだな。ばかウマめ」
「ウマゆーなっ! このへっぽこ分からず屋ユウレイ!」
「うるせぇトンチキウマ。ウマウマウマ。ばーか弱虫ウマ」
「バカちんおばけ! ボケカスナス! バスガスバクハツ!」
「スカタン駄馬が何言うか。ウソツキウソツキ大ウソツキッ!」
「……やめよう」
「……そ、そうだね……」
 オイラとフィルは犬みたいにゼェハァ息を切らせた。こんなの、当事者がいないのに争ったってキリがない。「とにかく、保留でいいよな」
 勝手にしやがれ。
「どーぞ。で、ここどこさ」
「ンなこと言われても……」フィルはほほをかいた。「でも多分、大陸からは出てないんじゃないの。こんなド田舎、来た事ねぇや。一旦海岸線に出ようや」
 それからオイラ達は北上して海岸線を追って歩いた。雨は滝のようで、波は竜の牙のように岩肌を削り取って、時にはがけを超えてオイラ達をのみ込もうとした。牙にのみ込まれた流木が波間に消えていく。風と波の音以外何も聞こえない。
 行く手に、お城の先頭が森の中からぽっこり姿を現わした。
「あれは……サマルトリア城だ」
 フィルのつぶやきを聞くまでもなく、オイラは走り出した。

 サマルトリアの門は閉ざされていた。開けようと引っ張ったり押したりしてみたけどどう見たって無理なので、城壁を飛び越える。中空からのサマルトリアはどこもかしこも死んだように静まりかえっていて、人どころか犬っころ一匹いやしなかった。あるのは建物と、逃げようとしてそのまま固まった石像と、石像と同じくらい冷たくそびえ立つ、サマルトリア城だけだった。城門もやっぱり、ぴったり閉じてた。えいやっと飛び越える。
 お城の中庭に降り立つ。場内はいやに静まりかえっていた。かっぽかっぽぺちゃぺちゃ、ひづめの音がぬかるみに響く。雨はやや小降りになったかな。
「すいませぇん。誰かいますかぁ〜」
 返事がない。かっぽかっぽ、ぺちゃぺちゃ。かぽかぽ。石畳の上にひづめの跡が残る。
「おっかしいなぁ。まさかサマルトリアは全滅しちゃったとか………うわっ!」
「何者だっ! ……わああっ!」
 曲がり角から兵士が現われて、槍を突き付けたかと思いきやいきなり飛びのいた。腰をぬかしてあわあわしてる。
「どうしたのさ」
「まままま、魔物が二匹……わーっ! れ、レーン閣下ッ!」
 兵士はぴゅーっと走って逃げてしまった。
「フィル、お前見られただろっ。隠れてろよ」
「見られてない見られてない。そもそもオレはフツーの人間にはまず見えないし」
「じゃあ、何で二人なのさ言ってみな」
「知るかい。あ、来た来た」
 今度は兵士が何人かやって来て、オイラ(達)に槍を突き付けた。のこのこ付いていく。
 二つ目の角を曲がったところで、今度はオイラが腰をぬかした。
 オイラがもう一人いる!
 何なんだコイツ、と抗議する前に、そいつはオイラを指差した。
「こ奴です。こ奴がデルコンダルの手先のニセモノオルフェウスです!」
「はいぃ?!」
「御覧なさいあの貧相な間抜け面を。いかにもナリーノがやりそうな間の抜けた陰謀です。何よりの証拠に、奴らは王の親書を持っておりませんからな!」
 ははぁ。ようやく合点がいったぞ。
 コイツはジャキョートの手先で、オイラに化けてるんだなきっと。そんでもってオイラから取り上げた親書をタテに、何かはわからないけどとにかく、ヤバイ事を企んでるに違いない。サマルトリア側だって、こんな非常事態だからあやしい命令でもうのみにしちゃうだろうし、王の勅命状があれば逆らうわけにもいきゃしない。困ったなあ。
「むぅ……」
「どうなさいますレーン卿」
「どうもこうもありません」にせオレはレーン卿、と呼ばれた銀髪オールバックのおじいさん相手にきっぱり言った。「勅命状に逆らうおつもりですか。いいやレーン殿、貴殿が何も手を下さぬおつもりなら、いっそこのオルフェウスに一切合切をおまかせ下さいませ」
 え。え。何かちょっとヤバイよ? 何でコイツ、斧なんか持ってんだよ。これっていわば王手 チェック なんじゃないの? 困ってるバアイじゃないよ! 死んじゃうよオレ!
「待ってよレーンさんっ! オイラが正真正銘のオルフェだよッ! コイツこそがジャキョーの手先で、コルテスって奴がオイラから力ずくでチョクメイショをもぎ取ったんだいっ! 帰せこのヤロー!」
「ふん、でっち上げもいい加減にしくされ。大方、仲間の名前を出して信じさせようという作戦なのでしょうよ。そもそも」にせオレは飛びかかろうとするオレの腕を取った。うわ、すごい馬鹿力。「こんなアホガキに、トンヌラ国王陛下が国の命運を左右する親書など手渡すはずがありますまい」
「事実なんだからしょーがねえだろっ! どうせおいらぁへたれで根性無しで弱虫だよッ! トンヌラにだって出来損ないの役立たずって言われるし……手ぇはなせっ!」
 みんなはオレらを見比べてうなった。どう見ても似てないと思うんだけどなあ。
「と、いう事は、どちらかは偽物のオルフェウスという事になるか」
「そうだ。コイツが偽物だ!」偽物は得意げに胸を張った。
「ふむ」レーン卿は窓の外を見た。雨はまだ、ぱらぱらと降っている。するどいわし鼻に銀の髪がコインに掘られた肖像画みたいでカッコシブイ。
「両方がニセモノ、という可能性もないではないが……大方、ニセモノはモシャスか変化の杖で化けたのであろう。魔物は呪いの雨にも影響を受けぬから、本物なら術が解けても耐えられよう。……さあ、二人とも城の外に出て貰おう!」
 にせオレの動くのが、一瞬早かった。にせオレは城内へ逃げようとしたがあっという間に行く手をふさがれ、やけになって外に飛び出していった。兵士達は弓をつがえ追い打ちをかけようとしたが、レーンに制されて弓を降ろす。
「放っておけ、その内、石になる。よしんば魔物が化けていたのだとしても、逃げ出す程の小物よ」
 はたして、にせオレは門の外で石像の仲間入りを果たしていた。

「おーい、迎えに来たよぅ」
 ひ孫さんがむっつりした様子で、兵士達に連れられて現われた。オイラは手をブンブン振ったけど、ひ孫さんはふん、とそっぽを向いて無視。ちぇっ。
「べ、別に帰りたくなぞ無かったわ」
「まぁたそんなこと言ってぇ。あのね、もう御時世はえらぁく変わってる訳よ。いい?」
「どう変わっておるかは知らぬが、余には興味ない」
 やれやれ、打つ手無しだなあ。耳ふさいじゃったよ。
「せめてさあ、もうちょっと仲良くしよーよ。ね? オレ達友達」
 今度はそっぽ向かれた。
「ねえ、じゃあさあ、せめて名前、教えてよ」
 無視された。
 うーん、困った。名前くらいは教えてくれないと、ひ孫さんじゃ呼びにくいもん。第一他人行儀だし。おいらはミソをしぼってしぼって、ぽんと手を叩いた。
「よっしゃ、じゃああだ名で呼ぼー! おいちゃんのひ孫なんだから、ひーちゃん。いーだろ? 名前無いと呼びにくいし、ひーちゃんって何かかわいいじゃん」
「ひーちゃんは止せ。……ルアク、だ…」
 オイラはしばらく腕組みし、考え込んだ後「やっぱりひーちゃんでいい」とひーちゃんの手を掴んでムリヤリ握手した。ひーちゃんは「うつけものっ! 折角名前を名乗ったというに、名で呼べ、名で!」って怒ってたけど、ルアクよりひーちゃんの方が断然言いやすいもんね!
 そんなやりとりをしてるとレーンさんが戻って来た。改めて見ると、品があって、かっこいいおじいさんだ。しかも頭いい。ハーゴンさんにちょっと似てるかなあ、と思う。
「二人とも、お急ぎか? もう日も随分落ちた、もし急がれるのでなければ、一晩留まって行かれるがよかろう。ムーンペタの様子も伺いたい処であるし、雨が止むようであれば、拙宅で夕食を如何かな?」
「そうだね。オイラもトンヌラ達に国の事情って奴を伝えなきゃ行けないし、事と次第によっちゃローレシアまで行かなきゃいけないから、色々聞かせてもらわないと」
「あい解った……ん?」ろうかの向こうからばたばた足音が聞こえて、会話は中断した。伝令が息を切らせて走ってくる。
「閣下、アレフガルドからの伝令が」伝令役はレーンさんに素早く耳打ちした。
「何? デルコンダルがアレフガルドに、銀の竪琴を寄越すよう圧力を掛けてきたと。ふぅむ……」
「銀の竪琴?」
「勇者ロトが残した三種の神器と比せられる、アレフガルドの至宝。吟遊詩人ガライの愛器とされ、その音色は魔物達をも魅了するとか。今はガライの霊廟に収められていると聞き及ぶが……何故そんなものを今更、デルコンダルが欲しがるのやら。デルコンダルにはあれを手にするに足る正統な権利など何処にもない筈」
 ひーちゃんはやるせなげにため息をついた。「はっ、三種の神器をあっさりと国外に持ち出させたラルス21世の事じゃ。この時勢を知ればデルコンダルにあっさり引き渡してしまいかねんのぅ。やれやれ、困った王様じゃ」
 オイラはしばらく考えた。このままじゃ、いけない。
「ねえ、レーンさんっ」
「何だね? オルフェウス殿」
「オイラ、ひーちゃんと一緒に銀の竪琴を取りに行くよ。ナリーノが何企んでるか知んないけど、あいつに渡しちゃダメだ。確かにローレシアも心配だけど、ナリーノの奴は待っちゃくれないもの」
 ふてくされ顔のひーちゃんが目を丸くした。「な、なんと……! よ、余は供するとはひとっことも、申しておらぬぞっ」
「オイラ一人でいけっての? ひーちゃん、薄情だよ……みんながあの雨のおかげで困ってるってのにさぁ」
「うぅ……」ひーちゃんはくさった肉を食べちゃったような顔でオイラをにらんだ。「詮無い、行こうぞ」

 夜、雨が止んだので用心に傘を差して、町中を歩く。どこの家も死んだように静まりかえっていて、町中は廃墟みたいだった。オイラはふと、自分の故郷を思い出して身震いした。
 屋敷は立派だったけど中は割と質素な感じで、清潔で気持ちのいいところだった。それでもやっぱりあのじっとりとした空気が満ちていて、ここもムーンブルクも同じなんだな、と思う。やっぱり乾き切らないタオルを渡されて体を拭いてると、奥の部屋に通される。だんろは空っぽで、部屋の空気は冷え切っていた。湿ったタオルが寒さ倍増。
 結構待たされてから食堂に通される。食堂は暖かくてうそみたいに居心地が良かった。がたがた震えてるのを見てレーンさんは気の毒そうに、奥の部屋に暖房を入れていないのは節約の為だと教えてくれた。
 食卓でごちそうにありつきながら、オイラたちはレーンさんがサマルトリアの現状をひとくさりやるのをふんふんと聞いていた。ごちそうはみんな温かくておいしかったし、レーンさんは話し上手でオイラはついつい引き込まれてしまった。サマルトリア国内の治安は何とか平静に保たてれいるらしい。民は王の不在を不安がってはいるだろうが、雨のお陰で家から出られないせいでかえって不穏な動きは見られない。ただ、常に監視が行き届いているわけではない。ローレシアとは密に連絡を取れているが、食料が底をついた時、どうなるかが想像も付かない。時々魔物たちが夜、雨の止んだ合間をぬって様子を見に来る。いつなんどき、魔物達が雨の最中に大群を率いて襲ってこないとも限らない。
「流石にアレフガルドへ向かうと聞かされた時には驚いたが」レーンさんはパンにバターを塗った。「ローレシアへはこちらから使者を出すから、アレフガルドへ急がれるが良かろう」
「うん。ありがと。参考になったよ。ムーンペタで待ってるみんなにも早く伝えたいけど……ひーちゃん、ごめんね。おいちゃん達に会わせてあげられなくて」
「別に良い」ひーちゃんは相変わらずオイラには冷たい。「会いたくもない。そのままアレフガルドに置いていってくれれば良い。勝手に帰る」
「あ、ああのね、ひーちゃん。お城、もう無いんだよ」
「何ぃ!?」
「アハハハ……トンヌラが爆破しちゃった♪」
 あ然とするひーちゃんの口から、ひよこ豆がぽろっとこぼれた。ひーちゃんはあわててひよこ豆を拾い上げて口の中に放り込んだ。
「おいちゃん……?」
「あれ、レーンさん知らない? オイラは元々ヨソの世界にいたんだけど、おいちゃんやハーゴンさん達と一緒にこの世界にやってきたんだ。最初はトンヌラ達敵だったけどさあ、今は、まあ、一応停戦中」
 レーンさんは暫く不思議そうにオイラを見つめ、何度も瞬きした。空になったスープ皿を見つめ、何か考え込んでいた。
「……彼の事を……御存じか?」レーンさんは、慎重に言葉を選んできた。その時は気付かなかったけど、今にして思えば真剣そのものだった。
「うん、一緒に旅をしてきた仲間だからね。いい人だよ。時々すんごくコワいけど」オイラは豆のスープをすすった。「あったかくてうまいなあ、これ」
「仲間……か」レーンさんはオイラが豆のスープをすくってる間、ずっと何か考え込んでいた。オイラが全てを話し終わると、レーンさんはひーちゃんとオレの顔を見比べ、意を決して口を開いた。しわの深い、彫像のようなおごそかな、威厳に満ちた話しぶりに、オイラは背筋を正した。
「もし、私が……オルフェウス殿のお仲間の、嘗ての仲間だったとしたら?」
「……?!」
 ひーちゃんは目をまん丸くした。今のオイラなら解る。
 レーンさんは、ジャキョーのシンカン、なんだ。
「……そんな事、オイラに、言っちゃって良かったの?」
「オルフェウス、君は嘘を付けない性分だと踏んだから言ったのだ」レーンさんはしわだらけの指を、唇にのせた。「私達だけの、秘密にしてくれるかね」
 オイラとひーちゃんはうなづいた。
「よ、余には、関わりのない事じゃ。……オルフェッ」
「あ、ひーちゃんがようやくオイラの名前を呼んでくれたっ。いゃあ、良かった良かった」
「そ、そんなつもりでは……」ひーちゃんはまたふいっとよそ見して、塩漬け肉とジャガイモのソテーにフォークを突き立てた。
 オイラは、レーンさんがオイラ達を見ているのに気付いた。
「え、な、何?」
「仲良きことは美しきかな、と」レーンさんは微笑んだ。年輪が顔一杯に刻まれて、寂しそうに見えた。
 オイラは食事をしながら、ハーゴンさん達との旅の様子を、おぼえてる限り細かく話した。ハーゴンさんの話を聞いているレーンさんは真剣そのもので、決して笑ったりはしなかったけど、どことなく嬉しそうにオイラには見えた。
「ねえ、レーンさん」オイラは食後のコーヒーをすすった。「レーンさんはさあ、アクマシンカンなんでしょ。ホントはハーゴンさんにすごく会いたいんじゃない? 現にオイラ達がさあ、ムーンペタに陣取ってることが解ってから、一杯昔の仲間が会いに来てたよ。レーンさんは会いに、行かないの?」
 レーンさんは悲しげに、首を振った。
「無理だ。目通りが叶うならと思いはするが、夢想に過ぎない。――私はサマルトリアの異端審問官なのだ」
「え、それ、どういうこと?」
「私の立場は、宗教国家たるサマルトリア王家の権威をないがしろにする邪教徒達を殲滅する事。こう言えば、解るかな?」
 そうか、だから、今は表の立場上、敵同士って事なのか。
「でも、サマルトリアって、敵だろ。何で敵の子分になってんの」
「敵を欺くにはまず味方から、と言うではないか。それに」レーンさんは目を伏せた。「我々はもはや、一枚岩ではない。君達とは逆で、昨日の味方が悲しいかな、今日の敵となっているのだよ」
 だから寂しそうな顔してたんだな。大人の事情って奴だと思うけど、大人の事情って不便だなあ、とオイラは、割り切れない気持ちを感じて、夕食を終えた。

 次の日。
 旅立ちにあたって、レーンさんはオイラに、もしデルコンダルへと行くのなら、義理の娘に会って欲しいと言った。
 ラーニャ王女の侍女・エリスはレーンさんの養子で同じくジャキョーのシンカンなんだって。もし、デルコンダルに何れ向かうのであれば、王女と、エリスのことを宜しくと頼まれた。ラーニャ王女はトンヌラの泣き所、王女の死命を握られている限りは身動き取れまい。王女の無事を確保する様王は君に頼むに違いない。エリスはさとい子だから、その時はきっと助けになってくれるだろうって。
「うん、わかったよ」オイラは親指をぐっと立てた。「レーンさん、ホントありがとう。こんなに良くしてもらっちゃって、オイラ達いいのかな? それと……ひーちゃん、ゴーモンとかされてるかとオイラビクビクしてたよ」
 レーンさんは笑った。「決してその様な事は。客人 まろうど として最大限に歓待するよう王より申しつけられておりまする故」レーンさんはオイラに小さな荷物を二つ、渡す。「これからアレフガルドに旅立たれるなら、必要となるであろう」
「阿呆」ひーちゃんがオイラのすねをけった。「そんな事するものか。もう少し物を考えてから言え」
「あいたたた……暴力反対。それにしても、レーンさんってイイ人だね。……それってやっぱ、オイラがハーゴンさんの旅仲間だから、なのかな」
「それも無論ありましょう。ですが」レーンさんの手は、しわくちゃでごっつくて、でも、暖かかった。「王の命を受けた方ですから。それに、何より……我が敵の敵であり、世界を救う可能性として君を認めているのですよ、オルフェウス。ですから必ず、銀の竪琴をナリーノの手には渡さぬよう、くれぐれも、宜しく」

 アレフガルドへの旅の途中、ずっと気になってた事を聞いてみた。
「ねぇ、ひーちゃんはさぁ、おいちゃんの事嫌いなの?」
 ひーちゃんはしばらく困ったように黙り込んでうつむいていたけど、結局小さく頷く。
「それってさぁ、よくわかんないんだけど、おいちゃんが昔、一杯人を殺したから?」
「さらっと凄いことを聞くのう……そんな昔のことは、余には関係ない。よしんばあったとしても、どうでも良い」
「んじゃ、何で?」変なことを言うなあ、と首を捻るオイラに向かって、ひーちゃんは独り言のようにつぶやいていた。
「ひい爺様が、人間だったら。ただの、人間だったら、父様は殺されなかった。父様が殺されたのは、父様が人間ではなかったからじゃ。父様が…人間だったら………」

■Chapter3.オルフェウス、意外な才覚に目覚めるの事。

 アレフガルドについてすぐ、オイラ達はラダトーム城に直行して、ひーちゃんに曰く『国王陛下への拝謁を賜』った。要するに王様に会いに行くって事なんだけど、最初は化け物呼ばわりされて取り囲まれたんで、ここでオイラの旅もジ・エンドかと冷や冷やしたよ。オイラが急いで手紙を見せたおかげで、すぐにでもってんで案内してもらったんだけど。
 でも、王様の態度はお城の人達よりもっとヒドかった。王様は玉座の前を、うろうろ、うろうろ。ひーちゃんの方がずっと堂々としてて王様らしかった。ひーちゃんは王様じゃないけどね。あんまり気の毒だから、オイラ思わずごめんなさいってあやまっちゃいそうになったよ。王様ってば最後には泣きそうな顔でオイラ達に土下座して、どうあっても銀の竪琴をナリーノに引き渡さないと、この国は滅びる、聞かなかった事にしてくれ。たのむって泣きつかれちゃった。こんなんじゃ、トンヌラじゃなくたってナメてかかるってもんだ。
 王様じゃお話しになんないなぁ、しょうがないってんで、オイラ達は銀の竪琴を目指してガライに行く事にした。外は久し振りの晴れ、でも時々曇り。ようやく雨ざらしの旅が終わったって訳。外はあいにく、肌寒いけど。オイラは旅疲れの出たひーちゃんを、背中に乗せてのんびり歩き旅。
 ガライに着いて早速宿を取ろうと町中をうろうろしていると、なつかしい顔に出会った。
「よ! オルフェじゃん。何だ? ちっちゃくなったなぁ竜王の奴」
「概ね、御仁の事であるから何か悪さでもして呪いをかけられたのであろう。おお、可愛らしい可愛らしい」
「やや、違うってば」オイラはひーちゃんの頭をなでくり回すテリーとデュランに向かって慌てて手を振った。「これはひーちゃん……ってて」
 ひーちゃんはオイラの頭をどつき倒すと、背中から飛び降りた。「余はひい爺様では無い。ひい爺様のひ孫じゃ。宜しく頼むぞ」
「へぇ、アイツひ孫がいたんだ。見れば見るほどそっくりだなぁ。やや、さっきなでくり回したのはゴメン」テリーはひーちゃんと握手して、手を離す。「ここに来てから奴が結構な大物だったの初めて知ったよ」
「さもありなん」デュランはうんうんと腕組みをしてさかんにうなづく。「ところで、貴殿等はここへ、二人きりで何をしに?」
「実は……」
 オイラは二人と別れてこの世界に来てから起った事全てを洗いざらい――といっても、ひーちゃんがいたから、リカルドさんが殺された事は伏せた――二人にしゃべった。この世界が危機におちいっていること。世界を破滅させようとしてる悪党が、圧力をかけてアレフガルドに銀の竪琴を差し出すよう要求している事。そして、ユカが人質に取られていること。オイラ達は二人に協力を求めた。二人とも旅なれてるし、手伝ってくれたらきっと力になってくれると思ったから。
 でも、テリーの答えはノーだった。
「んな事したって金になんねぇよ。それに、この世界が滅びたって俺達は他の世界に行けばいいんだし、関係ねぇもん」
「えー! 何だよケチ、友達がいのない奴だなぁ」
「誰が友達だよ誰が。それにさ、手伝うにしろ何にせよ、先立つ物は金なの、カ、ネ」テリーは親指と人差し指で輪っかを作って突き付けた。「俺達はお前らが優勝さらっちゃったせいで、見込んでた収入が全部パーだから苦しいの。こっちこそ金になるスポンサー紹介してくれっての」
「す、スポンサー……っていうと、えーと……」
「金づるだよ」テリーはあっさり言った。「金持ちのツレ……なんて、オマエにはいなさそうだもんな。じゃ、また」

 テリー達と別れてから、ひーちゃんと二人でぶらぶら、町中を歩く。
 ガライって街は吟遊詩人ガライが作った街……って事になってるけど、そのルーツ自体はもっとずっと古いものらしい。ガライの正体は解ってなくて、伝説の吟遊詩人だって事と、ガライの歌は魔物の心を開かせる力を持っていて、使ってた銀の竪琴は魔物を呼び寄せる、っていうただそれだけ。この街がガライって名前になる前はもっと違った名前が付いてたらしいけど、今となっては誰も知らない。ガライが何者だったのかも、どんな歌を歌ったのかも知られてない。街の真ん中には立派な建物があって、ガライの墓って呼ばれてるんだけど、ここは記念碑みたいなもので、墓自体は魔物がウヨウヨしてる迷宮だから普通は立入禁止なんだって。ぞっとしないなぁ。
 港の方へ足を向けると、夕方なのにずいぶんにぎやかだ。行ってみると、街の人達が掲示板に群がってわいのわいの言っている。
 何だろう、とのぞきこむと、こんな事が書いてあった。

「-告知-
 ガライの墓より銀の竪琴を持ち帰りし者に、銀の竪琴と引き替えに懸賞金5000Gを授与す。
 なお、ガライの墓は明後日午前10時に解放。墓所探索に参加を希望する者は、当日9時までにガライの墓前詰所にて参加申し込みを行うこと
ラダトーム王家」

「…ひーちゃん、これ、やべぇよ」
「じゃの」ひーちゃんは頷いた。「是が非でも参加せねばなるまい。じゃが、もし我等がこの探索に参加を拒まれたら……否、それ以前にガライより叩き出されたら」
「オレら、フツーに溶け込んでるよねぇ……そういえば……。テリーもデュランも……」オイラは周りを見回した。誰もオイラ達に石を投げたりおどろいて逃げ回る人はいない。魔物狩りがあったんじゃないの?
「言われてみれば」ひーちゃんは首をかしげる。「この御時世故諦めたか、それとも……それどころではない、か。最悪勅命状がある故、叩き出されたりはせぬであろうが……嗚呼、早速やっておるぞ。あの二人」
 ひーちゃんが指差した先で、テリーとデュランのコンビが早速騒ぎを起こしていた。
「魔物が参加出来ねぇって法はねえだろ! えぇ?」
「そそそそんな事を言われても……」
 二人がいるって事は、ガライの墓前詰所ってここの事らしい。主にテリーが、詰所の役人に詰め寄って役人を困らせているって構図。オイラ達も用がある場所だし、とにかく二人を止めようとオイラ達は間に割って入った。
「ねぇ、ちょっとちょっと」
「ギャー、魔物だぁ!」
 ワンテンポ遅れた役人の叫びにオイラは苦笑いを浮かべた。いまさらな気がしないでもない。ひょっとして、忘れられてたのかな?
「あのさぁ」ギャースカさわぐ詰所の役人達をヨソに、オイラはテリーを呼んだ。「この世界さぁ、魔物と人間は共存してないんだって。それどころか、魔物狩りってのがあって、魔物はみ〜んな皆殺しなんだってさ。気ぃつけた方がいいぜぇ。……ま、デュランさんは簡単にやられたりしないか」
「当たり前だ」デュランがうなずいた。「我々は、別に銀の竪琴を……いやいや、人間を取って喰おうとは思っておらん。安心召されよ」
「オイラが保証するよ」オイラはデュランの肩をなれなれしく叩いた。「あ、オイラ達ももちろん登録するからさー、よろしく!」
「ま、待て。魔物の参加を認めたわけでは……」
 うろたえる役人のテーブルの上に、オイラは身を乗り出した。「あーそーんなこと言っていいんすかぁ? ヤバイと思うよぉそゆーの。もしさ、魔物をイジメたりしたら、魔物の仲間が助けに来て、イジメた奴らにフクシュー! なんて事になっちゃうかもしんないじゃん? ムゲにしない方がいいと思うよ〜?」オイラはにやりと笑った。いつもはビビッてる立場のオレが、ヒトをビビらせてると思うと結構おかしいよねえ?
「……ということは、そこのヒトも、魔物か……?」
「それはヒミツです」ひーちゃんを指差す役人に向けて、オイラは人差し指を立てた。「ただ、ヤンゴトナイ筋のお方であることは間違いないけどね。テイチョウに扱わないと、あとでコワイ目にあうかもよぉ? つー訳で、ついでに宿の手配もお願いしたいんだけどイイかなぁ?」

 ヤンゴトナイ筋ってのがソートー効いたのか、それとも脅しのせいか、とにかくオイラ達はテリー&デュラン組と同じテキトーな宿を手配してもらった。お金払うよってさんざん言ったのに、タダでいいって押し切られちゃった。もっとも、ひーちゃん曰く見張っとくためだろうって言ってたけど。で、オイラ達は、再度テリー達に協力を申し出ようとテリーの部屋にオジャマしたってわけ。
 んでも、テリーの奴、素っ気ないんだぜ? オレがいなかったら宿に泊まれなかったかもしんないのにさぁ、カネカネカネカネウルサイのなんの。そんなにカネがいいのかよ! 確かにキラキラしてキレイだけど、なんでそんなにカネが欲しいのかオイラにはさっぱりわかんねぇ。宿のことだって、押しつけがましいってはねつけられちゃった。ちっとは感謝しろっての!
 とにかく、オイラ達は、何とか銀の竪琴を自分達で手に入れなきゃならなくなったってわけ。ライバルは増えるし、ひーちゃんは自信がないってさっさと布団に潜っちゃうし、オイラ一人で何とか出来るわけないじゃん。ひーちゃん頼りにしてるのにぃ。参ったなあ。
「あーあ……この世界もゼントタナンって奴だよなあ……滅びちゃうのかな」
「おいおい、弟子。勝手に世界を滅ぼすなっつーの」
「うげ。いきなり声かけんなよフィル」オイラは背中越しに、おどろおどろしく火の玉 ウィル・オ・ウィスプ を漂わせるフィルをにらんだ。サマルトリア以降大人しくしてたから存在忘れてたっちゅうの。「弟子弟子言うなっ。認めてないって……あー、びびった」
「朝からずーっとみてたけどよ、ホントお前ビビリだよなー。ケケケ、おもしれぇ」くそ、フィルの奴。ユーレイだからって頭ばしばし叩くなっ。「何とかしたいんだろ、銀の竪琴。それにしても世も末だよなぁ、アレフガルドの至宝をヨソの国にくれてやるなんて、王様おかしいぜぇ」
「うん。あの王様じゃぁ、どうしようもないよねぇ」オイラは窓の外を眺めた。「だからこそ、オイラ達が手に入れなくちゃいけないんだ。世界をナリーノみたいなアホのなすがままキャベツがパパにさせないためにも!」
「タマネギはさしずめまご?」フィルが茶化す。「さっきの意見はオレも賛成。あのヘタレ王見てたら胸くそ悪くなってきたぜ。ここは一発がつんとTell me trueだ!」
「何それ」
「いーんだようっせーな。師匠に一々逆らうなっ」フィルの指が、オイラにでこぴんを喰らわす。「いいか、オレはこれでも生前はプロの、しかも一流のドロボウさんだったんだぞ。トラップなら任せとけい。いいか、作戦を授けてやるから、ありがたーく聞くんだぞオルフェ」

 次の日の朝はうすぐもり、晴れたような晴れないような眠たげな、あいまいな天気。
 オイラ達は手続きを済ませていたので、9:00頃に墓所前に行った。着いた頃には既に、いかにもな腕じまんがガライの墓所前に集まっている。墓所と言っても野外ステージみたいな作りになっていて、多くの吟遊詩人がここで、ガライに歌を捧げるんだそうだ
 歌かぁ。
 妖魔の国にいた頃、人間からゆかいな歌を教えてもらった事がある。オイラがその歌をまねると人間達は手を叩いてうまいうまいとほめてくれた。けどある日、オイラが歌うのを見咎めた上級妖魔につまらぬ歌を歌うなと言われてから、オイラは人前では歌わなくなった。妖魔の世界じゃ美しくないものは受けが悪いんだ。
 もう妖魔はいないから自由に歌ったっていいんだけど、オイラの歌は人に聴かせるもんじゃないとどこかで思ってて、人がいると気恥ずかしくて何となく歌う気になれない。
 吟遊詩人っていいなあ、なんてぼんやり思ってると、司会が野外ステージに役人らしきえらそうな人を呼んだ。ちょびひげの役人はすその長い服を引きずって、ステージの真ん中でふんぞり返ってる。
「本日は晴天の中、よくぞこの困難な探索に志願してくれました。冒険者諸君!」おっさんはひげをしきりにしごいた。「ロトの勇者が墓所への門を開いてより100と有余年、再び皆さんの前に伝説が開かれる時がやってきたのであります」
 どうでもいいよー。とっととやってくれー。と、思ってたら、同じようなヤジがあちこちから飛んだ。代弁ありがと。
「えー、オホン。皆さんの逸る気持ちは解らなくもありませんが、何せこのガライの墓。魔物に守られる危険な墓所であります。参加者が当初の予想以上に多数に上った事もありまして、我々としても不要な犠牲は出したくない。そんな訳で、勝手ながら簡単な試験によって参加者をふるいに掛けさせていただく所存であります」
「試験じゃと?! 聞いておらぬぞオルフェ。どうする」ひーちゃんが腕を引っ張ってきた。
「さ、さあ……どうしよう。オイラ読み書きソロバンは何とか出来るけど、分数の割り算は無理だよう……えーと」
 たちまち会場はブーイングが吹き荒れた。試験なんて聞いてないし、どうしたらいいのかさっぱり解らない。フィルの助け、借りられるといいんだけどフィルはあんまり賢そうじゃないしなあ。
 うーんと首をかしげてると、おっさんはあいさつを終えてステージのすそに引っ込んでた。司会がマイクを持ち直し、再びステージのすそを指す。
「さて本日はすばらしいゲストをお迎えしております。伝説のハイパーお笑い芸人パノ……もとい、鏡小路パノまろさんです! では、パノまろさんどうぞ!」
 ぱ、パノまろぉ?! か、かがみこうじぃ?!
「どうも、パノまろですー。ガライの皆様方初めまして。おお、ガライの冒険者はガラいいですなぁ!」
 ざわ……ざわ……。客席が揺れる。オイラも揺れる。どう見ても、パノンだなあ。
「相棒のミノーンが税金ミノーンで行方不明になりましたので、新しい相棒、あくまのカガミ君を皆様に紹介いたします。どうぞ!」
 ごうけつぐまがあらわれた!
「あ、クマのかがみぃ!」
「ちゃうがな!」パノまろがツッコミを入れると、ごうけつぐまは粉々に砕け散った! パノン…まろはほうきを取りだして、手際よくカガミのかけらをちりとりに集める。
「砕けたカガミのかけらは井戸にいど〜」パノン、もといパノまろはカガミを井戸の中に放り込んだ。
「…な、何なのじゃあれは」ひーちゃんがかたかた震えていた。
「う、くくく……ひーちゃん、しーっ」
 井戸が突然、もりもりっとふくらんだ。正確には、ふくらんだのは井戸じゃなくて井戸の中身。だと思う。うろこの生えた中身はもりもり大きくなって、ものすごい化け物があらわれた!
「挑まねきゃいどまねき!」
 パノンは無言で、いどまねきの頭をちりとりで叩いた。いどまねきは出てきたのと同じぐらいゆっくり井戸の中に沈み込んでいった。「いどまじんおいどまします……」
「ども失礼しましたー」
 会場は水を打ったように静まりかえった。オイラは笑いをこらえようと必至にお腹を抱えてたけど、はっと気付いて周りを見たら、辺り所々に氷の柱がぽつん、ぽつん。当りの空気が、ひんやり冷たい。
「ただいまのがガライの墓に挑む冒険者諸君の第一審査です。この程度のダジャレで凍っているようでは、ガライの墓の怖ろしい魔物達にはかないませんので、参加を辞退して戴きます」
 オイラは一瞬、今何が起こったのか、司会の言葉の意味がさっぱり解らなかった。
「えーとう……」
「バカ、オルフェ、お前は合格なんだよ。しゃっきりせいっ」
 オイラは師匠……もとい、フィルにかつを入れられて、隣で凍りかけていたひーちゃんを無理矢理揺すぶった。ひーちゃんのほほには霜が降りてたけど、肩を揺すられてようやく正気に戻る。
「な、な、何じゃ今のは」ひーちゃんの目は泳いでた。
「深く気にしちゃダメだってば。正気を取り戻したならオッケー!」
「う、うむ……ちと、たちくらみが……」
「しっかりしてよひーちゃんっ。ほら、始まるぞ」
 オイラがひーちゃんの背中をバシバシ叩いていると、どんよりした曇り空にトランペットの音が響き渡った。

 オイラ達は急がず、迷宮入り冒険者達の最後尾に付いた。
 オイラ達が迷宮に入った頃にはお昼時に近かったので、まずは宿で持たせてくれたおにぎりを食べる事にした。埃っぽい迷宮の中だから、おにぎりをかばいながらだけど。
「わ、何だろこの触感。こりこりしてうめ〜ぇ」
「たけのこじゃな。沢山食べると吹き出物が出る故、気を付けられよ」
「だからって外して喰うわけにいかないじゃん」オイラはおにぎりをほおばった。中にちみっと、つぶしたおかか梅が入ってる。「うんめぇ〜」
「ま、そうじゃな…」ひーちゃんももぐもぐとおにぎりをほおばった。生まれ育ちのせいなのか、同じように食べてるのにひーちゃんの方が上品に見えるのは何でだろ。「しかし、こんなにのんびりしておって良いのかのう? 他の連中はどんどん地下に潜っておるに相違ない」
「焦ったってしょーがないじゃん」オイラはひーちゃんのほっぺたに付いた米粒を取って口に放り込んだ。「それに、ワナだらけらしいし、後から行って、どんなワナがあるか解る方が安全だよきっと」
「セコいのう…」
 ひーちゃんがほっぺに付いた米粒を食われるのを恨めしげに見つめてるのに気付き、オイラはニッと笑った。「なぁーに、オイラの師匠がそうしろって言ってるんだから、間違いないって!」
 ゴハンの後は、ひーちゃんと二人で人の通った跡を探すのに専念する。最初オイラがレミーラの呪文を唱えようとしたけど、ひーちゃんが『それでは我々の存在がばれてしまうではないか。目立たぬに越したことはない』ってんで、たいまつは後で確保する事にした。灯りなんかなさそうに思えるだろ? それがねー、違うんだよ。人間って奴は不便でさ、夜目が効かないから最初のうちは松明やレミーラの灯りがあちこちで点ってて、オイラたちはそれを頼りに迷宮を歩き回った。そうこうしてるうちに、ワナに引っかかり組がちらほらと出始めて、オレ達はワナに引っかかり組の持ち物を漁ってたいまつをゲットするって寸法さ。……結構えげつないよなぁオレ達。んでも、まあ、いいか。ねぇ? 後は、魔物達の死体をチェックだね。魔物達が死んでるって事は、その先に人がいるって事だから。
 ひーちゃんはリレミトの呪文が未だ使えないから、帰り道が解らなくなると困るってチョークで、壁や床に印を残して行った。時々メーダロードやヘルゴースト、ドロルメイジやドラキーマが現われて襲って来たけども、あんなのはオレ達の敵じゃない。ひーちゃんは初歩の呪文は使えたし、オイラだってフレイルを振り回してぼこぼこ殴ってやればあっという間だった。
「…大分、深く潜ったよねぇ?」今オイラ達がいる処には、先人の跡はもう、無い。オイラ達が一番奥深くにいるって事の証だ。
「地下3階…かのう?」ひーちゃんはオイラの代わりに地図をおぼえる係をやってくれていた。「おお。地下に降りる階段じゃ」
「待った。ワナかもしんないし」オイラはひーちゃんの杖を借りて、慎重に床を押しながら歩いていく。「多分、大丈夫」
「ん」ひーちゃんはしかし、階段の前まで来て首をかしげた。「今、下の方からやにの燃える匂いがしたような」
「んでも、誰もいなさそうだよ。灯りもないし。とにかく、行ってみよう」
 階段を下りて昇ると、そこは広間になっていた。まっすぐ広間を貫く、周りより一段高くなった道を、ひづめの音を響かせながら歩く。心臓がドキドキいって、止まらない。
「わ、ワナは、いいのか」
「う、うん……」つばを飲み込み、ひづめを鳴らして進む。
 オレ達の前に、魔法の結界に守られた銀の竪琴が台座に飾られていた。
 結界を越えようと、足を進めた時だった。
「どわっ!」
「ぎゃっ!」
 オイラもひーちゃんも、背後から誰かに突き飛ばされて勢い良く転げ落ちた。おしりをさすりさすり起き上がると、いつの間にか銀の竪琴が無くなってる!
「いやぁ、悪いな。銀の竪琴ゲットだぜ!」
 銀の竪琴を頭上にたかだかと掲げたのは、テリーとデュランの師弟コンビだった。
「うっそーん! 後出しだぁ! ヒキョーだぞヒキョー!」
「全然卑怯じゃないぜ?」テリーは銀の竪琴を頭上で軽く振る。「んじゃお前らだって後出しだろ?」
「……全部、見ておったのじゃな」
「その通りだ」ひーちゃんの問いにデュランが答える。「チョークの跡、役に立ったぞ」
 オイラは舌打ちした。さっきからずっと、付けられてたのかよっ。
「わはははぁ〜い♪」嬉しそうに片足でくるくる回るテリー。こんなところは妙にガキっぽいんだけどなぁ。「5000ゴールド、ゲットォ! 久し振りにんまいもの食えるぞ〜やはは〜ぃ♪ んじゃ、悪いけどまたなぁ〜」
「生憎だったな。また、地上で会おう。リレミト!」
 呆気に取られてるオレ達を残して、二人は忽然と消え失せた。

 のったらくったら、重い足取りでひーちゃんのチョークの後を追いかけて地上に辿り着くと、ちょうどテリー達師弟コンビが野外舞台の上で銀の竪琴をラダトームからのお使いに引き渡すところだった。人混みを掻き分けて、舞台へと向かう。
「どうしよう、ひーちゃん!」
「むぅ……」ひーちゃんは困ってたけど、やがて顔を上げた。「邪魔するか、ひったくるしかあるまい。オルフェウス、取って参れ」
「ひーちゃん度胸あるな……ってオイ、オレが取りに行くのかよ! ひーちゃんは何すんのさ」
「余は、ここで正体を現わして暴れよう」ひーちゃんはやや気乗りしない様だった。「嗚呼、今度は余が一族の名に泥を塗りたくる羽目になるのか。一族の呪わしき宿命 さだめ よりは逃れられぬものよな」
「なるほど。んでも、ひーちゃん大丈夫? やばくなったらすぐ逃げんだぞ」
「うーん」ひーちゃんは首を傾げる。「自信ない。……実は、あんまり正体を現わしたことがないのじゃ。嗚呼、こんなところでむざむざ命を投げ出す羽目になるやもしれぬとは。オルフェウス、余を犬死ににはさせぬでくれ。任せたぞ」
「ってひーちゃん、大げさだよ……」
 オイラが舞台の下でこそこそしゃべってると、隣のおっさんが、しー、静かにって人差し指を口元に当てた。酒飲んでんなこのおっさん。息くせぇ……じゃなくて、こっちは世界の命運に関わる話をしてるんだっつーのに、解ってねぇなあ。
「良し、ひーちゃん、行って来な!」
「……うむ」ひーちゃんは不満げに頷いた。オイラはもっとテリー達に近付きやすいように、押し合いへし合いしながら舞台脇へと回り込む。人混みの中にいたら、空飛ぼうと思ったって飛べないもの。
 舞台脇に陣取ったところで、オイラはひーちゃんにOKのサインを出した。
「魔物だーッ! 魔物の襲撃だーッ!」
 来た、とオイラは舞台の上に飛び上がろうとした。が、ヤジウマは誰一人、オイラは元よりひーちゃんさえも見てない。せっかく竜に変身したのに、ひーちゃんは困ったように首を傾げておどおどしてる。おいちゃんと違って、ちっこくて可愛いなぁ。と、思ってたら、ひーちゃんの金色の目がまん丸になった。
「魔物じゃ!」
「え? うわーっ!」空を見上げると、灰色の空一面にごまを散らしたような粒々が、猛スピードで近付いてくる!
「うわ、こっちにもいるぞ!」
「あ、いや、余は…………あー……魔物じゃな」
 魔物じゃな、じゃないよ。とにかく、街の人達はひーちゃんの登場に大パニック。一番パニくってるのはひーちゃんだけど。おたおたと辺りを見回して、あんぎゃあ、とほえて見せたり。そんな事をしている間にも、空から魔物達がいっせいに襲いかかる。
「ひーちゃん、あんぎゃぁじゃないってば! うわああああ……」そういうオイラも人混みにあっさりのみ込まれ、竪琴をぶんどるどころのさわぎじゃなかった。それどころかどんどん人並みに押し流されて、舞台から遠ざかっていく。舞台の上ではテリーとデュランが武器を抜いて応戦の構えだ。魔物達は人々には目もくれず、舞台目掛けてまっすぐに降り立つ。兵士達も槍を構えるが、テリーは降りろと兵士達に素っ気なく言い放った。兵士達が首をひねってる内に、上空からの影が射す。テリーは兵士を突き飛ばして身構えた。
「でぇえーい! 疾風突きぃ!」
 テリーが戦うとこを見たのは初めてだった。キメラ2匹がテリーのしっぷうづきを受けてなますになる。うへ。すげぇ。デュランがブーメランのように大剣を投げると、空飛ぶ魔物は次々粉砕されていった。すげぇな。カーッチョイイ!
 と、オイラも感心してばかりはいられなかった。えっちらおっちら人混みをかき分けて、舞台に手を掛ける。「おおおーい、テリィー、キャンディスサマのお通りだぁい! じゃなかった、テリー横!」
 テリーは振り向きざま、銀の竪琴をつかみにかかったヘルコンドルの首をはねた。「んだよ、シツコイなオルフェ! あっち行け!」
「そうじゃなくて!」オイラはでっかい声で叫ぶ。「それよこせよ! そいつら、銀の竪琴狙ってるんだってば!」
 はぁ? とまゆ寄せるテリーの横をすり抜けて銀の竪琴に手を伸ばしたグレムリンの体が、デュランの剣で真っ二つになる。
「悪魔斬りだ」デュランはぱっちりウィンクした。オイラもにやりと笑って、親指を立てる。
「ぐわっ!」しかし敵もさるもの引っかくもの。テリーが別の魔物と応戦している内に、バピラスが銀の竪琴をかっさらう。魔物は竪琴を重そうに引っかけながら、上空へと飛び上がる。オイラは急いで背中に背負っていた弓矢をつがえ放った。一本がぴすっとバピラスの足に当たって、竪琴が真っさかさまに落ちる。
「おわっと、あぶねい」テリーが両手で帽子を持って、竪琴をキャッチする。竪琴を脇に抱え、適当に突き刺した剣を抜いて構える。
「畜生、キリがねぇな……何でったってこんなモン欲しがるんだよ、こいつらはよ」
 銀の竪琴をしつこく狙う魔物達に、テリーは戸惑いを隠せなかった。が、そこはそれ、テリーだから割り切りも早い。テリーは帽子ごと、銀の竪琴をオイラに投げた。
「お前、持ってけ! 竪琴を守りながら戦うのはキツイ!」
「そんな、ちょと待ってよ。いくら何でも二人じゃムリだってば!」
「無理だと思うか? 妖魔の御仁よ」
 デュランにすごまれて、オイラは息を飲んだ。ゾクゾクする感覚が背筋を這い昇る。確かにあの大会じゃデュランはおいちゃんにいいようにあしらわれてたけど、間違いなくデュランはオイラなんかよりずっと格の高い上級魔族だ。オイラは竪琴を抱き抱えたままこくこくと頷いた。
「まかせた。……ひーちゃん、逃げっぞ!」
「おお! こっちじゃ、こっち」人混みの向こうで、ひーちゃんがちんまい手を振った。
 オイラは銀の竪琴を握り締め、ひーちゃんの方へと人の波を掻き分けて泳いでいく。だけど、魔物達は明らかにオイラ達を……っていうか、銀の竪琴をターゲットにしてた。街の人達はあっという間に散り散りばらばら、大急ぎでオイラはその間を駆け抜ける。
「わわっ!」
 辺りにぐわわんと不協和音が響いた。逃げる人に押されて、前のめりにひーちゃんに突撃したのだ。ひーちゃんはひっくり返り、ひーちゃんの角が竪琴を掻き鳴らす。ぐわんぐわんと、頭の中が揺れる。
「う、うう……き、気持ち悪いよぉ……」
「うな? どうしたのじゃ?」
 耳を塞ぐオイラに、ひーちゃんがしっかりせい、と肩を揺すぶる。オイラが顔を上げると、何だか奇妙な光景が辺りに広がっていた。まだ、ぐわんぐわんが直らないのかな?
 魔物達が、ぐねぐねと奇妙な軌道を描いて、動く。まっすぐ、歩いてない。
「……変なの……世界がぐにゃってる……うーん……」
「それだッ! オルフェウス、銀の竪琴を鳴らすのじゃ。何でも良いからでたらめに、歌え! 直ぐ!」
「え? え…え?」ひーちゃんに肩を揺さぶられながら、オイラはまだくわんくわんしてる頭をムリヤリしゃっきりさせようと首を振った。ひーちゃんに言われて初めて気付いたんだけど、魔物がぐねぐね動くのは、オイラの目が変だから、じゃあないらしい。でこを押さえてるとひーちゃんは銀の竪琴を押し付けてきた。くわんくわんの原因がこれだと思うと、銀の竪琴を鳴らすのはすごぉく気が乗らなかったけど、やれってんだからしょうがない。オイラは銀の竪琴を構え、適当にかき鳴らした。
「あー、あー。本日は晴天也、本日は晴天也。ニイタカヤマノボレ、トラ、トラ、トラ〜。うむ。美声ナリ」
「阿呆」ひーちゃんのちんまい手から繰り出される平手打ちは、見た目以上に強烈だった。オイラはけほんと咳払いをすると、思い付きの節回しもでたらめな歌を歌う。

「まものも ひともなかよくね♪
 まおうも ゆうしゃも スライムも〜♪
 みんみんみ〜んな おっともっだちぃ〜♪」

 辺りが、しんと静まりかえる。みんなは黙りこくった。魔物達だけがギャアギャアと、歌に合わせて鳴いたり踊ったり、飛び跳ねたりと大騒ぎ。
「ありゃ。どう、したの……?」
「どうしてもこうしてもない」ひーちゃんは断言した。「銀の竪琴は魔物を魅了する。伝説の吟遊詩人ガライは、その魔力にも似た歌の力を竪琴に込めたと聞くぞ。とにかく、歌え!」
「な〜んで、オイラだけ歌うんだよ〜♪」歌が途切れたらどうなるかと思うと、ついつい問いかけも歌みたいな口調になる。「ひ〜ちゃんもうったお、みんなもうったお♪ オイラだけが仲間はずれじゃオイラもい〜やだ〜♪」
「余は歌は歌えぬ」ひーちゃんは懐から何かを取り出した。「だが、笛くらいなら吹けるぞ。トンヌラに昔、貰った」
「ふ〜えでも手拍子で〜もだいじょぶさ〜♪ みーんな歌えばラッキハッピドゥ〜♪」
「……それって、俺らも歌えって事?」テリーは隣でうずうずしている師匠をうさんくさそうに見つめている。「師匠もやっぱ魔物なんだなぁ……」
「そ! そ! そ! みんなで歌おうレッツラゴ〜♪ ドーラキーもゴーレムもハッピハッピドゥー♪」
 テリーはおざなりに手拍子を打ち始めた。街の人達も最初は恐る恐る、段々楽しそうにステップを踏み、アカペラでハモりだす。家から楽器を持ってきた人もいた。たるをたいこ代わりに叩く人もいた。オイラはいつの間にかノリノリで竪琴を弾いていて、いつの間にかマドハンドとダンスを踊ってた。デュランがリズムに合わせて独りステージの上でタップダンスを踊るのを見て、デュランさんってこんな特技があったんだなあとオイラはひそかに感心した。ひーちゃんがやがて笛を吹き始めると、周りの魔物達は一匹、又一匹とすやすや寝息を立てて眠り始める。眠らなかった魔物も踊り疲れた様子で、楽しそうに手を振りながらガライの街から出ていったのだった。

「なるほどねぇ、あれは妖精の笛だったのか。道理で魔物達が眠っちまうわけだ」
「う、うむ。父上が先代ラルス19世より賜ったものじゃ」
 ひーちゃんの背中をぼんと叩いたのは、いかつい格好の戦士。ひーちゃんの正体が竜とはいえ、ひーちゃんはちっこいのでぶっ叩かれて思いっきりよろめく。ひーちゃんはむせながら、何とか椅子にしがみついて腰かけ直した。
 あの後魔物を退治してくれたお礼ってんで、オイラ達への感謝の宴ってやつが開かれた。オイラ達はシュヒンだから美味しい物を食べ放題、とはいかず、みんなに取り囲まれてたらふく飲まされた挙げ句にあれこれ話をせがまれ歌をせがまれ、正直、感謝ってよりは見せ物パンダの気分。お酒飲み慣れてないから、酔っぱらいはしないけどちょっと頭がくらくらする。
「おお、アンタあれか、テオドア様の息子か。なるほどなぁ、手配書の絵にそっくりだ」
 あれ、似てるかなあと思ったけど、黙っとくことにする。ひーちゃんは人前に引っ張り出されていやにビクビクしていた。
「て、て、手配書とは何じゃ」
「おいちゃん達がさぁ、10000ゴールドの賞金かけられてんだ」びびってるひーちゃんの耳元に、そっと囁く。「へーきだよ、オレ達英雄だもの」
「余には賞金などかかっておらぬぞ。うわ、わわわわ……」
 ひーちゃんはぶつくさ文句を言う間もなく、おっさんやおばちゃんやおねーさんやおにーさんに頭をこねくり回されていた。かーわいい、とか、そっくりだねぇ、なんて言われてる様子からすると、ほっといても大丈夫そうだ。「ね、テオドア様って誰」
「余の父上じゃ」ひーちゃんが頭をわしゃくられながら、声を張り上げた。「た、す、け、て」
「あー。叙任されたって人ね。リカルドさんに聞いたよ」
「へえ何だ、知らないのか。テオドア様は立派な方だったよ。血筋のせいもあって嫌ってる連中もいたけどさ、立派な方だったな」
「いい男だったよ。結婚してるとは知らなかったけど。ぼうやソーセージ食べる?」
 ひーちゃんは首を振った。「余は街に行った事がない。魔物狩りがあると聞いてから、余計に怖くて行けぬ。あ、ソーセージより隣のポテトサラダがいい」 
「魔物狩りかぁ」若い女の人が、いそいそと小皿に山盛りのポテトサラダを盛った。いくら竜でも、おいちゃんじゃないんだからそんなに食べられないと思う。おいちゃんならおかわりって言いそうだけど。「リカントはみんなメルキドに引っ越していなくなってしまったわよねぇ。ありゃやり過ぎだわ」
「サマルトリア王家が全部悪いのさ」
「そのサマルトリアの言いなりになって、そうかと想えばデルコンダルの言いなりになる、日和見主義のラルス21世が一番悪い」もうそろそろお爺さん、と呼んで良い年のおじさんが顎髭を摘む。「坊たちは銀の竪琴、どうするつもりだね?」
「えーと…」言い淀むひーちゃん。
「ムーンブルクに持ってく」オイラは迷わずに答えた。「デルコンダルに持っていくわけには行かないからね。そんな事したら大変な事になっちゃうよ。オイラ達は三人の王様のイニンジョーを貰ってやってきたんだ」
 ガライの人達がみなぴたりと黙った。
 そりゃ、そうだろう。でも、今はそうするしか、手だてがない。
「んでも、全てが終わったら銀の竪琴はガライに返してもらうようにちゃんと言っとく。約束……する」
 約束しても、聞いてもらえるかどうかは解らない。約束してもウソになっちゃうかも知れない。だから、あんまり強く言えなかった。それに、銀の竪琴を取りに行くと決めたのは結局は、オレの独断だから。
「……保証はない、訳か」
「おいちゃん達に、お願いしてみる」お願い。なんて非力で弱々しい言葉なんだろう。情けなさで涙が出そうだった。「約束……出来なくて、ごめんなさい。でも……ムーンブルクやローレシアの人達が呪いの雨で石になってるのはホントなんだ。この国の王様が怖がるのも、しかたないよね。でも、オイラ達は呪いの雨の原因が、ナリーノだって知ってる。トンヌラはラーニャ王女が人質に取られちゃったし、雨に濡れたら石になるからさしもの勇者様もどうしようもないんだ。ユカ……旅の仲間があいつに捕まっちゃったし、このままだと、ホントにあいつの思うがままになっちゃうんだ。ナリーノはバラモスのヤローと組んで、この世界をメチャメチャにするつもりなんだ。だから」
 オイラは頭を下げた。「お願いします。信用して、銀の竪琴をオレ達に一時期預けて下さい。お願いします」
 ざわめきが再び、辺りを支配する。どうする? だとか、預けるべきじゃない、サマルトリアの回し者だぞ、だとか、じゃあラダトームの使いに引きわたせって言うのか、とか、何だか雲行きの怪しいひそひそ話がそこかしこで聞こえる。
 困ったなあ。
 本当ならオイラ達は、銀の竪琴をこの国から持ち出す何の理由もないのだった。この国に銀の竪琴が永久にあるってならそれはそれでいいんだし、結局コイツを持っていく理由ってのは、ナリーノに手渡す訳にはいかないからってだけ。とはいえナリーノが銀の竪琴を持ってったとしても、それが何になるのかオイラには良くわからない。
「ちと、よかろうかの」ひーちゃんが、恐る恐る手を上げた。「銀の竪琴をナリーノが欲しがっておる理由は解らぬ。けれども、アレフガルドに銀の竪琴がある限りは、ナリーノは銀の竪琴を手に入れようと圧力を掛けてくるに違いない。銀の竪琴を隠して見付けられでもしたら、政治的にアレフガルドの立場はますます弱まろう。なればいっその事、銀の竪琴が我等の手に落ちて、既にこの国から持ち去られた事にしてしまった方が良いと余は思う。さすれば、さしものデルコンダルも諦めざるを得まい」
 みんなは押し黙った。オイラも黙った。
 人の山をかきわけて、おじさんが前に出た。身なりの立派な人だった。「わしはこの街の町長だ。君がオルフェ君、君は……ルアク、君か。話は聞いたぞ。なるほど、ルアク君君の提案はなかなか興味深い。が、君らは我々のために泥を被るというのかね」
「覚悟は出来ておる。そうじゃな? オルフェ」
「あ、うん……」
 オイラはひーちゃんがこんな事を言い出すとは思いも寄らなかった。ひーちゃんはおいちゃんが嫌いだし、それに勇者様三人組だって、友達って言ってたけどホントに友達なのかなって思ってたし。オイラはひーちゃんのことを何にも知らないんだな、と思った。ひーちゃんは見た目より、ずっと大人だ。
 おじさんはしばらく考え込んでいたが、やがて言った。口振りは重々しかった。
「ならば、君らは明日一番にこの国を去らねばならない。我々は騙され、君達は実は三国の間者でサギ師の汚名を着せられる。それでよいかな?」
 オレ達はうなづいた。
「では、せっかく騙されるのだから、もっと楽しく盛り上がろう! 少しは浮かれたそぶりも見せておかないとな。さあ、乾杯だ。酒を注いでくれ!」

 何度もアンコールをせがまれて歌い疲れたのと、ひーちゃんは放っといても大丈夫そうだったので、オイラは一旦休んで腹ごしらえをする事に決めた。でもお皿の上は食べかすとパセリがほとんどで、ちゃんと食べられそうなものは添え物のオレンジかプチトマトくらい。未練がましく白い皿を眺めていると、横からにゅっとコップと食べ物の乗った皿が差し出される。
「よ」
「あ、テリーじゃん。まだいたの?」
「オイオイ、いちゃいけねーのかよ。メシ、もうねぇぞ」テリーは皿を引っ込める。「取っといてやったのによ」
「お? これ七面鳥のフライだねぇ。おいちゃんがガンガン食ってた奴」
「正解」テリーはにやっと笑った。「これでも食って景気つけな、サギ師さん」
 オイラが七面鳥にかぶりついていると、テリーが隣のいすを引いて、オイラがメシ喰ってる様子をほおづえ付きながらじっと見てる。食べる途中でじっと見られるのはイヤだなあ。
「……お前、結構歌うまいのな」ぽつんとテリーがもらしたので、オイラは七面鳥を食べる手を止めて指をなめしゃぶった。
「そぉ? あんま歌った事ないんだけどね」
「そうは聞こえなかったけどなぁ。結構リズム感がいいんじゃねの? 音感も多分、悪くないと思うケド」
「ホメても何にも出ないよ」オイラは七面鳥のなんこつをがりがりかじる。なんこつってカリカリしててウマいんだよねぇ。「前に、焼却炉に来てた人間達が歌ってたのをまねたのさ。オイラの世界じゃああいう歌は受けないんだ。オマエの歌は美しくないから歌うな、って上級妖魔にクギ刺されちゃった」
「ふーん。そうなのか」テリーはコップの底に残ってたエールを呑み干して、げっぷをこぼす。「美しいかどうかって言われたら、そりゃぁ美しかぁないけどさ、聞いてて楽しくなる歌だと思うよ。もっと歌ってみたら?」
「歌じゃ戦えないからねぇ……」首をひねるオイラに、テリーはアホぬかせ、と軽くひじてつを食らわせた。
「何言ってんだよ。今日のお手柄はお前が銀の竪琴をうまくかなでたからだろ? ……それにさ、勇者や魔物や王様だけがこの世の中に生きてるわけじゃないんだぜ。吟遊詩人だって立派な職業さ。それよりさ」テリーは片目をつぶった。「あそうそう、今回も食いっぱぐれちまったし、何かいい仕事紹介してくんね? 聞いたぜ、お前勇者サマとコネあんだってな」

「のう。オルフェ……起きておるか?」
 ようやく長い長い宴会が終わり、ひーちゃんとオイラは街の人達にあてがってもらった宿の一室で休んでいる。ひーちゃんが、布団でうつらうつらしてたオイラの横で声を掛けた。オイラは身をよじる。
「ん……ちょっとうとうとしてた。ひーちゃん、眠れんの?」
「……前に、余は『父様は人間でなかったから、殺されたのだ』と、申したであろう?」
「うん」
「あれは、嘘じゃ」
「え?」
「父様が人間でなかったから殺された、と言うのは嘘じゃ、と申しておる」ひーちゃんはオイラに背中を向けたままつぶやいた。「例え父様が人であっても、父様は殺されていた。――ラルス21世の王太子の婚約に、反対したから……。ただ、余は、己の孤独を誰かのせいにしたかっただけなのじゃ。そんな自分が、嫌いじゃ」
「ひーちゃんは、悪くないよ」オイラは腕を伸ばしてひーちゃんの頭を探す。ひーちゃんの頭らしき箇所に指先が触れて、ぽんぽんと、頭を叩く。「ひーちゃんは、独りぼっちだったんだもんな。リカルドさんくらいしかいなくて、友達もいなかった……」
「いた、友達。……向こうはは、友達と思っておらなんだが……」
「……ひーちゃん、今はオイラがいるじゃん。だから心配すんなよ。ひとりじゃないよ」
 ひーちゃんの涙ぐむ声を聞いて、オイラはそっと頭から手を離してシーツを肩にかけてあげた。

*  *  *

 同じ日の夜。相変わらず雨しとど降りしきるムーンペタ町長宅で、ローレシア王アインは例によってうつらうつら船を漕いでいた。運動不足による寝不足は深刻で、昼間は何とか体操にストレッチ、体が鈍らぬ様ほうきを剣に見立てて振り回しての剣術稽古、と狭い室内で身体を動かす。そうでもしないと余計苛立ちが増すからだが、狭い中で剣術ごっこというのもどうにも締まりがなく、狭い中で暴れていると周りの連中が煩がるので結局大した運動にはならない。相手をしてくれそうな奴もいるにはいるが、夜中の件があってからこれまで、一切口を利いていない。
 眠れねぇ。
 畜生、ナリーノの奴め。あったらギッタンバッタンにのしてやるからな、と毒突きながら、アインは寝返りを打つ。日に干せないお陰で厚みを失った敷き布団が恨めしい。しけった布団に顔を埋め、アインは溜息を付いた。ナリーノがいなかったら、今時自分達はどうなっていただろう? 今は一つ屋根を共有する奴らと、今頃吹雪吹き荒ぶロンダルキアは邪教大神殿・死者の塔最上階で互いに斬り結び、殺し合っていただろうか?
 天井裏を駆け抜けるネズミの気配。別段珍しい事ではない。この家ではネコを飼っていない。故にネズミたちは大手を振ってちゅうちゅうと、時々夜中に大運動会をやらかすのだ。また一つ眠りを妨げる要因が加わって、アインは頻りに頭を掻きむしった。
 ?
 ネズミの運動会は突如、中断した。脳裏を嘗ての夜が過ぎり、アインは傍らに掛け置いた稲妻の剣を寝具の中に引き寄せる。
 酷薄なまでの沈黙を強いる闇が重く、永くのし掛かる。僅か数秒が、永遠に続くかに。
 ッキショー、ドタマに来た! またおちょくりに来たってのかよ。アインは布団の中で毒突いた。嘗ての恥辱が、まざまざと甦る。
 何が「ただちょいとからかっただけであろうが」だ。二度目は無いと思いやがれ。
 同じ侮辱を二度甘んじて受ける程、アインは寛容でも愚鈍でも無かった。今度こそはしっかりと気配を感知できる。約束を破る事になるなと思いながらも、アインは毛布をはね除ける。はね除けた毛布が大きく広がって被さる上へ、アインは予め抜き放って置いた稲妻の剣を大きく頭上より振りかぶって叩き付けた!
 諸悪の根元よ、我等が呪われし血筋の始祖よ! 己が宿命 さだめ と共に、再び闇へと還れ!
 暗闇より伝わるのはしかし、肉の質量とは異なる、不確かな感触に過ぎなかった。溶けかかったバター、さもなくばジェルの塊を裂く様な、曖昧な。アインは急いで毛布をはね除け、部屋の灯りを付けた。
 横たわるのは真っ二つになったエビルスピリッツの残骸、それも燭台の明かりを受けて、すぐ闇に溶けた。
 アインは暫し闇を追ってその場に立ち尽くしていたが、やがて毛布で稲妻の剣の刃を拭って鞘に戻し、投げやりに床へと転がすとそのまま布団に潜り込んだ。

*  *  *

 次の日の目覚めはサイアクに近かった。
 ただでさえ二日酔い気味で頭が痛いのに、朝っぱらからお城の兵士が怒鳴り込んでくるんだもんよ。ヒトの都合も考えて欲しいよなぁ。兵士さん曰く「ソッコク銀の竪琴をラダトーム王家に引き渡すべし。さもなくば、コウチジョに放り込む」だってさ。コウチジョだか何だかわかんねぇけど、ナリーノの奴なんかに銀の竪琴を渡してたまるかってんだ。オイラはひーちゃんの腕をひっ掴んで、窓を飛び出した!
 それから後の捕り物の大変な事ったらありゃしない。オイラ達が屋根の上を逃げ回ってたら、隣の部屋で寝てたテリーが怒って飛び出してくるわ、屋根のレンガが下に落ちて大騒ぎになるわ、ヤジ馬は一杯集まってくるわ、オイラ達を追ってきたお城の兵士が屋根から落ちそうになってひーちゃんが引き上げるハメになるわ。助けてやったと思った兵士がひーちゃんをふんづかまえたかと思いきや、ひーちゃん一本背負いでぶん投げちゃって屋根の上で取っ組み合い キャット・ファイト になっちゃった。
 半ば組み敷かれかけて銀の竪琴を引っ張り合ってる内に、鉛色の空が、この季節にしてはいやに生あったかい空気を運んできた。
「ヤバイ! みんな、雨だ! 雨にぬれちゃダメだ! 家の中に戻って!」
 ほほに触れる、冷たい一滴。
 一粒はやがて、激しい雨となってアレフガルドの大地を叩いた。ひーちゃんは何とか兵士を振り解いて屋根裏に飛び込んだけど、お城の兵士は、ガライの人達は、皆間に合わなくて次々石像に姿を変え、屋根を滑って落ちていく。悲鳴も、やがて静かに、雨音に打ち消されていく。
 オイラは雨にぬれながら、その光景の一部始終を見ていた。
 何にも出来ないまま、王様に、ごめんなさいって心の中であやまった。
「……これが、呪いの雨の力なんだな……」
 肩にあったかい物が触れたんで、振り返ったらデュランさんが二人いた。
「テリーだろ。平気なの?」
「いやいや」デュランな格好のテリーが首をすくめた。「急いでモシャったのさ。……それにしても、これが、呪いの正体なのか……」
「これでも銀の竪琴持っていく? そんな気にならないでしょ」気のない返事をしながら、オイラはけっこう長い間雨に打たれているつもりだったけどそうでもないんだなとぼんやり思った。ひーちゃんが、屋根裏の窓ガラスごしにこっちを見ていた。
「早くアレフガルドを離れねばな」デュランがつぶやく。「……それとも、そろそろ引き上げ時か」
「いいや、そうはさせない。オイラはムーンペタへ戻る」握り締めた拳が、微かにふるえた。「石になりたくないなら、デルコンダルに渡るといいよ。デルコンダルには絶対に、雨は降らないから。……そこに、世界の滅びの鍵があるんだ……」

■Chapter4.光と風と夢――そして、デルコンダルへ。

「……そうか、とうとうアレフガルドにも手を出したか、ナリーノの奴」
「何故銀の竪琴など欲しがったのでしょうかね」どんと拳をテーブルに打ち付けるアインを尻目に、ハーゴンさんがハチミツ入りカモミールティをすすっている。
 オイラ達は結局、あれから海を渡り、アレフガルドを南回りに半周してムーンブルクに戻って来た。雨に打たれたひーちゃんの体調は思わしくなくて、今はハーゴンさんお手製の暖かい薬湯を飲んでお布団の中でぬくぬくしてる。カンビョウをジゴクノツカイさんに任せて、オイラは会議に出てるってわけ。くたくたでしんどいけど、世界の命運を考えるとまだ寝るわけにはいかない。
「ンなの決まってら、ナリーノの奴、前から欲しがってたんだよ。あいつは魔物使いだしな」トンヌラが小さく舌打ちする。「クソッ、ラーニャに手を出してないだろうな、アイツ」
「魔物に襲わせたのは、恐らくバラモスの奴だな。概ね、後からナリーノの動きを察して動いたのであろう」
「なるほどね。……それにしても、一体どうやってナリーノは、こんな事をやってのけたというのでしょうね」
 ずっと口をつぐんでいたマリアが、口を開いた。
「…貴男はもう、或る程度この雨の原因が分かってるんじゃなくて?」
「え……?」
「触れる物全てを石にする雨…これが精霊の力を借りた術ではないことは明白だわ。闇の力が介在しているのは疑いのない事実」
「そう、でしょうね」ハーゴンさんはぽつりと呟く。「物質の変成……しかし、そんなものを研究していたというのか…それにしても」
「有り得なくはないわね。魔術研究はムーンブルクの専売特許と決まった訳ではないもの。ただ」マリアは口を閉ざし、言い淀んでいるようだった。「奴が左道に踏み込んだ事だけは疑いないわ。それも、禁断の領域にね……どの様な手段を以て禁断の領域に到達したかは判らないけれど」
「もしや……否、まさか……」
「何よ、はっきり言って。今更隠し立ては無しにして頂戴」
 咎めるような口振りに急き立てられ、ハーゴンさんはぽつりぽつりと語り出した。「錬金術。物質を変容せしめる技。確かに、8年前私達は錬金術を研究していました。――本格的な物とは言い難かったのですが。鉛を黄金に変える錬金術のこと、生あるものを石に変える事も不可能ではありますまい。肉体を変容させ、進化させる究極の秘法があったとも、聞き及びます。しかし…それだけの呪法をどうやって……」
「ナリーノが王になる以前から、個人的に研究させていた、としか考えられないわね」形の良い唇から、厳しい現実が吐き出された。「バラモスが知っていたとは考えられないわ」
「その術とやらは難しい物なのか」おいちゃんは呑み干したカップの底に溜まってるカモミールのかすを摘み上げて口の中に放り込んだ。「誰にでも出来るものではないのだな?」
「畑違い故、恐らく、とも申し上げておきますが、それなり以上の技量を持つ物であれば、さほど困難な技ではないでしょう。ただ……それが誰と特定する材料はありませんね。デルコンダルに赴いたところで、研究も秘密裏に行われている筈」
「知ったところで」トンヌラは空のカップを置いた。「どうなるってもんでも無さそうだけどな。お代わり欲しい?」
「一応貰っとく」おいちゃんはカップをトンヌラの方に押しやった。「どちらにせよ、デルコンダルには出向かねばなるまい。が、この雨がある限りは……なあ、この雨何とかならんのか。何とかならんと、そもそもデルコンダルにすら行けぬ」
「欲しいなら最初から素直に下さいっていやいいじゃんよ。素直じゃない御先祖だな、たく」アインが首を掻く。「雨が止む方法が解ってたらとうにやってるっちゅうの。それにしたって何の為に錬金術なんか研究してるのかね、あいつは。どうでもいいけどよ」
「どうでも良くはないですよ。……あつつ……」ハーゴンさんがストーブにかけた鉄びんから湯をポットに注ぐ。「敵の意図を知るのは大切な事です。それが、ナリーノの様な倫理や常識や良心に心動かされない人間であれば尚更です」
「銀の竪琴が欲しいってのも、思い付きじゃないかもね」オイラは船こぐ頭を跳ね上げ、慌ててハーゴンさんをエンゴする。ヤバイヤバイ、ホント落ちそう。ハーブティを一気に飲み干し、テーブルにもたれかかる。「だって銀の竪琴が欲しいんだったらさ、今じゃなくてもゼンゼンいいじゃん」
「今じゃなくてもいい、か。なるほど……」ハーゴンさんがポットにお湯を注ぐと、カモミールの仄かな林檎に似た薫りが立ち上る。「バラモスと手を組んではいますが、あの性格ですからお互いに信用はしていないでしょう。いざとなった時に背後から刺されるやも知れぬと警戒して、イニシアティブを取っておきたいのかもしれませんね」
「一時的な共闘、な訳だな。我々と同じだ」
「うにゃ……一時的、じゃないだろ。オイラ達は」オイラは眠い目でおいちゃんをにらみ付けた。
「何にせよ、雨を止めなくば全てが無駄。……オルフェ、眠いなら寝てこい。後で全部話してやる」
「ううん、いいんだ」オイラはおいちゃんに頭を軽く揺すぶられて、目をこすりながら顔を上げた。「やっぱり、ちゃんと全部聞いておきたいんだ。オイラでないと解らない事もあるだろ。それに……一刻も早く、雨を止めなくちゃ……」

 そう言いながら、オイラは結局肩から掛けられた毛布にくるまって、眠ってしまったらしい。目がさめたらオイラはひーちゃんの隣に転がっていた。身を起こすと扉をノックする音がして、ジゴクノツカイさんとマリアが入ってきた。ジゴクノツカイさんは恭しくサイドボードに焼きたてのパンとジャム、あとスープの入ったマグカップ二つの乗った大きなお盆を載せて、静かに出ていった。
「お加減如何 いかが ?」
「うん……未だ、ちょっと寝た気がしないけど」
「起こしてしまったかしら、ごめんなさいね」
「ううん、今起きたとこだからダイジョブ」オイラは目をこしこしこすった。ぽろっと目頭から、おっきな目やにが落ちる。
「そう、じゃあ、顔を洗っていらっしゃいな。朝餉にしましょう」
「うん。解った……あのさ」
「なあに?」
「マリアって、お母さんみたい、だね」
「お母さん……」マリアは目をまん丸くした。「私、もうそんな年に見られるのね。貴男みたいな大きなお子様のいるような年ではなくてよ」
「あわわ……そんなつもりじゃないんだよ。ホント。オイラ、妖魔だからおかーさんいないんだ。だからさあ、お母さんってこんな感じかな、って……」
 マリアはうつむいていたケド、とうとうこらえきれなくなってふき出した。ふき出して、笑った。キレイで可愛くて、お母さんっていうよりは、女の子って感じだった。ユカも、昔はこんな風に笑ってたんだろうか。
「あらやだ、おかしい……怒ったのではなくてよ。ウフフ、フフフ……」
「そ、そうなんだ……」
 もじもじするオイラを励ますように、マリアはぽんと肩を叩いた。「とにかく、スープが冷めない内に、顔を綺麗にしてきなさいな」
 顔を洗ってから朝ご飯を食べて、10時頃1階に下りると、ジゴクノツカイさんがオイラを居間に呼んだ。みんなが待っていて、早速昨日の続きが始まった。
 オイラが寝ちゃってからもみんなは結構遅くまで、とにかく雨を止める方法について話し合ったらしい。全員が全員、とにかく一度デルコンダルに行かない事には始まらないってとこまでははっきりしたけど、おいちゃん達が行けば雨に打たれてみんな石になっちゃうんで、そうなりゃ必然的にデルコンダルに行けるのはオイラだけって事になる。
「だけどさ」オイラは眉を寄せ、考え込む。「オイラがデルコンダルにいったって、どうやって雨を止めるんだよ。オイラ頭も良くないし、そんな方法知らないぜ」
「そこなんだよなぁ」アインが頭をかいた。「雨雲の杖を奪って、何とかするしかないんだろうけど」
「杖を壊すわけには行かんからな。あれがなくば、我等が天空へと昇る術を失ってしまう」
「壊せるとは限りませんしね」おいちゃんのセリフを受けてハーゴンさんがうなった。「魔力を秘めた物を破壊するのは困難を伴う場合が多い。伝説の神器となれば尚更」
「雨雲の杖の魔力を相殺する力、か。となると、やはりここは太陽の石にお出まし願うしかないかな」トンヌラは苦笑いをこぼした。「ある意味、持ち出しておいて正解だったのかもな、アレ」
「国の宝を悉く持ち出されてしまったのですものね。自業自得、と言えなくもありませんけども」マリアは肩をすくめた。「雨雲に対抗できるのは太陽、確かに理に適ってはいるわね……急がなくちゃ……」
 みんなは一斉にオイラを見た。
「はいはい、わかったわかった。今から行けばいいんでしょ?」オイラはさっと立ち上がり、手を上げた。「いいよ。今すぐにでも行くよ。でも……」
「いいや、もう少し休んでからでいい。まだ疲れておるだろう?」おいちゃんは心配そうにオイラの顔をのぞきこんだ。
「だって、一刻も早く雨雲の杖を取り返さないと……」
「オルフェ、座れ」
「でも……」
 オイラは座った。
「急がなければならないのは確かだ。だけれど、俺等は同時に、君に多大な負担を掛けている。無理させたい訳じゃない」アインはまだ、ぱらぱら雨が降る窓の外に目を向けた。「それに、君が途中で疲れて倒れたら意味がない。――君一人に背負わせねばならない、我々の不甲斐なさに恥じ入るより他ない」
「オルフェ……今は、休め。背負い込まされる辛さはわからんでもない。だが、誰も代わってやることが出来んのだ。誰もな」
 オイラはおいちゃんに肩を叩かれて、目をふせた。
 そうじゃないんだ。わかるんだ。
 だけど、わかんないんだ。うまく言えないけど……はれものに触るような扱いが、仲間はずれにされてるような、そんなひねくれた気持ちになっちゃう。
 やっぱり、ただ疲れてるだけなのかも知れない。これは、オイラのワガママだ。

 お昼ゴハンを食べてから、オイラは動き始めた。出かける前に全部約束を済ませなきゃいけない。今までだってヤバい橋は一杯渡ってきたけど、今度のは段違いだ。ひょっとしたら、なんて考えるのはいやだけど、色々やることを残していくと、早く戻って来たくなっちゃって決意が揺らぎそうな気がした。
「あのね、話があるんだけど」オイラはカバンの中にフィルのがいこつを入れて居間に降りた。アイン達は居間でくつろいでいた。
「何?」
「アインに会わせたい人がいるんだ。えーと……正しくは人じゃないんだけど。今、いい?」
 オイラはふくろの中からフィルのガイコツを取りだした。洞窟の中じゃ気付かなかったけど、部屋の中で見るそれはまだちょっと肉がこびり付いてて生々しい。集まっていたみんなの視線が痛ましげに歪み、反らされる。みんな見なれてると思ってたんだけど、フツーに見るのはやっぱりあんまり好きじゃないんだなぁ。マリアなんか目を背けちゃうし。
「あのね、オイラを助けてくれたんだコイツが」オイラは唇をなめた。「ジャキョーのシンカン達に捕まった時、助けてくれたんだけど」
「ええと、要領を得ないな」アインは首を傾げ、がいこつを軽くつつく。「一緒に旅してたけど、途中で死んだ?」
「ヘイカ違いますっ!」
「うひゃっ!」ガイコツがぴかっと光ってフィルが姿を現わしたので、アインはびっくりしてひっくり返った。
「……な、なんなの、これ……」マリアはぺたんとソファにもたれかかった。
「多分……ユウレイじゃ、ないか? ああ、びっくりした。心臓に悪い。…メシ前で良かった」トンヌラも床に座り込む。
「は、ははぁっ! お、驚かせてすいませんでしたっ!」フィルはぺたんと床に頭を付けた。「ご、ご無礼をば」
「偉く腰の低い幽霊だな」
「オイラ相手だとエラそうなのにねぇ」オイラはおいちゃんとささやきあう。三人にぺこぺこするフィルは別人みたい。でも、ばあちゃんもぺこぺこしてたから、普通の人にとっては王様ってこんな感じなのかも。オイラにとっての妖魔の君みたいなもんなんだな。
「うるせぇ」フィルはオイラをきっとにらんだけど、オイラの隣に立ってるおいちゃん達を見て顔を引きつらせた。「え、ええーと、オレはフィル=オーウェン。一介のけちなこそ泥でさぁ」
「なあそのこそ泥と、俺に何の関係があるわけ?」アインがフィルには聞こえないようにぼそぼそ耳打ちして来た。
「アインなら絶対知ってると思うよ、だってさ」オイラも同じく、ぼそぼそ耳打ちで答える。
「あああ、待ぁーったそこッ! オルフェ言うな自分で言うッ!」びしっとオイラを指差すフィル。オイラは口をふさいだ。「フィル=オーウェンとは世を忍ぶ仮の姿、その正体はっ、泣く子も喜ぶ正義の味方、義賊赤い羽根共同募金 クリムゾン・フェザー !」
「え……あの、義賊気取りの」ぽんとトンヌラが手を打つ。「最近確かに話を聞かないと思ったが……死んでいたのか。で、オルフェ何処の墓を荒らしてきたんだ? いけないなあガライの墓で味を占めたのか?」
「ちがわい、墓荒しなんてしてないやい。……フィルは、ジャキョーシンカンに捕まって、殺されたんだって」
「お、おう。オルフェの言うとおりだ」フィルはしょぼくれてた。ギゾク気取り、の一言が結構フィルにはダメージだったみたい。「ローレシア鉄鉱山で役人の不正を調べてる内、ばったり行き当たったのが邪教徒達だったってわけ。奴らは隠し鉄鉱山を見付けて、奴隷や魔物達を使って鉄鉱山を掘ってたのさ。だけど、見つかっちまって……この通り、みじめなガイコツ姿に……」
「アイン様ッ」フィルは拳をぐっと握りしめた。「俺、義賊気取りのケチなドロボウかも知れません。だけど、国を思う気持ちは本気なんです。俺はアイン様を尊敬してます。ローレシアを愛してます。だから、俺は自分が死んだのもしゃあないって思ってるし、お国の為に死んだんだから、無駄死にだったかもしれないけど、俺なりに納得してます。だけど……だけど。アイン様が、世界を救った勇者様が、魔王を……呼びだして、こき使ってたとか、魔物達を利用して、罪のない人達を殺したとか、自分のエゴのためだけに力を手に入れようとしたとか。オルフェはそう言ったけど、俺にはどうしても信じられません。………本当なんですか? それは、本当のことなんですか? 本当のことだったら、俺は、成仏できません。王様、あなたを許しません」
 フィルの握った拳が、火の玉がゆらいでいた。「ウソだと、言って下さい」
 アインは足下をじっと見つめ、フィルの一言一言を、黙ってかみしめていた。フィルは真っ直ぐに、アインを見つめていた。
 アインはフィルの目をじっと見つめ返した。
「確かに、俺は悪い王だった。それは、事実だ。オルフェは正しい」
「そんな……」フィルは泣きそうだった。
「オルフェは真実を言ってる。今までの俺は……俺達は、間違ってた。たくさんの守らなきゃいけない、隠しておかなきゃいけない事を抱えて、あっぷあっぷしてた。ホントは、そんなもの、何の役にも立たないのに。国の事を考えてなかったとは言わない。だけど……世界中の人々の事、いいや、一人一人の事までは考えちゃいなかった。俺達の所為で誰かが死んでも、必要な、仕方のない犠牲だと自分に言い聞かせてた。――望んで犠牲になった訳じゃないのに」
 アインは窓の外を見た。もう、鳥も鳴かない空を見上げた。「俺達の所為で、世界が滅びてしまうかも知れない」
「僕等の所為か……」トンヌラはうなだれた。マリアは口を引き結び、膝上に乗せた拳を握りしめる。
 アインが振り返ると、カーテンの端が遅れてめくれ上がった。
「だけど、これからは良い王になる。約束する」
「……世界が滅びてしまったら『これから』はないですよね。俺には、行く末を最後まで見届けることは出来ません。それが、心残りです」
「ねえフィル」オイラはフィルの肩に手を乗せようとした。だけど、手はフィルの肩をすり抜ける。オイラだって、その後を見届けられるかどうかは、わかんない。やっぱり、一緒に死んじゃうかも知れない。いい加減なことは、言えない。
「俺は王様を信じてます。だって……誰が何と言ったって、アイン様は世界を救った勇者様だから」フィルは、笑った。涙をこらえているような、そんな笑顔だった。「だから、世界を救って下さい、もう一度」

 みんなでフィルの霊を弔った。アインは、全てが終わったら、フィルのためにちゃんとしたお墓を作ろうと言った。
「フィルはケチなギゾク気取りなんかじゃなくて、俺なんかよりずっと、本当の愛国者だった」フィルのガイコツを、オバチャンからもらった帽子箱に収める。「ちょっとだけ我慢してくれ。立派なの作ってやるからな」
 フィルの頭が入った箱が、かさかさ鳴ったような気がした。

 夜。やっぱりオイラはもうじゅうぶん休んだから平気だよってんで、ムーンペタを旅立つことにした。フィルの想いを考えると、じっとしてられなかった。ばあちゃんの作ってくれた弁当と、手紙と竪琴とをカバンの中に入れる。
 さあ行くぞって時に、おいちゃんがオイラの手を取った。
「オルフェ、持っていけ」
 おいちゃんから受け取ったのは、ひもに通したうろこだった。青銅色 ブロンズ のうろこは大きくて、オイラのてのひらくらいは優にある。
「これ……おいちゃんの?」
 おいちゃんはぷいとそっぽを向いて、とっとと屋敷に戻っていった。「我等が飢え死にするか、アイン達と殺し合いを始める前にとっとと雨雲の杖を取り返して来い」
「あり、がと……」オイラは目頭が熱くなるのを感じてた。あれはおいちゃん流の、最高のはげまし方なんだ。
「アイツらしいなぁ」トンヌラはぴったり閉められた玄関のとびらをちらっと見て、それからオイラの手を取ってがっしり握った。「あの、さあ。オルフェ、妹の事、くれっぐれも頼む。お前にしか頼めないんだ」
「ああ、うんわかったよ」
「なあオルフェ、知ってっか? 太陽の石とイモを一緒に置いとくと、遠赤外線効果でおいしく焼けるんだぞ〜。やってみ?」
「アイン、貴男太陽の石をそんな事に使ってたの…?」
 呆れて目をみはるマリア。何だホントにやってたんだ。そりゃ呆れらぁ。でもいいこと聞いたかも、今度使ってみよっと。もちろんマリアには内緒ね。
「サンキュ。んじゃ、行ってきまっす!」
「気を付けて。…貴男の双肩に、この世界の未来がかかっているのよ」
 マリア王女の励ましに、オイラはウィンクを一つ飛ばした。

 オイラは一路、ローレシアを目指して再び翼を広げた。
 ローレシアへの道のりは、サマルトリア行きのおつかいのようには行かなかった。陸沿いに雨に振られながら行くのも考え物だけど、だからって海路を取ったのは完全に失敗だったわけで、オイラは行けども行けども見えない陸地にいい加減くたくただった。ちょっと、意気込み過ぎちゃったかも知れない。
「うにゃはら……オイラ、もうダメかも……はれ?」
 鉛色の空の遠くに、小さな白い帆が見えた。ような気がした。くたくたの翼を広げ、無理矢理はばたく。
 風にはためく小さな旗が、浮きつ沈みつひらひらとひるがえる。
 船だ!
 オイラは矢も楯もたまらず、船を追いかけた。

 カンダタは帆付きボートの上で、櫂を漕ぐ子分達に指示を出している。空は低く垂れ込めているが波は程々高く、カンダタ達は苦労しながら舵を取っていた。彼等は海の上にいた。何故海の上にいたかというと、それは我々カンダタ一家が船を盗んだからであった。
 カンダタ一家は本来なら、今頃死者の国で生前の罪を償うべく強制労働に就かされていなければならない身分であった。が、運命という奴は実に気紛れなもので、そのお陰で――というよりは、カンダタ達が竜王達の脱走騒ぎに乗じてさっさとトンズラこいたお陰で――船主は船を一艘失い、カンダタ一家は海賊を決め込んで船旅に躍り出たのであった。
 久々のシャバに、世間は曇り空にもかかわらずカンダタ一家は御機嫌だった。波にも負けず、船酔いにも負けず、行き先怪しからぬ雲行きにも見知らぬ土地にも負けぬ、前途洋々明るい未来を信じて進むカンダタ一家であった。
「いやあ、親分、思った以上に巧く行きましたねぇ!」
「やあ、竜王のダンナには感謝しなくちゃならんなあ! ダンナが騒ぎを起こしてくれたおかげで、俺達もダンナにあやかって根の国から逃げ出せたんだからヨォ! 世間様にとっちゃあ、世界を闇に陥れた悪の大魔王だか何だか知らねえが、俺達に取っちゃあ竜王様々だよなあ! なあみんな?」
「シャバには出られるわ、巧い具合に船は手に入るわ、あとは酒と飯とネーチャンだけっすね、親分!」
「ネエチャンかあ…久しぶりにパフパフしたいの〜!」
「パフパフネーチャンが待っている〜♪」
「待ってるぜ〜♪」
「るぜ〜♪」
 子分達は櫂を漕ぎ漕ぎ一斉に合唱する。

〜パフパフやどのテーマ(ファミコンウォーズのテーマで)〜
「パフパフやーどにい〜くぞっ♪(パフパフやーどにい〜くぞっ♪)」
「かあちゃんたちにはナイショだぞっ♪(かあちゃんたちにはナイショだぞっ♪)」

 子分達が歌い終わるや、カンダタは態とらしい拍手と共に割り込んで、こぶしを利かせたバスで朗々と歌う。「い〜いねぇ〜♪ オレ様もひ〜さびさに歌でも歌いたい気分だぜ〜♪」
「よ、親分名調子!」カンダタこぶんが、歌舞伎役者にでもかけるような掛け声を放って親分をおだてる。
「いよぅ! この色男ッ!」
「ロマリア1!」
 カンダタは懐かしそうに、なおかつちょっといやらしそうに目を細めて空を仰いだ。「ロマリアねえ〜♪ ロマリアのエレナちゃんのパフパフは良かったなぁ、なんつっても、あのでっかい乳はたまらんねぇ。ああ、エレナちゃ〜ん♪」
「そのエレナちゃんも今頃は墓の下ですねぇ……」
「縁起でもないこと言うんじゃねぇ!」カンダタはこぶんに拳固を食らわせる。子分は頭をさすりさすり、何処を見ても海しか見えない四方八方を見回す。
「し〜かしあ〜れから500年〜♪ お〜れたちゃど〜こにい〜きやしょか〜♪」
「なあ〜に! か〜ぜの向〜っくまま気の向〜っくま〜まに〜、波にま〜かせてな〜んと〜やら〜むにゃむにゃ♪」
「いいっすね〜親分!」
「こりゃ、一発みんなで決めようか!」
「決めとくか!」
 カンダタ一家は船をこぎこぎ、野太い声で曇り空に向かって歌い出した。

〜カンダタ一家のテーマ〜 「1.カーンダタいーっかはとーうぞくだーん♪
 なーなつのうーみをまーたにかけ〜♪
 たーどりつーいたはやーみの国ー♪
 ロートのゆーうしゃにつーかまるも〜
 ちーからをあわせて脱出だ♪(脱出だ♪)」

「2.カーンダタいーっかはとーうぞくだーん♪
 なーなつの世界をまーたにかけ〜♪
 たーどりつーいたは根の国♪(ニブルヘイム)
 てーんくうじんにこき使われるも〜
 さ〜わぎに紛れてトンズラだ♪(トンズラだ♪)」

「3.カーンダタいーっかはとーうぞくだーん♪
 なーなつのそーらをまーたにかけ〜♪
 たーどりつーいたはアーレフガルドー♪
 どーこかのみ〜なとでまーっている〜
 キーれいなネーエチャンとパーフパフだ〜♪(パフパフだ♪)」

4番を歌おうとしたところで、双眼鏡を覗いていたカンダタこぶんの一人がカンダタを呼んだ。
「ねえおやびん、ありゃなんでしょね」
「んぁ? ……あ…ありゃ……」カンダタは懐から何かを取り出して一瞥すると、再び急いで紙切れをねじ込む。
「コイツは幸先いいぜ! 幸福の青い鳥が向こうから飛んできたって奴だぁ。いいか、逃がすなよ?」
「何なんですかその紙っ切れは」カンダタこぶんが不審げにカンダタのポケットを覗き込んだ。カンダタは空飛ぶ物体に見られないようにこそこそ紙切れを取り出して、カンダタこぶんに押し付ける。カンダタこぶんはこれまたこそこそ、親分の影で紙切れを開く。
「幻獣高く買い取ります。
 特にペガタウルスは高額査定!」
「なるほどね、親分さすがだぜ」カンダタこぶんは親分のポケットに紙を突っ込むと、手でメガホンを作って声を張り上げた。
「ボウヤぁ、降りておい……ふぐっ! な、何すかおやびん」
「バカ、下心丸出しじゃ警戒されっだろが」カンダタはこぶんの口を塞いで、ウィンクを飛ばした。「まあ、オレに任せとけっての」

*  *  *

「あのぉ〜」
 オイラは船の上空を旋回しながら声を掛ける。船のり達は皆船をこぐ手を止めてオイラを見上げてる。じっと見つめられると照れくさいなぁ。ゆっくり、降りていく。「降りてもいいかなぁ?」
 船のりは顔を見合わせて、何か考えてるみたいだった。魔物だから警戒してるのかなあ。何か叫んでるけど、波の音にかき消されて聞こえない。襲われたら逃げるしかないかあ。
「オイラ、悪いもんじゃないよ」手をにぎにぎして、ささっと振ってみた。船のり達はオイラをじっと見て、ちょっとビビッた風にチョイチョイ、と手招きしたので、オイラは看板の上に降りた。
「あのね、オイラ旅の途中なんだけど、結構な空の旅で寝ずじまいだからくたくたなんだ。一刻も早くローレシアに行かなくちゃいけないんだけど、おっちゃんたちはこれから、どこに向かうの?」
「へぇ、兄ちゃんローレシアに向かうのかあ。オレ達も実はローレシアに行く途中なんだ」
「ローレシアってどこっすかおやびん」
「うるせえ黙れ。……ウマの兄ちゃんよ、どうせ目指すは同じ方角だ。何やら大変な事情があるみてぇだし、まあ、乗れや」
「うん! よろしくな。オイラ、オルフェ。ホントはオルフェウスってんだけどオルフェでいいや」
「よっしゃ。オレはカンダタ。こいつらオレの子分。つまりオレたちゃカンダタ一家ってわけだ。旅の恥は掻き捨てっていうしな、頼むぜ」
「おやびん、それを言うなら『旅は道連れ世は情け』じゃねえですかい」
「こまけぇことはいいんだよ! それよりオルフェよ、アンタ相当疲れてるように見えるぜ。ローレシアに付いたら起こしてやるから、部屋で休むといいや」
「ホントにいいの?!」オイラは飛び上がって喜んだ。「たのむよ。もう全然寝てなくてさぁ」
「おう、子分ども、オルフェの兄さんを連れてってやんな!」
「ありがと!」オイラはカンゲキのあまりカンダタの手を取って握り締めた。「ホントに、大感謝だよ!」
 オイラはカンダタこぶんに勧められるままに奥の部屋に通され、すぐ疲れに負けてそのまま眠ってしまった。

 目が醒めたらオイラはいつの間にか、どこか解らない洞窟の中にいた。洞窟は明るくて、どこかの入江のようだった。
 そっか、着いたんだなローレシア。
 オイラがたるの水で顔を洗ってると、カンダタこぶんがオイラを呼んだ。オイラは返事をして、かっぽかっぽひづめを鳴らす。
「なぁに?」
「まあ、兄さん」カンダタこぶんはオイラの手を引っ張った。「ちいと来てもらいたいところがあるんで」
「荷物置いて来ちゃったよう」
「後で持ってきますって」オイラは目をこすりこすり、カンダタこぶんに引っ張られていった。
 そこは洞窟をくりぬかれた、小さな船着き場だった。船着き場にはたるやら木箱やらが積まれてて、天然倉庫って感じだな。オイラは倉庫の中の小屋みたいな所に連れて来られた。
「ささっ、兄さんどうぞ!」オイラは勧められるままに、小屋の中に入った。
 オイラは自分の目を疑った。
 どんなに目をこすっても、目の前にいたのはジャキョーシンカンのコルテスだった。そこにはカンダタおやぶんやカンダタこぶんもいて、コルテスに手もみしながらすり寄っていく。「久し振りだなオルフェウス君」
「約束ですぜ、ダンナ。礼金はたんまりはずんでくだせぇや」カンダタがオイラの腕をしっかり捕まえ、前にぐっと差し出した。
「ってえーっ! そ、そんなぁ! 待てよ! それはつまりそのぅ」
 オレをコルテスに売るって事?!
「オマエさんをダンナに買って貰うって事だよ! 良かったなボウズ、ほれ!」
「ギャーッ! 冗談じゃねげふ!!」
「冗談も何も……今度こそ逃がしはしないぞオルフェウス君。……ついでだ、奴らも捕まえろ!」
 ミゾオチに見事なフックを喰らい、なんだとぅ、だとか、約束が違う! だとか、だましたな、なんて声が頭上で響いて、やがて遠ざかっていった。

 気が付くと、オイラは再び牢屋の中に放り込まれていた。今度のとびらは鉄格子だけで出来ていて、顔こそ出せないけど辺りを見回すには充分だった。正面のオリにはカンダタ一家がオイラと同じくらいの部屋に閉じ込められていて、押し合いへし合いしながらあっちにいけだの邪魔だの裏切り者だのずるいぞだのぶーたれていて、その様子があんまりおかしいもんだから、オイラは自分の立場も忘れてついついふいちゃった。
「チクショ、笑うなオルフェ」カンダタが鼻を鳴らしても、オリに閉じ込められてるんだと思えばあんまり怖くない。
「だって笑っちゃうんだもんしょうがないよ。あんな奴ら信用するからいけないんだってば。あいつら、世界を滅ぼそうとする宗教を信じてるジャキョーのシンカンなんだぜ。ま、みんなせいぜいイケニエにされないようにがんばってチョーダイ。オレは悪いけどお付き合いできないからさァ」オイラはボディハーネスの裏側に隠していたまほうのカギを取り出して南京錠を外した。ひづめの音が響きそうなんで、もちろんわらも巻いてある。
「ま、ま、待て待て待て待てオルフェウスの兄さん! オレ達もそのカギで、この扉を開けちゃぁくれませんかね?」
「やーだよう」あっかんべー。
「そんな冷てぇこといわねぇで、どうか助けてくれよ! な! な!」
「そうですよオルフェの兄さん。ここからアンタどうやって逃げなさるんで」
 オイラはちょっと考えた。オイラはここがどこか解らない。一晩寝てはいるけどくたくただし、ムダ足は踏みたくない。でも、カンダタのヤローには一度ダマされてっからなぁ。
「いいけどさぁ。どうせカギ開けたらオイラをアイツらに売り飛ばしてトンズラこくんだろ」
「いやいや兄さん」カンダタがもみ手しながらすり寄ってきた。調子いいなぁ。「今度のことで、奴らびた一文払う気のない事がオレ達にだってよーく解りましたぜ。悪党には悪党の掟ってもんがありまさぁ。約束破りの奴にゃ、ギャフンと言わせてやりましょうや」
「おやびんが言ってもあんまり説得力無いッスね……」
「うるへぃ」
 オイラは牢の鍵穴にまほうのカギを差し込んだ。「ぷっ。いいよいいよ。だけど言っとくけど、アンタ達オレをダマしたら、今度はアンタ達が賞金首だぜ。見えないかも知んないけど、これでもオイラローレシアの王様に顔が利くんだから」

 オイラ達は抜き足差し足で船着き場へ戻った。船着き場には船が三そう並んでいて、一番奥のがオイラ達の船だった。辺りには木箱が沢山積まれている。
「何だろうねこれ」
「さあ……おやびん、どうです一個くらいちょろまかしていきましょうや」
「まずは中身を見てからだな」カンダタはそこらに転がっていた道具箱からかなづちを取り出して木箱を開けている。ちょろまかす気満々だ。ぱかっとフタが開いて、もわもわと白いほこりが飛び散る。
「ふ、ふえっくしょい。何だこりゃ」
「おやびん、気を付けてくださいよ。奴らに聞かれたらヤバイですよ……何だこりゃ」
「何だろ。白い粉が一杯袋に入ってる……くんくん……あ、これ、芥子の匂いだ」
 袋を破いて指を突っ込むと、懐かしい芥子の匂いがした。妖魔の王は殊の外この匂いをお気に入りで、上級妖魔の血が流れるとこの匂いがするのだ。
「芥子って……おやびん、これ、麻薬ですよ。アヘン」
 カンダタ一家は顔を見合わせた。
「ん? 何かこれまずいの?」
「まずいも何も、こりゃ全部御禁制品でさ。奴らこんな物を売りさばいてやがったのか……おいオルフェの兄さん、コイツはヤバいぞ。アンタら魔物は知らんが、人間はこれを吸うと気持ち良くなって、世の中がどうでも良くなって壊れちまうってヤバいシロモノだぜ」
「おやびん、早いとこずらかりましょうぜ」
「ね、ちょっと待って。この箱って全部船で積み込んで、運んでるんだよね。カンダタたちはさあ、先に行っててよ。オイラ空飛べるから後から追いかける」
「え、え!?」
 オイラはカンダタの返事も聞かず、飛び出していった。「オルフェの兄さん、急ぎなよ!」
 オイラは道具箱ののみとかなづちを手に、船に近付く。体を一旦冷たい水の中に沈め、息を吸い込んで深く潜る。羽根があるのもあるけど、泳ぐのは苦手だ。船底に近付いて、オイラは二つ、三つ穴を空けた。空気を吸ってから、もう一度深く潜る。体がしびれそうだけど、ガマンガマン。一、二、三、空いた。
 水の中から顔を出すと、カンダタ達がちょうど船の中に忍び込むところだった。人差し指を口に当てて、しーってやってるんで、オイラもそっと水から上がって、水しぶきを散らしながら後に付いていく。
 船の中に忍び込むと、コルテスの部下達がオレ達の荷物を物色している。銀の竪琴に親書、どちらも見付かったら大変だ。オイラ達は丸太ん棒で部下達を、多勢に無勢でぼっこぼこにのした上す巻きにして海に放り込んだ。どぼーんと派手な音がして、何事かとジャキョートたちがわらわらやってくる。カンダタ達は碇を降ろして船を出した。こぶん達が一斉にオールを漕ぎ始める。
 ジャキョート達は急いで船に乗り込んだ。オイラ達にはまだ10mも離されてないから、追い付こうと思えばいくらでも追いつけると思ったんだろう。だけど、そうはイカのコンコンチキだぜ!
 ジャキョート達の船が、徐々に沈み始めた。
「な、な、何で沈むんだ?」
「大変だ、船底に穴が空いてやがる!」
「塞げ! 急がんか! 奴らに逃げられては全てが水の泡だ! もう一つの方の船を出せ!」
「ダメです、こっちも水が漏れてます!」慌てるコルテスに、部下達が悲痛な声で答えた。
 オイラ達が海に出た頃には、もうコルテス達の船は半分以上が海中に沈んでいた。オイラが大きなくしゃみをすると、カンダタこぶんがオイラに毛布を掛けてくれた。
「オルフェの兄さん、アンタサイコーにCoolだぜ!」

 オイラはカンダタと別れてローレシアの地に辿り着いた。カンダタ達には、ローレシアは呪いの雨が降って危ないから、南の方に行くといいと教えておいた。カンダタ達、大丈夫かな。海図の見方解んないみたいだったけど。
 ローレシアの城内も静まりかえっていて、石像が町中にぽつり、ぽつりと立ち尽くしている。石だたみを踏みしめて、お城へと向かう。お城の門は固く閉ざされていたけど、ごんごんとノックすると扉が開いた。
 オイラは奥に通され、王の親書を見せ太陽の石が必要な事を伝えた。最初なかなか信じてもらえなかったけど、手紙の署名が本物と解ると、オイラは控え室に通された。ローレシアのお城はサマルトリアとは違って、あんまりごてごてしてない。妖魔風に言うと美しくないけど、実用本位って感じだ。おいちゃんの城に近いかな?
 しばらくすると大臣が役人を引き連れて、部屋にやってきた。うやうやしく役人が手にした箱を差し出したので、箱のふたを開ける。
「わぁ、これが太陽の石なんだ」
 太陽の石は触れると暖かい光を放ち出す。太陽の石は紅玉髄 カーネリアン に似た色合いの、丸くて平べったい滑らかな 半透明の石 オペイク・ストーン だ。表面はすりガラスの様な加工を施され、その上に幾何学的な模様が刻み込まれている。石なのに不思議と暖かみを感じさせてくれる不思議な手触り。石をぎゅっと握りしめると、体熱に感応して石は淡い光を帯び、内側からじんわりと、熱を放つ。
 確かにいもがおいしく焼けそうだな、と思ったけど、大臣の手前、言うのはやめにした。

 オイラは雨に打たれ、何度も途中で海に落ちそうになりながら海を横切ってデルコンダルを目指した。唇が紫色になって体中が冷えたけど、デルコンダルに近付くに連れて雨がやみ、雲の切れ間からさぁっと光が射し込んできたのを見ると、頑張ろうって言う気になれた。小さな島を見付けては仮眠を取り、火を焚いて暖まった。
 この一人旅で気付いたのは、以外とオレって丈夫だって事。寒いのは、かなり平気みたい。吐息が白く曇っても何とか羽根は言うことを聞いてくれたし、波が弱い日は海に浸かって足で泳ぐ。時々しびれクラゲが水面に連なってふよふよ浮いているのやら、うみうしのつのが波頭からにょっきり頭を出してはまた呑み込まれていくのを横目に見ながら海を渡るのは面白くて、退屈しなかった。もちろん、太陽の石があったから、体がもったんだと思う。デルコンダルの海がどんなに暖かいってったって、冬は冬なんだから。
 遠くに、デルコンダルの陸地が見えてきた。
 デルコンダルって国は潮の流れが運んでくる暖かい南風のおかげで、冬でもそんなに寒くはない。だからって雨にぬれた体に必ずしもその風が優しいとは限らなくて、カンダタこぶんからもらった毛布にずいぶん助けられた。浅瀬を渡って一時ほど野っ原を西に歩いていくと、デルコンダル城。
 デルコンダル城の城下街はすごぉく興味があったけど、これからデルコンダル城に忍び込まなきゃいけないのに、お城をうろうろしてたらナリーノにオイラが来たことがばれちゃうかもしれなかったから、泣く泣くあきらめた。お城に侵入するなら、空を飛んでお城の中に入っても怪しまれない夜、と決める。その後はきえさり草を使ってお城に潜入する作戦。ここまでは、話し合った通り。ここは敵のガジョーだから目立つ事はしちゃいけない。顔もなるべくおぼえられない方がいい。心細い。ひーちゃん、付いて来てくれたら良かったのにとグチの一つも言いたいけど、そこはそれ、ガマンガマン。オイラはひづめの音がしないよう、足に袋をかけて城の中をゆっくり、ゆっくり歩く。なるべく途中で効果が切れないよう、人の通らないところを進む。
 人気が無くなって来て、階段を幾つも上り下りしたところでごっつい鉄のとびらに突き当たる。とびらはわずかに開いてて、オイラはそのすき間からこっそり中をのぞき込んだ。
「………急いでくれたまえよ。サマルトリアから……」
「知らぬ。遅らせている訳ではない。どんなに脅されても無理な物は無理だ」
 突然ドアが、音もなく開いてオイラはどきもを抜かれた。ナリーノが目の前を通り過ぎていったのだ。が、ナリーノはオイラには気付かない。自分の姿は見えていないはずなのを思い出して、ドキドキしていた自分が馬鹿馬鹿しくなる。オイラは素早くすきまに滑り込んだ。
「まだ用か、ナリーノ……? 気の所為か」
 が、中の人に見られて、オイラは口から心臓が飛び出るかと思った。いや、見られてたんじゃない。気配に気付かれたんだ。それが証拠に、中の人は目を瞬かせて首を傾げ、再びテーブルの上に並んだ試験管に視線を移す。
「あのぅ…」
「んぅ?」蒼い人が、振り返る。耳の形が違うけど、ハーゴンさんにそっくりだ。もうちょっと背が高いかな?
「あのぅ、います」
「………」
 オイラももうちょっと気の利いた事が言えれば良かったんだけど、とにかく、しばらくオイラ達はそうやって、見つめ合っていた。モチあっちはオイラが見えないわけだけど。「きえさり草の効果が切れるまでちょっと待って」
 だけど、蒼い人はだんまりを決め込んでる。オイラは慌てて付け加えた。「ナリーノの仲間じゃないよ」
 モチロン、蒼い人はすぐに納得してくれた訳じゃなさそうだった。オイラが姿を現わしても、蒼い人は眉間にシワを寄せたまま、オイラをうさんくさそ〜に見つめるのをやめてはくれない。
「えぇと……どこから、話せばいいかな」
「時と場合によっては」蒼い人がオイラのしゃべりを険のある口調で遮った。「容赦なく叩き出すぞ、小僧。何をしに来た」
「えーと、あのぅ…その」
「はっきり喋れ」
「ぅう………」
「何だ小僧、口答えする気か」蒼い人の口振りは、あくまでも冷たく硬い。「それとも話す事がないなら、今すぐ出て行け。研究の邪魔だ」
「何だよ、アンタいやいや研究してるクセに」あんまりにも冷たい言い草に、オイラもちょっとカチンと来て言ってやった。「ナリーノのダチかよ」
「何だと、小僧。貴様……言わせておけば!」蒼い人は手元の杖を握り締めるや、オイラに殴りかかってきた! わ、めちゃくちゃこの人短気だー! やべぇええ! オイラは慌てて背中の盾を構え、第一撃は何とか防ぐ。 最初の一撃 ファースト・アタック は見た目よりずっと力があって、盾ごと叩かれた腕はじんじん痛い。
「やめて、やめてってばヘルプミー! 短気は損気、ノンキは元気だよー……ぐふごほっ!」
「やかましいッ!」楯で攻撃を防いで安心しているオイラのミゾオチに、杖の真っ直ぐな突きが深く、深く食い込んでオイラはキゼツした。

「……何故、もっと早く言わぬか」
「言える訳ないじゃんよ……」
 オイラは研究室の奥の簡素なベッドに寝かされ、ヴァーノンさんのカイゴを受けてうんうんうなってた。理力の杖でミゾオチ突くかぁ? フツー。おいちゃんが血をごぼごぼ吐いてるのは見た事あるけど、オイラがそうなったのは生まれて初めてだったと、思う。おいちゃんいつもこんな痛い目あってたんだね。ゴクローサマ。マジつらいよこれ……。
 んで、オイラをボコったヴァーノンさんが、オイラの手荷物を調べてて銀の竪琴やらロト三国国王直筆の委任状やらがボロボロ出てくるのを見て、大慌てでオイラをカンビョウしてくれたって寸法さ。たく。一体オイラが何をしたってんだい。
「まったく……とんでもない大物だったな。魔物の癖にローレシアの使者とは」
「魔物だけヨケイだい」オイラはすねてそっぽを向く。「……ハーゴンさんそっくりなのに、ちっとも優しくない」
「会ったのか」ヴァーノンさんは小さく瞬いた。
「会ったどころか」オイラは首だけあっちに向ける。「一緒に旅してるよ。旅仲間なんだ」
「小僧、お前の言うことはどうもあてにならんな」サイドテーブルの上では、コーヒーが実験器具の中でこぽこぽ音を立てている。奥へとカップを取りに行って戻って来たヴァーノンさんが、マグカップにコーヒーを注いだ。「ミルクは?」
「うん。たっぷりちょうだい」オイラはマグカップを受け取って、ふーふー息をかける。「だってホントなんだもん。しょうがないじゃん? う、胃にしみる」
「旅仲間の件はともかく」ヴァーノンさんはコーヒーを啜った。「委任状は偽物ではなさそうだ。で、何の様だ使者君。ローレシア王に頼まれて、ナリーノのアホに帰順を勧告しにでも?」
「キジュンをカンコクって何だい」
「……本気でそんな事を要求しているとは幾ら何でも思わんが」ヴァーノンさんは『キジュンをカンコク』の意味は結局教えてくれなかった。「で、何を? いい加減話せ」
「それよりヴァーノンさんはさぁ、ここで何やってんのさ」オイラはコーヒーのおつまみに用意されたアーモンドをくるんだチョコをぱくぱく食べてる。「いやいや何かを研究させられてるてか?」
「その通り。ナリーノの奴め、進化の秘宝を手に入れようと躍起になっている」
「シンカノヒホウ、ねぇ……」きっと教えてくれないに違いないので、その内容については聞かないことにした。「断れないの?」
「断れるものならとうに断っている」ヴァーノンさんはアーモンドチョコを一つかみして、あんまりおいしくなさそうにぼりぼり噛み締めてブラックコーヒーを流し込む。「だが……人質を取られたも同然だからな。それさえなければ……」
「へぇ」オイラはコーヒーの中にアーモンドチョコを三つほど放り込んで掻き混ぜた。「ヴァーノンさんも人質取られてるのか。オイラ達もそうさ」
「お前達も?」
「うん。オイラの旅仲間のユカと、トンヌラの妹のラーニャ王女って人」
 ヴァーノンさんは啜りかけていたコーヒーを派手に噴き出した。
「は、はぁっ?! な……も、もう一度」
「何べんでもいうよ。どっちがいい?」
「……もう良い、解った。恐らくは真実なのであろう」ヴァーノンさんは額を押さえた。「ナリーノの奴、なるほど道理で……此処にいると、外界の情報が入らないのでな」
「じゃあ、今外で何が起こってるか、説明した方がいいかな」
 オイラはオイラ達が この世界 アレフガルド に来てから今までの経緯を大ざっぱに説明した。おいちゃん達と旅をしてきたこと、メルキド陥落からムーンペタ占拠、そして魔物達の襲撃まで。オイラがあんまり慌てるものだから、説明は時々ストップをかけられ、整理するべく研究室の黒板にまとめられていく。
「……この図の通り、で良いのかね? オルフェウス君」
 ヴァーノンさんは黒板をチョークで軽く二度、とんとんと叩いた。
 キレイにまとめられた関係図を見て、さすがだなあ、と思う。この図さえ見れば、誰でも時間の流れと事実関係をバッチリハアクできちゃう。頭いいんだなぁ、と、オイラは目の前のコワイコワイ研究者サマを尊敬の眼差しで見つめた。
 だけど、ヴァーノンさんは浮かない顔をしていた。握りしめたチョークが、手首ごと下がってせっかく書き留めた表の上に弱々しい線を書く。
「……そうか……因果な事だ……」
「ねえ、さっきからよくわかんないんだけど、どういう事よ」オイラは冷めかけたコーヒーを一息に飲み干して、サイドボードに置いた。
「旅をしていると言ったな」ヴァーノンさんはチョークを放した手に付いた白い粉を拭い取った。「あれは、私の弟弟子に当たるのだ」

 ヴァーノンさんの言ったことを要約すると、ハーゴンさんとは幼なじみなんだそうだ。おんなじ師匠についておんなじ学問を学んで、おんなじ僧侶になって、おんなじ神を信仰して、おんなじアクマシンカンとして世界を滅ぼそうとした、らしい。ちょこっと違うのは、ハーゴンさんがみんなのリーダーで、ヴァーノンさんが補佐役って事。ハーゴンさんが死んでからは信仰を捨てて、故郷にも帰れないんで気候の暖かいデルコンダルに引っ込んで田舎暮しすることにしたんだって。ロト3国やアレフガルドじゃ魔物狩りとかジャキョウ狩りが危なくていられないってのもあったみたい。
 アイン&トンヌラ分析ヴァージョン最初のヒトだな、と、オイラはヴァーノンさんを分析した。あ、そーゆーのは分析って言わないか。へへ。とにかく、魔物狩りから逃れて最初のうちは、のんびりイナカでヤギを飼って、村の子供達に勉強を教えたり、薬草を作って生計を立ててたんだって。豊かではないけど、ゼイタクしなければ充分に食べていけて、貯えも出来るくらいにはやっていけたみたい。
 だけど、誰がチクったのか解んないけど、ナリーノの奴が正体を嗅ぎ付けてきたんだ。ナリーノの奴、ヴァーノンさんへ自分に仕えろって言ってきたんだって。
 ヴァーノンさんは何度も何度も断った。ナリーノに協力する気はさらさらなかった。いや、相手がナリーノじゃなくても協力する気なんか無かった。ただイナカで静かに暮らしたかった、それだけなのに。だけどナリーノはそんなこた知ったこっちゃない。ナリーノは最初、過去をばらすと脅したらしい。だけどそれでもガンとして話を聞かないってんで、ナリーノが目を付けたのが、飼っているヤギを世話してくれている村の子供達。
 ヴァーノンさんはヤギのヘイズの世話を子供達に任せ、時々読み書きソロバンを教えたり、色々用事を頼んで、可愛がってたらしい。それをどうなってもいいのか? なんてナリーノに脅かされたんだから、従うしかないよなぁ。ヤギをしばらく子供達に預けて、今はここにナンキン状態ってわけ。おいしそうだねって言ったら、それはナンキンマメだって怒られちゃった。
「……要するにさぁ、オイラがその二人をナリーノの手の届かないところに連れて行けばいいって事?」オイラは奥でコーヒーカップを洗うヴァーノンさんに向かって声を張り上げた。「コーヒーごっそさん」
「親もいるだろうに。そもそも何処に連れて行く気だ? 呪いの雨が降り止まぬローレシアやムーンブルクにでも?」水音が止まって、コップを棚にしまう音。ヴァーノンさんは手を拭きながら研究室に戻って来た。
「うーん、そうだねぇ……とにかく、オイラとしては何とか雨雲の杖のある場所を教えてもらわないと。とにかく全てはそこから。それから、王女様を何とか助けないと……場所、知らない?」
「さあな。だが、王女は自らここに来たのだろ。会っても、帰らんと言うやも知れん」
「侍女のエリスって子とつなぎを取るように言われてるんだ。彼女なら多少は状況を解ってるだろうって、レーンさんが言ってた」
「レーンか……ふむ。会ったのか。あれは息災か?」
「そくさい?」
「元気か? と言う意味だ」ヴァーノンさんは面倒臭そうに付け加えた。
 ああ、そう言えばレーンさんもアクマシンカンだったなぁ。言われてようやく思い出す。「うん。がんばれって。世界の未来はオイラにかかってるって」
「そうか……オルフェウス、私は良いから、先に王女と会っておけ。あれはサマルトリア王家にとっては急所のようなもの、王は最後まで妹を切り捨てられまいからな。それから雨雲の杖だが、城の尖塔を探すのが良かろう。これは推測に過ぎないが、雨雲の杖がより広範囲に影響力を及ぼす様にと、高い処に雨雲の杖を設置しているかもしれぬ。………見張りにはくれぐれも、気を付けてな」

 オイラは言われた通り、先に王女に会いに行く事にした。雨雲の杖をゲットしたら、その時点でオイラの存在が知れてケイビがキビしくになるかも知れないと思ったから。探すのは大変かなと思ってたけど、オイラが見張りに姿を見られないよう物見の塔をさけながら、城の周りをぐるっと一周していると、お城の小さな尖塔の窓に灯りが点ってるのを見付けた。窓際まで、飛んでいく。
「こんばんはぁ〜」
 部屋の中では、ドレスを着た女の子が二人テーブルに向かって何かしてたけど、オイラが声をかけたらびっくりして作業をやめた。
「キャッ! な、何なの?!」
「ラーニャ様、魔物ですわ魔物ッ」
 オイラは両手を差し上げてにぎにぎした。「オイラ、怪しいもんじゃないよ」
 おどけて見せながら目だけを動かして、ざっと部屋の中を見回す。部屋はまあまあ広くて、家具もゴージャスだ。だけど部屋の中は散らかってて、テーブルの上と下には紙とインクと針子道具がぶっちゃけられてる。見るからに高そうなじゅうたんに、黒いインクのしみを拭いた後がある。
「どこから見たって怪しいですわっ!」ラーニャ様、はあっさり言ってのけた。
「あーそうですか。どうせオイラは怪しいですよ。せっかく助けに来てやったのに」
「え? 助けに……ですか?」
「余計なお世話だわ。お帰りなさいおウマちゃん」ラーニャ様はおいらを部屋の中に入れないよう通せんぼした。「しっしっ、女の園に忍び込もうなんて不届き者、許しませんわ。すぐにでも衛兵を呼んで追っ払ってもらい……ふぐっ!」
「しーっ!」侍女がムリヤリラーニャの口を塞いで、オイラを手招きした。「王女様は無視していいからっ!」
 オイラが部屋に入ると、ラーニャは口をふさぐ侍女の手を振りきって、荒い息を吐いた。「エリス貴女何て事をなさるの」
「王女様、少し落ち着きましょう」エリスはラーニャをなだめ、椅子を勧める。「お茶でもいかが?」
「いただきまぁ〜」
「お黙んなさい! エリスは貴男にお茶を勧めた訳じゃないわ。ここには魔物にあげるお茶なんてただの一口もなくてよ。エリス何三つもカップ用意してるのよ!」
「は、ハイッ」エリスはカップを取り落として、割ってしまった。割ったカップを恨めしそうにじっと見つめ、ゴミ箱にぽいっと捨てる。
「……要らない。です」オイラはつつしんでお茶を辞退した。ハァ。出るのはため息ばかりなり。王女様はオイラと話してる間も、ひたすらペンを動かして何か書き物をしてる。これがウワサのやおい小説って奴かなー。書き物って、そんなに楽しいのかな?
「ねえ、さっきから何書いてんのさ」オイラは王女の手元を覗き込んだ。一応これでも習ったから、字は読めるんだい。
「あら、見たいの? なかなか趣味の宜しいおウマさんだわ、魔物なのに以外ねぇ」ラーニャは長いまつげに覆われた大きな目を細めた。「どうしても見たいと仰るのなら、ワタクシの一代傑作見せてさしあげても宜しくてよ」
「うん、見たい見たい!」エリスがオイラの腕をつねって引っ張ったけど、オイラはさっとエリスを押しのけて原稿を借りた。
「何々………ギャーッ!」
 オルフェは やおいしょうせつのげんこうを まどからほうりすてた!
「ちょっと、何なさるの魔物の癖にっ! ナマイキよっ!」
「魔物は関係なーいっ! オイラはのび太かっての!」オイラは顔を真っ赤にして叫んだ。「なんだよこれ、キモチワルー! 何で男同士でチューすんだよ! 絶対おかしいって!」
「魔物には人間様の高尚な趣味は解りませんわ」絶対高尚じゃない、と大多数の人類と魔物が言いそうな事をラーニャはしごく当然とのたまった。「拾っていらっしゃいな!」
「ぅやだっ! そもそも拾いに行ったらオイラが見付かっちゃうじゃないか。オイラがデルコンダル城内に忍び込んでるのがナリーノに知れたら、オイラケ……」ツの毛抜かれて死んじまう。と、いうのはさすがに王女の手前ためらった。つーか、男同士でチューだったらまだきっとオイラも……いや、受け容れられないけどそういう世界があるんだなあ、と納得はすると思うんだけども。
 しばらくハーゴンさんの顔はまともに見られないな、と、オイラはちょっぴりどころではなくげんなりして、壁に手を付いた。お察しします、とでも言いたそうに、エリスが肩にぽんと手を置く。ああ、切ないなぁ。「ラーニャ様、ワタクシが後から拾って参ります故」
「いいわエリス、多分ナリーノ 義兄 にい 様の臣下が拾い集めて下さるでしょうから」
 エリスがちっと小さく舌打ちしたのを、オイラは聞き逃さなかった。
「ね、ねえ。何時もあんなんなの王女様?」
 エリスは深くうなづいた。そりゃ打つ手ナシだ。
「ちょっと、エリス。貴女には関係ないわ。おウマさんが用があるのはこのワタクシなんですからね。貴女はあっちでだいまどうの衣裳を縫っていなさいな」
 再びいすに腰掛けたエリスは、ちらっとラーニャをにらみ付けていた。ごめんね、と小声でいいながら。ああいう上司はオイラも持ちたくないなあ。
「とっとにかく! あのね、オイラが来たのはアンタの小説読みにきたからじゃないんだってば。こっち向けよ!」オイラはラーニャのいすをくるっと半回転させた。「オイラはね、幽閉されてるアンタを助けにきたんだ。トンヌラに頼まれてね」
「あら」ラーニャはオイラの手を思いっきり叩いて、いすを再び回転させる。「じゃあ、お門違いねおウマさん。おかえんなさいな」
「うう……」そうだった。ラーニャは自分から城を出てデルコンダルへと逃げて来たのだった。アニキの命令なんて聞くわきゃないよな。「ええとね、あのね。君がいるとね、お兄さんが心配でデルコンダルに来られないんだよ。トンヌラ達とオイラの仲間は、ナリーノのヤローをやっつけ…ぶふっ!」
 顔面にクッションをぶつけられ、オイラはぶつけられたクッションを床に叩き付けた。「あにすんだよっ!」
「ナリーノ 義兄 にい 様を悪く言わないで頂戴ッ! 貴男に何が解るのよこのバカウマ! 言っときますけどね、兄様とナリーノ義兄様が戦うなら、ワタクシ迷わずナリーノ義兄様を応援するに決まってるんですからっ!」
 オイラは鼻頭をこすった。この人、ホント扱い辛い。カワイソウなトンヌラ。「今さあ、世界はトンヌラの雨の呪いで滅びそうなんだ。ローレシアやサマルトリアやムーンブルク、アレフガルドにも、濡れた人を石にする呪いの雨が降ってて、みんな飢え死にしそうなんだよ。最初はオイラ達とトンヌラ達は敵同士だったんだ。そりゃそうだよね。何せおいちゃんは昔、トンヌラの先祖に一度殺されてっし、ハー……うっ!」
 ダメだった。ハーゴンさんの名前を出そうとしたとたんに頭の中でチューが、チューがっ! オイラの肌にサブイボが浮き立つ。泣きたい。泣いていいですか? オイラ、本気でキモチワルイです……。
「ハー?」ラーニャのペンがぴたりと止まった。王女の目は、妖しい光りにランランと輝いている。
「おウマさんアナタ、今、ハーって言いましたわよね? 言いましたわよね!? おっしゃい! 言ったとおっしゃいなっ!」
「ぐはっ! い、いい、言いました、言いましたってば!」
 王女の、胸ぐらをつかむ手がぴたりと止まった。ああ、助かった。死ぬかと思った。
「ハー様ッ! ハー様なのねッそれは!」
「う、うん……多分」多分、は弱気に付け加えたけど、ハー様がハーゴンさんなのは絶対絶対間違いなかった。ああ、ハーゴンさんってホント不幸。ネタにされるわトンヌラには恨まれるわ、こんな変な女には好かれるわ、オレ、つくづく同情する。ジャキョートって、不幸だ。
 ラーニャは目をぱちくりさせ、しばらく何か考え込んでいるようだった。
「と、言うことは……」
「そゆ事。……もう、メンドウだから今すぐとは言わないよ。とにかく、戦いが始まってからでいいや。このカギあげるから、戦いが始まったらここから逃げて欲しいんだ。そうしてくんないとオレ達、アンタを人質にでも取られたらアンタを見捨てるか、オレ達が負けるかしかないんだ。そんな事になったら……そ、その……い、愛しの……は、ハー……が、困るだろ?」
 ごめんなさい。オレは裏切り者でした。あわよくば仲間をだしに使ってしまいました。オイラはテーブルの上に、フィルからもらったろうごくのカギを置きました。
「あら、来るのね☆」ラーニャはカギをつまみあげた。
「はいぃ? あ、う、うん。多分ね」
「それなら……」ラーニャは踊るような軽やかな足取りへ、窓際へとスキップする。
「ワタクシはハー様が助けに来て下さるのを待ちますわ。こんな物いーらないっ!」
 ラーニャは ろうごくのかぎを まどからなげすてた!
「……ってあー! カギ捨てる奴があるかよーっ!」
「あらどうしてよ! 別によくてよあたくし監禁されてるわけでもなし」ラーニャはふふん、と鼻に掛かった甘い声で勝ち誇る。仕返しのつもりかよ。
「カンキンされてるんだっちゅーの!」オイラはラーニャを怒鳴りつけた。「あーもう、オイラ頭にウジが湧きそうだよ……後でカギ拾ってこなくちゃ」
「あら御愁傷様ね」ラーニャは妙なしなを作ってオイラに流し目をくれた。ああいうこてこての女臭い匂いはオイラ、苦手だなぁ。「とにかく、ワタクシはハー様自らデルコンダル城にいらっしゃらない限りは、ここを出ませんからね。私を助け出したければハー様を連れていらっしゃい!」
 チクショウ、やおい原稿の腹いせだ。トンヌラがキレる理由も解るよなぁ。もう、いいや。
 帰り際、オイラはエリスに小さな袋を渡した。「あんな事言ってっけどさ、ちゃーんとここにカギ開けの道具一式置いてっから。いざとなったらこれで開けて。ラーニャにはナイショだよ」
「……これって、やっぱりさっきのカギの代わりなのでしょ?」
 そのものズバリだったので、オイラはエリスの手からカギ開け道具入り袋をひったくった。すぐエリスに、にっこり笑って引ったくり返されたけど。

 王女様には大変な目にあったけど、次には雨雲の杖を探さなきゃ。これが何とかならないことにはそもそも王女を助けたって何にもならない。トンヌラごめんねとあやまりつつ、オイラは雨雲の杖を探すことにした。言われたとおり塔の上にあると楽だなあ、なんてのんきに考えながら、ぱたぱた城の上からそれらしいところを探す。もう空は真っ暗で、冬の星空には沢山の星がダイアモンドみたいにちりばめられていた。キレイだなぁ、早く、みんなに見せてあげたい。その為にも、がんばらなくちゃ。
 もうこれで何つ目か知れない塔の一つをのぞき込む。中は真っ暗で……でもないや?
 塔の中は丸い部屋になっていて、フレイムに当たって寒そうに丸まってるヘルバトラーと、さまようよろいが座り込んでる。部屋の真ん中は吹き抜けになってて、設えられたまあるい台座の真ん中に、青白い光を放つ灰青色の杖が突き刺さっていた。
 ビンゴッ。間違いないや。
 もう何度も雨雲の杖を見てたから、間違えっこない。
 不意にヘルバトラーがこっちを見たので、オイラは頭を引っ込める。
 ブツを見付けてバンバンザイ、さて、どうしようと考えてオイラは困ってしまった。
 見られずに雨雲の杖を奪うには、どうしたらいいんだろう?
 一応、まだ後一個きえさり草は持ってる。でも、突然杖がすぽっと台座から抜けて、ふわふわ宙を漂ったら怪しいと思われるのは間違いないし、それをほっといてくれるほど見張りの魔物達がお人好しとは思えない。それにヘルバトラーの方は空が飛べそうだ。追いかけられてすごい魔法でもかけられたら、オイラ確実にサクラ鍋だな。オイラはそんなに魔法が得意な方じゃないしなあ。
 しばらく考えて、オイラはカバンから銀の竪琴ときえさり草を取りだした。

「なあ、退屈だなぁ相棒」ヘルバトラーがぼりぼり尻をかいた。
「しょうがねえだろ、バラモス様の命令だ。あと1時間で交代だ、我慢しようぜ」
「ちぇ。じゃあよ、しりとりはどうだしりとりは」
「何回やったか忘れちまったよ」
「花鳥木ドウシタドウシタハドウダ」フレイムがぱちぱちと火花を散らした。「ドウセ呪イノ雨ガアル限リ、敵ハ攻メチャ来レナイゼ」
 そうかな、どうかな。オイラは銀の竪琴の弦を一つ、鳴らした。
「んぅ? 今、何か聞こえなかったか?」ヘルバトラーは毛づくろいをやめて、仲間達に聞く。
「さぁ……あぁ、聞こえてきたな……大方、城で宴会でもしてるか、ナリーノが弾いてるのか、さもなきゃ王女様か……いい音色だな……」
 ぽろん、ぽろんぽろん。指が次々に弦を弾く。歌はナシ。
「イイネエ……ナリーノノ奴、気ガ利クナ」
「踊りたくなってくらぁな♪」
「待て待てお前踊るな」さまようよろいがヘルバトラーを制す。「お前が踊ったら床を踏みぬいちまわぁ」
「まあ、それもそうだなぁ」
 しめしめ、いい感じだ。魔物達はまったりしてる。オイラはここで、きえさり草を使う。竪琴は離さないまま、窓から部屋に入り込む。
「ああ、今すぐでも一杯やりてぇなぁ」
「タマニハコンナ警備モイイモンダナ」
 よし、よし。竪琴を鳴らしながら、台座に近付く。魔物達はいい感じに和んでるぞ。オイラは一曲鳴らし終えると、杖に手を伸ばした。力を込めて、引き抜く。
 抜けない。
 もう一度、力を込めた。ダメだ。抜けない。
 オイラが力を入れてると、魔物達がぶるぶるふるえる杖に気付いた。
「おい、何かおかしいぞ?」
 ヤバイ。どうしよう。
 そうだ。オイラは袋から太陽の石を取り出した。とにかく、力を中和しよう!
 太陽の石に魔力をこめる。石が、ちかっと中から光った。
「ななな何か、光ったぞ?!」
「何カイヤガルゾッ!」フレイムが叫んだ。「ソコダッ!」
 オイラは太陽の石を、雨雲の杖にはめ込まれてる濁った石に押し付けた。
 太陽の石と雨雲の杖の間に、火花が散って、光があふれた。熱い、体中が焼け焦げてちぎれそうだ!
「ギャアアアアアア!!」
 魔物達は次々、やられていく。炎に強いはずのフレイムも、さまようよろいもヘルバトラーもみんな一緒だ。
 肉の焼ける匂いがした。
 オイラも、死ぬかな。
 死ぬのは怖くないけど、まだ、死にたくなかった。
 部屋中が虹色の光で一杯になった。光は爆発的に広がって―――文字通り塔ごと爆発した。

 気が付いたら、オイラはお城の裏庭の植え込みの中に頭を突っ込んでた。
 生きてる。
 あの光は魔物をみんな焼き殺すんだと思ってた。違うのかな? こわごわ、自分の手を見る。
 手は無事だった。石もある。
 胸元に、きらきら光る物があった。何だろ? 取り上げてみる。
 おいちゃんにもらった、おいちゃんのうろこだ。にぶい青銅色だったうろこは、月の光を受けてなぜか金色に光っていた。おいちゃんが守ってくれたんだな。ありがとう、おいちゃん。
 辺りを見回すと、雨雲の杖は木の枝に引っかかってた。
 城中ははちの巣をつついた大騒ぎになっていた。オイラは杖を引ったくり、急いでその場を離れた。

■Chapter5.〜決戦は金曜日! in デルコンダル〜

「なーにが魔王だこの腐れ七面鳥ハゲがァ! やっぱお前は三流泡沫ペーペーザコ魔王じゃないかッこのスカタンが!」
 その頃、バラモスとナリーノは城の一角で互いを口汚く罵りあっていた。理由は言わずもがな、である。
「何おう!」
「何度でも言ってやる太りすぎ七面鳥の毛を毟ったヤツ! ケケケ確かに奴の言った通りだ七面鳥呼ばわりするとすぐキレるって」ナリーノは下らない事に勝ち誇って見せたが、だからといってどうなるものでもない。「クサレ七面鳥が、ヒトの領分に口を出すから痛い目見るんだボケ! ガライを襲わせさえしなけりゃ銀の竪琴を奴らに奪われたりはしなかった!」
「ぬ、くくく……ば、バカ丁寧に竪琴を引き渡せなんてのったらくったらやってるから奴らに出し抜かれたんだろうがぁ! それを言うならオマエんとこの城の警備は一体どうなってんだあの忌々しいウマ野郎が堂々と城ん中を闊歩してたのはどこの誰のせいだかこの変態ロールパンもみあげ野郎!」
「何だとう」今度はナリーノが鶏冠ならぬもみあげロールパンを逆立たせる番だった。「ロトの三人組にこき使われてたへちゃむくれの三下魔王のクセにっ。大体雨雲の杖を警護させてたのはお前だろ」
「国民支持率0%の剥製フェチに言われてもなぁ?」バラモスはナリーノの肩口にしがみつくピンクのネコ科生物ジョンに、いかにもみだりがわしい一瞥をくれた。「どっちにせよ、後の祭りだなケケケ。何、ウマガキは手下共に今追跡させている。まあ待ってな、今夜のディナーはサクラ鍋だ」

 で、バラモスとナリーノが互いに責任を擦り付けあっている間、オイラは魔物達の追跡から――人間の追手はいなかったんで、バラモスの手下共だと思う――逃れるべくデルコンダルの山奥を走り回ってた。土地勘もないのに走り回るのは結構、きつい。まともに寝てないから頭ふらふらだ。オイラは森の中の木の上に隠れて仮眠を取ったり、時には人里に降りて家畜の小屋で一緒にやぎやひつじ達と寝た。ひょっとしたら、中にヘイズがいたかも知れないけど、オイラにやぎの見分けは付かない。
 デルコンダルから天へと昇る虹の柱はムーンペタからでも見えたんだそうだ。窓を開け放し、雨がやんだのを確認して、みんなは飛び上がって喜んだ。雲の切れ間から指す光のカーテンはまるでは天の祝福のようだった、とトンヌラがしみじみ言ってたなぁ。だけどみんな、そうそうカンガイにふけってばかりもいられなかった。だってこれは要するに、デルコンダルホンドケッセンのフセキでしかないんだから。みんなは支度もそこそこに、翼広げて二昼夜、キビしい空の旅へと出発した。オイラはその間ずっと、夜露と追っ手を逃れて走り回ってたわけ。おいちゃん達がデルコンダルに到着する前に、サクラ鍋にされちゃたまんないからね。
 明け方、オイラはデルコンダル南部の砂浜を海岸沿いにゆったり歩いていた。くたくたで疲れてるはずなのに何故かコウフンして、朝日が顔を出す前に目がさめちゃって、仕方ないんでぶらぶらさんぽ。日の落ちた夜よりは、ほんのり空が白み朝が来る時間の方が安全だし――魔物は朝が嫌いなんだ――周りは砂浜だから見通しが利くしね。砂に馬蹄型の足跡が出来ては、波にさらわれて消えていくのが面白くて、まだ眠い目をこすりながら、貝がらを拾ったりまあるくてすべすべした石ころを拾っては海に投げていた。
 五つめだか六つめだかの石を投げようと、腕を振り上げた時だった。
 ぱあっと光が射して、影が無限に闇色の海へと溶けていった。オイラは腕を振り上げたまま、闇色から赤、黄金へと染まっていく海を見つめた。
「すげぇ……」
 雲が薔薇色に染まっていく。影が短く、光が長く伸びていく。
 赤金色の雲の谷間が、キラリと光った。キラキラはどんどん大きく、力強く広がってこちらに向かってくる。
「あ、おいちゃんだ! おいちゃぁーん!」
 石を握ったままぶんぶん手を振った。いつもはくすんだ青銅色が金色の朝日を一杯に浴びてキラキラ青金色に煌めく。光は高度を下げ、やがて浅瀬に降り立った。ざばざば海の水を掻き分け、おいちゃんのでっかい体が近付いてくる。オイラは嬉しくて、ざばざば海水を掻き分けおいちゃんの元へ歩いてお腹に抱き付いた。
「わぁい、お帰りぃーっ!」
「そこはお帰り、ではなかろう。こらっ、抱き付くな子供かお前は」
「子供でしょう……うはっ、私もですかっ!」おいちゃんの首から飛び降りたハーゴンさんは、抱き付かれて砂浜に尻もちをついた。
「だって心細かったんだもん。ああ、良かった良かった、みんなに会えないかと思ったよぅ。ひーちゃんも来たんだねぇ」
「よ、余は……きゅうっ」
「お、俺は勘弁してくれよ」
「私も嫌よ」
「じゃあ僕かよっ!」抱き付かれてトンヌラがかえるのつぶれたような声を出した。みんなは笑った。オイラはトンヌラにどつかれながら、行く先々でのあんなこんな話を道すがら話した。ラーニャに会ってカギを渡した事を伝えたら、トンヌラはほっと一安心したようだった。こう言うところはお兄ちゃんなんだなあ。でも、そのカギを捨てられたのは内緒にしとこう。ハーゴンさんには雨雲の杖を返した。
 みんなロクに休まずにデルコンダルまでやって来たせいで、顔色は一様に悪かった。目の下にはグリズリーが一杯住み着いてる。けれどほんの少し海岸で休んだ後、すぐデルコンダルの城下街へ向かう事に決めた。せめて仮眠を取った方がいいんじゃない? って言ったけど、休んでいる内に襲われたら危険だ、もう我々が領土内に入った事は向こうも気付いているに違いないってみなが口をそろえた。
 オイラ達は途中で果樹園のオレンジを取って食べた。勇者様 やってることは どろぼうだ。って言ったらじゃあ喰うなっておいちゃんに殴られた。どろぼうして食べたオレンジの味は、胃がとろけるほど美味しかった。

 デルコンダルの城下町にたどり着く。朝市が開かれている中をオイラ達は顔も隠さずずんずんと横切る。変な目で見る人や、怖がってる人達もいたけど気にしない。朝市の外れにカフェテラスがあったので、みんなで座って朝食を食べた。コーヒーか紅茶を飲んでおかないと、眠気がきついからだって。おいちゃんはサーモンとローストビーフとアンチョビ入りのバケットサンドまるまる一本分とカフェオレをがぶがぶと、ハーゴンさんはベーグルサンドと特別濃いエスプレッソを、ひーちゃんとトンヌラはパンケーキとロイヤルミルクティを、アインとマリアはエスプレッソとクロワッサンを、オイラはパンケーキとアメリカンをそれぞれ頼んだ。ついでにみんなでシェアしようとスクランブルエッグとコールスローサラダも追加注文。
 ウェイターはオレらの顔を見て、びくびくしながら注文を繰り返した。
「……あのぅ……」
「何だ、顔に何か付いておるか?」
「い、いえ、その」ウェイターはテーブルの胡椒入れをひっくり返してしまい、あわてて立て直す。「皆様方はそのぅ……そちらの方々は、ローレシア国王アイン様、サマルトリア国王トンヌラ様、ムーンブルク女王マリア様で、御座いますよね?」
「序でに」トンヌラが付け加える。「そっちの三人は、世界を闇に閉ざした魔王とそのひまご、世界を滅ぼそうとした悪魔神官」
 さいですか、とウェイターは笑顔を引きつらせながら奥へと注文を通しに行った。
 朝ご飯はすぐにやってきた。きっと大急ぎで作ったんだろうな。みんなは無言で朝食を食べ始めた。美味しかったけど、決戦前だと思うと余りゆっくり味わう気持ちにもなれなかったし、じろじろ遠巻きに見物されてるのが、みんなおすまし顔を決め込んじゃいるけどやっぱり嫌だったんだろうな。
 オイラはウェイターが運んできたコールスローサラダの横に、うで卵と一緒に黄色い物体が乗っているのを見付けて摘み上げる。「何、これ」
「バナナであろう」ひーちゃんがバナナを摘み上げてオイラの皿に乗せた。「いわゆるモーニングサービスじゃ。余は卵を貰うぞよ。……嗚呼、固うでじゃ。余は固うで卵は好まぬ」
「贅沢言うな。なら寄越せ」おいちゃんはひーちゃんから固うで卵を取り上げて一口でぱくっと食った。序でにフォークで直接コールスローをすくって口に放り込む。おいちゃんさっきから食い過ぎ。
「下品だな。直接皿から喰うなよ」
「五月蝿い」
 お、結構仲好さそうじゃんみんな。オイラはホットケーキをつつきながらみんなのやりとりをまったり眺めてた。
 不意に、背骨を突き上げるぞくぞくした感覚に、手が滑ってマグカップをテーブルに転がした。テーブルがコーヒー色に染まって、ガクガクする。世界に薄いまくがかかったみたいに、なる。ウェイターが慌ててテーブルを拭くのと、アインのくつにコーヒーがこぼれてアインが怒るのと、ハーゴンさんが見上げるのと、それから……。
「あれだーっ!!」
 オイラは立ち上がった。ぞわぞわの波は、デルコンダル城から押し寄せてきていた。
「ぁん? どうした落ち着けオルフェ……?!」
 城の方から、けたたましいサイレンの音が鳴り響いた。

『デルコンダル臣民の皆様へ、政府からの緊急連絡です。  デルコンダル領内への敵対勢力侵入が確認された為、デルコンダル城中心半径5km圏内に魔物警報が発令されました。臣民の皆様は至急、屋内に避難して施錠し、一歩も外に出ないようにして下さい! 屋内にいる限りは安全です! 繰り返します……』

 おいちゃんがくわッやられた、とか呟くか呟かないかの内に、デルコンダル城の方から真っ黒な粒々が、ものすごい唸りを上げながら大群で飛んでくる。ウェイターはひぃ、と悲鳴を上げてはいつくばりながら店内に隠れる。カフェテラスは屋外だから逃げてもムダだよ。
「なんじゃ、先程まで一緒におった癖に、急に逃げ出しおって。どう見たってあんな物はアホのナリーノの手先に決まって……」
「ひい爺様、我らの立場を鑑みれば詮無きこと。もう少し、自覚という物を……」
いなごみたいだな……すげえ数だ」
 トンヌラが蜜をたっぷり塗ったパンケーキを口の中に無理矢理押し込みながら、剣を鞘から抜いて立ち上がった。が、おいちゃんが肩を押さえ付けてトンヌラを座らせる。
「まあ、待て。……奴らの作戦だ、決戦前に我々を消耗させようという魂胆なのであろう。今突っ込んでいくのは得策ではない」
「むぐふぐっ」トンヌラはひーちゃんからミルクティの残りをもらってぐっとパンケーキを胃袋に押し込んだ。思いっきりげっぷを押し込むと、トンヌラは胸をどんどん叩く。「……げほ、ごほ。ま、まあ、そうだけどさ。このままじゃ、ヤバイ」
「あの放送からするに、ナリーノとて街を魔物達に攻撃させるつもりはありますまい。……となれば、なるたけ戦いを避けるが肝要。大凡一日でデルコンダルまで辿り着いたとはいえ、私達は疲れています。消耗は避けたい、と」ハーゴンさんがベーグルに、残りのコールスローを挟み込む。「しかしどうやって?」
「困ったわね」マリアが近付きつつある影をにらむ。「あんな数の魔物、対処できないわ。一旦倒したとしても、又やってくるでしょうし……」
「そだ! おい、オルフェ太陽の石を貸せよ」アインがオイラに手を差し出した。オイラはポケットから太陽の石を取り出して、アインに手渡す。「これがある」
「そんなもの、どうするというのだ」
「雨雲の杖に特別な力があるのなら」アインは石を掲げた。「太陽の石にだって特別な力がある。イモ焼くばかりが能じゃないんだよ」
 朝日を浴びて、太陽の石が淡い光を放った。
 光がぐんと力を増し、ぱあっと広がって皆を包んだ。魔物達が光に反応して、わっと群がる。だけど魔物達は光の輪にぶつかってははじかれて、輪の中には一歩も踏み込めない。オイラも入れないけど。おお、とおいちゃんとハーゴンさんが感嘆の声を漏らした。アインは鼻の頭をこすって、へへっと笑った。
 アインの手がふるふる、震えている。「うう、あぢぃ……は、早く行こう……」
 みんなはぞろぞろ、オイラは後ろから、魔物達の合間をぬってデルコンダル城へと向かった。

*  *  *

 例によってデルコンダル城の門はぴったり閉ざされていた。門を幾度叩いても、返答はない。
「ぶち破るしかないか……む?」
「な、何か降って……うわっ!」
 巨大な影が、一同の頭上を覆った。押し潰されてはかなわんと慌てて門から飛び退くと、ぼよん、と金色のカタマリが門を塞ぐ。金色のカタマリはぷるぷるっと小刻みにふるえて、弾みながら立ち塞がった。
「な、何だぁ? これ。でかいな……」
「中に入れねぇじゃねえかよっ! どういうつもりだっ」
 しかし二人の愚痴も、加えられる蹴りもカタマリをどかすには至らない。
 カタマリの上部に、目と口がぱっと現われた。よくよく見ればそいつは 瑠璃 ラピスラズリ を嵌め込んだサークレットを被り、太陽を模したが如き金環を纏っている。カタマリは巨躯をぽよんぽよん揺らし、再び定位置に収る。
「ゴールデンスライムだ……凄いな、こんなレアな魔物、生まれて初めて見ましたよ……」
「レアでも何でもぶったぎるしかねえ」アインは中段に構え、ゴールデンスライムの巨体を一閃した。が、その強靭なボディには傷一つ付かない。アインは切った跡を指でなぞるが、幾らなぞっても結果は同じ。
「げ…引っ掻き傷も付いてねぇ。稲妻の剣が効かないなんて、どうせいと……」
「私がやってみるわ」マリアが一同に下がるよう言い渡すと、呪文を唱えてイオナズンを放った。が、もうもうと立ち上る土煙が晴れると、ゴールデンスライムは魔法を唱える前と変わらぬ無傷の笑顔を湛えていた。
「うーっ……コイツの笑顔むかつくな。何とかならないのかよっ」
「そうカンタンに何とかなっちゃあ困るナァ」
「うわ、ナリーノッ!」声のする方を見上げると、ナリーノが片足を城壁にかけてふんぞり返っていた。ナリーノは相変わらず悪趣味な、オレンジと紫の目に痛いスーツにショッキングピンクのファー付マントを棚引かせ、縦ロールを朝風に揺らす。
「相変わらず三流芸人みたいなカッコウしやがって。けりを付ける為に俺らの方からわざわざ出向いて来てやったんだぞっ有難く思え。開けろトンヌラ!」焼けるような熱を堪えながら、アインが怒鳴った。
「妹を帰せッ!」トンヌラがゴールデンスライムのボディを蹴る。脚がめり込んで呑み込まれかけ、トンヌラは慌てて脚を抜いた。「コイツどかせよっ」
「アホかねキミ達は」ナリーノは鼻くそをほじって、門の外へ弾き落とした。皆慌てて鼻くそが付かないよう払い落す。「ダァレがキミ達野蛮王朝の腐れ国王三人組とそのお友達風情に、わざわざこちらから来て欲しいなどとと こいねが ったんだい? 少なくともボカァそんな恥ずかしいこたぁ口が裂けても言えないネ。あ、マリアちゃんは別。おヨメに来るなら大・歓・迎☆」
「誰が行くもんですかっ!」マリアは顔を真っ赤にして怒鳴った。
「恥ずかしいのはお前の外見だっての」アインのツッコミに一同はぷっと吹き出す。「お前達は袋のネズミだ。とっとと開けろ。開けないと城門を破壊するぞ」
「あぁあぁ、だから野蛮人はイヤなんだよねぇ。入れて欲しかったらアポを取って御邪魔しますって頭下げんのが礼儀ってもんでしょうがァ。だからお前は野蛮人なの! ま、頼まれてもお断りだけどネ☆ お前らはボクのゴースラちゃんと仲良く遊んでな!」
「うへぇ……」ゴールデンスライムを見上げ、アインは情けない顔をした。何せ稲妻の剣で引っ掻き傷さえ付けられない。ゴールデンスライムはぷうと膨れて体積を増し、三人は後じさる。
「なあ、アイン何とかなんねえのかよっ」
「な、なるわけねえよっ! こんな奴」
「ウヒハハハ、なるまいなるまいて!」右往左往する一行を見下ろし、ナリーノは青空に哄笑を響かせた。「なぁに、お前等はこのボクが倒してやるから心配すんな! ゴースラちゃんはそれまでの時間稼ぎに過ぎないからネ。さて、キミ達寄せ集めごった煮チームの方だが」
 ナリーノが合図すると、きりきりと機械仕掛けが悲鳴を上げる。
「ユ、ユークァル!」
 機械仕掛けが持ち上げた十字架の先ではユークァルが、晩秋にはやや簡素に過ぎる、襟刳りを大きく取ったノースリーブの白い紗の膝丈ワンピースを着せられて裸足の足をぶらぶらさせている。あのワンピースはナリーノの趣味だろう、スカートは晩秋の風にまくれてパンチラ出血大サービス中で、目の向け所に困る。ユークァルが抵抗しないのをよそに、ナリーノはぴぃと魔物にしか聞こえない笛を吹いた。ばっさばさと羽ばたきの音がして、空からバピラスとゴーゴンヘッドが十字の腕に降り立つ。二度目の笛で、バピラスがユークァルのブラウスの肩口にくちばしを通した。
「わー、ダメ!」
「じゃっかましい、乳ポロリは読者サービスなのだよオルフェ君! あまつさえ触手であんな事やこんな事をやってしまえば大きな大人が大喜びなのだ! ドヘハハハハハハハァ! さ、バッピー、やーっておしまいっ!」
 オルフェの叫びをよそに、ナリーノは三度目の笛を吹いた。
 乳ポロリ。それは読者視聴者閲覧者(※特に男性)への伝統的な大盤振る舞いであり最もポピュラーなサービスの一つである。が、それをやってしまうとこの小説にR指定が付いてしまい、あまつさえ触手があんな処やこんな処へ潜り込んでしまった日にはX指定なんてモノまで付いてしまって未成年閲覧不可になってしまう為そうは問屋が卸しはしない。寧ろそんな事をやった日には置換機能にてナリーノの名前全消去の憂き目に遭うは予想済みの結果であると承知しているが故にナリーノも所詮は口だけなのである。しかし乳ポロリまでを回避する気はないらしく、ナリーノはユークァルのワンピースの肩を片方、無情にもバッピーに引きちぎらせた。
「うわーっ! ……れれ?」
 悲しいかなオルフェは男であり、しかも好きな女の乳ポロリとあれば見ないフリをしても矢張り見てしまうのが男のサガである。指の隙間から官能的と呼ぶには程遠い貧乳ビーチクが覗くのかと思いきや、偶然か運命かはたまた作者の御都合主義故か、ナリーノが乳ポロリ攻撃を敢行したのは生憎とユークァルが今より遥かに幼い頃に心臓を弄られた痕のみが残る左であり、即ち乳房も失われて痛々しい疵痕のみが晒されているという結果に終わったのであった。ナリーノは「かーッ! やられた!」とか何とか叫ぶと、あっさり乳ポロリを断念した。右側の肩口も引きちぎるとワンピース毎下に落ちてしまい、乳ポロリどころでは済まないからだ。
「う、うほんっ」ナリーノは態とらしく咳払いする。「兎に角。この娘の命が惜しければ、キミらは手を出すべきじゃないね。ま、三人ともせいぜいがむばりたまへ。城内で決戦準備をして待っておるよん☆」
 ナリーノは大して名残惜しくもなさそうにひらひらっとハンカチを振りながら城内に引っ込む。ナリーノに遅れて城内から車輪の音が遠ざかり、ユークァルを縛り付けた十字架も奥へと消えた。

*  *  *

 城外に取り残され、オイラ達は出鼻を挫かれた格好になってしまった。
「参ったな……」アインはかしかし頭を掻きむしり、ため息を漏らした。「こんなのどーやってやっつけろっての」
「倒さないで飛び越えるってのはなし?」オイラは上を見上げたが、太陽の石があるとはいえ、城門にはグレムリンやらギズモやスカイドラゴンが遠巻きに、オイラ達を見張ってる。
「……無理だな。意地でもどかすか、倒すかだ」おいちゃんが鋼の剣を構えて突きを叩き込む。が、鋼の剣は根本からぽっきり折れてダメになっちゃった。おいちゃんは柄を投げ捨て、腕組みしてため息を吐いた。
「何とかならんのかハーゴン」
「なりませんよそんなの。……??」遥か遠くから、大気を裂くうなりが近付いてくる。
「何だよ……何か、飛んできたぞ」
 アインがのんきな事を言ってる間に、おいちゃんとハーゴンさんは正体を察して、慌てて辺りの物陰に飛び込んだ。
「な、何してんだよっ」
「しーっ」おいちゃんの角が繁みからにょっきりはみ出てる。「来た、ロトだっ」
「ロトぉ? ……どわっ!」
 轟音を唸らせ、ロトはなみいる魔物達を倒しながら――というよりははじき飛ばしながら――おいちゃん達には目もくれず、ゴールデンスライムに突撃した。ロトはぎゅるんぎゅるんと回転しながら、ゴールデンスライムのボディにごりごり穴を空けていく。ゴールデンスライムは不意の攻撃にガクガクと、苦しそうに身悶えする。
「うぉ、ドリルだ! かっくいい!」ロトは敵の筈なのに、ついつい応援する手に力が入っちゃう。がんばれロト! ドリルは漢のロマンだッ! ゴールデンスライムをぼっこぼこにしちゃれ! ゴールデンスライムはベギラゴンの呪文を唱えるが、全身をロトの鎧でくまなく覆われたロトには火ぶくれ一つもできやしない。ロトの剣はあっと言う間に巨大スライムの体を穴だらけにして行く。
「な、な、な、何なんだあいつはっ!」腰を抜かしたトンヌラが、ゴールデンスライムと空中格闘を繰り広げる鎧の戦士を指差した。
「あれが、ロトだ」おいちゃんは繁みから首だけを突き出した。「生憎と今は――奴と戦った頃には既にそうだったが――自我を失い、我が父・マスタードラゴンの意のままに操られるロボットだがな。あれがお前らの御先祖様だ。あ奴は私を狙っておるのでな……何でゴールデンスライムなんかに戦いを挑んでおるのだ?」
「それより」ひーちゃんもおいちゃんの後ろで、両手に木の枝を握り締めてじっと様子を伺っている。「ゴールデンスライムのボディに開いた穴、あそこから城内に入れるのではないかの」
「そだっ。急ごう!」アインは稲妻の剣で城内を指し示した。「こんな所でうかうかはしてられない。……アンタは気に入らねぇけど、戦力を削られる訳にはいかねーし」
「うむ」おいちゃんが頷いて、みんなはロトがゴースラのボディをガリガリ削ってる隙に城内へとなだれこんだ。

 城内は人っ子一人いなかった。代わりに魔物が待ち構えてるわけだけど。うごくせきぞう二体が待ち構え、ゴースラロードを通り抜けたオレ達に不意の一撃で襲いかかる。地響き、石畳を踏み砕くでかい足。
「こんなの相手にしてちゃきりがねぇ! 行くぞッオラ!」
 アインを先頭に、太陽の石をかかげ中庭への通路を駆け抜ける。中庭に出ると木陰がざわざわとゆれて、通路を塞ぐ。
「ちっ、流石に城内じゃ相殺されるか……」アインはポケットに太陽の石を放り込んだ。手袋が黒く焼け焦げている。「行くぞオラァ!」
「ベギラゴン!」トンヌラの唱えた呪文が炎の壁となってふきだす。人面樹はあっという間に炭になった。アインが真ん中の人面樹製即席備長炭をへし折って道を作る。
「アイン、腕を見せて。……これは酷い。―――ベホマ」
「よ、余計な事すんなよ」火ぶくれの出来た手に魔法をかけてもらって、アインは戸惑い気味にハーゴンさんの手を振りきった。「べ、別にいーからなそーゆーのは」
「はいはい、失礼しました。―――ザキ!」
 アインの背後から棍棒を振りかざして襲い掛かろうとしていたトロルの巨体が、地に沈んだ。「これ位はお許し下さい、陛下」
「いちいちやな奴だな……てえぇっ!」稲妻の剣が、ひーちゃんを後ろから羽交い締めにしようとしたオークキングの首をはねる。「借りは返したぜ」
「ホント、意地っ張りなんだからさぁっ!」オイラは楯をかざしてハーゴンさんをかばいながら、血溜まりから伸びてきたブラッドハンドの足を踏みつぶす。「うわ、あぶねぇあぶねぇ」
 ひーちゃんにベホマをかけてたマリアが、後ろを指した。「さっきの動く石像が来たわっ!」
 うごくせきぞうが、ずしんずしんと地面を揺らして追ってきた。
 おいちゃんが、背後から迫りくるうごくせきぞうに飛びかかった。おいちゃんはうごくせきぞうの右肩に捕まると首目がけて後ろ蹴りを叩き込む。動く石像の頭が吹っ飛んで、石つぶてが散った。おいちゃんは倒れ行く石像の肩を支点に、もう一体の石像に飛び乗って、今度は肘打ちをこれまた頭に叩き込んだ。おいちゃんは石像から飛び降りてトンヌラが切り結びあっているアンデッドマンの腕をつかむと、百八十度回転してマリアを襲うフレイムの胴を真っ二つにした。
「爺様ッ!」ひーちゃんが、おいちゃんの背後に忍び寄るがいこつのきしに飛び付いて押し倒す。マリアががいこつのきしの頭を杖で砕いた。
「良くやったぞ、チビ」おいちゃんはひーちゃんの頭を撫ぜると、がいこつのきしから剣を奪い取ってオークロードに突き刺した。「マリアもな」
「いちいちお褒め戴かなくても良くてよ、御先祖様」マリアはがいこつのきしのどくろを蹴り飛ばした。「全ては、終わってからにしましょう」
 中庭には魔物達と、ユカを載せた移動式の十字架がオイラ達を待ち構えていた。バルコニーではナリーノとバラモスが、オイラ達を見下ろしてにやにやしてやがる。本当にいけ好かない奴らだ。
「……どうする」
「各個撃破で行こう。バラモスは私一人で片付ける。お前らはナリーノをやれ。残り組は、雑魚魔物の粉砕と、状況に応じて適宜補助に回る。これでどうだ?」
「了解」
「これが最後の戦いです。――皆が無事であるよう、勝利を祈りましょう。さあ、皆手を出して、重ねて」
 三人は始め、顔を見合わせた。少し考えて、手を重ねて行く。オイラもみんなの手の上に、ちょっとドキドキしながら手を乗せた。
「ふん、祈りなぞ止せ。縁起でも無い」
 みんなはじっとおいちゃんを見た。おいちゃんだけが、手を乗せなかった。
「我等は神をなみする者、何に祈れと言うのだ? 神を信じない魔族と、神を捨てた神官と、神を倒した勇者と、神を憎む神の子とが、この期に及んで神の祝福を受ける資格などありはすまい? 恥知らずにも、己の所業より目を反らすならばそれはそれで別に構わんが」
 ハーゴンさんはうつむいてしまった。皆はそろそろと、手を引きかける。
「何もしない、というのも一つの手ではあるな」おいちゃんはみんなの手の上に、改めて手を重ねた。あったかい。「皆の結束を高めようとした意図は間違ってはおらん、と思う。ただ、お前が、神の名においてやるから変な事になる。お前ら三人も納得は出来んだろ」
 三人は頭を下げた。
「その気持ちは、私も同じだ。しかし、奴をを責めないでやってくれ。奴が言い出さなくともお前達の誰かが同じ事を言いだしたであろうし、そうなればやはり、同じ結果になっただろう。習慣て奴は、なかなか抜け切らんものだ」おいちゃんはもう片方の手を差し上げた。「提案だが、任せてみないか? 私なりにやってみようと思う。巧い文句が口をついて出るかは判らぬが。どうだ? 他にもっと巧い案があれば、そいつに任せる」
 不満げな顔はしてたけど、誰も代案を口にしなかった。
「宜しい。では、良いな?」
 おいちゃんの手から、暖かい力が溢れ出した。
「我が血族よ。我と運命を共にせし者達よ。我が血と我が名の宿命に於いて、欠けたる事無き全き円の如く、常しえに、栄えあれ。我等に刃を向けし敵は、悉く天理に逆らいて我等に討ち果たされん」
 おいちゃんの低くて、でも良く通る声。オイラは訳もなく、ふるえた。怖いんじゃなくて、たかぶるって感じだ。
「嫌な祝福だな」トンヌラがぶつくさ文句を言った。「神の方が良かったかも」
「……嘘偽りがお嫌いな方なんでしょうよ。何処までも、真っ直ぐなのね……子供みたいだけど」マリアが小さく笑った。
「あの、オイラ運命って奴を共にするとは聞いてないんだけど……あつぅっ」
 おいちゃんのでこピンにやられて、オイラは額を押さえた。「何だ、お前もう尻尾を巻いて故郷に逃げ帰る気か? それとも、いちいち同意を得なければ、仲間扱いは出来んのか?」
 オイラの事、足引っ張りじゃなくて仲間だと思ってくれてるんだ。
 有難うってオイラ小声で言ったけど、おいちゃんは聞かないふりをしてもう走り出していた。

「さあ、来いナリーノ! 決着付けてやる!」
 剣を構えるアイン達に向かって、ナリーノはひらひら手を振って、あっちにいけの仕草をした。「ヤダネ」
「はいぃ?!」
「キミ達難聴みたいだからもう一度言ってあげやぅ。ヤ・ダ・ネ」ナリーノはぱちんと指を鳴らした。池から水しぶきが上がり、三人目がけて触手が伸びる。「キミ達の相手はさぁ、あの七面鳥がやるんだ。約束だからネ。ま、その前にもうちょっと遊んでもらわないと」
「キャアーッ!」マリアが足を取られて池に引きずり込まれる。トンヌラがマリアを引きずり込もうとする触手を剣でぶっ千切るが、そのすきに胴をさらわれて持ち上げられ、地面に叩き付けられた。
「なっ、じゃ、じゃあっ……バラモスは当て馬……ごはっ!」
「ああ、まぁそんなカンジ。でもだぁいじょうぶ。それじゃあバラモスちゃんあんまりにもカワイソウだし、ヤツにはボクが策を授けといたからサ」ナリーノはチェシャネコ風のいけ好かない笑みを絶やさず、再び指を鳴らした。池から、三角形の頭がにょっきり現われる。
「てっ、テンタクルスッ!」トンヌラは顔の泥を払いのけた。「何で海の魔物がこんなとこにッ」
「馬鹿だなキミは。そんなの海の水をここに引いてきたからに決まってるだろ?」ナリーノはせせら笑った。「ゴースラちゃんをあっという間に撃退したキミらなら、この程度の魔物じゃ時間つぶしにしかならないと思うけど」

 一方、バルコニーではおいちゃんとバラモスが睨み合う。おいちゃんはさっき頭を砕いたガイコツのきしから奪った曲刀の二刀流だ。おいちゃんの太陽を背にした下段の構え、メチャメチャカッコイイ! 男ぼれするねぇ。一方バラモスは素手、手をわしわし握ったり開いたり、妙な構えで対抗してる。あんなので勝てたらオイラだって勝てらぁ。その思いは、おいちゃんも同じみたいだった。
「性懲りの無い奴め。敵わぬと解っていながら、まだ楯突く気か…ぁぐん?」
 おいちゃんの喉仏が上下に動く。ぱちくりと、 黄金 きん 色の目が瞬いた。
「誰がかなわんとわかっとる、だと? ちょっとナメすぎじゃーねーのか? ぁン?」
 おいちゃんはしきりに喉をさする。「お、前、今、何か放り込んだな。何を…ぐ、ぅう、い、胃が、胃が……ぁ、が、はッ!」
「クケケケケ……いい加減、俺様をナメ腐るのはやめといた方がイイんでねぇの竜王ちゃん? ちぃと、学習能力が足りないネェ」うずくまるおいちゃんの足下に、ぽつり、ぽつり赤い雫が連なって、水溜まりを作る。バラモスの野郎はおいちゃんの腹を蹴ると、その汚らしい足でおいちゃんの腹を踏みにじる。口の周りが真っ赤に、濡れている。
「いいか、教えてやるからよーく聞けよ? お前の胃袋ン中に入れたのはローズバトラーの種だ。コイツがまた食欲旺盛でなぁ? 人肌くらいの温度で発芽して、あっという間に内蔵かっ喰らって可愛いタラコ唇の花を咲かせるって寸法だ。一応俺様にも、花やら何やらを愛でるイイ趣味があるってとこをオメェにも見せてやンねぇとなぁ?」
「な、にが、良い、趣味なもの、か……ごふっ……」
「んま、精々1時間位で完全に根を張って、人間程度なら栄養分を全部食い尽くしちまうだろうなァ。お前の場合はどうかな? クケケ。ラブリィお花ちゃんが顔を出しやすいように、ちょいとサービスしてやるぜ」バラモスの爪がおいちゃんの脇腹に食い込んで、また床の赤い水溜まりが広がる勢いを増す。
 オイラは傷口から、ぬるっとした白い糸根が顔を覗かせたのを見ちゃった。
「おお、育ってンなぁ。よしよし、極上のエサだからな、大きく育てよ〜」
 いやだ、おいちゃんが化け物花になるなんて、絶対ヤダ。
 バラモスはおいちゃんを蹴り飛ばす。おいちゃんの体が、宙に浮いて、地面に叩き付けられる。バラモスはのっしのっしと、でかい腹を揺らして勇者達を見下ろした。
「さぁて、ボーズ共、俺様が真の魔王の恐ろしさって奴を見せ付けてやるわ! 出てこい、魔物共! お前ら、勇者ドモをヤッチマイナ!」

*  *  *

「……始まったか」
「エリスッ! 来たわよハー様がッ! キャーッ! 生ハー様よっ生ッ! あァン、やっぱりカギ捨てなきゃ良かった」
「王女様、お気持ちは解りますがはしたないですわよ」そら見た事か、と言わんばかりにエリスは懐からカギ開け道具一式を取り出した。
 城の最も高き塔と、最も深き地下室で、三人の種も性も身分も立場も性格も異なる三人は最後の戦いの始まりを同時に知った。どちらにとっても限り無く他人事に近くありながら、同時に自らを渦中に置く。ただ突き動かされる動機が異なるだけだ。一方は自責の念、かたや一方は半ば妄念と化した恋情。
「早くっ、早くっ!」
「お、王女様そんなに急げませんっ。ワタクシだってこれでカギを外すの初めてなんですよっ」
「――イオナズンッ!」
 再びの爆音が、城内を轟かせた。

 ロトの勇者三人組は、意外な位にテンタクルスに苦戦した。普通のテンタクルスの優に1.5倍は大きい上に、切っても切っても空中を旋回するベビル共がベホイミの呪文でテンタクルスを治してしまう。ベビルを撃ち落そうと気を取られていると、テンタクルスの長い足に文字通り足を掬われる。おまけにテンタクルスは海の魔物なのでトンヌラやマリアの得意な炎は余り効かない。
「ヒャド系呪文もうちょっと憶えとけば良かったぜ……ちっ。てめ、あっちいけっ!」テンタクルスの足に身を取られたまま、剣を振り回すトンヌラ。しかし切っ先がベビルに掠る前に、トンヌラと同じく足に捕まったマリアがぶつけられて地面に落ちる。
「ぐはっ!」
「ううっ……」
 三人はもとより、その場の誰もが、池に放り込まれた何かに気付かなかった。勇者達からすれば、人影はちょうどテンタクルスの胴にすっぽり隠れるので、気付かなくとも当然なのだが。
「くそっ、こんなに手数が多いと庇い切れねぇ……」助けを呼ぼうにも、助けを呼ぶべき相手は、今はいない。アインの脳裏に今更ながら、後悔の念が過ぎる。
 礼位言やぁ良かったな。
 尤も言った処で、今の事態が防げた訳では無い。今までだって散々苦労してきたけど、何とか三人でやって来たじゃないかとアインは思い直した。
 ぶくぶくと、不意に池が泡立った。紫色に濁る水面。
「なっ……!」
 テンタクルスの体が痙攣し、ビチビチと跳ねてやがて、沈んだかと思うとぷっかり浮いて動かなくなった。間髪入れずに放たれたマリアのバギクロスがベビル達の首を刎ねる。
 テンタクルスの影に、男が佇んでいた。
「はっ……ハーゴン……」
「いや違う」トンヌラがゆっくり起き上がって来た。「似てるが……別人だ」
「御意」 片眼鏡 モノクル の奥で、金の瞳が眩いた。蒼い肌の男はさっと跪く。「間に合わぬかと懸念しておりましたが。私の名はヴァーノン、嘗ての大戦の、八人の悪魔神官の生き残りに御座います」
「……成程ね」アインは池へ視線を落とす。要するにコイツがナリーノに囲われてた錬金術師って訳か。それにしても毒を放り込むとは、咄嗟の判断とはいえ油断ならん奴だ。アインは剣の柄を握る手に力を込める。
「余計な手出しでしたか」ヴァーノンは三人の反応を一瞥して身を起こした。
「あ、いや……その」ぐっ、と背中にトンヌラの肘鉄を受けて、アインが蹌踉めいた。
「アホ。お前顔に出すぎだ」トンヌラの呟きに、マリアが口元を押さえた。きっと笑っているのだろう。元・悪魔神官も口元を僅かに持ち上げた。
 三人の、遙か後方で爆音がした。元・悪魔神官は素早く視線を流すと、三人に背を向けて大股で歩き出した。「心配御無用、敵に回るつもりは毛頭。ナリーノに魂を売る程気がふれてはおらぬし、今は『元』を付けねばならぬ身分。……他に、手助けの必要な者が居るようですので、これにて! 皆様の御武運を祈りますぞ。貴方方の神々にかけて」

*  *  *

「おいちゃんっ!」
 オイラはいの一番においちゃんの元へかけつけた。身体を強く打ったせいで、動けないみたい。ハーゴンさんと二人がかりで、おいちゃんをゆっくり、あおむけに寝かせる。「今、ハーゴンさんが治してくれるから」
「どうした、二人とも」魔物達を適当にあしらいながらつかつかと歩み寄る人影。
「ヴァーノンさんっ!」
「ヴァーノン! 無事であったか」
 ヴァーノンさんは小さくうなづくと、かまを振りかざして襲ってくる死神を杖の一降りで吹っ飛ばした。ひーちゃんの爪が追い打ちをかける。「再開を懐かしむ閑はなさそうだな。大体の事情はオルフェウスから聞いている。で、容態は?」
「それが……」ハーゴンさんは唇をかんだ。「ただの怪我ではないようなのだ。魔物に寄生されている。しかも凄まじい勢いで増殖して、根を張っている。回復魔法はダメだ。回復するたび、花が成長する。逆効果だ」
 傷口からのぞく糸根は血に染まっていて、さっきとは比べ物にならないくらい増えている。うねうねしてキモチワルイよう。
 やめろっ。おいちゃんの体をもてあそぶな。
 オイラはうねうねにつかみかかった!
「おいちゃんっ! おいちゃんは妖魔公だってぶっ飛ばしたんだろ? 化け物花なんてチョチョイのチョイってやっつけちゃえばいいんだ!」
 が、オイラの手はヴァーノンさんの手でしっかりつかまれて、引きずり戻された。
「な、何でだようっ!」
「落ち着け、オルフェウス。そんな事をしても臓物が引き千切られ死を早めるだけだ」
「ええい、背に腹は代えられない」ハーゴンさんはすっくと立ち上がる。「力を貸してくれ。交互に、イオナズンをかけよう。炎の熱には耐えられる筈、爆炎で花だけ焼き払えば……多少のダメージは受けるでしょうが。オルフェ、離れて」
「うむ」ヴァーノンさんも立ち上がり、骨張った指にブラックオパールの指輪を嵌める。「では、私から…っがっ!」
 生憎とおいちゃんにイオナズンの爆炎が降りかかることはなかった。おいちゃんの腹から顔を覗かせた不細工なつぼみの先がちこっと開いて、発動したはずの呪文は吹っ飛ばされた二人の体と共に闇へと拡散する。おいちゃんは苦しそうにのたうち回り、二人は呆然と、おいちゃんの体内に再び引っ込んでいく赤いつぼみを眺めていた。
 おいちゃんの傷は手の施しようがなかった。魔法はことごとく闇の波動に打ち消され、その度においちゃんは酷く苦しんだ。血はますます黒ずみ、殆ど炭のように真っ黒、おいちゃんの顔は血の気が引いて白っぽい。
「ねえ、方法はないの?」
「無くはないのですが」ハーゴンさんは相変わらず厳しい表情だった。「闇の花の力を凌駕する程の、光が必要です。……私達には、どうしようもありません。彼自身の潜在能力に全てが掛かっています。……聞こえていますか? 貴男の、根源は光なのです。その力を掴まなければ、やがて貴男の体は闇の植物に駆逐され、取り込まれてしまう」
「ひか……り………? …………ひ…か……」
 おいちゃんの、様子がおかしい。
 胸元を握り締める手が、緩んで落ちた。
「おいちゃん、どしたの? ね、おかしいよ? ねえ、おいちゃん!」
「年、貢、の……納め時……や、もな……」おいちゃんは力無く、笑った。「……焦がれても、あんなに焦がれても、もう、手には届かぬ……奪われた、最初から、望む、べくも」
 黒い血が、血溜まりに広がる。体が弓なりに反って、傷口から細い、節くれ立った茎が伸びて血溜まりの上で躍る。皮膚の中で根が動いてるのが、外からでも解る。
「もしや……形見、とは、光の……?」
「ねえっ、どういう事だよハーゴンさんっ! 光のって何? 何?! オイラ、何でもするよ! 何とかなんないの?!」オイラはハーゴンさんの法衣を掴み、揺すぶって叫んだ。オイラで出来ることなら、何でもするつもりだった。
 だけど、ハーゴンさんの返答は、ノーだった。緩くかぶりを振る。
「……貴男はこの世界の事を、何も知らないのでしたね。嘗て、勇者ロトは天より授かりし光の玉を以て魔王を倒し、闇に覆われていたこの世界に光を取り戻しました。それから数百年の後、竜王は、アレフガルドはラダトーム王家に預けられた光の玉を奪ったのです。この世界を闇に閉ざす為に。……復讐の為、だったのでしょうね。父親への。そして……失われた過去を、取り戻す為」
「だから、それが何だッてんだよ!」オイラは遠回しな言い方に、つい苛立って叫んだ。「その光の玉が……あっ!」
 法衣をつかむ手から、力が抜けた。
 そうだ。光の玉って奴が、おいちゃんの、お母さんの、唯一の、形見、だったんだ。
 以前おいちゃんに聞かされた。たった一つの光――温もりの記憶、それが、お母さんのお腹の中の、温かさだったんだって。
 お母さん。
 オイラには、いないもの。
 おいちゃんも、会った事が無い、人。
 遠い、光。
 手に入れようとして、手に入れられなかった物、なんだ。
 だから、もう、ダメだって、あきらめたんだ。
 でも。
 あきらめて、欲しくない。オイラは手を握る。冷たい、湿った手だった。
「あきらめんなよっ! おいちゃんらしくないぞ! 神様に会いに行くんだろ!? ねえ! ねえ、そうだろ? ハーゴンさんもっ!」
 ハーゴンさんははっとしたようだった。オイラに向けて小さくうなづくと、脇に屈み、肩を軽く揺すぶる。
「そうですよ。私達は、何の為に貴男に付いてきたのですか。『地獄の底まで付いて来い』と言ったのは貴男でしょう!」
 肩をつかまれ、揺さぶられて、薄く開いた金色の瞳が、弱々しくまたたいた。腹の中でのたうつ動きが大きくなればなるほど、床の血溜まりがどす黒く変わっていけばいく程、おいちゃんはどんどん弱っていく。
「……今頃、取り消すなどと行っても、虫が良かろうな……げほっ……お前達を、そこまで付き合わせる、義理はな、かろぅ?」おいちゃんらしからぬ弱気なセリフだった。額ににじむ、汗。
「貴男はそう簡単にくたばるようなタマですか! 何を弱気になってるんですか。しゃっきりしなさい!」肩を揺すぶる手に力がこもり、呼びかける声には悲痛な響きが混じる。
 おいちゃんの冷えた手を握りしめながら、オイラはぼんやり考えていた。
 このまま、死んじゃうんだろうか。
 おいちゃんは化け物花に食われちゃうんだろうか。
 ダメだよ。
 そんなのおいちゃんらしくないよ!
「ダメだよ、おいちゃんらしくないよ! おいちゃ……ぎゃふっ!」
 傷口から顔を出した、血塗れのつるがみんなを弾き飛ばした。もちろんオイラも例外じゃない。
 吹っ飛ばされてぐわんと、不協和音に打ち付けられる。頭が、ガンガンする。くわんくわんと頭の中が反響する。打ってない筈の後頭部をさすりさすり起き上がる。いつやられてもこの音は苦手だなぁ。
 あれ?
 何故か、お腹からはみ出たつるが、ぐったりして動かなくなってる。何故だろう。おいちゃんの息は相変わらず荒いけど、一息付いた、って感じ。
「ねえ……どうなってんの?」
 しりもちを付いたままのハーゴンさんはお尻をさすりながら、さあ、と気の抜けたつぶやきをもらした。重そうに腰を上げ、しきりに首をひねる。「何があったと……オルフェは大丈夫ですか?」
「ううん……いや、ケガはないんだけど、竪琴のせいで頭がくわんくわんするよ。壊れてないかな?」
 ハーゴンさんはいきなり、ぶんぶんと頭を振ってたオイラの胸ぐらをぐっとつかんだ。
「オルフェ、銀の竪琴です! 何でも良いから、適当にかき鳴らして!」
「え、あ……そうかぁ!」
 そう言えば、前にもこんな事があった。あれは――そう、銀の竪琴をガライに取りに行った時だ!
 オイラは荷物の中から銀の竪琴を取りだして、適当に掻き鳴らした。何でもいい、とにかく音を出せばいいんだ、というそのやり方は、しかしてんでダメダメだった。オイラは頭が痛くなるし、うねうねも気分悪そうに暴れ出して、逆効果。
「だ、ダメみたい、だよぉ……こんなの続けたら、オイラもダウンするぅ……」
「音なら何でも良い訳では無いのか……オルフェ、とにかく何でも構いません。歌って下さい」
「……え? 何でもいいって言われても……」
 オイラは戸惑った。だって、こんな時に歌う歌なんてオイラ知らないもの。
 だけど、
「迷っている場合ではないでしょうオルフェ! 人の生き死にがかかっているのです。貴男が歌えなかったら……」
 ぐっ。
 人の生き死にがかかってる。もし、歌えなかったら………。
 その一言が物凄いプレッシャーとなってのしかかった。オイラが歌えなかったら、おいちゃんが死ぬ。
 オイラが、人の生き死にを左右するなんて。
 オイラは唾をのみ、竪琴を構えた。オイラだって、おいちゃんを見殺しになんかしたくない。
 指が、竪琴の弦を弾く。
 声を出そうと、歌を紡ごうと薄く唇を開く。渇いた唇を湿す。つばを飲み込む。
「……ぁ、あー…………ああああ〜ああああ〜あああ……」
 ただ声だけを、でたらめに出す。歌なんか思い付きっこなくて、やがて、竪琴を置いた。
 ごめん、歌えない。
 それに、指が動かないんだ。
 どうして、ダメなんだろう。いつもなら何でも適当に楽しく歌えるのに。
 そうか、悲しいから、ダメなんだな。
 肩に、ハーゴンさんの手が触れた。
 ハーゴンさんは怒ってなかった。少し、悲しそうだった。
「……ごめん、おいちゃん……オレ、こんなに悲しくて辛いのに、楽しい歌なんて歌えないよ……オイラが歌えば、おいちゃんが助かるのに……」
 ごめんなさい。オレなんかのせいで、おいちゃんが死んじゃうなんて。
 オイラ、人殺しだ。
 ごめんなさい。
 ごめんなさい。
 ごめんなさい。
 涙が、竪琴に落ちて細工を伝う。
 竪琴が、指も触れてないのにぽろんと、鳴った。
 今まで、聞いた事も無いような、響きだった。
 銀の竪琴はまるで、別の楽器になってしまったかのように、オイラが鳴らした時とはまるで違う音色をかなでた。懐かしい、なのに初めて聴くメロディ。もの悲しいような、なのに、不思議と温かくなるような。
 オイラ達は竪琴の音色に、旋律に惹き付けられていた。魔物特有の本能って奴、なんだろうか。
 でも、何だか、違うような気がする。この曲も、竪琴の音色も、初めて竪琴の音色を聞いた時に感じたような、無理矢理アッパーに持って行かれるような感じがない。自然に、すっと胸に入ってくる。
 オイラはふと、おいちゃんの体が淡く輝く光に取り巻かれているのに気付いた。光はあったかくって、柔らかくて、心地好かった。お腹で暴れ回ってたローズバトラーのつるが、縮んでひからびて、光にとけていく。
「おいちゃん」オイラはおいちゃんの肩にそっと触れて、軽く揺すった。「大丈夫?」
 おいちゃんの唇が、小さく動いた。何も聞こえないけど、何か言いたそうだった。耳を、寄せる。
「…ば、かぃ…え…だ、れが、お前、らの…為、などに……………………………か、感謝、す、る……」
 何が言いたいのかは解らなかった。でも、きっと、いい事だ。
 金色の瞳がうるんで、小さく何度もまたたいた。瞼が伏せられ、血に汚れたほほを透明な雫が伝って、落ちていった。
 おいちゃんの体が、金色の光に包まれていった。あったかい、優しい眩しい光。光はやがて、オイラ達をも包み込んで、やがて収束していった。
 オイラはお母さんを知らない。
 けど、きっと、お母さんの身体の中ってこんな感じなんだと思う。おいちゃんの微笑みが、何よりもそれを物語っていた。

「くわーッ! なンだってんだ! ……?」
 バラモスはわめいた。銀の竪琴の音色で、魔物達が全部骨抜きになってしまったのだ。魔物達はとろんとした様子で、一切合切の抵抗をやめて中庭でまったりなごんじゃってる。アイン達は適当に魔物達をあしらって、ついに魔物の親玉にたどり着いたってわけ。アインが剣を抜き放ち、バラモスに向けて中段に構える。
「やあやあ、我こそはかの伝説の勇者の血を引きしローレシアの王、音に聞こえし救世主! 天知る地知るチルチルミチル、勇者王アインただ今参上!」
「そのキャッチコピー恥ずかしいわよ、アイン…」マリア王女が目を眇める。「でも、何だか懐かしいわ」
「そういや昔、そんな事ばっかり言って戦ってたのな、お前」トンヌラが笑いを噛み殺す。
「んぁ、そだったっけかぁ?」
 三人は笑った。笑って、それから懐かしげにピーカン晴れの青空を仰ぐ。
「ダァーッ! 無視すんなてめぇら! 勝手に三人だけで爽やかになりやがってコノヤロコノヤロッ! テメーらの臓腑までも貪り食って、二度と蘇生できぬようにしてやるわ! 何が勇者だッ! あのロトヤローの血を引くってだけでお前等全員死刑ッ! 滅亡ッ! 破滅ッ!」
 無視されたバラモスはキレた。キレて、メガトン級のボディを宙におどらせた!
 とどろく地響き立ち上る砂ぼこり。マリアが足を取られてよろけ、飛び散る石つぶてに打たれて勇者達は傷を負う。
「きゃぁっ!」
「おわっ!」
「くっ……大丈夫かマリアッ!」
「平気よ。それよりっ…後ろッ!」
 地揺れに足を取られて呪文の詠唱に入れないマリアは、雷の杖でアインの背後を指す。アインは振り返り様に大きく稲妻の剣を振り抜くと、襲い掛かるバラモスの爪を弾き飛ばした。バラモスは怯むことなく、牙を剥き出しに再びアインへと襲いかかる。バラモスの牙はあっさりと、風神の盾の円を描く動きに受け流された。アインは続けざまに風神の盾を掲げ、バラモスに向けて盾の魔力を投射した。が、二流とは言え流石は魔王バラモス、盾の魔力に吹き飛ばされるほどヤワじゃあなかった。
「ぬくく…おまえら一族、悉く俺様をナメやがってぇ……てめぇら皆殺しだ! メラゾーマ!」
 バラモスは飛びすさり、巨大な火の玉を指先から産み出してトンヌラに向ける。トンヌラは力の盾をかざして身を守るも、業火は決して大きくはないトンヌラの体を包み込んでしまう。
 だが、トンヌラは呪文の詠唱を止めなかった。トンヌラが呪文の詠唱を終えると、召喚された大気の諸力が巨大な真空の刃となり、魔王の体を切り刻む!「バギクロス!」
「これでも喰らえッ!」
 バラモスは仕返しとばかりに大気の諸力を喚び起こす。呪言と共に迸らせた諸力を増幅させ、アインに向けて全力で叩き付けた!
「バシルーラッ! …ゲェーッ?!」
 確かに呪文はアインの体を吹き飛ばした。だが、トンヌラの身体を張ったブロックが、アインの体をデルコンダルから吹っ飛ばすのを阻止する。トンヌラはメラゾーマの火傷に加え、アインを受け止めたダメージが大きかった所為で、アインを受け止めたままその場に倒れてしまった。
 トンヌラの肩に、絹練りで包まれた細い手が伸びる。
「ザオリク!」
 トンヌラはマリアの呪文に意識を取り戻し、かぶりを振る。アインは再び起き上がり、小さく「サンキュ」と言い残すとバラモスに向けて剣を構えて腰だめに突き込んだ! バラモスが悲鳴を上げる中、青緑色の汚らしい液体がぶちまけられ、石畳を染めていった。アインは返り血を浴び、気持ち悪そうに返り血を拭いながらバラモスから離れる。
「うぐえッ、ゲホ、ゲホッ! げ、げぇーっ、げほっ…な、んか、変…う、ぅう…」
「グヘハハハハ、ゲハハハハ、バカ共め、ざまあ見やがれ!」
「毒だ。ほれ、キアリー!」トンヌラが素早くキアリーの魔法で、その場にひざまづくアインを解毒する。ドンピシャのパートナーシップだ。
「血まで毒とは、流石だな……あぁ、気持ち悪ぃ」
 解毒を受ける間に、マリアが二人の武器に素早くバイキルトの呪文を唱える。呪文の力で刀身は蒼白い輝きに包まれて切れ味を増し、空気を裂くように微かに振動する。マリアはバラモスが炎を吐き出そうと大口を開けたのを視界の端に見て取ると、二人に向けて「固まらない方が良いわ」とささやいて、自分自身は素早くバラモスの左側に回り込んだ。アインは右に、トンヌラはハイジャンプして頭上から、三方からバラモスへと同時に攻撃を加える! バラモスはターゲットを絞りかねて結局マリアを追いかけたけど、炎は遥かマリアの手前で散らされちゃって、水の羽衣に守られたマリアには届かなかった。しかも、アインに背を向けたせいでけさがけ一刀両断を喰らっちまった。
 トンヌラの素早く繰り出す隼の剣であちこちを切り刻まれ、バラモスはフンガイして叫んだ。
「ぐぐぐ……こんなクソガキ共に、いいようにされるバラモス様ではないわぁーっ!」
 でもねえ、クソガキっていっても勇者御一行は20代半ばのおにーさんおねーさんなんだよね。何百何千の時を生きて来た魔王サマとはいえ、そのガキに翻弄されているのだから世話ないよねぇ。バラモスは派手にイオナズンをぶっ放したけど、三人を吹っ飛ばす程じゃなかった。アインはだいぼうぎょでダメージを耐え切り、水の羽衣をまとったマリアに炎はさほど大きな打撃にはならない。トンヌラはあらかじめ力の楯をかかげて、ダメージをさっさと回復した。
「ぐぬぬ……」
「いい加減、諦めろバラモス。オメーが俺達を裏切った時点で、終わってンだよお前は!」アインが大剣を上段に構え、振りかぶる。
 しかしバラモスだって、やられっぱなしでいるほどマヌケじゃなかった。オイラ達もいい加減、バラモスって奴を学習すべきだった。だって、一度同じ目にあってたんだからね。バラモスは剣をかわすと、巨体に似合わない素早い動きで、な、な、何と! 中庭に放置されてたユカの十字架に体当たりした! 十字架はめりめり言いながら、あらぬ方向に傾いで、倒れる。
「わーっ!」
「ユカぁーっ!」
 勿論オイラは駆け出した。だけど、さっきまでおいちゃんをカンビョーしてたオイラの位置からは、十字架が倒れるまでには追いつけない。追いつけても、十字架の下でぺちゃんこになってただろうけど。
 いやだ、ユカ、死んじゃいやだ。
 まだ好きだって言ってないんだよ、オイラ! ダメだ、オイラが助けるっ!
「………へっ?」
 十字架は、倒れなかった。いや、倒れてるんだけど、地面には倒れてない。傾いたまま、止まっていた。
「……ひ、ひーちゃんっ!」
「な、なんの……」十字架を支えていたのはひーちゃんだった。オイラ達をかばいながら戦っていたひーちゃん。傷だらけのひーちゃん。
 十字架を支えるひーちゃん目がけて、ガーゴイルが飛んできた! ガーゴイルに腹を刺されて、ひーちゃんはひざを突く。オイラはひーちゃんの元に駆け寄って、ガーゴイルのどたまをフレイルでぶっ叩いた。
「ひ、ひーちゃん、ひーちゃん……」涙が、止まらなかった。
「余、余はこんなところでは死なぬわ。この程度の怪我……男子たるもの、戦いの場で、泣くでない……うう……」
 ひーちゃんが十字架を降ろし、ユカを縛る縄を爪で切る。ヴァーノンさんがひーちゃんにベホマをかけてくれた。「悪いが、後は自分達で何とかしろ。……無茶はするなよ。お前の曾祖父さんは我々が、必ず」後ろで、おいちゃんを看病するハーゴンさんがキラーマシンの群れにイオナズンを放ってぶっ飛ばしていた。
「ユークァルは?」
 平気、とユカは残りの縄を自分で外した。

「チッ、バラモスの奴余計な事しやがって」
 仲間がやられっぱなしの間も、ナリーノはサめた目で4人の戦いをながめていた。バラモスが劣勢になっても、助けの手を伸ばそうとはせず高みの見物。
「どーした、ナリーノ。虎の子の魔王様がやられてるんでビビってトンズラこいたのかよ?」
 アインがナリーノを挑発しようとバルコニーを見上げた。ナリーノはそれまで知らぬ存ぜぬを決め込んでたけど、不意にバルコニーから中庭に舞い降りると、つかつかとバラモスの側へと歩み寄る。
「おおっ! な、な、ナリーノ!」バラモスはもう虫の息、しにまであと一歩って言うくらいボロボロだったんだけど、ナリーノが降りて来たのを見るやのたのたかけよっていった。
「この腐れ役立たず魔王がッ」
 ナリーノはバラモスの腹に膝蹴りを叩き込む。よろめくバラモス目掛けて、ナリーノはどこに隠してたのかボウガンを取り出して頭に何発もの矢を打ち込んだ! 血しぶきを散らしながら、バラモスはぐぎゅうと妙な声を出して、どうと地面に倒れ込んだ。
 身構える三人を前に、ナリーノはちちちっと指を振った。
「ちぃーっと、気が早いんでないのキミ達ぃ。まさか、ボク独りで君ら三人と戦えってんじゃないよネ? それってリンチじゃーん? 勇者様がそんなヒドい事して恥ずかしいって思わないかネェ」
「今更何言ってんだ。さんざん卑怯ぶっこいて来た癖に……ん?」
 ナリーノは三人の前でフトコロから粉薬の包みを取り出すと、さらさらさらっとバラモスに振り掛けた。黄色い粉がふわふわと、ふりかけよろしくバラモスの体に降りかかる。でも、バラモスじゃああんまりおいしそうじゃあないなあ。
「……あれは、まさか……そんな」マリアが息を飲む。「ゾンビを造り出す秘薬では……」
「ハーイ、マリアちゃんだーいせいかーい☆」ナリーノは薬包紙をくしゃっと丸めて足下に放り捨てた。足下に横たわる肉のカタマリが、もぞもぞと動き出す。カタマリが起き上がり、ボウガンでぐちゃぐちゃに砕けたバラモスの顔がぐにゃりと歪んだ。
 ナリーノはバラモスの耳元に囁きかけた。「さ、ヤチマイナ!」
 バラモスは肉をふるわせ、臓物をまきちらしながら三人におどりかかった。間合いも無視して突っ込んで来たバラモスに、三人は簡単に吹き飛ばされる。
「……いたッ……はっ! い、や、いやあぁっ!」
 吹き飛ばされたマリアを受け止めたのは、デルコンダルの兵士達の死体だった。死体はいつの間にか、中庭の一角を埋め尽くしている。
「……ってめ、自分の国の兵士を殺してゾンビにしやがったな!」アインが遅まきながら剣を抜き放ち、バラモスに斬りかかる。
「そうさ。それがどうかしたぁ?」ナリーノはニヤニヤしながら戦いの様子を見物している。「お前らには関係ない事だろ? ほーら、余所見してるとバラモスゾンビちゃんが四丁目の角から、来ちゃうぞ〜☆」
「ふっザケンな、ゾンビくらいみんな昇天させてやっぜ!」トンヌラがニフラムの呪文を唱え始める。
 バラモスゾンビが、所々肉の裂けた口をぱっくり開けた。ぽたぽたと、青黒い血が石畳にこぼれる。
 トンヌラの呪文が完成する前に、バラモスの口から瘴気と毒血の混じった黒い霧が噴き出した。ものすごい量の霧が辺りを包み、視界が、かすむ。トンヌラの魔法は霧にとけて、消えちゃった。
「くっ……」
「ふははっはっはー、生憎だったネェ? じゃ、ゾンビさんやーっておしまい! ゆっくりバラモス・改ちゃんと遊んでてちょーだい。じゃ、また後でね」ナリーノは高らかに宣言すると、きびすを返して悠々と城の中へと戻って行った。
「てめ、ドコ行くつもりだっ……ぐふっ!」
 トンヌラが、ゾンビの群れにのみ込まれるのを助けようと引張ってるところにバラモスゾンビの蹴りを受け、一緒にゾンビの中へ押し込まれる。トンヌラは隼の剣を必死に振り回してゾンビの中からはい出たけど、マリアはますますゾンビの群の中へのみ込まれていく。
「ナリーノの奴、何を企んでるんだッ!」マリアを助けようとするトンヌラを守ろうと、バラモスゾンビを必死に食い止めながらアインが叫んだ。

「……ぅう……」
「おいちゃん、ムリしないで」オイラは背後の戦いをヨソに、おいちゃんの額ににじむ汗を拭い取っていた。「まだ、ダメージ残ってるんだから」
「ああっ! おいちゃん!」
「気絶しただけでしょう」ハーゴンさんとヴァーノンさんのアクマシンカンコンビがぐったりしたおいちゃんを担いだ。「奥で休ませましょう。オルフェ、手を貸して」
「あ、うん」オイラもおいちゃんを担ぐのを手伝って、木陰においちゃんを寝かせた。おいちゃんの顔からは血の気が失せ、ただ胸だけが小さく上下している。
「……助けに行かずで良いのか?」
 問われて、ハーゴンさんはかぶりを振った。「そうしたいところではありますがね、彼等が拒むでしょう。それにまだ容態が予断を許しませんから、目を離す訳には……それにしても、ナリーノは一体何処に……。逃げたのでしょうかね、まさか」
「……!!」
 ヴァーノンさんは、雷に打たれたように体を硬直させた。オイラ達は顔を見合わせ、頷いた。
「不味い」ヴァーノンさんが、乾いた唇を舐めた。「本当は、出来ているのだ、あれは。私が行こう」
「いや、待ってくれ。私が行く。……オルフェ、貴男城内の様子は把握しているのでしたよね」
 オイラはうなずく。
「解った。では、とにかく手遅れにならん内に急げ!」

「はぁ、はぁ……本当に、この先、なんですか……」
「間違いないよ」
「それにしても、アレって、何ですか?」
「アレはアレだよ……その、錬金術の実験、とか、何とか……ああそうだ、思い出した。シンカノヒホウだよシンカノヒホウ!」
 息を荒げ、オレら二人組は階段を駆け降りる。一度は通った通路だもの、間違いない。ひづめの音が廊下に響き渡る。
 重い金属の扉がスライドした中に、奴は居た。
 オイラ達のカンはドンピシャだった。ナリーノはバラモスのあまりのフガイなさに、自ら決着を付けるつもりだったのだ。部屋の中は家捜しした後みたいで、散らかってぐっちゃぐちゃ、ひづめの踏み場もなさそう。ナリーノは本棚の本を片っ端から引っ張り出して床にぶちまけ、本棚の奥の隠し扉を開けて"アレ"をゲットしたところだった。オイラ達は入口でその様子を見守ってたけど、ようやくハーゴンさんが、書類とゴミの山をかき分けながら中へと踏み込んだ。
「ナリーノ、それ以上、もうやめるんだ。……貴男は人を憎む余り、人をやめてしまうつもりなのか」
「人?」ナリーノはこれ以上はないブベツとあざけりを籠めていらえる。「ヒトなんてそんなに、価値のあるイキモノなのかネェ? 一度は人を見捨てたキミらしからぬセリフだな。残念だよ……理解し合えるかと思っていたのだけれどネェ?」
 ハーゴンさんは黙ったまま、ナリーノを見つめる。拳を固く握り締め、しかし反論はしない。
「ボクは元々ねぇ、人間なんて大ッ嫌いだったんだよ。だからキミが8年前、世界を滅ぼすべく立ち上がった時――生憎と当時、ボクは無力なガキでしかなかったけども――ボクは心の底で拍手喝采を送ったのさ。キミがこの世界に戻ってくると知って、ボクは嘗て忘れかけていたあのときめきを思い出した。だから、手を組もうと助け船も出した。……のに」
 ナリーノはほえた。
「悪魔神官よ、お前は堕落した。何だ、ただのいい人なんかになりやがって。お前なんざ帰って来なけりゃ良かったんだ! 畜生、畜生!」鈍い音がして、ハーゴンさんの額から血が滲んだ。ナリーノが辺りの物を投げ付けたのが当たったのだ。
「ボクはその時悟った。もういい、ヒトを滅ぼし虚無と暗黒の世界に君臨するのは、お前らの神でもバラモスでも、ましてや竜王でもない。このボクだ!」ナリーノは宣言するや、目の前で明滅する試験管の中身を手に取ってコルクのふたを抜き、一息にのみ干した!
「バカなっ!」
「バカじゃないさ」ナリーノの口角が、みるもいやらしい形に歪む。「ボクは神になる、否、神さえも超えてみせる!」
 ナリーノの輪郭が、一回り大きくなった。
「…?!」
 ハーゴンさんの姿が、見る間に広がる影にのみ込まれていく。
「に、逃げなくちゃ!」
 オイラはハーゴンさんの手を取ろうとしたけど、先に白っぽい塊がハーゴンさんの蒼白い二の腕を取っちまった。ぬるっとしたのが手の甲に触れて、オイラは思わず手を引っ込めちゃった。どりゅどりゅどりゅっと白いカタマリが溢れ出して、またたく間にハーゴンさんの体は白い塊の中に引き込まれていく。
「ぐ、ぐぇ……」
 体を持ち上げていたのは、白っぽい触手の塊だった。首をしめられ、宙でもがくハーゴンさん。助けようか、どうしようかうろたえてるオレに、ハーゴンさんは小さくひらひらと手首を振った。
 行け、逃げろ、と。
 オイラは振り返らずに駆け出した。後ろ足首を白いのに取られかけたけど、背後で弱虫、とナリーノにののしられたけど、ここは逃げなきゃいけないんだってわかってたからね。
 だから、お願いだから、死なないで。
 生まれて初めて、オイラは祈る事の意味が解ったような気がした。

*  *  *

 オイラが戻った時には、大勢は完全に逆転していた。
 ゾンビにまみれて泣き叫ぶマリアを必死に助けようとするトンヌラと、独りでバラモスゾンビを食い止めてズタボロのアイン。ひーちゃんもヴァーノンさんもおいちゃんを守って必死にゾンビと戦ってる。みんな魔法が使えないから、まともな戦いになってない。ひーちゃんは疲れ切ってて、吐き出す炎に勢いがない。
 やっぱり、ハーゴンさんを助けるべきだった。
 自己嫌悪がきりきりと、オイラの胸を責める。オイラは矢も楯もたまらず飛び出した。
「オルフェ下がれ、ジャマだ!」
 ジャマ?
 オイラが素直に下がるかどうか迷ってると、突き飛ばされて近くの植え込み突っ込んじゃった。「いてて、あにすんだよ! ……!」
 植え込みから顔を出すと、風が空を切った。風がほほをかすると、青い液体が散る。オイラは植え込みに引っ込んで、それからもう一度顔を出した。ほっぺたを触ると、切れて血が流れてた。
「グランドクロォースッ!!」
 剣の切っ先が十字を切った。風はうなり、辺りの木の葉を散らす。十字は真空の刃となって魔物達を切り裂いた! ゾンビ達は次々、真空の刃に切り裂かれて消えていく。
 見覚えのある青い背中が、そこにあった。
「テリー!」
「オッス!」テリーは剣をかかげた。「で、お前のスポンサーどこよ」
「やっぱり金なのかぁ……」オイラは頭に着いた木の葉を払った。「あっちだよ。ゾンビになったバラモスと戦ってる」
「おお、オルフェ殿久しいの!」屋根の上ではデュランさんが剣を振り回していた。デュランさんは軽くジャンプして、着地するとバラモスゾンビの脇腹をかっさばいた。ゾンビは痛がる様子も見せずに今度はデュランさんに噛み付こうと飛び付く。「助太刀に参った!」
「奴は毒を持ってるぞ!」
 デュランさんは左腕をかざして手甲に噛み付かせる。手甲が砕けて、青黒い血がふき出す。片手ででかい両刃の剣を前に突き出し、バラモスを引き剥がそうと力を込める。
 バラモスの背後から、うなじへと真っ直ぐ、稲妻の剣が突き刺さった。どくどく溢れ出す血が、バラモスの体を青く、青黒く染めていった。「まだ死なねえのかよッ!」
「その様だな」デュランさんは傷口を吸って血を吐きだした。左手を剣に添え、刃を半回転させて内蔵をえぐる。ごぼごぼと音がして、臓物が溢れ出す。「流石は魔王、屍と化しても猶牙を剥くか」
「お前、ナリーノの手先……ではないようだな」アインは全身血にまみれて、ドロドロになりながら背筋にそって稲妻の剣を引き降ろして行った。「何者だ」
「バラモスの昔の知己とでも」デュランはバラモスに肩をつかまれながら、剣を引き抜いた。「我は誰の手先にも非ず。ただ、我より強き者を追い求めるのみ」
「けほっ、こほ……そ、そうか……」アインはふらふらになりながら、バラモスの脇腹を蹴り抜いた。「じゃあ、後は、まかせた」
 御意、と小さく一礼し、デュランは渾身の一撃でバラモスの頭を叩き潰した。

 バラモスゾンビがやられたおかげで、辺りの黒い霧は少しずつ晴れていった。血まみれのアインは井戸の水をかぶり、トンヌラにキアリーをかけてもらっていた。ゾンビに襲われたマリアは半泣きで、落ち着かせるのにずいぶん時間がかかった。
「竜王殿はどうしておる?」デュランは横たわるおいちゃんの方を見た。
「おいちゃんは休んでるよ。魔物に寄生されて、さっきまで死にかけてた。今は大丈夫だけど……戦える状態じゃないね。ハーゴンさんは……無事だといいんだけど」オイラがハーゴンさんの話に触れると、どうしてもちゃんとしゃべれなくなっちゃう。本当に、無事でありますように。
「じゃあ、俺が探しといてやるよ。城の中にいんだろ?」テリーは剣を軽く拭って柄におさめた。
「いや」トンヌラが治療を終えてテリーを呼んだ。「頼みがあるんだが、妹を捜して連れてきて欲しいんだ。この城の中に軟禁されてるんだが……ほら、あそこ」
「合点。いいぜ」テリーは親指をさっと立てると、城の中に飛び込んでいった。「余裕があったらハーゴンも探しといてやるよ」
「余裕か……あるのかな。ナリーノの奴、どうすんだろ」
 魔物達をあらかた倒し終えて、城は静まりかえっていた。魔物の気配もない。
 でも、オイラにはナリーノが逃げたとは思えなかった。みんなもきっと、そう思ってるに違いない。
「余も……行く。探してくる」ひーちゃんは走りかけたが、ふと足を止めた。「ひい爺様はどうする。誰かがおらねばならんであろう」
「オレ達がいるからいいょ……ッ!」
「な、い、今の、何?」
 取り乱したマリアが辺りを見回す。ものすごい爆発音が中庭に響いたのだ。
「魔法の爆発じゃなさそうだな……あれか? ひょっとして……ほら、ロト。表のゴールデンスライム、そろそろやられちゃってるかも」
「じゃ、やばいよ」オイラはおいちゃんを抱き起こす。おいちゃんの顔は真っ白で、ぐったりしてる。こんな状態でロトに襲われたらと思うと、ぞっとしない。「おいちゃんを外に連れてかなくちゃ」
「デュラン殿、と申したな」ヴァーノンさんはユカの手を取った。「二人を、連れて行って貰えぬか」
「あの、あたし戦えますけど」
 オイラはユカの手を取った。「ユカはいいんだよ。戦わなくても。オレ達がいるから安全なとこに逃げて。デュランさん、オレからもお願いします。おいちゃん達を安全なとこに連れてってください」
「承知した」デュランさんはおいちゃんを肩に担ぎ、ユカの手を取って大股にお城を出ていった。

*  *  *

 デュランが城門を開けると、何の因果か、船が難破してデルコンダルに打ち上げられたカンダタ一家が、どこからか盗んで来たリヤカーにいそいそとゴールデンスライムの塊を積んでいる処に出くわした。カンダタ一家は良心に疚しいところアリアリだったので、デュランの異様な風体より何より、誰もいないと思い込んでいた城から人が出てきたのを見て異様にびくついた。デュランにとってカンダタ一家の悪事など、気付いていたとしてもさして気に止める事もなく元々がそんな事に気を配る質でもなかったので、デュランは訝しみながらもずんずんとカンダタ一家に近付いていった。
「お前達、何をしておる。掃除か?」
 カンダタこぶん達は作業の手を止め、慌てて金の塊を背中に隠す。「へ、へ、へい。そのぅ……あの」
「なあに、城門が散らかってたんで、片付けてたんで。間違っても金の塊を盗もうなんざ……」
「お、おやびん。ばらしてますぜっ!」
「別に誰の物でも無かろう、持っていけ。ところで御仁」
「へぇ」
「その台車……」
 カンダタ一家はごくりと唾を呑んだ。
「いや、そのぅ……ご、ごく近所の市場……もとい、店の脇にあった奴を、その、借りてきたんで」
「帰す宛てがあった訳でも無かろう。そんな事はどうでもいい。それより」
「はぁ」緊張の糸がぷっつり切れて、カンダタ一家はかくんと肩を落とした。相手が官憲の手先でも正義を振り翳す勇者様でも辺りに散らばる黄金やリヤカーの持ち主でも無く、盗み程度の小さな悪事に頓着しないのを知って、ほっとした序でによくよく相手を見れば、肩には血塗れの何処かで見た様なイキモノと、年端もいかない少女を連れている魔物という異様な風体。カンダタたちはたちまちの内に、先程とはもっと別の緊張――恐怖を取り戻した。
「あ、あ、あのぅ、魔物のダンナ……その、肩に背負ってるのは何でさぁ」
「ぅん? 何だ? ああ、これか。これは竜王だ」
「ヒッ!」カンダタ達は飛び退いた。この世界の住人に限らず、一度ニヴルヘイムに身を置いた者ならば竜王の凶状を知らぬ者はない。その竜王が倒されたとなれば、相対する魔物がどんなに強いかカンダタ達には想像も付かない。
 そんな誤解を余所にデュランはぽんぽんと竜王の背中を叩く。「何だ、知っておるのか。この世界では有名人だと聞いておったがなるほどな。何、この通り死んではおらぬ。疲れて寝入っておる。神経の太い御仁よなあ。わっはっは」
「そ、そうすか。わっはっはっはっは!」
 カンダタ達は一頻り空笑いした。何故かユカも横で真似をする。
「それで、こちらが連れのユークァル・ムォノー殿だ。皆はユカと呼んでおる」ユカはぺこんとお辞儀をする。
「へぇえ、かわいい嬢ちゃんで。竜王のダンナもこういう趣味があったとは、隅に置けねぇなあ」
「どんな趣味ですか?」ユークァルに真顔で聞かれて、カンダダは笑顔を凍らせた。
「い、いやあ何でもありませんぜ」
「ロリコン、ですか」ユカはさらに追求する。「ロリコンじゃありませんよ。興味ないって言ってましたし」
「ぶっ! な、何でさ、嬢ちゃん人が悪いなァ。こいつぁまいった。ハッハッハ」
 カンダタ達は再び空笑いした。やっぱりユカも真似た。デュランは変な顔をした。
「で、ダンナ一体この静まり様はどういうこって?」ばつの悪くなったカンダタは、ユカを無視してデュランへと話を振り直す。
「今は城下街中に戒厳令が下されておる故、皆家の中で大人しくしておるのだ」
「へぇ、だからこの街ぁ寂れてやがるんですね。一体何があったんで?」
「公式発表によると『勇者ロトの三人組、とやらが竜王殿と結託して、魔物を率いて攻めて来た』という事になっておるらしいが、どうも怪しからぬ気配アリ、だ。詳しい事情は知らぬが。……ん?」
 デュランが僅かに身を乗り出したので、カンダタ一家も真似をする。
「デュランのダンナ……どうしたんでさ」
「いや何、先程あちらの通路を人影が通るのを見たのでな。先に申したとおり、この街は戒厳令下にある筈……」
「ああ、そう言えば、いますね。いやにこそこそしてやがりますけど、オレ達と同じ火事場ドロボウですかねぇ?」
「おやびん」カンダタこぶんがカンダタのマントを引張った。「ヤバイですよあれ。奴らです。ほら、オレ達を賞金首で釣って牢獄に放り込んだ!」
「あぁん? ホントかそいつは」カンダタは疑わしげに眉を顰める。
「間違いありませんぜ」
 カンダタは背伸びして、裏道を覗き込んだ。男達が屈み込んでいる、以上の事は解らない。しばらくして男達は去った。
「一体何だったんでしょうかね、おやびん」
「あいつら何であんなとこうろついてんだ? ……くんくん……なんか、におうぜ」
 一同はカンダタを真似てくんくん鼻を鳴らしていたが、突然デュランが肩に背負っていた竜王を降ろして駆け出した。
「悪いが、頼んだ!」
「デュデュデュデュランの旦那、何だってんですかいっ?」
 デュランは踵を返す間も惜しんで裏通りへと飛び込んでいった。「あ奴ら、人が出てこないのを良い事に、街に火を放っておる! どういうつもりか知らんが、止めねばならぬ」
 デュランの姿が見えなくなってから暫くして、カンダタはおもむろに立ち上がった。
「お前ら」
「へい」
「奴の姿はもう見えねぇな?」
「へい」
「じゃ、トンズラこくぜ!」
「ええーっ?!」
 驚くカンダタこぶんを尻目に、カンダタは再びリヤカーを起こす。「シーッ、だまんな! せっかくこんだけの金のカタマリを手に入れたってのに、見ず知らずの魔物なんかに義理立てなんかしてられっか。今がチャンスだ、逃げるぞ野郎ども」
「おやびん、じゃあ旦那はどうするんでさ」
「ゴミ箱にでもほうりこんどけ」カンダタは手をひらひら振った。「まさか神竜の御落胤がゴミ箱に放り込まれてるなんざ誰も思いやしねぇから、安全な処に連れてけって義務は果たした訳だしな。ユカの方は人買いにでも売っちまえばちょいとした……ヒッ!」
 カンダタの背後には、いつの間にかユークァルがぴったり張り付いて黒曜石のナイフを首筋に宛っていた。
「殺しますよ?」
「や!参った! ヤダなあ冗談ですよ姐さんっ。ダンナを井戸に放り込んめなんて言いませんから ゆるして下さいよ! な! な!」
「あ、姐さん、すすすすいません。おやびんを許してやってくだせぇ。こんな人ですけど、根はいい人なんでさ」
「こんな人だけ余分だ、ばかっ」
 カンダタがこぶんと言い争っていると、ナイフの切っ先がカンダタの喉元に食い込んだ。
「絶対に逃げないで下さい。いいですね、嘘吐いたら、殺しますよ」
 カンダタは答える代わりにこくこくと頷いた。ユークァルはナイフを引き、カンダタから離れる。
「……ありがてえ。姐さんもお人が悪いや……あんたの事は忘れねえよ! じゃあな姐さん!」
 カンダタは逃げ切れると思っていた。相手は年端もいかない少女で、ナイフを持ってたって大したことはない。所詮はガキだ。力尽くで押さえても良かったが、ナイフなんざ隠し持っている位だから、他にも何かこっそり隠し持っていてぶす、なんて事になってしまっては叶わない。三十六計逃げるにしかず、がカンダタの座右の銘であった。尤も、その座右の銘さえ相手の出方によってはあっさりひっくり返すのがカンダタという男なのだが。
 カンダタの背後で悲鳴が上がった。振り返る間もなく、カンダタは背中に衝撃を受けて地面に叩き付けられた。
「逃げましたね」
 あの少女だった。背中にのし掛かられ、起き上がろうとするカンダタの首筋に再び冷たい物が触れる。
「嘘吐いたら殺すと言ったはずです」
「ひゃーっ! まいった! オレが悪かったです。やっぱり姐さんにゃかなわねえや……。たのむ! これっきり心を入れ替えるから許して下さいよ! な! な!」
「嘘吐きは万死に値します。死んでいいです」
「そんなこと いわずにさ ゆるしてくれよ! な! な!」
「あなたが死んでもあたしは困りません」
「そんな、冷てえこといわねえでくれ……ださいよ! な! な!」
「冷たいのっていけない事なんですか?」
「ええいけませんともさ姐さん! 姐さんみたいなかわいいお嬢ちゃ……綺麗な ひと がヒトゴロシだなんて、そりゃあ道理が許しちゃくれませんぜ」
 平然として嘘を吐き、尚も命乞いするカンダタに、ユークァルは特に何の感慨も抱かないようだった。が、ユークァルは義眼の目をぱちくりさせると、ナイフを引いて倒れたカンダタこぶん達を起こしに行った。皆倒れてはいるが、ユークァルに喝を入れられてのそのそ起き上がる。
「あ、あれ……死んでない」カンダタこぶん達は頻りに体をさする。怪我ひとつしていない。
「気絶させただけです。死んだら戦力になりませんから。さ、立って」
「戦力ぅ?」
「そうです」ユークァルはきっぱり言った。「あたしに付いてきて下さい。デュランの後を追います。あなたたち二人は竜王を守っていて下さいね。間違ってもゴミ箱や井戸に放り込んで逃げないで下さい。逃げたら、殺します。逃げられると思わないで下さいね」
「へ、へいっ! ゆ、ユカの姐御、そんで、オレ達何をしたらいいんで」
 ユークァルはにこりともせずに振り返った。「街に火を付けてる人達を、殺します。あなたたち、あの人達の事知ってるそうですね。案内して下さい」
*  *  *

 どこまでも青く突き抜ける青空が、一同を不安にさせた。全てが終わったとは到底言えないのに、何もかもが微動だにせず、唯自分達だけが生きて、呼気を吸っている。世界が滅びて、誰一人居なくなっても、空はこんな風に青く澄んでいるのだろう。
「ナリーノの奴、一体どこに……」トンヌラは空を仰いだ。もうすぐ、昼時だろうか。冬至を迎える太陽の光は、弱い。
「アイツのことだ。自分がどんな風に現われたら、一番俺達に衝撃を与えられるか考えてるに決まってる」
「そうね……キャッ!」屋根の一角が抉れて、瓦礫が辺りに散った。降り注ぐ瓦礫は紫に濁った人工池に落ちて、テンタクルスの死体を埋めて行く。陽光が遮られ、中庭が大きな影に包まれた。
「な、何、一体……」
 遮られた光が目に突き刺さって、マリアは眩しそうに目を細めた。影に慣れた 藍玉 アクアマリン が、光を捉え損ねて、頻りに瞬く。
 光線の隙間を縫って、キラキラと輝くものが降り注いだ。
「何だ、ありゃ……へ、っくしょい!」
「ふわっ、ふわっ……びゃーっくしょいっ!」
 きらきらした物を吸い込む度、くしゃみが出まくる。マリアは顔にハンカチを当てて、叫んだ。「な、何なのよこれ!」
「なーんでしょか♪」鈍い音が二つ、重なり合って地面に叩き付けられた。石畳の目に沿って赤い線が引かれていく。線の出所を辿ると、ルアクとテリーが転がっている。二人とも全身痣だらけの満身創痍、辛うじて肩が上下してはいるものの、それ以上ぴくりとも動こうとはしない。
 バルコニーから、現われる影があった。
「ナリーノッ!」
 それは確かに、間違いなくナリーノの筈であった。しかし、その姿は常見慣れたナリーノの姿とは似ても似つかなかった。背中に光り輝く瑠璃色の蝶の羽根を揺らめかせ、爬虫類めいた青い目の瞳孔が、きゅっと引き絞られる。
「ワハハハハッ! ボクは人間をやめたッ! 否、神となった! 己を進化の最高と見なす、愚かで傲慢な人間共よ、天罰を受けて塵埃へと還るがいいッ!」
 モルフォ蝶の羽根を広げ、ナリーノは高らかに叫んだ。
 それにしても、名は体を表すというが、体は本性を現すとはこれ如何に。瑠璃色に輝く蝶の羽根は日を受けて神々しく輝く。これだけなら格好いいと言えなくもないのだが、生憎と腹からはみ出たキラータイガーの首で格好良さは半減。体からはにょきにょき生えた白くぬらつく触手がうねうねと、獲物を求めて蠢き空間に伸びていく。同じく獲物を求めて薄い唇を舐める、舌先が二つに割れた長い舌。目は己が本性を映したか、爬虫類の如く瞳の形を変えてぎらつき、掌は蛸の様な吸盤が並び、指も平たくなって表面積を増やしている。尻尾の羽根が孔雀チックで妙にゴージャスなのは、きっとナリーノの趣味だろう。尤も、その合間から二本の爬虫類めいた長い尻尾がうねっては羽根に隠れて、己の正体を暗示しているのだが。頭からにゅっと生えた触角二本が忙しなく動いて、敵の動きを感知する。脚はブーツを引き裂き、鳥とも爬虫類とも付かぬ鋭い爪を有した指を剥き出しにする。ナリーノ的美意識と狂気をない交ぜにしたクトゥルーテイスト、否、クトゥルフどころかナイラルラトホテップもビックリの(彼が驚くかどうかは別として)外観に、オルフェは別の意味で真底寒気を覚えた。
「フハハハハ! 即ち完璧生物カーズ!」
 って誰だろう。と思ったが、オルフェは敢えて聞かないことにした。
「…何よその格好。おかしいわ貴男……」マリアは額を押さえる。その横ではトンヌラとアインが、がっくり膝を付いて蹲っていた。
「ねぇっ、ヴァーノンさんっ。何とかなんないんですかっ!」
「…そればかりは、何とも…」ヴァーノンはずれた片眼鏡を持ち上げ、溜息を零した。「私にもう少し余裕があれば、秘術に何らかのトラップを仕掛けることも可能であっただろうが……今はただ、研究の成果が完璧でなかったことを祈るだけだ」
「生憎と、そうはならないんだよネェ!」
 ナリーノは瑠璃の羽根を広げて羽ばたいた。矢庭に風が巻き起こり、瑠璃色に煌めく小さな竜巻を幾つも産み出す。竜巻はやがて三つの大きなそれに収斂し、ナリーノが羽根を広げるや否や轟音を立てて三人に襲い掛かる!
「ナリーノ義兄様、頑張ってぇ! お兄様達をギッタンギッタンにのしてやるのよぉ!」
「うぅわ、なんて妹がいのない奴なんだぁ! …のわっ!」窓の上から非情な台詞を吐く妹姫に抗議する間もなくトンヌラは竜巻に吹き飛ばされた。勇者一行は次々竜巻に呑み込まれ、竜巻が拾い上げた石片が、青く煌めく鱗粉が、小さいながら勇者達の体を強く打ち据える。
「カーカカカ、竜巻地獄参上!」ナリーノはさらに、お腹から頭をぽっこり出した、虚ろな瞳を彷徨わせるピンク色の剥製の頭を愛おしげに撫ぜる。
「ジョン、さあ、お前を残酷にいたぶって殺した奴らへの、復讐の時だよ?」
 がぅ、とジョンが掠れた声を上げて二本の巨大な牙を振り上げれば、渇いた喉奥を大気が走り抜ける。ナリーノは羽ばたきを強めると、挑みかかる三人に改めて対峙する。薄い唇が歪に吊り上がる。
「ジョォオーンッ! リベンジだ! Ready、Go!」
 ジョンの紅色の頭が、炎の朱に鮮やかに映えた。迸る火の粉、風で勢いを増し、三人を包み込む紅蓮の刃。炎の刃に打ち据えられて怯む勇者達の頭上に、尾の鞭が躍る。紅蓮の中、軽やかに踊る、朱。
 この侭では、勝てない。
 マリアはこの究極生物、時代と混沌の落とし子と刃を交えている合間にも、冷徹に戦況を分析していた。
 長引けば長引くほど、三人に不利なのは明白であった。ナリーノとて化け物に姿を変えたのはほんの今し方、未だ全ての能力を把握してはいまい。
 だから、決着は早い方がいい。
 アインもトンヌラも、そして勿論マリアも連日の雨による体の鈍りやムーンブルクからの旅路、そして先程の戦いで消耗していた。ハーゴン達は宛てになるまいし、するつもりもなかった。憎しみや蟠りの故ではない。
 勇者であるから。
 勇者たるもの、決着は己で付ける。
 マリアは一歩、また一歩風に逆らって足を進める。
 マリアはその美しい眉間に一筋、似つかわしくない皺を刻む。唇を噛み、何処か悲壮な決意を湛えたアイスブルーの瞳。明るい黄みがかった檜葉の木目も美しい漆塗りの基部に、握りの部分に磨き抜かれたカボションカットの橙色も鮮やかな 苦土電気石 ドラバイト・トルマリン をあしらった雷の杖を握り締める、練り絹に包まれたしなやかな指。風に揺れる、銀糸。
「貴男なんかに使うつもりはなかったわ……アイン、トンヌラ……私を、赦して」
「え?!」
 振り返る友、仲間達にもマリアは応えなかった。呪を紡ぐ、鮮やかな桜色の唇。
「―――パルプンテ!」
 因果律を超越した混沌の領域より現世に干渉する、禁断の魔術。
 Chaosの落とし子と成り果てた忌むべき人の子を制するには、同じく混沌の領域に力を借りねばならぬ。
 人が人である限り、手を出してはならぬ筈の領域に、マリアは踏み込んだ。
 大気が張り詰める。一同は息を飲む。
 起るべき何かを待ち構え、敵も味方も動きを止めた。
 止まった。
 しかし、気配は無い。
 何一つ目に見えた変化は訪れない。無情にも時は流れる。
 しんとした、冷ややかな大気だけが辺りを包む。
 しかし なにも おこらなかった。
*  *  *

 ナリーノは圧倒的な強さで勇者三人組をぶっ飛ばしていった。
 オイラはその様子を後ろでずっと見てた。自分のへっぽこさ、弱さ、役立たずさを嫌ってほど味わわされてた。
 チクショー。
 端から見てりゃ呑気に見えるかも知んないけど、オイラはオイラなりにへこんでるんだぞ。ユークァルは捕まっちゃうし、オイラは強くないし。オイラに出来る事なんか、何にもないんだ。
 悔しい、辛い、やるせない。
 そんな自分が大ッ嫌いだ。オイラは役立たずのクズのへっぽこの虫螻のおまけの付録の足ひっぱりなんだ。
 そんな事を思うと、何だか目頭が熱くなる。
 やだ。やだ、そんな自分が嫌だっ!
 オイラは運命を呪った。下級妖魔なんかじゃなければ、もっと、もっと強くて、頭が良くて、それから、それから………!
 ちくしょぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!
 オイラはポーチに突っ込んでた手を抜き、偶さかカフェでもらったバナナを明後日の方向に投げた。

*  *  *

 筈であった。
 しかし。
「わわわわっ!」
 オルフェは何か奇妙なものを踏んづけた。ぐにゅっとして、ぶりゅっとして、尚かつふにっとした、何か。オルフェは『何か』のお影で体勢を崩し、バナナはきゅるきゅると不思議な弧を描いて、緊迫した闘いの合間に割って入った。
 すぽっ。
「うひゃひゃひゃひゃひゃや…はぐっ!」
 バナナは あやま たず、哄笑を響かせていた究極生物の喉にすっぽりと収った。ナリーノはバナナを喉に詰まらせて一瞬息を詰めるも、バナナを銜えて皮を押し出し、バナナを落ち着いて喰らう。喉にバナナを詰めたのも驚きなら、バナナの皮を銜えた侭剥ぐナリーノの器用さにも驚きだ。バナナを銜えたまま食べるナリーノの口の動きは、どことなく卑猥。
「ふむん、もぐもぐもぐ…フフン、オルフェ君、キミサービス良いな。僕はバナナが貧乳少女と風呂上がりのノンホモ牛乳(※成分未調整)の次に大好きでね、目がないん…ギャハーッ!」
 ナリーノがバナナに気を取られていた隙に、隼の剣を銜えたトンヌラが背後から、一翼に飛び付いてしがみつく。ナリーノはトンヌラを振り落とそうと躍起になったが、トンヌラは隼の剣を持ち直して肩に突き刺した。ナリーノの羽根から緑色の鮮血が噴き出す。
「邪魔だ、どけッ糞虫がッ!」
 ナリーノはトンヌラを無理矢理振り落としたが、隼の剣は肩口に突き刺さった侭だ。鮮血と共に散る鱗粉が辺りを舞う。羽ばたきは弱まり、その間隙を縫ってマリアの指から爆炎が迸った。ナリーノは炎の力を和らげようと急いで羽ばたくが、羽根を痛めた所為で風の勢いは明らかに弱い。熱の煽りを受けてナリーノの羽根が炎上する。
「貧乳で悪かったわねっ!」
「………気にしてたんだ、マリア……ぎゃひっ!」余計な一言をのたまったおかげで、アインは雷の杖で足の甲を思いっきりどつかれてケンケンした。
「ぐぎゃあぁああ…!! キ、キサマラーッ!」
 ナリーノは逆上気味にわめくと、一旦体勢を整えようとバルコニーの手摺に退いた、つもりであった。
「のごわっ!」
 が、四人の位置から見えたのは、ブーツのヒール。
 手すりから、何かが落ちてきた。マリアが摘み上げる。
「…………何これ」
「バナナの皮だ……」
「あれ?」
「何だよオルフェ……わわわ! わーっ!」
 オルフェが指差した頭上から降ってきたのは、大量のバナナ。晴れ時々バナナ。雲一つないピーカン晴れの青空より降る黄色のバナナの雨。目にも眩しい慈雨にオルフェ達は急いでお城の中に逃げ込んだが、ナリーノは瀑布の如く降り注ぐバナナの影に埋もれ、やがて見えなくなった。
「……全ては終わったな」
 バナナの雨が止んで、トンヌラは革の手袋をはめ直し一息付いた。後は、妹を連れ出して、帰るだけ。トンヌラは妹の待つ尖塔を見上げる。
 トンヌラの顔色がさっと変わった。
 悪夢だ。トンヌラは矢も楯もたまらず、城内に一人飛び込んでいく。
 最悪の事態が、迫っていた。

 ナリーノは死んではいなかった。バナナに埋もれて死ぬほどヤワな究極生物では話にならぬではないか。ナリーノはバナナの山から逃れると、指先のタコ吸盤を利用して壁をよじ登る。汗にまみれ、縦ロールを振り乱し、尾羽打ち枯らした敗残者は逃げる。あんなにも憎んだ筈の人間に、助けを求めて。
 ナリーノには勝算があった。己を義兄と慕うラーニャ王女なら、助けてくれるだろうと。戦力には到底ならないが、最悪人質に取ってこの場を逃れるくらいには役立つだろう。何せラーニャは冷徹冷血冷酷の切れ者トンヌラをしてキレさせる、奴の泣き所なのだ。ウソ手紙で騙して呼び寄せて良かった。
 王女の部屋の窓に手を掛けて、ナリーノは顔を突き出した。
「ハァ、ハァ……ラーニャ殿……」
 その頃ラーニャは部屋の窓から戦いの様子を見守っていた。最初の内はまほうのカギ投げ捨てなければ良かったかしらんなどと言ってエリスを呆れさせていたが、エリスが隠し球の鍵外しキットを取り出したのを見るや、早速扉の鍵を開けさせて自分は世紀の決戦の見物を決め込んでいた。王族たるもの鍵のかかった扉を開けるが如きは下々に任せれば良いのだ。
 そんな目の前に突如タコ吸盤付きの手が現われて、ラーニャは目を丸くした。事態を把握するのにはきっかりカンマ1秒ほどかかったが、事態を把握するや王女はこの年頃±10才の女性が同じ物を見たら必ずするであろう反応を脊髄反射で実行した。
「っく、ぃィイヤァアアアアーッ! 化け物ぉーッ!」
 即ち、絶叫。
 しかし流石は腐ってもロト王家の一員、と言うべきか。王女は目の前に現われた不気味なタコ手を目にするや否や、一つ何万ゴールドするか知れない超・高級椅子を頭上にたかだかと振り上げ容赦なき一撃を打ち下ろした。
「グギャー! そんな、バナナーッ!」
 コンボ3回くらいを決めたところで、、ナリーノは塔から真っ逆様に落ちてぐちゃっと潰れた。
 狂気の王の、志半ばにて果てた最期であった。

「ラーニャ様、開きました」
 嘗ては義兄と呼んだ化け物を退治して、すっきりした顔で王女は宣言した。「行くわよ、エリス! 愛しきハー様の為にレッツラ、ゴー!」
 二人はドレスを摘み上げ、足早に廊下を駆け抜け階段を下りる。
「ねえ、エリス。どっちなの?」
 しかし王女達は迷ってしまった。幽閉されていた所為で二人とも、城の構造を把握してはいなかったのである。
「ええと……さあ。あっちじゃないでしょ……きゃっ」
 階下より爆発にも似た衝撃が伝わって、足下がグラグラ揺れる。
「ラーニャ様、下ですわ! でも……危のう御座いますわよ」
「何言ってるのよエリス」ラーニャは侍女を睨め据えた。「愛しい人の為ならば、例え火の中水の中、ですわ!」
 はぁ、さいですか。アナタはドリー夢で良くてもこっちはそうはいかないんで御座いますよと内心毒突きつつ、エリスは王女を先導した。王女の事は勿論好きだが、楯にされるのは自分だ。エリスの王女への好意は任務の領域を遥かに逸脱していた――さもなきゃ自分もハー様受けやおい小説を書いたりきとうしのコスプレ衣装を縫ってやったりはしない。やおい小説書いてたのがばれたら義父に殺されかねない――とはいえ自分より好きだと言えるほど王女に入れ込んでいた訳ではないし、無論任務を放棄し背教者になるつもりもない。
 困ったなあ。
 エリスは 二律背反 アンビヴァレンス に陥っていた。任務に忠実であれば、例え敵方の王女とはいえ見捨てていく訳にはいかない。最悪見殺しにするつもりではあるが、最悪が来る前にあっさりやられてしまったり、王女と心中なんて事になったらたまったもんじゃない。
 アンタ世間で思われてるほどバカじゃないんだからさぁ、妄念最優先にすんのはやめて欲しいなあ。命かかってんだし。
 とはいえ、義父から耳にタコが出来る程聞かされていた生ハーが見られるんだと思うと、どこかワクワクしちゃうエリスも相当なミーハーなのだった。
「あら?」
「出口じゃないじゃないエリス。…あら。あっちにも階段が」
 王女達は完全に迷っていた。テラスに出れば良かったのだが、生憎とテラスへの出口は真っ正面、反対側にあたる。早くしないと戦いが終わってしまう。
「エリス、こっちよ!」
 二度目の爆発音、続く金属同士がぶつかり合う耳障りな音に、二人は急いで階段を駆け下りた。
 王女が階段の踊り場で見たのは、しかし、王女が思い描いているようなロマンティックな光景ではなかった。十二分すぎる程に、ドラマティックではあっただろうが。
 血にまみれた蒼い鎧武者の手で、ほぼ無抵抗な蒼白い肌の男が、一突きにされる様。
 白い法衣が、見る間に朱に染まる様。
 何度も、何度も、いたぶるように痩躯を打ち砕く、光の剣。
 千切れた肉片が、迸る血に混じる。
 その様子を、離れた処から呆然と見守る、兄。
 王女は何度も小説の中で、豊かな想像力を巡らせて戦闘シーンを描いていた。けれど、現実の戦いは、彼女が描写し想像するようには、美しくはなかった。
 目の前で醜い肉片と化していく、思い人。
 解っていた。兄は、きっと止めてはくれないだろう。
「やっめなさぁあーいッ!」
 とはいえ、やはり流石は勇者の妹、と言うべきであろう。真っ当な神経を持つ普通の人間ならば恐怖と吐気に襲われてまともに動けず判断も出来ぬであろうところを、彼女は的確に全ての状況を把握し、受け容れた上で、怖ろしいほど冷静に、己に酔っていた。矢張り、彼女もまた神の血を引きし一族の末裔なのだ。彼女は迷わず段を駆け下りると、勇者ロトの背中目掛けて華麗なるドロップキックを放った!
「超人界五指に入る華麗なるドロップキックですわ☆ ……じゃなくて、ラーニャ様、無茶ーっ!」
 王女のドロップキックがどれだけの威力を有していたかは疑わしい。が、血にまみれた戦士は機械的な緩やかさで身を翻すと、己の背を蹴った張本人を、感情の籠らぬ眼差しで見据える。見据えた上で、ロトは王女の顔を殴りつけた。弧を描いてすっ飛び、床に叩き付けられるラーニャ。恋の代償は重かった。殴られた痕を抑え、涙を堪える王女。
 ロトの鎧を形成するそれとは質を異にする軽い金属音が、空気を裂いた。
「……てんめぇええええ!!」
「え?」
「嘘ッ!」
 ラーニャは信じられない光景を目にした。兄が、あの兄が、あの鎧武者に襲い掛かったのだ。トンヌラは憤怒も露わに隼の剣を音速でロトに突き立て、刃がガキガキとけたたましい音を立てて鎧の隙間に食い込む。――怖ろしいまでの正鵠さで。トンヌラは完全に、ロトを殺す気でいた。誰だか解っていない筈が無い、にもかかわらず。
「よくもラーニャの顔を殴りやがったなぁ! このクソ野郎ッ! 謝れッ! ラーニャに謝りやがれっ!」
 ロトはしばらく為すが侭にされていた。恐らく混乱していたのだろう。優先順位が低いとはいえ、ロト一族、殊に勇者三人は保護すべきリストに入っていたし、既に彼は殺害リストのターゲットを仕留めていた。王女に、そして王に執着する理由など何一つ無かった。やがてトンヌラの攻撃が途切れるや、ロトはやや困惑めいた仕草で身を翻して去っていった。
 トンヌラはロトが去っていったのを見届け、ラーニャには目もくれずに息絶えた神官の傍らに屈む。
 まあ、よくもこれだけやってくれたものだ、というのが遺体を前にした王の感想であった。面倒だな、とも。それほど損傷は酷い。
 何とか、なるか。死にたてほやほやだしな。
 トンヌラは遺骸に手を翳し、呪文を唱えた。高度な呪法ではあるが、宗教国家サマルトリア王国の宗主たるトンヌラには、造作も無い。手から溢れ出す生命の力は、いとも易々と三途の川を渡りかけていた異教徒の手を取って現世に引きずり戻す。
「……お、兄、様……」
 トンヌラは尚も返事をせず、黙々と事務的に作業をこなす。屍に生気が吹き込まれ、血の色が戻りつつあるのを確かめるとトンヌラは腰を上げた。微かに胸が上下し、呼吸を取り戻して行くのが見える。
 重い瞼が押し上げられ、金の瞳が覗いた。双眸が、有り得ぬ姿を認めて揺れ動く。
「……何故?」
「お前の所為で、化け物にならずに済んだ」訝しげに見上げるハーゴンを足下に、トンヌラはむっつりを決め込んだ侭背を向けた。「今回は、ラーニャに免じて助けてやる。今回だけな」

■最終章〜偶像の黄昏、あるいは、人は如何に 鉄槌 バナナ を持って哲学するか〜

 征服者達の勝利の宴が、戦いの痕を隠すように始まった。
 とはいえ、メニューはバナナづくし。バナナのソテーにバナナフリット、焼きバナナにバナナの揚げ餃子、カレーにサラダにグラタンパンナコッタまで勿論バナナの入らぬ物は一つとしてない。デザートがバナナパンケーキにチョコバナナ、挙げ句 バナナの揚げ春巻き トゥロン まで出されては、忘れようにも忘れられる物ではない。
 一同は既に、食卓に溢れかえるバナナにうんざりした様子だった。デルコンダル前国王のグルメぶりは有名であり、調理人が腕によりをかけてあらゆるバナナのヴァリエーションを披露するといった呈の宴席は、しかし調理人の敗北に終わりそうである。
 残りの多くのバナナは早速、雨に打たれ食うや食わずの生活を強いられた三国の臣民達へと届けられる事と相成った。馬車に山盛りのバナナが幾つも積まれては、各国へと運ばれていく。潰れたバナナは家畜のエサに転用され、天の恵みは余すところ無く有効活用された。
 それにしても、あのバナナは何処から来たのだろう。
 一同はマリアのパルプンテを唱えた際にタイミング良く飛んできたバナナが、因果律に作用を及ぼした所為だという結論に達した。ナリーノの間抜けな死に様も、ある意味彼には相応しく思われる。
 デルコンダルは結局、アインの反対で親・ローレシア派を国王に据えて、友好国としてやっていくのが良いだろうと決まった。デルコンダルをローレシア領になどしたら内外よりの反発が懸念されるし、ローレシアもデルコンダルに裂く程の軍事的・経済的余裕はない。彼等も今回の騒動で多くの物を失っていた。民の信を取り戻し、内政を立て直す為にはこれまでの様な軍事力を背景にした高圧外交を続ける訳にはいかない。たとい軍事力があったにせよ、勇者ロトの威光を半ば失ってしまった現状では、今までの様な外交政策は通用すまい。
 課題は山積だが、それでも勇者達と、その御先祖御一行は肩の荷を降ろしたようだった。特に勇者達は、憑き物が落ちた様に皆一様に、あの強張った敵意を捨てていた。それは結局の処、戦いを終えたから、という以上に、威光を借りずとも自分達で何とかやっていけるのだという自身への信頼がもたらしたのかも知れない。己の血筋への好悪取り混ぜた複雑な感情に悩まされてきた彼等の事だから、そんなものは案外枷にしかなっていなかったのやもしれぬと今にしてみれば思われる。それほど、彼等は穏やかに、にこやかに同じ卓を囲んでいた。
「妹が無事で良かった。エリス、御苦労であった」
「ははっ」エリスは深々と一礼した。本来ならばラーニャの家出を引き留めなかったエリスは責めを負われても仕方のない立場だったから、王の感謝の言葉はエリスにとって何物にも代え難い保証であった。それまで、まともに食事が喉を通らなかったのだ。エリスは漸く、バナナフリットにかじり付いた。
「良かったじゃんエリス。これで一件落着、バンバンザイだね。レーンさんも大喜びだよきっと。いくらバカでやおいな敵の王女様でも、死なれちゃ困るもんね」
「そ、それはダメッ!」
「え、あーっ! ふぐっ」
 オルフェはエリスに無理矢理口を塞がれて、初めて事の深刻さを理解した。サマルトリアの異端審問官が邪教徒、しかも高位の悪魔神官だと知れたら、どう足掻いても死罪は免れない。「た、タンマ今のなし」
「ああ、その事ね」トンヌラはバナナブレッドを千切って口の中に放り込んだ。「知ってるよ」
「え? あ、あの、あのう……」
「父上は知らなかったみたいだけどね。……あれは穏健派だし、あれと僕等の敵が共通である限りは害は為すまい。君もそうだ、エリス」トンヌラは戸惑うエリスを余所に、バナナジュースをくいと飲み干す。「妹を見捨てたらそうも行かなかったがね。……エリス、一度二人で今後の身の振り方について話し合いたまえ。僕としては二人が、これからもサマルトリア王家に対して変わらぬ忠誠を誓ってくれることを望むがね。それから、お前は明日にでも、ラーニャを連れて一度サマルトリアに戻れ。……そうだな、デルコンダル王家の王位継承問題について意見を求めたい、とでもレーンに伝えてくれ。王直々の命令だ、ともな。なあハーゴン。君らそんなに急いでこの世界を去らなければならん訳でもなかろう?」
 元・大神官は頷いた。ぽろっと、エリスの青い目から涙が零れ落ちた。

 で、侍女が傍らでシリアスな話をしている最中も、ラーニャ王女は早速他の者を押し退け愛しの君の側にねっとりとありおりはべりいまそがっている。肝腎の愛しの君はと言えば、元来の気遣い上手故にあからさまな態度は取らないものの、明らかに戸惑いと、やや迷惑そうなそぶりを隠しきれないでいる。大神官聖下は関係者一同に縋るような眼差しを投げてはみるものの、投げられた側は約一名を除く皆が皆関わるまいと知らんぷりを決め込む。残り約一名は無視の代わりにあからさまな憎悪を燃やしているので、縋ろうにも縋る訳にはいかないのである。そんなわけで ハーゴンは、皆の都合を一身に押し付けられてお姫様のお守り役をまかされた格好になっていた。
「ハー様ァ……お会いできて嬉しゅう御座います。ぽっ☆」
 痛い位に突き刺さるトンヌラの視線から目を反らし、ハーゴンはここまでバナナにしなくても良いのに、という顔でバナナリキュールを啜る。 
「……何でしょう? 王女殿下にあらせられましては、大変御機嫌麗しき様子とお見受けいたしまするが」
 隣でぷっと吹きだした竜王の足を、ハーゴンは済まし顔で思いっきり踏み躙った。
「あらいやですわ。王女殿下だなんて他人行儀は無しにしましょうよ」既にバナナリキュールを聞こし召した王女の頬はさくらんぼ色に紅潮している。何処でそんなものを手に入れていたのか、ラーニャは妙に谷間を強調したデザインの、サーモンピンクのドレスでバッチリ決めていた。微かどころではなく薫るムスクの薫りがバナナと入り交じって、鼻腔を執拗に刺激する。
「そうも参りませんようですよ」ちらっとトンヌラへと視線を流す。勿論、兄王はマヒャドもかくやの身も凍るような視線を二人に注いでいるのだが、王女の熱はそんな冷気をも――王女ただ一人分だけではあるが――易々と無化してしまう物のようであった。げに色恋の力たるや、努々侮るべからず。
「いいえ、ワタクシずっと、以前より、こんな日が来るのを待ち望んでおりましたのよ」王女の長い睫の下から、うるうると潤んだ帯緑褐色の双眸が大神官聖下の顔を見上げる。「8年前、貴男が我等が王国連合に反旗を翻した時より、ずっと」
 ハーゴンは酷くえづいて、食べかけの牛肉バナナ包みバナナソースがけが口を飛びだしころころとテーブルの上を転がった。転がるバナナがムーンブルク女王陛下のテーブルど真ん中でぴたりと止まり、マリアは怪訝な顔でバナナのかけらを見つめた。
 いたたまれなくなったのか、それともムスクとバナナとアルコールの入り交じった匂いに我慢が出来なくなったのか、ハーゴンは笑いを堪えるマリアを尻目に口元を抑え、お先に失敬、といち早く席を後にした。

 一方、末席ではユークァルがもそもそと相変わらず、あまりおいしくなさそうにバナナを食べている横で、オルフェとテリーが一同の思惑を余所に賑やかにやっている。クレーム・ド・バナーヌのミルク割り、という何ともお子様テイストな酒を引っかけ、二人は随分と御機嫌であった。オルフェはユークァルが戻って来たし、テリーはテリーでしっかり勇者様三人組から報酬の約束を取り付けていた。
「うはぁ……それにしてもスゴイねぇ」
 デュランのテーブルの前にはチョコバナナが一列縦隊に並べられている。デュラン直々のリクエスト、であった。
「それがさぁ」テリーは腕組みしつつうんうんと頷いた。「こないだの星降りの祭に出てた屋台で、チョコバナナにはまっちゃったみたいで」
 二人はデュランの前にディスプレイされたチョコバナナを観察した。
 それは、既にチョコバナナの域を超えた芸術品と言って良かった。
 まずコーティングしたチョコからしてチョコレート色一色ではない。白、ピンク、グリーンなど様々な色のチョコレートをベースに、コーティングされたチョコチップやアラザンを色とりどりに鏤める。その上に粉砂糖や星形やドラキーの形に切り抜いたビスケットや飴細工などを飾り付け、フィニッシュにはてっぺんにイチゴ、若しくはメレンゲかサクランボ。
 コーティングもただ塗されているだけではない。微妙なグラデーションやストライプ模様、果てはスライム柄までが、バナナ一本の表面に美しく描写されているのだった。食べるのが惜しい、と思うか、食欲が湧かない、と感じるかは様々であろう。
「この周りの粒々がしましま模様なのもスゴイよねぇ」オルフェがバナナの基部を軽く指で突っつく。「あ痛ッ!」
「食べ物に触るな」手の甲をぶたれてフーフー息を吹きかけるオルフェを余所に、デュランは済ました顔でチョコバナナだけをひたすら、貪る。
「あー、わりいわりい、遅かったなぁ……師匠さー、天ぷらそばのエビは最後に食べる派なんだよ」
「その例え、よく解んないよ……じゃあ、そのグラデーションの一個ちょうだい……ギャー!!」
 オルフェの土気色の手の甲に食い込んだ侭の割り箸が青緑に染まった。オルフェは慌てて割り箸を引き抜き、半泣きになりながら手の甲を治療して貰おうと宴席を小走りに退出した。

「ねぇ、お兄様」
 宴を終えて未だバナナの匂い立ち籠めるデルコンダル城のテラスに佇むトンヌラに、ラーニャ王女が声を掛けた。トンヌラはヘッドギアを外し、夜風に当たっている。追いかけては見たものの、どうやら愛しの君を見失ってしまったらしい。
「何だよラーニャ」
「あたくし、お兄様の事が好きよ。今でも。……でも、お兄様は変わってしまわれたわ。王になったその日から。だから、サマルトリア国王としてのお兄様は嫌いだったわ。でも……今のお兄様なら、好きになれそうだわ。昔の、優しかったお兄様に戻って下さったみたい」
「僕は変わらんよ」トンヌラは素っ気なくいらえた「ホントは、みんなで仲良くやりたかった。今でも。僕は、お前がさぁ、アインのところにヨメに行って、僕がマリアと結婚すれば、ロト王家は安泰だと思ってたんだ。でも、そんな風にうまく行くわけないよな。マリアは頑なだし、アインはマリアの事、まだ好きみたいだし。ナリーノのヨメには死んでもやりたくなかったからな。……お前には、幸せになって欲しかったんだよ」
「バカね、お兄様。……でも、許して下さるのでしょ? ハー様を、ザオリクで生き返らせて下さったのですもの」
「奴の事はな」トンヌラは矢張り、素っ気なく返す。親しい者にしか、決して見えない照れ隠しの裏返し。「今回は奴が居なかったら、世界を救えなかった」
「勿論それもあるけど、そうじゃなくて。解るでしょ? お兄様」
「ぅん? 何だよ」トンヌラは頻りに瞬く。
「うふふ……それはね、あたくしのこ・い☆」ラーニャは頬を赤らめ、目に星を鏤めて囁いた。「最初はお父様への反抗のつもりだったけど、あたくしのハー様への想いは真底本気ですわよ☆」
「ゑ゛〜ッ!? マ・ヂ・デ・ス・カ!!!」
「本気と書いてマジよ☆」
 トンヌラの顔がみるみる真っ赤に染まった。
「絶ッ対に、許さぁ〜んッ! 何がこ・い☆だッフザケんな! 邪教の神官と王女の恋なんて許されると思うかーッ!」
「まあ、そんな、ひどい! 巫山戯てなんかおりませんわお兄様。それに、ハー様は信仰をお捨てになったと小耳に挟んでおりますわ☆」王女はころころと笑う。無邪気を装った、裏のある笑み。「お兄様がお許しにならないのでしたら、あたくし、やおい小説を書くのは止めて、ハー様とのドリー夢小説を書きますわ。王女と元・邪教の神官の許されざる恋。キャー!!」
「だめだっていってるだろうがっ! 人の話聞けーッ!」
 勿論ラーニャは人の話なんぞ聞いちゃいなく、見事に自らの世界に陶酔しながらくるくるとドレスの裾を閃かせる。
 うっわー。タチわりぃ。やっぱ、殺しとくべきだったか……。
 そんな顔をしながら、トンヌラはスキップ踏みつつ歩み去っていく妹のがばっと開いた背中を何時までも恨めしげに見つめていた。

 そんな二人の真下で、晩餐会の後片付けに励む三人組は仏頂面の侭バナナに取り組んでいた。とはいえその歩みは鈍く、寧ろ既に敗北に等しい。竜王はバナナを弄ぶだけ弄んで食べないし、アインはバナナアラモードのクリームばかり食べている。その横で、ヴァーノンがもしゃもしゃと牛の歩みで二人を追いかける。
「クリームだけだったらんまいんだけどなぁ…いや、バナナは当分いいやぁ。あー、ばーさんの野菜ばっかりサラダが懐かしい…」一番最初に匙を投げたのはアインだった。「ところで、アンタ何て言ったかな」
「ヴァーノン」素っ気なくいらえたまま、竜人はトゥロンの皮の端っこを囓る。
「そ、そか。その……で、物は相談なんだが、石になった人々を、何とかする方法はないのか」
「直ぐには無理です。ですがこのヴァーノン、逃げも隠れも致しません。デルコンダル王が全ての黒幕とはいえ、己の わざ が少なからず片棒を担いでいたのは事実、今回の事で、己の ごう の深きを思い知りました。己の karma は己の art にて刈り取りましょう。……元々は、愚かしい嫉妬の故に手を出した わざ
「嫉妬?」
「そう……敵わぬと解っていても、人は弱いもの。
 あれは幼き頃より、同じ年頃のどの子供達より抜きん出て、恐るべき才を発揮していた。幼少時より智に於いて技に於いては言わずもがな、何よりもその魂に於いて。――それでも私達はまだ子供、勉学を離れ野で遊べば、矢張り年の功が優っていた。それに、あれは昔より病弱であったからな。だが、それも長くは続かなかった。何の因果か知れぬが、あれは私と道を――即ち、僧侶としての――同じくする事を決めたのだ。私は直ぐに、あれに追い付かれ、追い抜かれ、あらゆる面に於いて到底叶わぬ事を思い知らされた。師は我等を比べることはしなかったし、あれも傲り高ぶる事は決してなかったが、それでも、極僅かながら年長である分、私には追い抜かれていく事への焦りや苛立ちがあった。――それが決して、手の届かぬ星であったとしても」
「へぇ、兄弟子だったんだ」頻りにテーブルを叩くアイン。
 竜王は、時事ネタは風化するぞ、とでも言いたげにアインへと一瞥をくれる。「故に、あ奴の手を出さぬ領域である錬金術に手を出した、と」
「御意」ヴァーノンは慇懃に一礼する。「それが、この様な結果になるとは……因果の輪とは何とも、皮肉なものに御座います。己の立場、才も弁えぬ事蟷螂の斧の如し」
「……未だ悔いておるのかそんな事で。下らんな」竜王はスプーンでバナナの表面に付いたチョコレートを掬い取る。「つまらんとこだけ似ておるのだな、お前ら」
「美徳も似ればお気に召しましたでしょうか」
「……いけ好かない奴だな」竜王が食べる気のないバナナにスプーンを突き立てると、バナナの端っこが千切れて足下に転がり落ちた。
「生憎と、弟弟子ほど人が良く出来てはおりませぬ故」ヴァーノンは澄まし顔で、足下の一口大バナナに一瞥をくれた。
「う、くくく……今宵は無礼講だし、許してやろうよ。俺は御先祖様ほど短気でも人が出来てない訳でもないから平気だけどサ」
「ふん、短気で人が出来ていなくて結構」
 バナナをもさもさと反芻するヴァーノンの口元が、僅か緩やかに吊り上がる。「ふふふ……成程、我が主が、付いて行くと決めた訳だ。伝説も、あてにはならぬ物ですな」
「何故だろうかな……変わった、のであろうな。……あー! 待て、ヴァーノンそれは鬼門……」
 竜王が止めたのも遅く、ヴァーノンは うずたか く積まれた侭殆ど手を付けられていなかった甘口バナナスパをぱくっと銜えて噛み締める。
「何が鬼門………う゛、ぇ、ゲェーッ! ゲホ、ゴホッ! オエッ、ゲェーッ!」何が、の答えを聞くまでもなく、ヴァーノンは咽せて鼻からバナナスパを、口からバナナの塊を噴き出す。鼻を押さえている内、今度は喉から胃酸混じりのバナナが勢い良く迸った。「は、はらが……ぐえっ」
「う、わっ…………うッ! ぶほっ! うううっ……ぐぶわっ!」
「ば、バカッ! お前らこんなところで吐くなぁ、あ、あぐげほごほぐえろえろえろ……」
 げに怖ろしき哉、もらい・ゲロ・ブレスの破壊力。当たりにほの酸っぱいバナナの匂いが微かに、やがて濃密に立ちこめた。大の男三人組が目に涙を浮かべて城の中庭に胃液混じりのバナナ入り吐瀉物をぶちまける様はある意味壮観と言えよう。政敵宿敵はもとより、臣民にも間違っても見せたくない格好であった。

 世界を震撼させた3人が目に涙を浮かべながらバナナペーストをを撒き散らし、アレな匂いを振りまいたお陰で汚染されていく地上とは隔絶された尖塔の一角。その窓から冬の夜空を見上げる二人の男女。気流に乗って南方からの暖かい空気がやってくるデルコンダルでは、冬でも身を切るような厳しい夜風に苛まれる事は無い。
 生憎と二人の関係は、そのシチュエーションから想像されるようなものでは無い。寧ろ血にまみれ、どす黒い憎悪と、後悔と、不安と、緊張に満ちていた。が、デルコンダルの潮風の所為なのか、二人の間に嘗ての様な張り詰めた空気は無く、ただ、何処か気怠げな安堵だけが、そこにあった。
「……終わったのね、何もかも……」マリアは3バカ共がバナナを吐き散らしている中庭を見下ろしていた。「これで、良かったのかしら」
「これ以上の結末は、有り得ないと思いますが。うっぷ……す、少し気分が」傍らの蒼い肌の男はどうやら、上昇気流に乗ってきた甘酸っぱい匂いを思いっきり吸い込んでしまったようだった。「一体下では何をやっているのだか」
「ふふ……殺し合いでないのだけは確かね」女王の口端が、僅かに吊り上がった。 愁いとも、微笑とも付かぬ不可思議な笑みアルカイック・スマイルが桜色の唇に乗る。「仲良き事は美しき哉、でしたかしら?」
「そうですね。……本当に、良かった……」
「そう、ね……」マリアの呟きは、心此処に在らずと行った風情。藍玉が空の星を探して、彷徨う。
「どう、したのですか? 何か、思うところでも?」
「ええ……」
 曖昧な返事しか返さない女王を、男は見守っていた。風に攫われる銀糸が、頬を滑り落ちる。
「良ければ、話して下さいませんか。……貴女の心の重荷を取り除く、手助けがしたい」
「自信たっぷりなのね」皮肉めいた笑みが、口元に浮かぶ。笑みとは裏腹に、瞳は闇に沈んでいた。「ねえ、憶えてる? フィルの事」
「……ええ……」金の瞳が、ファーに頬を埋める女王の横顔を捉えかねて、訝った。
「彼は私達を信じていたわ。多くの臣民も、きっと皆同じだと思う。私達を正しいと、信じてずっと付いてきたのだわ。疑いが脳裏を掠めたとしても、彼等は"私達だから"従った。私達……いいえ、私は彼等を裏切り、アインやトンヌラを私の、間違ったやり方に引き込んだのだわ。私の保身の為に」
 銀の髪が、白い頬を撫ぜた。亜人は答えなかった。
「過去はやり直せない。私の手は血に染まり、そして、禁断の領域にまで手を伸ばした……」
「やり直せない事などありません。過去は過去ですが、貴女には……否、私達には、未来があります」
 女王は息を飲んで、じっと、年若いが己よりはずっと長き時を生きて来た男の貌を仰ぎ見た。「随分と、前向きに変わったのね、貴男」
「デルコンダルの暖かい風の所為ですよ」若い元・神官ははにかむ様に緩やかに口角を持ち上げた。「そうでなければ……あの底抜けに明るい少年――オルフェウスの影響でしょうね。やや卑屈なのが玉に瑕なのですが」
「そうね」女王はころころと、少女の様に笑う。宝石の様な冷たさが和らぐ、愛らしい笑みだった。「彼は、良くやったと思うわ。もし、彼が居なかったらと思うと……彼が居たからこそ、私達は純粋だったあの頃の私達に戻れたのだと思うわ。けれど」
 王女のマントが風に翻った。
「私は、因果律をねじ曲げ、世界の法に干渉した。―――怖いのよ。ナリーノの様に、私も破滅を免れ得ないのだと思うと。覚悟はしていたわ。けれど、けれど」
「させません。決して」マントの上から、肩を掴む蒼白い手が月光に映えた。「貴女がそうなら、私も又、この世の理を、世界の秘密を知ったが為に、闇に葬られし者。人は決して、気紛れと慰みの為に産まれ、作られ、そして滅ぼされる為の存在ではないと、私は信じています。否、そうで在らねばならぬと、知らしめねばなりますまい……貴女も、例外ではありませんよ。そして、恐らくは、ナリーノも。私達はきっと、大して変わらない、似た者同士なのですよ」
 戸惑いを面に青い瞳を見開く女王に、旧き種の末裔は語り出した。
「貴女にはお話ししませんでしたね。私はね、彼に言われたのですよ。理解し合えるかも知れないと思ってたのに、とね。彼は歪んでいたかも知れないが、少なくとも、根底の部分では狂ってなんかいなかった。私達と同じく、傷を抱え、孤独に怯えていた。私は言いました。私を殺したければ殺すが良い、こんなちっぽけな命なんぞいくらでもくれて差し上げよう、どうせ一度失われた命だと。だけれど、どうか世界を滅ぼそうなどと、私が犯した過ちをなぞらないで欲しいと。彼は一度ならず疑問符を挟みました。『もしボクが、お前等の仲間を皆殺しにしてもそう言えるってのかい? 信じられないネ!』ってね。私は悩みました。すぐには答えられなかった。でも、それでも、彼が思い留まってくれるなら、喜んで、とも。私の答えは条件付きでイエス、でした」
「……貴男らしいわね。ふふ……」
「我ながら、お人好しも大概にしなければなりません」竜人は苦笑いを零した。「彼は言いましたよ、『ならばこちらも条件を出す、ボクと奴ら――貴女達との事ですよ――の戦いには、如何なる事があっても手を出すな』とね。……シンパシーを感じていたのかも知れませんし、ひょっとしたらやはり騙し討ちにするつもりだったのかも知れません。しかし、やはり何処かで、一度は同じ想いを抱いた者として、誰かを信じたかったのではないか、と私は、思いたいのです。―――彼も、私も、貴女も、オルフェも、皆孤独だった。そして皆、世界を超えたいと願った。心の かつえを満たそうと、痛みを苦しみを忘れようと悪足掻きした。そんな私達を嘲笑い、運命を弄び、最後には放り捨てる――それが、世界の秘密だとしたら? 私達はそれを知り、故に一度は滅びを強いられた。どうしても思い出せなかったのに、彼の、爬虫類じみた瞳の中に僅かに宿っていた孤独の哀しみが、私に信仰を捨てた理由、私の『何故』を思い出させたのです……何処まで、運命は私達をいたぶり続ければ満足するのでしょうね?」
「そうね」マリアは言葉を継いだ。「もしも私にアイン達がいなければ、……いいえ、いても、彼等をもはや信に値しないと見なしていたなら、私もきっと、ナリーノの様になっていたでしょうね。……本当は、そうなりかけていたの。貴男達が羨ましかったわ。初めて見た時は驚いたけど、貴男達は本当に、無条件に互いを信頼し合ってた。……昔の、私達の様に」
 頬を伝う雫は、北風に攫われていった。元神官の竜人は、蹲り啜り泣く女王の肩をそっと引き寄せて軽く叩いてやるのだった。貴女は孤独ではないのだ、と伝える様に。

*  *  *

「あのさぁ、ユカ?」
 オレん中で、何かが少ぉ〜しずつ、変わりつつある気がした。
「何ですか?」
「もうすぐ、旅も終わりだよなぁ…」
「そうですね……」ユカの髪が、風に揺れる。キレイだなあ、と思う。
「そうしたら、お別れなのかなぁ?」
「お別れ、したいんですか?」
「ううん、したくないよ」ここで『ずっと一緒にいたい』って言えればいいのに。でも、オイラは根性無しだからやっぱり言えなかったけどね。「ごめん、何でもない」
「何で、何でもないんですか?」
 うわっちゃー。来たよユカちん。そんな真っ直ぐな目でオイラを見ないで、お願いだから。
「あの、ごめん。ホント何でもないんだ」
「何でもないように見えません」
 う。
「ごめん……今度にしてくれないかな……オレ、ちょっとまだムリかも……」
「どうしてですか?」
「オイラ、その……ほら、へっぽこだからさぁ」はは、と力無く、オイラは笑いかけた。オイラ、サイテー。
 結局、へっぽこなんて言い訳に過ぎないじゃんか。オイラには痛いくらいに解ってた。
 覚悟を決めてなかったからしょうがないんだ、ってのは言い訳に過ぎないってことを。
 だけど、そうと言うより他に、どうしたらいいかわかんなかったから。
「どうして、ヘタレなんですか?」だけどユークァルは言い訳を許してくれなかった。責めてる訳じゃないのに、問いが純粋だからひどく、突き刺さる。
「そのぅ……弱いから。生まれつき。それに、弱虫だし、根性無しだし、おいちゃんや勇者様みたいに強くないし、それにそれに……」
「勇者だって、王様だって、野の草だってスライムだって魔王だって、みんな、同じなのに……」
「え?」オイラはユークァルの横顔を見た。
「だって、皆死ぬでしょ? だから、同じ。お爺ちゃんもおばあちゃんも、子供も、リカントも、花も水も土も、みんな死ぬ。だから、同じ。弱くても強くても頭が良くても、ヘタレでも弱虫でも勇気があっても、みんな死ぬの。だから、同じ」
 オイラがおいちゃんや勇者様やナリーノやテリーやデュランやひーちゃんやユカや街の人達やスライムと同じ?
 そんな事、考えたこともなかった。オイラが、みんなと同じだなんて。
「信じらんないよ」
「聞いたでしょ? 以前。竜王もハーゴンも一度は死んでるの。あたしも、いっぱい殺した。子供も、魔物も、偉い人も。死ぬ時はみんな同じだった。そして、人は、みんな、死ぬ」
 オイラは呆然と、ユークァルを見つめていた。
「オイラでも…その、オレでも、何とか、なるのかな」
「何が何とかなるかはあたしには解りません」ユークァルがオイラを見上げる。「でも、なるようになるんじゃないでしょうか」
「なるのかな」
「わかりませんけど」磨りガラスのような、深い瞳がちかりとくるめいた。「なるようにしかならないし、なるときにはなるんだと思います。きっと」
「そっか」オイラは変わりつつある自分への予感を胸に、ユークァルに笑いかけた。「全部終わったら、言うよ。約束する。……でも、もうちょっと待ってネ。今は、その時じゃないから」

おかえりはこちら
DQi目次へバシルーラ!